第12話 推定無罪の原則

【西暦2060年9月 日台帛連合皇国 東京都大田区 鴨川かもがわ高校校舎内】


 塚間つかま弥次郎やじろうを主とした4名の高校生が屋上から投げ飛ばされ死亡した事件。

 この事件を解決する為に現場に訪れた福島警部率いる捜査チームはさらなる迷走を続けていた。

 無理も無い。犯人であった伊藤いとう洋太ようたがいじめられていたと言う事実が全く浮かび上がってこなかったからだ。

 学校関係者や彼等のクラスメイトに聞いても『粗暴で怖い奴だった』と言う話が出てくるだけ。

 唯一異なる話題は『他の高校の生徒と諍いを起こし、その生徒の家は放火された』と言うものだけだった。

 この事件は結局解決されておらず、塚間達が放火事件を起こしたと言う証拠も無い。

 その為警察は塚間にお咎めが無かった事で被害者の遺族が復讐を考えたと言うシナリオを想像してしまったのだ。


緑野みどりの翡翠ジェイド。お前がニューマンである事は間違いの無い事実なんだな?」

「ああ。そうだけど、何か文句でもあるのか?」

 福島は翡翠と連絡を取り、放課後の教室で彼から話を聞いていた。

 証拠が無いので警察で事情を訊く事も出来ずこういった形になったのだが、福島は既に狙いを定めている。

 塚間と因縁のある高校生。家族を殺されたと言う動機がある。

 そして死亡する直前に脳スキャンを彼の妹と共に行っていると言う不審な動き。

 単なる偶然が重なっただけであったが、警察が翡翠を疑うのもある意味自然な流れであった。


「まずはお前がニューマンになるまでの経緯を俺の方から話そう。

 間違っている所があったら訂正してくれ。とは言っても俺達も間違いが無い様に調べたがね」

 教室内にいるのは福島とその部下1名。

 そして部屋の隅には翡翠の妹である緑野みどりの琥珀アンバーの姿もある。

 他の生徒達は既に下校しており、他の教室にも生徒は殆ど残っていなかった。

「今年の1月。

 冬休み中にお前はこの学校の近くにあるゲームセンターで塚間とトラブルを起こした。

 最初は罵り合う程度だったが外で殴り合いに発展し両方警察に捕まる。

 一時は高校の停学処分もありえたが『何故か』お咎め無く事件そのものが無かったかの様に扱われた」


「アイツに『薄汚い雑種』と言われたもんでね。

 久しぶりに我を失って暴力を振るっちまった。人を全力で殴ったのは久しぶりだったぜ。

 俺の親戚がこの辺りでは結構名が知られているから、穏便に済む様手を回してくれたよ」

 翡翠は台湾とロシア系のハーフで、皇国では当然『純粋な日本人』として扱われる。

 しかし日本人と全く同じ自由と権利が与えられているにも関わらず『二等国民』と蔑み馬鹿にしている者達がいる事もまた事実だ。

 翡翠も琥珀も周囲の偏見と闘いながら生活しており、特に翡翠は暴力でその差別を捻じ伏せるしかなかった。

「お咎めが無かったのはお前の親戚に台湾の富豪がいたからだ。

 お前と妹が火事で死んだ後、2億円をポンと出してお前達を復活させたのもその財力があったからだな」


 シウ兄弟。台湾で暮らしている皇国民であれば知らぬ者はいない大富豪だ。

 台湾全土に多数あるスーパーマーケットの経営で兆単位の利益を叩き出しており、台湾の長者番付では堂々の1位を獲得している。

 他の国々の富豪や容姿に優れた海外の皇国民との『血の繋がり政策』を一族内で打ち出しており、親戚はハーフだらけ。

 ロシア・パラオ・プエルトリコに在住している財界の実力者と政略結婚を繰り返し、親戚関係となる事で利益を生み出す。

 翡翠もその政策の一環として生まれてきた人物で、存命であれば皇国でそれなりの地位を与えられる予定だった。


「この事件の数日後にお前と妹の脳スキャンが行われ、さらにその数日後お前の実家が放火された。

 お前と妹、両親は死亡。即座に2人のニューマンが作られ、何事も無かったかの様に生活を続けている。

 そして今回起こった塚間達の事件においてお前達2人のアリバイが全く無い。

 これはどういう事なんだろうな?俺はあまりにも出来過ぎた偶然の連続だと思うんだが」

 福島は詰め寄ったが、翡翠は自分がやっていないと言う確たる自信があった為全く怯まなかった。

「不測の事態に備えて、毎年1月に俺と琥珀の脳スキャンが行われている。

 嘘だと思うなら調べればいい。

 ニューマンが作られたのは親戚に金持ちがいて俺達を憐れんだんだから当たり前の話だろ。

 アリバイが無いのも単なる偶然だ。

 俺も琥珀も部活動に所属してないしその日は特に予定も無かったから家に帰っていた。

 2人でゲームをやったりそれぞれの自室で勉強したりしていた。何処が不自然なんだ」


 福島の部下が手帳を開きながらその会話に割って入る。

「事件が起こる日の前日、前々日共にお前はゲームセンターに夜遅くまで入り浸っている。

 妹の方は前日に友達とカラオケ。前々日にはボウリング場で遊んでいた。

 休みの日はたまにあれど遊んでばかりいるお前達が、どうして事件の日に限って自宅にいたんだ?

 しかもその日はクラスメイトから誘われたのに断っている。

 お前達の所有者である2人の男女は仕事で帰りが遅く夜10時まで帰ってこない。

 幾ら何でも不自然が過ぎるだろう。お前達は本当に家にいたのか?」


「お兄ちゃんを疑ってるの?」

 強い口調で琥珀は若い刑事を非難したが、福島は疑うのが当たり前だと言わんばかりの表情を見せた。

「お前達の通っている高校と、事件が発生した高校は歩いても30分あれば到着出来る。

 走ればもっとだろう。放課後の高校だ。

 予め制服を手に入れておけば見ない顔だと不審に思われる可能性も低い。

 事前に4人を屋上に呼び出して、そこから投げ飛ばすのもニューマンなら可能じゃないのか」

 彼等が高校から姿を消し、目撃情報も無く事件が起きるまでのアリバイが皆無。

 単なる偶然でしか無かったが、翡翠にしてみれば理由も無く疑われている様にしか思えなかった。


「俺達がそんな事をする理由でもあるのかよ」

「動機はあるだろ。塚間達の4人組とお前は諍いを起こした。

 そして直後にお前の自宅が放火されて一家全員が焼死している。

 その時の記憶をニューマンであるお前が持っていないとは言え、塚間がやったと決めつけるのは簡単だ。

 証拠が無くても逆恨みする理由はある。

 しかも2体のニューマンならバッテリー交換は出来なくても暴力措置装置のスイッチを互いに押す事も可能。

 俺達がお前達を疑うには充分過ぎる程だろ。後は、当然『物的証拠』を掴むだけだな」


 福島はふてぶてしく笑ったが、内心では焦りを感じていた。

 初動捜査で清川凛を疑ってしまったせいで、彼等が証拠を隠滅する時間を与えてしまったと思っている。

 家宅捜索を行っても、彼等が尻尾を出さない場合それ以上2人の罪を追求する事は出来ない。

 実際はこの考えすらも間違いだったのだが、福島がそれに気付かないのも無理は無かった。

「家宅捜査でも何でも好きにやってくれよ。俺達はやってない。

 それは俺達が一番良く解っている。そうだろ琥珀」

「うん。私も同じ気持ちです。調べたって無駄ですよ。

 私達は人殺しなんてしてません。神様に誓って」


 どうもおかしい。

 福島は狐につままれた様な感覚に陥ったが、ココから退く事は出来なかった。

「この2人が高校の関係者から制服を譲り受ける、もしくは借りた形跡が無いか徹底的に調べろ。

 付近の住民への聞き込みも引き続き続けるんだ。

 容疑者自身が認めているんだし、家宅捜索の手続きも並行して行え」

「了解しました」

 部下がその場から去った後、福島も2人を睨み付けた後椅子から立ち上がる。

「今回の事件の真相に迫る為にも、とことん調べるぞ。

 俺達は現時点でお前とお前の妹が最も事件の犯人に近いと思っているからな」


「どうぞ御自由に」

 翡翠は吐き捨てる様にそう答え、福島は歯を食いしばりながら教室を後にした。

「お兄ちゃん、これからどうなるの?」

「どうもなりはしないさ。俺達は自分達が人殺しなんてしてないって事が解ってるんだから。

 万が一奴等が俺達に濡れ衣を着せようとしてきたら、とことん戦ってやる。

 ありもしない状況証拠で冤罪なんて、この時代に許される事じゃない」

 翡翠は琥珀を強く抱き締め、警察の横暴に立ち向かう姿勢を見せる。

 してもいない罪で裁くと言うのは、インターネットが発達した現代では相当困難であった。


 伊藤洋太は逃げ切った。証拠隠滅を完璧に行いその痕跡も残さなかった。

 ビニール製の手袋は休日に別の県まで移動して捨てに行き、当日履いていた靴も処分した。

 不自然な路上の足跡が発見されたとしても、そこから彼に辿り着く事は出来ない。

 後は少しでも『本人』が発見される時間を遅らせる事だけだったが、それは彼が何とか出来るものではない為伊藤は運にも恵まれた。

 (もう、どんなに怪しい状況証拠があったとしても僕を犯人と断定する事が出来るものは何も無い。

 暴力措置装置のスイッチは親に頼んで指紋が付かない様布越しで切ってもらったし、クラウドファンディングのリターンも終わった。

 警察が僕の所に訪ねてきたとしても、どうぞ調べてくださいで終わるだけだ)

 

 伊藤洋太の死体が発見されたのは、事件発生から8日が経過した後の事であった。

「おい、こいつは死体だろ。警察に連絡して調べてもらおうぜ」

 富士の樹海を上空から調べていた警備会社が、彼を発見したのだ。

 2060年、人が乗れるドローンが一般的になった時代において上空から地面の様子を調べる事は非常に容易となっている。

 地面に向けて特殊なライトを照射し、木々に隠れている動物とは思えない物体を探し出せるのだ。

 彼等は照射して得られたデータを写真にして見る事が出来るので、どの場所に死体があるのかも突き止める事が出来た。


「まだ若いな。包丁で自分の胸を刺した後木にもたれかかって死亡したって所か……」

 通報を受けて駆けつけてきた警察は、伊藤洋太の身元をすぐに割り出す事は出来なかった。

 それでも骨になる程死後時間が経過していたワケでも無いので、顔が撮影されそれが警察内で共有される。

 行方不明になっている少年がいないか県警が捜査を進める中、東京にもその情報がもたらされた。

「警部、静岡県で身元不明の遺体が発見されたそうです。年齢は高校生位だろうと……」

「遺骨から性別や顔は特定出来たのか」

 若い刑事は福島に写真を渡した後、死後数日程の遺体であった事を説明する。


「確かに遺体の状態が随分良いな。初期の腐乱こそ始まっているが動物につつかれたり齧られた形跡が無い。

 顔もそこまで崩れてはいない様だし……?あれ、コイツは……」

 福島は額に手を当てて唸った。何処かで見た顔だ。

 しかし思い出せない。若い刑事は彼のそんな態度を見て自身の持つ疑念を確信に変える。

「自分も何処かで見た顔だと思ったんです。

 それもこの間、清川凛が通っていた高校で生徒達から事情を訊いている時に見た顔ではないかと」


 清川凛が容疑から外れた後も警察は犯人が高校内にいる可能性を探り続けていた。

 塚間達が死んだ要因、犯人側の動機を知る為でもある。

 全てのクラスで生徒達から話を聞いていき捜査線上に浮かびあがったのが翡翠だったワケだが、刑事は写真の少年をその際目撃している様な気がしていた。

「確かあの高校の生徒が顔写真付きで載ってる名簿を教師から貰っていただろ。ちょっと持ってこい」

「はい」

 名簿を開き、自殺した少年と『瓜二つ』の男性を探す作業。

 数分程で福島は伊藤洋太の顔と自殺した少年の顔が同じである事を突き止めた。


「お前から聞きたい事は山ほどある。どこから聞けばいいのか迷う位に」

 警察が、遂に事件の本丸に攻め込んできた。

 伊藤洋太の自宅を訪ね、彼の自室で質問を行う福島。

 そんな彼ですら、少年の態度を見て全てが手遅れである事に気付いていた。

 (コイツ、肝が据わってやがる。

 今まで俺は目を見てそいつに犯罪者としての適性があるかどうか判断していたもんだが……

 こんな、底無しの絶望に身を委ねているかの様な目を見るのは初めてだ)


 狂気のテロリスト・暴力の殺人犯・サイコパスの政治犯。

 多少の違いはあれど、彼等の目には人を人とも思わぬ『欠陥』が含まれていた。

 伊藤の目にはそういった『他人を虫けらの様に見る』思想が感じられない。

 人に優しくしたい。困っている相手を助けてやりたい。

 そういった善に寄っている部分があるにも関わらず、4人もの人間を殺害した可能性が最も高い少年。

 福島はこういう手合いが最も手強いと思っており、供述でボロを出させるしか無いと思っていた。


「まず最初に確認しておきたいのは、お前がニューマンであると言う事実を隠していた事。

 何故本人は自殺して、何日かで見つかる様な場所で死んでいたんだ?

 ひた隠しにしたいのなら、誰かに発見される様な場所で死んだりしないだろう。

 発見される可能性がありながら、俺達にお前はニューマンである事を話さなかった。

 何か後ろめたい事があったからじゃないのか?」

 伊藤は自分がニューマンである事を周囲の人間に隠し続けていた。

 警察が自分の所に来るのを少しでも遅くして、証拠隠滅の時間を稼ぎたかったのが本音。

 勿論、この問いに対しての言い訳は事前に準備していた。


「……僕が自殺したのは、いじめから逃れたかった。

 この世から逃れたかった。それだけの事なんです。

 でも、どんな場所で死んでもいずれ警察に発見されてしまう。

 警察の方が僕の所に事情を聞きに来るであろう事は解っていました。

 どうか僕が自殺した事は黙っていていただけませんか。僕の尊厳を守ってもらいたいんです」

 伊藤には、自殺した事実を隠すだけの理由があった。

 自殺した事が解れば、芋づる式に伊藤が塚間達にいじめられていた事が明らかになってしまう。

 そのいじめの内容まで漏れかねない。

 そういった恐怖から自殺の事実を隠さなければならなかったのだと彼は語った。


「惨い。それは虐めと言うよりも、性犯罪であったとしか言いようが無い」

 部下の若い刑事は伊藤の告白を聞き、同情する姿勢を見せる。

 自分が玩具にされていた事実を隠す為に、自殺した事も隠し通した。

 一見筋は通っているが、福島は追撃の手を緩めない。

「ただ自殺するだけならまだしも、何故お前はクラウドファンディングを使って自分のニューマンを作ったんだ?

 引き続き塚間達の標的にされる事は解っていただろうに。別の目的があった様に思えるがな」

「自殺して僕がこの世からいなくなったら、結局自殺の事実は明るみに出るでしょう。

 それに僕はニューマンにさえなれば、暴力を振るえずともいじめられる事は無くなると思ってましたから」


 理路整然とした言い訳。そこに穴は存在しない。

 ビニール手袋も当時履いていた靴も全て処分され、物的証拠は何一つ残っていない。

 福島は自分達の敗色が濃厚である事に気付いてはいたが、簡単に白旗を上げるつもりは無かった。

 (このガキ、俺達が最初から清川凛や緑野翡翠に疑いの目を向ける事を解っていたと言うのか。

 清川凛はともかく、緑野翡翠は調べれば塚間に恨みを抱く可能性があるニューマンである事はすぐに解る。

 あいつを盾にして、その間に証拠隠滅を図ったとするならば相当の切れ者だ)

 言葉で追い詰めようとしても決定的な矛盾が無く、攻め手がなかなか見つからない。

 それでも福島は無理に扉をこじ開けようとする姿勢を変えなかった。


「クラウドファンディングで1億円を集めた事は既に調べがついている。

 いじめられているから1億円が必要だと言うのはどういう意味だ?

 また、必ず支援者に満足していただけるであろうリターンとは何だ?

 俺には1億円があれば自分を虐めている者に復讐出来ると言う意味。

 そしてそういった凄惨な事件を提供してやると言う意味にしか取れんぞ」

 屋上から4人もの高校生が投げ飛ばされて死亡したと言う事件は既にテレビで大々的に報じられている。

 被害者が全て不良学生であったと言う事実から、ネットでは『不良同士の抗争説』等が囁かれていた。


「それは考え過ぎと言うものですよ、刑事さん」

 伊藤は微笑み、朗らかに笑ってみせる。

「僕がクラウドファンディングを使ってまでニューマンを手に入れようとした理由はただ1つ。

 先程言った様に鉄の身体を手に入れれば殴られたり蹴られたりしても痛くは無いですし、彼等に抵抗する程度の力は手に入る。

 あくまで防衛策です。虐められているからニューマンが欲しいと言う理由と何ら矛盾しないでしょう?

 それに本物の僕はその虐めに耐えられなかった。かと言って死後自分が侮辱される事態だけは避けたかった。

 男達の玩具になっていたなんて事が周知の事実になったら、人生が破滅してしまいますからね」


 伊藤はそう言いながら、机の中に入っていた封筒を取り出し福島に渡す。

「どうぞご覧になってください。僕が今回支援者の方々に送ったリターンと同じものです。

 支援者の方には、絶対にネットにアップしたりしない様に釘を刺してますけどね」

 封筒の中には10枚程度の写真が入っており、そこには口では説明出来ないものが写っていた。

「これが、リターンだと!?」

「はい。この他にも『本物の裸』を撮影した写真を送っています。

 ニューマンの全裸なんて滅多に見る事が出来ない代物なので、非常に貴重だと言えるでしょう」


 ニューマンの生まれたままの姿を撮影して、写真をリターンとして多くの人間に渡す。

 支援者限定とは言え、リスキーな行動である事は間違いない。

 誰か1人が裏切れば、ネットの海に伊藤洋太の全裸画像がばらまかれる事になる。

 しかもそれを彼自身が止める事は絶対に出来ないのだ。

 (コイツ、恥を捨てて実利を取りやがった。

 ニューマンを購入する為ならばどんな手段でも用いる事を証明するリターンの内容。

 あらゆる警察の追及を、とんでもない方法で避けていきやがる。

 だが俺は諦めんぞ。辻褄は一見合っている様に見えるがこんなものはただのまやかしだ)


 福島は今度こそ己の獲物を見定めた。そしてそれは間違ってはいなかった。

 しかし、手遅れだったのだ。これからどんなに家探しをしてみたとしても何も見つかりはしない。

 単純な犯行であるが故に凶器と靴を捨ててさえしまえば証拠は一切残らないのだ。

 警察に出来る事は、犯行の一部始終を捉えている何かがある事を祈るだけだった。

 (クソッ。上空から撮影されている何かがあるなら俺達がとっくに見つけている。

 衛星からでは小さな高校の屋上で起きている出来事を捉える事は不可能だ。

 コイツは、それを見抜いているからこそ余裕を持って俺達と対峙していると言う事か)


 犯人が目の前にいると言うのに、最早逮捕する術が無い。

 福島は腸が煮えくり返る程の怒りに震えていたが、だからと言ってどうする事も出来なかった。

「怪しむのなら、どうぞ家の中を徹底的に調べてください。

 所持品検査でも身体検査でもお好きにどうぞ。僕は拒んだりしませんよ」

 絶対の自信。既に伊藤は勝利を確信している。

 福島は何故すぐに犯人を見つけられなかったかと己を責めていた。

「塚間は虐めを行っている事を周囲に隠していた。

 その為、伊藤洋太と言う最大の容疑者を見逃してしまった。

 我々のせいじゃありませんよ、福島さん。

 ある意味、被害者の落ち度です。

 残念ですが、皇国は『推定無罪』を原則としていますからね」


 疑わしきは罰せず。この国においてはその原則が絶対だ。

 状況証拠がどれだけ多くても、物的証拠が無ければ犯人を逮捕する事は出来ない。

 ニューマンが犯罪を犯した場合の法規定はまだ定まってはいなかったが、恐らく廃棄処分が妥当であると思われた。

 (溶鉱炉にでも落としてこの世から消す。

 簡単な事だ。もし抵抗するなら即座に動きを止めてしまえば良い。

 しかし、証拠が無ければ勝手に人の『物』を持っていく事等出来ないのだ。

 人の車を壊せば賠償金を払わなければならない様に)


 こういった『知能犯』のニューマンが現れる事を、皇国は全く予想していなかった。

 犯罪歴があるのならばともかく、いじめられている事まで知られていないとなると手が出ない。

 ニューマンを作るなとは言えず、作った後に廃棄せよとも言えない。

 警察がロボットに完全敗北すると言う結果に対して、福島はそれを認める事が出来なかった。

 (こんな事件、すぐに解決すると思っていた。

 高を括っていた。それが俺の敗因だったと言うのか……)

 慢心が招いた悲劇。勿論、これから家宅捜索等やれる事は全てやるが、殆ど負けは決まっている。

 目の前にいる伊藤洋太が捜査に積極的で、全く動じていない事からも明らかであった。


「顔も隠れていないこんな写真を人に渡してまで、ニューマンを望んだと言うのか?

 身の破滅を恐れないその無鉄砲さに、俺達は屈したんだな」

「……何を言っているのか解りませんが、僕はニューマンを望む前から破滅していたんですよ。

 あの恐ろしい4人組によって僕の平穏は粉々に砕け散ってしまった。

 苦痛と絶望に苛まれる日々。それを終わらせる為にはニューマンに頼るしか無い。

 1億円を手に入れる為なら、どんなリスクも受け入れないと」

 悟りを開いた修行僧の様な顔で、平然とそう言い放つ伊藤。

 捕まって廃棄されるのと、一生消えない恥を与えられるのとどちらがマシなのか。

 それを天秤にかけて迷う事無く恥を選べる程彼は強くなっていたのだ。


「お前がそのつもりなら、俺達も形振り構わず最後までやり抜くぞ。

 お前の要望はある程度吞んでやる。だが、俺達は社会に警鐘を鳴らす必要があるんだ。

 ニューマンが人殺しをしてそれが許されるなどあってはならんからな」

 福島もココで引き下がるつもりは無かった。

 伊藤の罪を糾弾出来ない現状を、マスコミを使って世間に広く伝える必要がある。

 彼の模倣犯を生み出さない為にも、『人殺しは悪だ』と言う論調を生み出さなければならないと彼は思っていた。


「家宅捜索の令状を出せる様に手配しとけ。それと付近のゴミ袋、ゴミ箱をしらみ潰しに調べるんだ。

 恐らくコイツはそうされても平気なんだろうが、やれる事は全てやっておかんとな」

 立ち上がり帰ろうとする福島を、伊藤は微笑みながら見つめている。

「もうお帰りになるんですか?」

「コイツ、自分が捕まらないと思って生意気な口を……!

 おい、自分がした事の重大さを解っているのか!?人殺しだぞ、人殺し!

 お前は4人を消せてラッキーだとでも思っているのかもしれんが、彼等にも家族や友達がいたんだ。

 法に頼らず私刑を執行したお前の罪はあまりにも重い」


 彼を睨み付け、殴りかからんばかりに激高した部下の姿は、福島にとっても意外なものだった。

「おい、止めろ。俺だって悔しいが仕方ない。正義が敗れる時はある。

 今俺達がやらなければならない事は、その敗北が当たり前のものにならん様全力を尽くす事だけだ」

 社会に非道を訴える形でしか溜飲を下げる手が無いのは不本意であったが、それが現実である。

 伊藤洋太に裁きを下す事はもう出来ない。

 彼等は『次』を見据えなければならなかった。


「僕は、ニューマンになれて本当に幸せなんです。

 もう苦しまなくて良い。怯える必要も無い。暴力と憎悪は何故か僕の前から姿を消したんですから」

 警察として敗れた事が信じられず、悔し涙を流す部下。

 福島は彼を引っ張っていく形で伊藤の家を後にした。

 この後、ニューマンが危険な存在であると言う情報が社会に拡散されるだろう。

 ニューマンにとって不利な状況が訪れる事は容易に想像出来る。

 他のニューマンに迷惑をかける事が解っていても尚、伊藤は計画を止める事が出来なかった。


 (美輪先輩、貴方を騙す様な事をしてしまって……本当にごめんなさい。

 警察の皆さん、悔しい思いをさせてしまって申し訳無い。

 僕にもニューマンの立場がこれからどんどん苦しくなるであろう事は解ってる。

 でも、あの4人はこの世からいなくならなくちゃいけなかったんだ。

 恐ろしい獣が4匹、社会から駆除された。それだけの事だ)


 伊藤は自分自身にそう言い聞かせた。

 ニューマンであろうと人間を模倣している為罪の意識は当然ある。

 4人もの人間を殺したと言う『十字架』を背負い続ける覚悟があったかと言えばあまり自信は無かった。

 それでもやる必要があった。そして警察が諦めた事により全ては終わった。

 伊藤はそう思っていたが、そうではなかった。

 この事件をきっかけとして、皇国は血の道へと進んでいく事になる。

 多くの人々が傷付いたり、命を落としたりする悪夢の様な結果。

 勿論、この時にはそんな事件が起こるなど誰1人として予想もしていなかった。

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