第4話

 男は日の出を見上げていた。

 半分ほど耕された畑には、少女が種を蒔いている。

 小さな手からぱらぱらとした小さな種を、不器用に。

 男の手伝いはいらないと言って、少女は一人で種を蒔く。


「なんの種だ?」

「分かんない」

「そうか」

「うん」

「ちゃんと育つと良いな」

「うん」


 次に少女がここに来るまで畑が残っているかは分からない。

 上手く育ったとしても野生生物に食われるかもしれないし、新しく村ができるかもしれない。

 畑がちゃんと残るよりもそうなる可能性の方が大きい。

 少女はそれを分かっているのか、いないのか。

 男が少女にそれを伝えることは無いだろう。


「元気でね」


 少女は最後の別れとばかりに畑に水をやる。

 男が井戸から汲み上げた水を、廃材で作った即席の柄杓でちょっとずつすくって、丁寧に。

 扇に広がる水の向こうに、少女と同じ様に小さな虹が出来た。

 種蒔きが終わり土と泥で汚れた少女を、男は井戸の水と沸かしたお湯で洗う。

 服は替えが無いので軽く洗うだけだが、これは仕方ない。


「おじさん、洗うの下手くそ」

「うるせぇよ」


 その日、二人は村を出た。



 ***



 男の荷物は遺品整理用の特大の背嚢の他に旅をするための道具もあるためとても多かったが、少女の荷物は少なすぎる程に無い。

 精々が男の渡した水筒や携帯食料程度だ。

 少女の家は戦火に焼かれたのだから、私物が無いのも当然と言えば当然かもしれない。


「泣かねぇのか」

「泣かないもん」

「別に泣いても文句は言わねぇよ」

「……泣かないもん」


 村から出た少女は下唇を噛んでキッとした表情で歩く。

 涙を堪えているのはすぐに分かった。

 それでも、少女が泣くことは無い。


「偉いな」

「……うん」


 男は乱暴に少女の頭を撫でた。

 少女は男の手 ─と言っても男と体格が違いすぎるので指を掴む程度だが─ をぎゅっと握る。

 男は少女を連れて歩きながら、この先のことを思案する。

 普段であれば仕事をしながら目的地に向かうところだが、死体があるのは戦場のど真ん中だった場所ばかりであり、人の住む街は戦場跡とは離れた位置に存在する。

 バカ正直に戦場跡を通ることもなければ、手持ちの食料も限られているのにわざわざ遠回りする必要性も無いだろう。

 男は少女の手を引いて、地図を見ながら孤児院のある街へ向けて歩き出す。

 少女は何も言わずに、その手を握って男についていった。



 ***



 乾いた荒野の様な光景が続いたのは初日だけであり、今男と少女の目の前 ─というか全方位だが─ には緑生い茂る森が広がっていた。

 大人であり旅慣れている男と比べて少女は旅の経験など無く幼い。その体力の違いには遥かな差があるのだ。

 最初こそ少女は音をあげずに黙々と男について足を動かしていたが、少女の体力に関して気の回らない男ではない。

 こまめに休憩を取る男に対して少女は、自分は大丈夫だ、と主張するのだが、その言葉に男は少女の頭に拳骨を降らせると


「旅を舐めるな。いざというとき使える体力を残さねぇなんてのはバカのやることだ。何が起こるか分からねぇんだからよ、無理は絶対にしちゃいけねぇ。疲れたら疲れたと言うんだ」


 いいな、と怖い顔で念を押す男に向けて、少女はじんじんと痛む頭を押さえながら頷くしかなかった。

 故に、無理をしないために二人は今、森の中に流れる川岸で歩く足を止めている。

 とは言っても男の方は食料の確保に行動しているところだったが。


「ほい、捕まえた」


 男が捕まえたのは一匹のイタチだ。

 森の中に即席の罠を仕掛けて、今か今かと待ち伏せていたのだ。

 30分ほどで簡単に捕まったイタチは、今は男の手の中で暴れている。


「どうするの?」

「こうする」


 男は躊躇無く狩猟用のナイフでイタチの首を裂くと、その頭と首に長く細い枝をくくりつけた。

 そうしてまだ温かいイタチを川に浮かべると、枝を動かしてイタチの身体をゆらゆらとまるで泳ぐかのように揺らす。

 イタチの首から流れる血が川の流れにそって一本の紅い線を作っていく。

 イタチのすぐ横でパシャリと水が跳ねる。

 すかさず男がイタチを跳ねあげるとそこには魚が食い付いていた。


「お魚?」

「そうだ。血の匂いで食いついてくる」


 男はそれから何匹か、それも二人で食べるには少々多目に魚を取った。

 少女はまじまじと何匹といる魚と男を見つめると


「おじさん、凄い人?」


 そんなことを言った。

 男は、肩を竦めるだけだった。

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