第11話 与えられない人権

【西暦2060年9月 日台帛連合皇国 東京都大田区 北馬篭きたまごめ白水高校校舎内】


 この日、この時に至るまで伊藤洋太はあらゆる準備を行ってきた。

 自分のニューマンを作り、所有者を自分の両親とする。

 ニューマンにも指紋がある為、薄手の透明なビニール手袋を購入する。

 怪しまれない様に、決行日まで決してニューマンを外に出さない様にする等油断せず舞台を整えた。

 単純明快な犯行の方が、足が付きにくい。

 そして彼自身はけじめの為に、そして完全犯罪を成し遂げる為に自殺するつもりだった。


 最初から全て決めていた事だった。

 何の責任も負わずに自分が生きているのはおかしな話であるし、また生き続けるのが苦痛だった。

 願いは1つ。おぞましい化け物達よりも、自分のニューマンが長生きする事。

 彼等が死んでもなお生き続け、充実した日々をニューマンに過ごさせる事が出来れば、今までの恨みを晴らせる。

 相反する感情を抱えながら、これから死のうとしているのにも関わらず伊藤は不思議な高揚感を感じていた。


 (全てを見る事は出来ない。僕はニューマンに全てを託して自殺する。

 それも簡単に遺体が発見されない方法で。どうするのが正解か色々考えた。

 崖から飛び降りるのは制止される可能性がある。浜辺から沖に出るのも同じ。

 ならば、なるだけ遠く離れた山の中に入っていってそこで自殺しよう。

 正直、ビニール手袋と言う最大の証拠を隠滅する時間さえ稼げれば僕の自殺が露見しても構わない。

 だからこうして、僕は他の生徒達もいない始発の電車に乗り山へと向かっている)


 『伊藤洋太』のニューマンは今頃、学校に向かっているだろう。

 2学期が始まり、生徒達は様々な思いを胸に秘めながら登校する。

 何時もと同じ日々が始まるのだ。

 伊藤にとっては、放課後に塚間達に呼び出され屋上へと向かう日々が。

 それも、今日で終わる。汚れた鎖が断ち切られる時が来たのだ。

 (上手くやってくれよ。僕が望むのはそれだけだ)

 伊藤はニューマンに全幅の信頼を置いていた。何しろ彼は自分自身と言って差支えが無い。

 慎重に事を進めるタイプである自分が、簡単にしくじるとは考えられなかった。


 (本物の僕は、ありったけの金を使って帰りの切符が用意されていない旅に出た。

 僕がニューマンである事を数日間は誤魔化す為に。

 そして4人を殺した事に関する罪を清算する為に。

 彼は結果を知る事無く死んでいく。だからこそ、僕は絶対に失敗出来ない)

 伊藤洋太の記憶は全て新しく作られたニューマンに引き継がれている。

 脳スキャンを受ける段階で、計画の全ては彼の頭の中に入っていた。

 当然、脳内で犯罪計画の全てを片付けなければならない。

 余計な証拠を増やすワケにはいかないのだ。

 教師の話を聞くフリをしながら、彼はその事ばかり考えていた。


 失敗すれば、1億円かけて製作された自分は即座に廃棄処分となるだろう。

 人を殺したニューマンが生活を続ける等、許されはしない。

 逆に成功して証拠を残しさえしなければ、両親はニューマンの所有権を声高に叫ぶ事が出来る。

 推定無罪であるならば、ニューマンが破壊もしくは機能停止処分を受ける事は無いと断言出来た。

 その為、伊藤は証拠を残さず相手を葬り去る方法を模索していたのである。


「おい、付き合えよ。こっちに来る所を誰にも見られない様にな」

 放課後、人がいなくなった教室で肩を叩き姿を消す塚間。

 一緒にいる所をなるべく人に見られない様にする為だったが、伊藤は寧ろ見つからない事を望んでいた。

 (最初は恐怖に縛られて虐められている事を隠していたけど、今は違う。

 僕が虐められている事がばれたら、すぐに僕は犯人の第一候補に躍り出るだろう。

 だから、そのままで構わない。

 奴等が死んだにせよ殺されたにせよ、僕の存在が捜査線上に浮かびあがってきては困るんだ)


 学校側も、彼と共に勉学に励んでいるクラスメイトも、虐めが行われている事を全く把握していなかった。

 見て見ぬ振りをしたとか、隠そうとしたと言うレベルの話では無い。

 塚間達4人が伊藤を虐めていると思いもしなかったし、伊藤は常に明るく振る舞っていた。

 今思えば伊藤は、いずれ来るかもしれない復讐の機会をずっと窺っていたのかもしれない。

 仮面を被る事は昔から得意だった。両親を心配させまいと子供の頃ずっと隠し事ばかりしていたのだ。


 (父さんと母さんはこの企ての全てを知っているワケじゃない。

 本物の僕が自殺するシナリオを聞いてもいないし、今僕の背中にある『暴力阻止スイッチ』が解除されている事も知らない。

 もう一度ボタンを押して元に戻してもらう必要がある。指を使わずに……)

 バッテリー交換は所有者で無ければ不可能だが、スイッチを押すのは他人でも出来る。

 伊藤洋太がボタンを押したが、当然その状態のままでいるのは自分が犯人であると宣言している様なものだ。

 警察が話を聞きに来た時に両親が行うべき対応についても、後で話すつもりだった。


 人を殺す事に対しての怯えや罪悪感は、あまり無かった。

 自分がロボットだからなのか、それとも元となった伊藤洋太が既に人間として壊れていたのか。

 それはもうどちらなのか彼には解らなかったし、深く考えるべき事でも無かった。

「今日もたっぷりいたぶった後楽しませてもらうぜぇ」

 屋上へと続く扉を勝手に作った合鍵で開けた後、塚間は他の3名に命じて伊藤を屋上の中央付近に連れ出す。

 この場所ならば、付近の家に住んでいる人間や陸上部の者達に姿を見られる心配が無い。

 塚間は『お楽しみ』に入る前に伊藤の腹を殴ったり蹴ったりする事を『日課』にしていた。

 

「まずは俺達への服従の証としてズボンとトランクスを脱げ。話はそれからだ」

 当たり前の様に言い放つ塚間に対して、伊藤は顔を上げ薄笑いを浮かべる。

「嫌だと言ったら?」

「はぁ!?ふざけてんじゃねぇぞテメェ。俺達の玩具になる事しか能の無い虫風情が」

 伊藤は殴りかかってくる彼の腕を掴み、そのまま思い切り遠くに放り投げた。

 リミッターが外れているニューマンの腕力は、通常の人間とは異なっている。

 何が起きたのか解らず唖然としている他の3人も、腕を掴まれてそのまま校庭の方へと飛ばされた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ」

 彼がニューマンである事など知る由も無い塚間は、自分が投げられたのも理解出来ていなかった。

 勿論この時に伊藤の名前を叫ぶなりすれば、大きな爪痕を残す事が出来たかもしれない。

 だが彼等はあまりに突然起きた出来事に驚くばかりで無様な声を発する事しか出来なかった。

 彼等が地面に頭から落下するのと同じタイミングで、伊藤は屋上のフェンスを乗り越え反対側の道路に着地する。

 靴を脱いで靴下を履いた状態で走り、そして周囲に誰もいない事を確認したうえでの行動だった。


 伊藤は鞄の中にビニール手袋を入れ、悠々と自宅に帰還する。

 一方、夕方の校庭に突如落下してきた塚間達に関して陸上部の面々は悲鳴をあげていた。

「すぐに救急車を呼んで!誰でもいいから早く!」

 顧問がそう言って連絡を促す姿を、1人の人間と1体のニューマンが見つめる。

「おいおい、冗談だろ。屋上から落ちたのか?」

「しかも4人も立て続けにって……これは他殺なのかしら」

 教室に残っていた美輪光輝と清川凛は、騒がしくなった校庭を見下ろし、呆然としていた。


 屋上から4人もの生徒が校庭へと落下してきた。

 この異常な出来事には事件性があると判断され、救急車とほぼ同じタイミングでパトカーも現場に到着する。

 救急隊員が4人の身体を担架に乗せ病院へと運ぶが、彼等は既に意識が無い様だった。

「全員、脈拍が止まっているそうです。息を吹き返す可能性は絶望的だと……

 彼等が死んだと断定するならば、死因は全身打撲及び脳挫傷と言う事になるでしょう」

「高い所から地面に叩き付けられた事によって死亡、か……

 そうすると目撃者は校内に残っていた生徒や教師と言う事になるな」


 刑事には、主に2つのパターンがある。

 論理的に物事を分析し、温和な態度を崩さず犯人を追い詰めていく『飴』の刑事。

 そしてもう1つは強引な捜査と犯人への脅迫・恫喝によって犯人を追い詰めていく『鞭』の刑事だ。

 パトカーから降りてきた大柄な刑事はまさにその『鞭』タイプで、実績こそあれど問題も多い人物だった。

「福島さん。生徒に事件発生当時の事を聞いたのですが、落下してきた被害者は大声を出して叫びながら落下してきたそうです。

 自殺と考えるにはかなり無理があるのでは?やはり他殺の可能性が濃厚かと」

「そうだろうな。自殺する奴が叫びながら飛び降りるとは思えん。

 鑑識に調査してもらう必要はあるが、今回の事件の犯人はまず人間じゃ無いだろう」


 福島ふくしま猪道いのみちはそう言うと、校内に残っている生徒全てを帰宅させぬ様部下に命じた。

 190cmを越える大柄な体格は筋肉の塊で、まるでラグビー選手の様だ。

 凶悪そうな瞳、口の周りに生えた山賊の様な髭。その風貌は暴力団の構成員にも見える。

 ヤクザに対抗するのはヤクザの様な刑事とはよく言ったものだが、まさにそれを体現しているかの様な男だった。

「加藤から聞いていると思うが、この学校には人間の振りをして学校生活を送っているニューマンがいる。

 清川凛と言う名の女だ。まずはそいつが校内に残っているかどうか確認しろ。

 いたら最重要容疑者として事情聴取だ。持ち物検査と身体検査も怠るな」

 彼の階級は警部。警部補より多くの部下を抱えており、部下の刑事を手足の様に使って捜査を行う。

 福島は部下達に一通りの命令を済ませると、1名の部下と共に校内へと入っていった。


「病院から連絡がありました。4名全員死亡、との事です」

「鑑識をすぐに病院に向かわせてその場で死体を調査する様に伝えとけ。

 最近は遺族が五月蠅いから死体の損壊だけは絶対に防げともな」

 事件発生から既に30分が経過している。

 こういった事件は初動が何よりも重要である事を福島はよく理解していたが、彼の推理は的を外れ始めていた。

 現場からとっくに立ち去った真犯人を見抜けず、清川凛と美輪光輝に事情聴取を行っていたからである。


「4人がいっぺんに屋上から落下してきた。

 事件を目撃していた生徒達の証言によると、その間隔は僅か数秒だったと言う。

 被害者達は投げ飛ばされたんだ。背丈も横幅もある屈強な男がポンポン投げられたんだぞ?

 そんな事が出来るのは、ニューマン以外には考えられない」

 夕暮れから夜の暗闇へと変化しつつある外の景色を眺めながら、福島はそう言った。

 その鋭い視線は清川凛に注がれている。

 ピリピリした雰囲気に耐えられなくなったのか、光輝は苛立ち混じりの声をあげる。

「いい加減にしてくれませんか。俺達はこの教室で今日あった授業のおさらいをしていたんです。

 先程現場はこの学校の屋上だと言っていましたが、俺達はそんな所に寄ってはいません。

 何なら、校庭にいた陸上部の生徒達に確認してもらっても構わない」


「それが、不思議な話もあるものでな。

 お前達が3階の教室にいた事を証明出来る奴が誰もいなかった。

 走る事に集中していたり、事件が起こった時は落ちてきた被害者しか見えなかったりしてな。

 結果として、お前達のアリバイは皆無。容疑者として浮上してくる事になる」

 福島はまず怪しいと直感で思った容疑者を徹底的に追い詰め、自白を引き出そうとするタイプの刑事だった。

 冤罪を大量発生させかねない危うい手法だが、実際に多くの事件をこの方法で解決しており、上司からの信頼は厚い。

 だがその苛烈なやり方は部下の刑事をも委縮させ、同期からは煙たがられていた。


「そもそも、他のクラスの生徒でしょう?今回死んだ4人と言うのは。

 俺も凛もあの4名とは関わりを持った事がありませんし、もっと言えば会って話をした事も無い。

 動機の無い殺人だなんて、馬鹿げてますよ」

「可能性を1つずつ潰していくのが俺のやり方だ。

 この学校にお前以外のニューマンがわらわらいるとも思えん。

 万が一いたとしても、お前を調べずに捜査を進めると言うのはあまりに杜撰なやり方だとは思わんか」

 製造するのに1億円もの費用がかかるニューマンが何体もいるとは思えない。

 一見筋は通っているが、光輝にはどうしても納得出来なかった。

 福島は凛がニューマンであると言う一点だけで疑いの目を向けていたのだ。

 凛も明らかに不満そうな表情をしていたが、事情聴取は素直に受けていた。


「福島さん、他の生徒から事情聴取を続けた結果新たな目撃情報がありました。

 被害者達が落下してきてから10分後に、たまたま3階の窓を見た生徒が清川凛の存在に気付いています。

 さらに、事件の被害者である塚間つかま弥次郎やじろうのズボンのポケットから鍵が見つかりました。

 この鍵は3階と屋上を唯一繋いでいる扉の鍵と一致したそうです」

 福島は報告を受けた後、職員室にある鍵を持ってくる様部下に命じる。

 実際に部下が持ってきた鍵はピッキングで開けられる類のものでは無かった。


「ほう、ディンプルシリンダー錠か。これが職員室の壁にかけられていたんだな」

「複製には優れた鍵師の技術が必要で、教師に聞いた所この鍵は1つだけだったそうです。

 塚間が持っていたもう1つの鍵は、塚間が何らかの方法を用いて複製したものと言う事になります。

 清川凛が屋上から裏手に飛び降りて校舎の裏口から3階に上がると言うのはかなりリスクが高いでしょう。

 誰かに発見されればそれまでです。彼女が犯人ならばそんな賭けに出るとは思えません」

 針金を用いたピッキングではまず開けられない鍵。そして塚間が持っていた謎の合鍵の存在。

 福島は当然『第三の合鍵』の存在を疑い、校舎全体をくまなく調べさせていた。


「この職員室の壁にかけられていた鍵は当日、事件発生の数十分前から教師がそこにある事を確認している。

 壁の近くに教師が座っており時折背後に気を配っていた為、この鍵が使用された可能性は排除すべきだろう」

 清川凛が犯行を行ったとすれば、やはり屋上から3階に降りて教室に戻った可能性が高い。

 扉の鍵は閉まっていた為、彼女が犯人であるかどうかは『第三の鍵』があるか無いかに絞られた。

「今、各教室の机の中等調べられる所は虱潰しに調べている。

 だがもし犯人が清川凛であるならば、すぐに見つかる様な所に鍵を隠すとは思えない。

 第三の鍵が見つかった瞬間に、自分が犯人だと自白する様なものだ」

 福島は2人の顔を交互に見つめながらそう言った。


「……結局貴方は何が言いたいんです」

「手荷物検査は既に済ませている。バッグの中、お前達の使っているロッカーや靴箱。

 調べても鍵は無かった。当然、後は身体検査と言う事になる」

 下品な笑みを浮かべる福島の顔を、光輝は思い切り殴ってやりたいという衝動に駆られる。

 勿論そんな事は出来ないが、彼に対する怒りは確実に膨れ上がっていた。

「清川凛が犯人である場合、当然お前もグルと言う事になる。

 鍵と言う小さな証拠品だからな。服を全て脱がせて念入りに調べなきゃならん。

 あぁ、心配は無用だ。身体の中を調べる可能性も考慮して清川凛の検査は婦警に行わせるから」


「ふざけるなよ!

 アンタ、いくら刑事だからと言ってもやっていい事と悪い事の区別も出来ないのか」

 椅子から立ち上がり、食ってかかろうとした光輝は他の刑事達に取り押さえられる。

 福島は全く動じる事無く、眠そうに欠伸をしただけだった。

「いいか坊主。世の中にはどんな手段を使ってでも罪から逃れようとする犯罪者がいるんだよ。

 決定的な証拠さえ掴ませなければ勝ちだと思っている輩がな。

 そういう奴等と戦う為には、こっちもある程度乱暴な方法を取らざるを得ない。

 それに、何を憤っているんだ?お前の隣にいるのは『物』だろうが」


 凛は自分のプライドを激しく傷付けられたが、ギリギリの所で踏みとどまった。

 騒げば騒ぐだけ自分達が不利になる。

 警察にしてみれば食い下がろうとする行為全てを『公務執行妨害』に当てはめる事が出来るのだ。

「ロボットに人権が無いのは皇国の常識だろう。

 持ち主がいる限り勝手に破損させる事が出来ないと言う事も含めて。

 逆を言えば、破損以外の行為ならば何をしても違法では無い。

 これは立派な『殺人事件の捜査』だ。

 文句があるなら身体検査を受けた後に警察署にでも駆け込むんだな」


 福島ほど、他人の感情を考慮しない人間もいなかった。

 大切なのは犯人逮捕の一点のみであり、そこに情は一切挟まない。

 (コイツは、ニューマンが辱めを受けたとしても罪にはならないと言う事を知ってて言っている。

 全く人間らしさが感じられないと言う点では、ある意味凛よりもずっとロボットに近い)

 完全に福島は清川凛に狙いを定めている。

 この状況では怒っても、嘆いても演技でしか無いと思われるだけだ。

 凛は覚悟を決め、身体検査を受ける事を了承した。


「私達にはやましい事なんて何1つありません。満足するまで調べてもらって結構です」

「凛……」

「コウ君、もう私達が頷かないと話が前に進まないの。

 この人達は私達がどう弁解しても犯人だと疑っている。

 ならばするべき事は1つ。決定的証拠なんて無いと立証するだけよ」

「フフ……よく解ってるじゃねぇかお嬢さん。

 俺は別に変態だから身体検査をするって言ってるんじゃねぇんだぜ。

 アンタ等も嫌疑が解ければ大手を振って歩けるんだからむしろ有難い事だろ」


 光輝は福島が変態だとは思っていなかった。

 そうではなく、彼の根底にあるのはニューマンに対する強い差別感情だ。

 (物扱いして下に見ている。

 ニューマンが人間よりも劣った存在であると主張したいんだろう。

 俺はそういう事に付き合うつもりは無い。

 ただ、凛の人権が蔑ろにされる事が許せないんだ)

 清川凛がロボットであると言う現実は覆せない。

 だが彼女が『物』であったとしても馬鹿にされるのを黙って見ている事等出来なかった。


 身体検査は保健室で行われ、清川凛と美輪光輝が1人ずつ順番に検査を受けた。

 部屋の中は立ち会う警官・婦警以外の人間が見れない様に白いカーテンで遮られており、福島も部屋の外で待機している。

 結局、『第三の鍵』が見つからなかったと言う事実は福島にとって良い結果では無かった。

「チッ、外したか……清川凛以外にもニューマンがいると言う事なのか?」

「それか、この学校に不審者が入り込んだと言う可能性も考慮すべきだと思います。

 放課後と言う事もあり、校内にはあまり生徒が残っていなかった様なので」

 何事も無かったかの様に話を進めている福島に対して、光輝は歩を進める。


 すんでの所で凛が光輝の腕を掴み、彼を諫めた。

 (コウ君、彼に何を言っても駄目。彼は自分の正しさを信じ切っている。

 こういう人に言っても鼻で笑われるだけよ。早く忘れましょう)

 文句を言った所で『国家権力に逆らう』のは己の不利益にしかならない。

 それどころか、光輝の立場が危うくなる。凛はそれを理解していたからこそ彼を止めたのだ。

「あん?まだ残っていたのかお前等。お前達はこの事件の容疑者から外れた。

 喜ぶべき事じゃねぇか。早く家に帰れ。こっちは忙しいんだ」


「こんな事をして許されると思っているんですか?」

「許されるも何も、人間とロボットの身体検査をしただけの話だろうが。

 それとも、犯人呼ばわりされた事が許せねぇってか?

 警察は人を疑うのが仕事なんだよ。

 どんなに清廉潔白を謳っている人間でも犯罪者である可能性がある。

 お前達と言う『可能性』を1つ潰した事でこの事件は解決に一歩近付いたんだぞ。

 これが正しい捜査方法だ。青臭い正義感に酔ってるガキにはまだ解らんかもしれんがな」


 悔しかった。力が無いと言うのはこんなにも惨めな思いをするのか。

 光輝は肩を落として項垂れたが、凛は光輝の小さな背中を優しく抱いた。

「行きましょう。コウ君のお母さんもきっと心配してるわ」

「ああ……」

 教室を後にする2人を憮然とした表情で見送る福島。

 彼の心から美輪光輝、清川凛への興味は完全に失われていた。

 猟犬は追う対象以外の獲物に関心を持つ事は無い。

 福島は部下からさらに情報を聞き、今後の捜査方針に関する議論を始めた。


 すっかり暗くなった道を、端に設置されている街灯が照らしている。

 その青白い光の中を、2人は何も言わずに歩いていた。

 言いたい文句は山ほどある。その全てを封印して帰宅しようとしているのだ。

 光輝のストレス及び精神の疲弊はかなりのものがあった。

「私ね、特別なものになったんだと思っていたの」

 ぽつりとそう漏らした凛の言葉に、光輝は反応し彼女の横顔を見る。

 その頬には一筋の涙が伝っていた。


「誰にも負けない強い力を持ったロボットなんだって。

 人間よりも長生きで、より様々なものを見る事が出来るんだって。

 そうやって人間よりも優れているんだなんて心の中で思っていないと、ロボットになったと言う現実に押し潰されそうだったから」

 人間だと認識している自我を持ちながら、ロボットとして生きる事の苦しさ。

 光輝は彼女の苦しみを理解する事無く、ただ彼女の変化に戸惑っていた自分を恥じた。

 (ああ……俺は凛が死んでしまった現実に苦しんで、ロボットの凛をなかなか受け入れられなかった。

 そんな時も凛はずっと己の存在意義に悩んでいたんだ。何でもっと早く気付いてやれなかったんだろう。

 彼女が努めて明るく振る舞っていたから、解らなかった)

 

「でも、ロボットになった現実よりももっと重い現実があった。

 それは、ロボットには人権が無いと言う事。

 機械だからどんなにぞんざいな扱いを受けてもそれに耐えるしかない。

 皇国がニューマンを自衛手段として用いる以上、その方針が変わる事はありえないわ」

 彼女は暫くの間俯き淡々と話していたが、やがて顔を上げた。

「現状に嘆いていても何も変わらない。それも解ってる。

 私達がすべき事はニューマンの地位向上。

 政府レベルでは無く、地域レベルで取り組んでいく必要がある。

 ニューマンが尊敬の対象であり皆の役に立つロボットだと認識される為に」


 草の根活動でニューマンを正しい目で見てもらう。

 想像もつかぬ程険しい道で何年、何十年かかるか解らない。

 その理想を語る凛とは違い、光輝は今起こっている事態を冷静に考えていた。

 (ニューマンが人間を4人も殺害したなんて事が事実となれば、マスコミはニューマンを攻撃するだろう。

 政府が主導している政策の柱でもあるし、野党が『ニューマン不要論』を唱えかねない。

 最悪、民間で使用されているニューマンを全て破棄すべきと言う論調が展開されかねないぞ……)

 犯人が誰なのか光輝には見当も付かなかったが、恐ろしい出来事が間近に迫っている事だけは解った。

 何が目的なのかは知らないが、とんでもない事をしてくれたものだ。凛の命が危険に晒される。

 お前もニューマンだろうに……光輝は心の中で毒を吐いたが、それを凛には気付かれぬ様明るく振る舞う。


「ニューマンが社会に貢献出来るロボットだと認めてもらえる様に頑張らないとな」

 これ以上俺を不安にさせないでくれ。周りがどんどん事態を悪化させていく。

 光輝の心労はかなりのものだった。社会のうねりは彼や彼の父親の力だけでは絶対に食い止められない。

 そしてその予想が現実のものとなるまでに、それ程時間は残されていなかった。

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