第20話 守りたいものの為に

【西暦2060年11月上旬某日 日台帛連合皇国 東京都新宿区歌舞伎町 鳳翔会本部ビル地下】


 時折天井から地鳴りの様な音や怒号、爆発音等が聞こえてくる。

 その音に合わせて部屋が僅かに揺れる事があり、地上で大規模な戦闘が発生している事は容易に想像出来た。

 (今の今まで私は上にいたのに、まるで現実感が無い。

 まだ夢の中にいる様な気持ちになっているのは、私が機械だからなのかしら……)

 老齢の男、鳳壮一の背後にある巨大な爆弾もゲームの世界に迷い込んだのかと錯覚させられる。

 自分の常識の範囲を超えてきており、事態を冷静に把握する事が非常に難しかった。


「お前が生まれる前の話、全ては2030年のあの夏の日まで遡らなければならない」

 鳳はそう言うとおもむろに目線を上に向け、それから再び凛の顔を見つめる。

「当時皇国はまだ『日本』と呼ばれ、自分達の国以外の領土など保有していなかった。

 だが政府はアメリカ合衆国に味方して『かの国』を倒す事で領土を広げたいと考えていた。

 自分達が豊かになる為には国土を広げる必要がある。そういった思想を掲げていたんだ」

 苦虫を嚙み潰す様な表情で鳳はそう吐き捨てると、僅かに視線を逸らし歯を食いしばった。

「日本は第二次世界大戦の際アメリカ合衆国と敵対していたと言う負い目もあり、合衆国の意向には逆らえなかった。

 合衆国が提案してきたのは日本の守りをわざと手薄にして『かの国』に日本を攻撃させ、敵の意識を攻撃に集中させる。

 その隙に合衆国の軍が背後から『かの国』を襲って電撃制圧すると言う作戦だった」


 部屋の中にどっと風が流れ込んでくる様な感覚に包まれる凛。

 勿論閉じられた地下室でそんな現象が起こるはずも無いのだが、凛はありえないものを肌で感じ動揺した。

「当時日本は最新鋭の武器や戦闘機を合衆国から購入しており、間違いなく守りは盤石だと信じられていた。

 だが褒美を貰う為に東京は『かの国』の攻撃を受けた。街は焼け野原となり、海は緑色に染まった。

 皆様々なものを国の勝手な振る舞いによって失ったんだ。俺の家族も……」

 鳳の脳裏に、30年前の悲劇が昨日の事の様に思い出される。

 当時40代だった鳳には刑務所に入っていた父親、風邪を引いて寝込んでいた母親がいた。

 歳の離れた20代後半の弟と妹は鳳と疎遠になっていたが、それ程仲が悪くなっていたワケでも無い。

 彼が暴力団の組員である事を除けば、そこまで異常な家族構成では無かった。


『都民の皆様、○○の戦闘機が東京に向かって飛んできております。

 速やかに安全な場所を探して避難してください。繰り返します。安全な場所を探して……』

 うだる様に暑い8月中旬の某日。

 正午近くに鳴り響いたサイレンと広域に向かって流れた放送は人々をパニックに陥らせた。

「どうなってるんだよ自衛隊は。空もしっかり守ってくれてるんじゃなかったのか」

「自衛隊でも対処しきれない程の数らしい。とにかく地下に逃げよう。

 母さんは俺が背負うから、兄貴は妹とはぐれない様にしてくれ」

 短い時間の間に出来うる限り集めた貴重品を背負い、妹の手をしっかりと握る鳳。

 外に出てはいたものの深い考えは無く、地下鉄への入り口を探して降りるつもりだった。


「人の群れが押し合いへし合いして、道がぎゅうぎゅう詰めになっていた。

 そりゃそうだ。我も我もと地下へ向かおうと殺到していたんだから。

 そして戦闘機は地上に向けてミサイルを投下し、東京は火の海と化した。

 俺も何故自分の命が助かったのかよく解っていない。

 べらぼうに運が良かったんだろうな。そこまで怪我らしい怪我も負わなかったし」

 意識を取り戻した時、鳳の眼前に広がっていたのは廃墟と化したビルの山。

 瓦礫の山に押し潰された死体。人かどうかも解らない焼け焦げた肉の塊だった。


「おい、皆……どこへ行ったんだ」

 爆発による衝撃で吹き飛ばされたのか、意識があった時にいた場所からかなり離れている所で鳳は目を覚ました。

 燃える街、人気の無い通り。

 すぐにそこから離れるべきなのは解っていた。

 しかし鳳は母親や弟、妹の安否を知る為に周辺を捜索する。

 見るに堪えない醜悪な風景が幾度も彼を苦しめた。

 (俺以外に生きている人間はいないのか?)

 そう思ってしまう程周囲に生きている人間がいない。

 やがて『妹だったもの』を発見した瞬間、鳳の中で何かが弾けた。


「妹の手だけが綺麗な状態で道路に落ちていたんだ。

 指にはめていた指輪ですぐに解った。そして、妹も弟も母親も後に死んだ事が解った。

 親父も逃げられなかったからな。刑務所も爆撃されてそのまま死んだらしい」

 淡々と語る鳳であったが、凛は彼の口調から未だに諦められない未練を感じた。

 涙を流し尽くす程哀しみを背負ってきたのだと言う事も。

「もっと早く逃げれていればとか、たられば等腐る程ある。

 地下に逃げて助かった奴も相当数いたワケだからな。

 だが問題の本質はそこじゃねぇ。

 政府がそんな裏取引なんて結ばなけりゃ、東京の空が無防備になって人死にが出る事は無かったんだ」


 街が復興しても、死んだ人間が帰ってくる事は無い。

 そして緑色に染まった海は今後何百年経過したとしても元には戻らないとされている。

 国の利益の為に人の命と自然を犠牲にした皇国政府に対して、鳳は憤りを感じていた。

「日本政府が意図的に日本の防衛を手薄にしたと言う証拠はあるんですか?」

 凛は自分が生まれ育った国が汚れた謀略に手を染めていたと言う事実が信じられず、思わずそう叫ぶ。


「100%の証拠は無ぇよ。状況証拠だ。

 自衛隊がある日を境に突然わざと攻め込んでくださいと言わんばかりの無防備な状態に陥っていた事。

 同盟関係こそあったが大した活躍をしていないはずの日本が、突如樺太と台湾とパラオを獲得した。

 台湾とパラオに関しては進んで日本と志を共にしたいと言う国民もいた様だが樺太とプエルトリコは違う。

 アメリカ51番目の州とすら言われていたプエルトリコの自治権を合衆国の方から譲渡すると言うんだぞ?

 どう考えても何らかの取引があった事は確実だ。合衆国の利益になる様な事があったというのも含めてな」

 アメリカ合衆国は『かの国』を撃破した事で世界一の座を守った。

 大インド帝国はかの国ほど反米気質では無く、協調していける兆しがある。

 もし皇国がかの国が滅ぶ決定的要因を作ったのであれば、その厚遇も納得出来るだろう。


「アメリカ合衆国はかの国が日本を攻撃したタイミングで背後からかの国の本土を攻撃した。

 示し合わせていたかの様に大インド帝国も襲撃に加わり、軍は総崩れ。

 日本は壁となって第三次世界大戦の戦勝国となった。

 多大なる犠牲を払ってまで掴んだ栄光。屍の山の上に成り立つ繁栄だった」

 鳳はずっと1つの記憶の中で苦しみ続けていた。

 家族を失った30年前のあの時から時計の針は止まったままで、動いてくれない。

 心は渇き、その渇きを埋めるものは何も無かった。

 その空虚な人生の中で、『復讐』だけが彼の心を占めていったのだ。


「勿論、それも1つの方法だったろうさ。日本が大国になる為の方法として見れば。

 だが俺はどうしてもそれが許せねぇんだよ。俺の大切なものを全て奪い取ったこの国が憎い。

 この国がそういった犠牲の上に成り立つ政策を続けるのなら、それをどうしても阻止したかった。

 俺達が立ち上がってこの国をコントロールすれば、もうその悲劇が起こる事は無いとな」

 心が壊れてしまったのだと凛は思った。

 哀しみで前が見えなくなり、その復讐の為にどんな犠牲でも払うと同じ事をしている。

 皇国がそういった裏取引をしていたとしても、鳳のしてきた事が許されないのも厳然たる事実だった。

「多くの若者達の脳を壊すドラッグを売りつけ、貴方も大義の為に犠牲を払おうとしたじゃないですか。

 それが貴方の正義だとでも言うんですか?そんな姿を見て亡くなった貴方の家族が喜ぶとでも?」


 凛の言葉は鳳の心に突き刺さったらしく、彼は暫く何も言わずにじっと彼女を見つめていた。

 揺れる天井を見上げ、溜息をつく。この30年の間、鳳の身体には疲労が蓄積していたのかもしれない。

「体制をひっくり返すには、とんでもない量の金が必要だ。

 戦後復興の中で俺は闇市場で大儲けを果たし鳳翔会を立ち上げる事が出来た。

 ブルーウィンターを大量に購入する事が出来たのも、反日国とつるんできたから……

 俺はこの国を『利益の為に人を犠牲にする国』から変えたいと思っていたが、変わったのは俺だけだったのかもしれないな」

 全て奪い返す。その復讐心に従って信念を曲げ、どんどんと自分の理想から遠ざかっていった。

 金が無ければ大義は成せない。そう言い聞かせながら堕落していった。

 鳳は頭ではそう理解していたが、最早止まる事など出来なかったのだ。


「貴方がニューマンを望んだのは、貴方をトップとした体制を継続する為だと思っていました。

 でも今の貴方を見ていると、もしかしたらそうではなかったのかもと感じます。

 死ぬのが怖かった。自分の存在が世界から消える事に怯えていたんじゃないですか?」

 清川凛も薄れゆく意識の中で、己が死ぬ事に絶望し嘆いていた。

 死にたくない、生きていたい。

 人間の根源とも呼べるごく普通の感情を、鳳も持っていたのではないか。

 そう思って彼女は質問を投げかける。

「自分以外の死に向き合い過ぎたからなぁ。

 人間、死ねば塵芥も同然である事を嫌と言う程思い知らされた。

 死んだら終わり。例外は無い。なら何を求めるべきか。

 不老不死しか無いだろうが。それが無理なら、疑似的な不老不死だ」


 ニューマンは自分自身と変わりが無いが、人間そのものが長生きし続けるワケでは無い。

 ニューマンも、200年以上は持たないので代わりを作り続ける必要がある。

 鳳にとって、不老不死が本物か偽物かなどと言う議論に意味は無かった。

 見かけだけでも自分が世界に影響力を残し続ける事が何よりも大事であると思っていたからだ。

「平和な世界を永遠に構築したいと、多くの為政者が考えてきたが失敗してきた。

 いや、善悪関係無しにその体制は為政者が死ねば簡単に崩壊する。

 俺が体制を転覆させた後、平和的な独裁を永遠に続けるにはニューマンがどうしても必要だった」

 独裁者の夢は、自分を含めた体制が未来永劫続く事。

 彼等と同じ様に鳳もそれを求めて足掻いたが、結局ニューマンの力に屈する事になった。


「貴方が皇国に恨みを持っている理由は解りました。

 それでも、私達が望むのは平穏であり、何時もの日常なんです。

 平和の為に罪も無い人々が犠牲となって街が破壊される。

 そんな矛盾に満ちた世界よりも、ただ明日を信じて生きる世界の方が必要なんです。

 お願いです。これ以上無駄な死人を出す前に投降してください」

 彼が思いとどまってくれるなら何でもしよう。

 凛は演技では無い魂の土下座を披露し、床に頭を擦り付けた。

 大切な人の命を守る為ならば、なりふり構っていられない。

 そういった気持ちが彼女の身体から溢れ出ている様だった。


「本当に心からお前がそれを願うなら、お前にも何らかの代償を払ってもらう必要があるな」

 鳳はそう言うと懐から拳銃を取り出し、凛に向かって放り投げる。

 床に転がった拳銃を拾う事無く、凛は視線を拳銃に向けた後鳳の方を見た。

「止めたいんだろう?この状況を。1人の善良な市民として。

 今は戦争状態だ。誰もお前を責める者はいない。俺を殺してみろ。

 どうした、撃たないのか?俺が死ねば全てが終わるんだ。

 もうすぐくたばる70以上の老人を生かしておくとこれからどうなるか解らんぞ」

 言葉では無く行動で示してみろ。鳳は凛にそう告げているのだ。

 変えたいのなら暴力で無理やり解決するべきだ。

 鳳自身がそうした様に。鳳は彼女に覚悟を問うていた。


「ただ平和を願った所で、平和が訪れるとでも思っているのか?

 違うね。平和もまた犠牲無しでは生まれない。

 お前がどうしても平和を望むなら、俺を排除する事で完遂してみせろ。

 そうしないと言うのなら、俺はこのボタンを押して全てを終わらせてやる」

 爆弾を爆破させる為のリモコン。

 拳銃の扱いが素人である凛では、ニューマンであろうともリモコンを狙うと言う芸当は不可能だった。

 走って止めるのもこの距離では無理。

 心臓か頭を狙って撃つ。心臓ではボタンを押される可能性が高い為頭蓋を狙うべき。

 一瞬そんな考えが凛の脳裏をよぎったが、凛はその考えを頭から追い払った。


「貴方を排除しなくても、平和は訪れます。

 私が殺さなくても逮捕されればそれで終わる。死ぬ必要は無いじゃないですか。

 それに爆弾を爆破させると言うのは、貴方が追い求めてきた『平和』を破壊する行為。

 貴方の信念を根底から覆す事になります。貴方にはそんなボタンは押せないハズです」

 凛は躊躇せず拳銃を拾い上げると壁に投げつけ、鳳の感情に訴えた。

 ただ一途に彼の良心を信じた。未熟かもしれないが、それが彼女の正義であり信念だった。

 彼の国を愛する心に全てを賭けたのだ。


「……お嬢ちゃん、良いよ。その青臭い正義感。

 俺も昔はアンタと同じ理想に殉じたかった。

 この国の正義を信じて、正義の為に何か出来ないかと考えていたんだ。

 若い頃からヤクザな生き方しか出来なかった奴が何を言っているんだと思われるかもしれんがね」

 鳳は皮肉抜きで彼女が羨ましいと思った。

 思想に汚されず、誰も失わず、真っすぐに生きる人間として人生を終えたかった。

 どこで自分は間違ったのか。いや、国家に間違った道を歩まされたのだ。

 目指した道を諦めるのは無念であったが、もう足掻き続けても未来が無い事は解っていた。


「親父が、お袋が、弟が、妹が、笑って暮らせていた未来もあったハズだ。

 俺はずっとそんな幻影を追い続けていた。失ったものを数えていた。

 だがお嬢ちゃん、アンタは違う。俺とは違い、今あるものを守りたいと願っている。

 アンタが近い将来、俺と同じ様に道を踏み外さない様祈っているぜ」

 鳳は懐から別の小型拳銃を取り出し、頭の横に銃口を当てる。

 彼は自決するつもりだ。凛は彼の死を阻止しようとした。

「待ってください。そんな事をしても何も解決しません。

 本当に貴方がこの国を変えたいのなら、生きて堂々と世間に全てを公表するべきです。

 貴方が投降するのなら、私は貴方も守ってみせます」


 人の悪意を知らない、あまりにも無垢な少女。

 鳳にはそれが滑稽に見えたが、笑おうとも思わなかった。

「アンタは真っ直ぐ過ぎるんだよ。

 その真っ直ぐさは綺麗な時にはそこまで問題にならないが、汚れれば歪む。

 俺の様になれとは言わないが、もう少し社会の汚さを勉強しておくべきだな」

 どうしよう。駆け出せばすぐに撃つだろうし、言葉で説得出来る相手だろうか。

 凛Ⅱは彼が死ぬ事を止めたかったが、止める力が無い事への悔しさを感じていた。


「俺が生きたまま捕まるか、脳が無事な状態で身柄が確保されればどうなると思う。

 非力な俺のニューマンが作られ、見世物にされるだろうよ。

 俺が政府側の人間ならば間違いなくそうする。

 クーデターが二度と起きない様に、首謀者の人権を全て剥ぎ取って徹底的に晒し続けるんだ。

 そんなのは絶対にゴメンだね。だから、頭を撃って破壊する必要がある」

 鳳は僅かに笑ってみせた。

 それが自嘲気味なものなのか、諦めなのかは解らない。

 こうして見ていると、こんな大それた事を企んだ悪人とは思えなかった。

 確かに筋肉質ではあるが、あまりにも背中が小さく見えるか弱い老人。

 凛Ⅱは思わず手を前に突き出した。遠くから彼の肩を掴みたいと願う様に。

 裏表の無い優しさが、鳳の心に響き涙を流させる。


「俺が死んだら、妹達に会えるのかな?

 アンタは何処に行くのか自分で考えた事はあるかい。

 機能停止した後、魂の無い機械は天国に行けるのかと……」

 引き金にかかっていた指が動く。

 凛Ⅱは全力で走ったが、彼の自殺を止めるにはあまりにも距離が遠過ぎた。

 乾いた、パンと言う一発の銃声。

 座っていた彼の身体がそのまま横に崩れ落ち、床に倒れる。

 彼女はそのまま飛び掛かって床に倒れ込んだが、彼の身体に触れても最早間に合わなかった。


「どうして、こんな事を!死ぬのは『逃げ』です。

 何の解決にもならない。立ち向かわなきゃいけないのに……」

 脳は銃によって破壊され、スキャンは不可能。

 鳳の、ほんの少しの政府に対する抵抗だった。

 しかし彼がニューマンとして蘇生しなかったとしても戦況は変わらない。

 クーデターの首謀者が死んだ事で、暴力団側の戦意は低下するだろうと思われた。


 だが地上では、より多くの犠牲者が出た。

 下っ端の組員は投降するものの、弔い合戦とばかりに多くの組員が抵抗する姿勢を見せたからである。

 爆弾のリモコンに関しては凛Ⅱが自衛隊に渡す事で事なきを得たものの、戦闘はまだ続いていた。

「俺達の怒りを思い知らせてやれ!」

「自爆ドローンをありたっけ出せ。狙うのはニューマンでは無く人間の自衛隊だ!」

 恨みと憎しみの連鎖。

 死が死を呼び、隣にいた者の死によってまた死ぬ者が出る。

 凛Ⅱにはとても耐えられなかった。


「抵抗する者は殺してしまって構わん。自衛隊側の犠牲を最小限に食い止める方が大事だ。

 ニューマンの自衛隊員は身柄確保では無く、殺害を第一として行動する様に」

「殺せばもっと褒めてもらえるなんて、なんて素晴らしいんだ!

 ずっと悩んでいた自分が馬鹿みたいだな。こんな世界もあるんじゃないか」

 伊藤洋太は狂気に呑まれてしまっていた。

 自身が社会に認められないと言う絶望の中で、掴み取った希望。

 それこそがニューマンとして敵を殺し、役に立つと言う道だった。


 殺人が肯定される場所に行けば、もう悩む必要も無い。苦しまずに済む。

 精神的に病んでいた伊藤が楽な道を選び、その『麻薬』から抜け出せなくなるのはある種の必然だった。

 彼は救われたかったのだ。自分の人生を滅茶苦茶にしたとは言え、4人もの人間を殺した。

 到底許される事では無いし、ニューマンに理性と心がある以上罪悪感も芽生える。

 その罪悪感が無くなってしまえばいいと本気で考えており、この戦いは彼にとって渡りに船だった。

 (殺しても罪にならない。

 それどころか、国によっては勲章を貰えたり表彰されたりするかもしれない。

 そうとも、コレが僕の生きる道なんだ!僕にはもうこれしか無いんだ)

 躊躇無く人を殺す伊藤の活躍もあり、暴力団側の抵抗も次第に弱くなっていった。


「これは一体、何なのです?私達のしたかった事はこんな事だったんでしょうか」

「違う。違うわ。絶対に違う!でも……」

 自爆ドローンの爆撃によって崩れた建物、死体の山。

 道路は地雷の影響でコンクリートがひび割れ、あちらこちらで煙が上がっている。

 鳳翔会の皇国に対するクーデターは僅か10時間で鎮圧された。

「こうなってしまうのね。争うとなれば……こんな無益な事が他にあるのかしら」

 凛は俯き、そのまま地面に膝をついて溜息をついた。

 失われた命は数十ではきかない。凛達には全容を把握する事も出来ないだろう。


 救えた命はそれほど多くは無かった。

 確実に戦闘不能状態に陥った数名の組員に応急処置を施しただけだ。

 戦闘不能に陥っていると言う事は応急処置でどうにかなる様な軽傷では無い。

 今すぐ病院に運ばなければ死ぬだろうと思われる者が殆どだった。

 凛は雲雀と共にそういった救護活動に勤しんだが、己の無力さが浮き彫りになる。

 破壊ならば容易に出来るニューマンだが、救うとなれば人間並みの働きしか出来ない。

 凛は顔を覆い涙を流したが、雲雀は泣かずに荒廃した街並みを見つめていた。


「前を向きましょう。失われた命を戻す事は私達にも出来ません。

 私達の命がこの世界に戻ってこない様に」

 あまりにもあっけなかった。人間が撃たれて死ぬのは蟻が潰されて死ぬのとそこまで大差が無い。

 ひ弱な生き物。それが人間の真実であり、だからこそ全力で守らなければならないと凛は思った。

「私は0を1にする為ならどんな事だってしたい。

 消えそうな命を少しでも多く救いたいの。今なら解る。私はそうする為に生まれてきたんだって」

「凛さん……」

 無常を突き付けられても尚凛は諦めなかった。

 伊藤とは真逆で、救う事を諦めたら自分が生まれた意味が無くなってしまうと考えていた。

 ニューマンとして何をすべきか、答えを見出しその答えを身体が動く限り追い求める。

 2人の生き方は異なっていたが、その点だけは同じだった。


「本部ビルに残っていた者達も全て排除しました。

 この建物に残っている暴力団関係者は1人もおりません」

「よくやってくれた。君達が躊躇する事無く敵を殲滅したからこそ我々の犠牲を最小限に食い止められたのだ。

 勿論こちらにも相応の死者は出たが、この国を守る為の尊い犠牲であったと信じている」

 自衛隊は戦いが終わった後の処理に移行していた。

 本部ビルの地下で息絶えている鳳の死体を見つけ、それを運ぶ様部下に命じる。

「脳を銃によって破壊している為、脳スキャンが出来ません」

「心配するな。脳スキャンは既に済んでいる」


「えっ?」

 驚いて聞き返す部下に対して、上司である男は僅かに口元を緩ませた。

「鳳の作り上げた鳳翔会を内側から崩壊させる事は出来なくとも、裏切り者を1人作る位は可能だと言う事だ。

 寝ている間に行うとか、幾らでもやりようはある。今はともかく遺体を運ぶ任務に集中しろ」

「はッ」

 担架に乗せられ、運ばれていく鳳の死体。

 皇国崩壊の危機は去ったが、この争いには裏で糸を引いている者がいる。

「この皇国を憎む国家が存在する以上、殺し合いは終わらないと言う事か……」


 1つの戦争が終わっても、その火種を完全に消したワケでは無い。

 そしてその火が燃え広がらない様にするには、軍隊やニューマン等の抑止力が必要不可欠。

 暴力を防ぐ為に暴力に頼らなければならないのは皮肉であるが、国を守る為にはそれしか方法が無かった。

「我々は皇国を守護する為に自衛隊員となった。これからもその使命を全うしていくだけだ」

 凄惨な光景を目の当たりにし、さらにその気持ちを強くする男達。

 長い様で短い1日が終わりを告げようとしていた。

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