第57話 ゴーイング・マイ・ウェイ

「…………お姉……ちゃん」


「ロシエル! 起きた?」


 この日、ロシエルは自ら起き上がり、ベリアルに声をかけた。

 奴隷から解放されて、宿屋に戻ってきてから、ロシエルはほとんどを眠って過ごしていた。そうやって、魔力を急速に回復させていたのだ。


 起き上がるほど回復したなら、あと数日で完全に動けるようになるだろう。アスモデウスの作るパワードリンクもあるから、もっと早いかもしれない。


「ほら、果実水よ。飲んで」


 ベリアルは、ロシエルがたまに目覚めるタイミングで、飲み物や少しの食事を用意していた。少しでも回復が早くなるようにと思いを込めて。その甲斐もあってか、今日の顔色は今までで一番よかった。


「はぁ〜、生き返る! ありがとう!」


 おかわりした分も軽く飲み干して、空のグラスを返してくる。そのまま、ベッドから降りてソファーへと移動して、手足を思いっきり伸ばしている。


「ずいぶん魔力も戻ったみたいね」


「うん、今日からはちょっと動けそう。とりあえず散歩してみたいな」


「うーん、この宿屋の近くなら平気かな? 行ってみる?」


「うん! 行きたい!」




 街は活気づいていて、大通りは行き交う人でごった返している。宿屋の裏手には川が流れていて、人通りはあるものの、そこまで混雑いていなかった。川沿いの道を歩くのなら、散歩にちょうどいい。


「ふぁー! 気持ちいいなぁ」


「そうだね、今日は天気もいいから」


「あ、ねぇねぇ、本屋さんがあるよ! 寄ってみてもいい?」


 宿屋から五百メートル離れた場所に、古本屋があった。ベリアルは「懲りないね……」と、言いながらも付き添っていく。


 ウキウキと本棚に並ぶ小説たちを物色している。本が好きなのは、変わらないらしい。そのうちロシエルは一冊の本を手に取った。


「それ……ロシエルが好きだった作家だよね?」


「うん……もう、いいや。散歩に戻ろう」


 ロシエルの表情が暗くなったのをみると、会いに行った作家はあの本の作者なのだろう。


「ロシエル……ちょっと一休みしようか」


「……うん」


 ベリアルとロシエルは川沿いの土手に、腰を下ろした。座ると風が肌寒く感じるが、日差しがそれを和らげている。


「あの作家に会いに行ったの?」


「うん、そう」


「その後、どうなったの? すごく心配したんだから、嫌じゃなかったら聞かせて」


「……そうだよね、心配かけちゃったよね」


 ロシエルは五十年前の事を、鮮明に思い出していた。




     ***




 あれはよく晴れた夏の日だった。あの頃のあたしは小説を読むのが何より好きで、月に何十冊と読みあさっていた。

 その中でも特に好きな作家がいて、その人の書籍は発売と同時に手にするくらい、早く読みたくて仕方なかった。


 その日も新刊の予約をしに行くと、なんと発売日に作家本人が来てサイン会を開くとポスターが張り出されていた。

 憧れの作家さんに会えると、前日の夜から本屋の前で待っていた。


 そしてついにサイン会が始まり、あたしは握手もしてもらって、天にも登る気持ちだった。もう、嬉しくて嬉しくて、大好きだと伝えたのは覚えてる。

 その時に、こっそりと後で話したいから本屋の裏口で待っていて欲しいと、サインとともに書いてよこしたのだ。


 そんなの、行くに決まってる。だって、大好きで仕方ない作家さんからの呼び出しだ。こっそりお茶でもできたら、お姉ちゃんに自慢しよう!




「あのさ、君って悪魔族だよね? 契約したら、願いを叶えてくれるって……本当?」


「え、契約ですか……?」


 想像してたのとは全然違うけど、私にとっては嬉しすぎる提案だった。


「そうですね……先生の新作を一番に読ませてもらえるなら、契約します!」


「はは、そんなことでいいなら、是非お願いするよ」


 こうして大好きな作家の先生と、あたしは契約したのだ。

 先生は私と契約すれば、どんな物を書いても人気が出ると勘違いしたらしい。いくら悪魔族でも、さすがに大衆の気持ちを操るなんてできなかった。




「くそっ、これじゃぁ、ただのお荷物じゃないか!」


「ご、ごめんなさい……」


「お前なんか契約するんじゃなかったよ」


 正直、ものすごく傷ついた。あんなに大好きな作家さんだったのに、もう物語を読んでもときめかなかった。

 先生はすっかり小説を書く意欲をなくしたのか、本はどんどん売れなくなり、生活にも困るようになっていった。


 その時、ドルイトス伯爵があたしの噂を聞きつけて、やってきた。先生からの最後の願いは「ドルイトス伯爵の言うことを聞け」だった。


 そこからは、言われるままに契約を結んで、言われるまま魔力を使い続けてきた。毎日毎日、回復する以上の魔力を使って、あたしは少しずつ弱っていった。


 あの日、訳もわからず解放されて、お姉ちゃんに会えたのは、奇跡だと思ってる。




「バッッカじゃないの!?」


 という罵声と共に、ゲンコツが頭のてっぺんに落とされる。


「痛——い!!」


「自分から契約するなんて、バッカじゃないの!? 相手をよくみてからじゃないと、騙されるに決まってるでしょ!!」


「だってぇぇ……大好きな作家さんだったんだもん」


「だもんじゃないわ!! どれだけ心配したと思ってるのよ——!!」


「ひっ! ご、ごめんなさい!!」


 そう言って、お姉ちゃんはあたしを優しく抱きしめて、泣いていた。だからあたしも、そっと抱きしめ返したんだ。


 離れていた時間を埋めるように、お互いの温もりを確かめあっていた。


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