第6話 グリーン・オーシャン(前編)

【西暦2060年7月 日台帛連合皇国 神奈川県小田原市 小田原駅】


 北馬篭駅から電車・バスで約1時間半かかる場所、小田原。

 自分の目で『海が見たい』と切望していた凛と凛Ⅱの願いを叶える為、光輝は海に近いプールセンターを探していた。

『徒歩5分で海が見える砂浜に到着出来るプールセンターがあったんだ。

 ちょっと遠いけどその方が都合が良い。二階堂さんは?』

『日頃の疲れを癒したいし、是非御同行させてくださいって。

 これはあくまで勘だけど、彼女が秘密にしている事は通り魔事件と何らかの関係があると思うの。

 だから、絶対に聞き出さなきゃ』


 最早デートと言うよりただの『遊び』になっているが、光輝はそれすらもしてこなかった自分自身の怠慢を悔いていた。

 お金も時間の余裕もあったのに、受験勉強等を理由にしてイベントを起こす事を面倒くさがっていた。

 もう取り戻せない事が解っているが、これは本物の清川凛に対する贖罪なのだ。

 彼女が生きていたら望んだであろう事を代わりにする事が供養になる。

 目の前にいる『凛Ⅱ』を見ながら、彼はそんな事を考えていた。


『今は見ない。後でちゃんと見たいから』

 電車の車窓から見える景色を見ない様にする為、凛Ⅱは両手で目を覆う。

 この小旅行の大きな目的の1つである『海が見たい』と言う彼女の要望。

 凛Ⅱはあくまでも、砂浜まで近付いて、間近で海を見たいと考えていた。

 彼女の『人生』における初めての海。それをもっと印象深いものにしたい。

 光輝は何も言わず、ただ窓から見える海を眺めていた。


「改札前で待ち合わせだ。雲雀さんと凛ももう少しで到着するらしい」

 スマートフォンの時計機能で時刻を確認する光輝。

 午前9時前。かなり早く家を出た事もありこの時間には駅に着いていた。

 泳ぐ為の水着や浮き輪、遊び用のボール、バスタオル等必要なものはあらかた用意していたが特に予定は決めていない。

 海が近くにあるプールセンターで、家からなるべく近場であれば場所は何処でも良かった。

 親が心配しない様に午後6時には帰宅する。

 スケジュールもほぼ決まっておらず、プールで泳いで遊ぶと言う事しか決まっていなかったのだ。


「プールで泳ぐ事自体は小学校の頃散々やったけど、自分で選んだ水着で泳ぐのは初めてね」

 わざわざショップに出向き、水着を購入した思い出。

 女性は選択肢に幅があって良いなと、少し羨ましかった事を光輝は思い出す。

 男性の水着はそこまで大胆な色やデザインは選べない。

 あまり悩む事も無く何の変哲も無い紺色の海パンを選んだが、凛Ⅱはあれこれと目移りしていた。


『うわぁ、可愛い。でもコレはちょっと派手だなぁ』

 水着を物色していた凛Ⅱだったが、派手な水着を選べないもう1つの理由がある。

 背中が露わになる様な水着は着れないのだ。

 彼女の背中上部にはバッテリーを交換する箇所があり、一目でニューマンである事が露呈してしまう。

 その為、煽情的なビキニを着てプールで泳ぐ事は出来なかった。


 (俺はあの時、試着室を覗いて凛Ⅱのビキニ姿を拝ませてもらったけど……

 まるで太陽みたいに眩しかったな。

 そこまで胸は大きくなかったけど、身体全体から元気が溢れ出している様だった)

 凛の水着姿が見れると言う下心が無かったかと言えば、嘘になる。

 だが彼女の満面の笑みや煌めく白い歯を見た瞬間、そういった感情は綺麗さっぱり消えてしまった。

 絵画的な美しさや、宝石の様な輝きと表現するのともまた違う。

 人を幸せにする溌剌さが、彼女の顔や身体から溢れ出している様だった。


 夏真っ盛りの時期と言う事もあり、肌を焦がす様な暑さと強烈な日差しが2人を照らす。

 2人は日陰になる場所で待機していたが、それでも汗の量が凄い事になっていた。

「汗、出るんだね」

「水を飲んでると出てくるの。人間を模倣しないと怪しまれるだろうって。

 だから暑い場所に行く時は水を多めに持っていきなさいとコウ君のお父さんに言われたわ」

 確かに1人だけ汗も出さずに涼しい顔をしていたら余りにも不自然だ。

 凛Ⅱは事前にペットボトルの飲料水を購入しており、バッグの中に入れていた。


 (人間をロボットが演じると言うのは、やっぱり難しい事なんだな……)

 ロボットは食事を必要としない。ロボットは汗をかかない。

 この当たり前の事を人間を模倣する為に覆すにはまだまだ技術が足りない。

 水はともかく、食べ物は燃焼も分解もされない為食べられる様になるにはかなりの年月を要しそうだった。

「あ、あれじゃない?やっぱり。降りてきた降りてきた」

 凛Ⅱの視線の先に、バスから降車した清川凛と二階堂雲雀の姿があった。


 小田原ならともかく、今回も北馬篭駅に向かう最中に知り合いに一緒にいる所を見られるのは不味い。

 前回同様その判断のもと4人は2人ずつに分かれ、別々のルートを用いて現地集合する事となった。

 やはり空中を飛んで移動するバスは最短で目的地に到達する為、電車より若干遅い程度でしか無い。

 凛の服装は何時もとそれ程変わらなかったが、雲雀は大きめの麦わら帽子を被っていた。

「日傘を持ってくるより楽ですから」

 僅かに微笑むその表情や佇まいからも、彼女の上品さが伝わってくる。

 (やっぱり、大企業の一人娘は厳しく躾けられているんだろうな)

 ただ単に生きている自分とは違う。光輝はそう思った。


 皇国で名を知らぬ者がいない家電量販店の社長令嬢。

 彼女は本人が嫌だとしても『会社の顔』を背負わされる。

 雲雀が素行において大きなしくじりをすれば、会社のイメージが損なわれてしまうだろう。

 お淑やかに振る舞う雲雀からは、そういった苦労が垣間見える気がした。

「駅から10分だって言うから、すぐに着くよ。

 雲雀さんも、今日は忙しい日常を忘れて楽しんでくださいね」

「有難うございます。そう言って頂けるととても嬉しいです」

 他愛も無い話をして、彼女との距離を縮める。

 信用を勝ち取る為には、お互いの事を知るのが最も重要な事だった。


 小田原駅とその周辺は、観光業に力を入れており『江戸時代の街並み』が再現されていた。

 有名な小田原城は戦国時代を代表する名城であり、その影響か江戸時代の建物が並ぶ通りも作られている。

 そういった瓦屋根の建物が現代的なビルと共存しているのはなかなかシュールな光景だった。

「駅前の通りはまるで私達がタイムスリップしたみたいだったけど、ビル街もあるのね」

「高層マンションの工事中でしょうか……住んでいる人達が苦労しそうですね」

 良く言えば歴史と今が融合している場所。

 別の言い方をすれば統一性が感じられない街。

 良し悪しはともかくとして、光輝達はこの地域に対してそんな印象を抱いた。


 だが観光業が盛んである事には別のメリットも存在する。

 大勢の客が使用する事が予め解っている施設には金がかけられ、豪華さや利便性が格段に違ってくるのだ。

 今回使用する予定であったプールセンターも、そういった恩恵を受けた建物の1つだった。

「最近作られたのかな。何時出来た建物なのかは調べてないけど、凄く立派な建物だ」

「新しめですよね。外壁も定期的に掃除しているのかピカピカですよ」

 事前にネットで検索をかけ、このプールセンターには泳ぐ練習を行う為の25mプールと遊戯用の流れるプールの2つがある事が解っている。

 4人はその流れるプールで遊んだ後海を見に行くと言う漠然とした予定を立てていた。


 自動ドアから中に入ると、すぐに活気に満ちた人々の声が聞こえてくる。

「ねぇ、早く行こうよお父さん!」

「コラ、人がいるんだから走ると危ないぞ」

「25mプールの方、浮き輪使えないんだっけ?」

「一長一短だよね。25mは温水だけど流れる方はそうじゃないし。

 そりゃ屋外と屋内って言う明確な違いはあるけどさぁ」

 女子高生のグループ、カップル、親子連れ。

 年配の客はあまりおらず、客全体の平均年齢はかなり若い様に見受けられた。


 エントランスでは大勢の客が受付を済ませる為に並んでいる。

 大人1000円、子供500円と言う明朗会計。

 この施設は入館料を安くして、中で金を使用させるタイプだった。

「多分ビート板のレンタルとか、食べ物・飲み物で収益を得ているんだろう。

 海の家の価格設定と同じ。郷に入っては郷に従えってね」

 そういう場所なのだから、暴利だとかぼったくりだと主張しても意味が無い。

 4人は大人しく列に並び、自分達の番が来るまで待つ事にした。


 歩いていた時もそうだったが、会話の内容はお互いの日常を語るものが殆どだった。

 雲雀は現状に不満があるのか、愚痴が多い。

「この身体になってから、私の正体こそ知られてはいませんが無理をさせられる事が多くなりました。

 演技をしていても疲れていないと言うのが見えてしまうんでしょうね。

 店を回す為に多くの仕事を要求されると言うのは、あまり良い事ではありません」

 父親である社長はあくまで贔屓はしていないと雲雀を特別扱いしてはいない。

 その為彼女は二階電脳堂のいち店員として働いている。


「私がいるから何とかなっていると言うのはいけない事なんですよ。

 出来る店員がいるからそれで解決と言うのは他の店舗の為になりません。

 それに仕事と言うのは、優秀な人物がいれば良いというものでも無いですから……」

 愚痴もあるが、雲雀は自分が働いている店の現状を憂いている様だった。

 会社の歯車は全員が一丸となって努力し、結束力を持たなくてはならない。

 誰かに依存して怠ける者が出る状態は会社として不健全であると言いたいのだろう。


「良いか悪いかは別として、これからはそういう時代になっていくと思うよ。

 ニューマンが増えていけば、そこに頼ってしまう企業も増えていくだろうし」

 ニューマンの製造コストが20年後、30年後さらに安くなり、どんどん製造されていくのは目に見えている。

 少子高齢化が社会問題となっている今の皇国で、国を乗っ取る危険性がある移民を呼び込むよりもニューマンに頼る方が遥かに安全だ。

 科学の力で人は堕落していくが、その流れを止める事は出来ないだろう。

 光輝はそれが解っているからこそ、自分自身はせめて変わらない様にしたいと思っていた。


 漠然と看護師になりたいと考えている凛と、既に職場で働いている雲雀。

 人生の先輩である雲雀に凛は『労働』の大変さを聞きたがる。

「仕事をこなす事の喜びって言うのは、やっぱりあるものなんですか?」

「誰かの為に、とかそういう崇高な思いで働く事は殆ど無いですからね。

 日々仕事に追われて、自分がやるべき仕事をこなす事が精一杯です。

 今は人の仕事にも介入する様になりましたが……」

 人間だった頃は仕事量に対応しきれず、迷惑をかけてばかりだったと雲雀は語る。

 喜びと言うより、情けなかったり申し訳なかったり、負の感情が多かったと。


「やれなかった事がやれる様になるのは、正直楽しいですよ。

 自分が認められた様な気がして、嬉しいんです。

 ココにいて良いんだって、思えるので」

 朗らかに笑う雲雀であったが、その裏には別の葛藤を抱えている。

 凄いのは『二階堂雲雀』では無い。

 彼女のふりをした『ニューマン』である事に薄々気付いている。

 父親のコネを使って入社してきた使えない厄介者。

 そのレッテルを『自分』が回復する事はもう出来ない。

 社内での評価は180度変わったが、それは彼女自身が成長して手に入れたものでは無い事は明白だった。


 そんな雲雀に、既に働いている『先輩』として尊敬の眼差しを向ける凛。

 どんなに褒められても、評価されても心がざわつき、全く満足出来ない。

 そういった葛藤を繰り返しながらも、雲雀は凛が自分を慕ってくれるのを素直に喜んでいた。

 (彼女なら、同じニューマンとして私の痛みを理解してくれるかもしれない)

 心を開いて、信頼を勝ち取る。

 凛は距離を縮める事こそ雲雀から情報を聞き出す早道だと信じていた。


 やっと受付に辿り着いた4人はお金を払い、ロッカー室の鍵を受け取った。

「施設利用者の証明になりますので、この鍵は常に腕に装着して頂く様お願い致します。

 鍵は防水加工が施されておりますのでどんなに水につけても問題はありません。

 鍵の返却は施設から退出される際、あちらにあるBOXに入れてくださいね」

 細い腕輪にはICチップの様な細い金属の板が付けられている。


「これは?」

「プールと言う施設の特性上、貴重品を手に持って移動するのは億劫ですよね?

 ロッカールームに荷物を入れる前に、そちらの機械でお金を『チャージ』して頂く事をお勧めしております」

 自販機の様な見た目の機械に、客が紙幣を入れて腕を近付けていた。

「この施設内での食事・お飲み物・お土産品は現金でのお支払いでも承っておりますが、チャージした方が便利です。

 一度チャージした分の金銭の払い戻しは出来かねますので、チャージする金額を多くし過ぎるのは御止めになった方が宜しいかと」

 財布や鞄を持ってプールサイドを歩くのは大変だし、誰かが『荷物番』になる必要が出てくる。

 この方法ならば各々が腕輪にお金を入れた状態で歩き回れるので全員がプールに入れるのだ。


 昔は一部のスーパー銭湯等で使われていた手法だったが、現在では何処の施設においても一般化しつつある。

「解りました。利用させてもらいます」

「御利用有難うございます。いってらっしゃいませ」

 施設内で食べたりする必要があるのは光輝だけなので、光輝だけがまず3000円分チャージして様子を見る事にした。

「男女でロッカールームは別ですから、後で合流しましょう」

「俺、屋外プールの入り口で待ってますからね」

 光輝は男性用のロッカールーム、凛達は女性用のロッカールームに向かう為一旦別れる。

 それぞれのロッカールームでも、客の楽しそうな会話が聞こえていた。


「ねぇ、先に食べない?アタシ朝から何も食べてないんだよね」

「駄目よ、食べたら暫くの間泳いじゃいけないんだから」

 大学生らしき女性がそんな会話をしているのが聞こえてくる。

 3人はニューマンである事が露見しない様に、ロッカールームの隅で着替えを行っていた。

「ロッカーの位置がココじゃないのに、怪しまれない?」

「しょうがないでしょ。着替えてる最中に背中を見られたら一発アウトなんだし」

 ロッカールームに監視カメラは設置されていない為、人の目さえ欺ければどうとでもなる。

 3人は壁に背を向けた状態で服を脱ぐ事で、背中を見られまいとしていた。


 他の客はこれからプールに向かう事だけを考えており、凛達の方等気にもしていない。

 はしゃいでいる他の客を遠目に見つつ、3人は水着に着替えた。

 (雲雀さん、結構胸大きい……凛Ⅱはともかく、私は人間のふりを続けていく以上胸の大きさも変わっていくんだろうな。

 どうせなら、もっと大きくしちゃってもいいか。そこはコウ君の好みに合わせたいけど)

 ニューマンはロボットである以上、見た目を変える事でしか成長出来ない。

 身長を伸ばしたりバストサイズを変えたりする事等朝飯前だったが、凛は光輝に好意を持ってもらいたかった。

 どうせなら、好きな人に気に入られる様な見た目でありたい。

 凛はそう考えつつ、凛Ⅱはそれを考える必要が無い事を思い出した。


 (存在するハズの無い、戸籍を持たない人間なら人間らしく生きる必要なんて無い。

 30年後、40年後も若い姿のままでいられる。

 私は老いていかなきゃいけないんだ。ちょっと嫌だな……)

 まるきり同じ姿である凛Ⅱだったが、凛とは全く違う人生を歩む事になる。

 清川凛として生きる事が決まっている凛と、美輪光輝の所有物として好きに生きる事が出来る凛Ⅱ。

 着替えを済ませた凛Ⅱがサングラスをかける様子を横目で見ながら、凛は複雑な感情に包まれていた。


「お待たせ」

「結構早かったね」

 光輝の近くに寄ってきた凛・凛Ⅱの水着姿を見て、彼は激しく心を揺さぶられた。

 (綺麗だな……)

 余計な毛等一切存在しない、すべすべした肌。

 眩しい笑顔に似合う、スポーツブラタイプの上とビキニの下を合わせた桃色の水着。

 凛Ⅱは水色のスクール水着、雲雀はオレンジ色の競泳水着を身に付けている。


「攻めてみたんだけど、どう?」

「とっても綺麗だよ」

 光輝は素直な感想を述べた。

 特に美しかったのはすらっとした身体と脚線美だ。

 健康的なスリムボディで、アイドルやモデルと並んでも遜色が無い。

「御二方とも、凄く似合ってますよ」

 そう言う雲雀は2人よりも身長が高く、さらに出るべき所がしっかり出ている。

 胸と尻。だが決して下品な見た目では無い。

 気品と妖艶さを兼ね備えた、『出来る大人の女性』と言う印象だった。


 (生きている頃からこんな体型だったのなら、さぞかしモテたんだろうな)

 男なら、口説き落とす事に夢中になるであろう女性。

 あるいは高嶺の花だと諦めてしまうだろうか。

 明らかに凛のワンランク上にいるであろう彼女の美貌は、凛自身も意識している様だった。

「コウ君、雲雀さんの事ばっかり見てない?」

「い、いやそんな事無いよ。早く泳ぎに行こう」

 動揺しつつ平静を装いながら歩き出す光輝を見ながら、雲雀は優しく微笑んでいた。

「青春ですね」


 とにかく客層が若い。

 施設に入った直後からそれを実感していた凛達であったが、実際に泳いでいる者達の姿を見てますますその思いを強くした。

 やはりこういう場所に中年以上の男女が入っていくのは厳しいのだろうか。

 騒がしい雰囲気や、人々が思い切り動き回っているのを見ると、委縮してしまうのかもしれない。

 そんな事を考えながら、光輝はストレッチ等の準備運動を済ませていた。

「何も準備しないでいきなり泳ごうとすると足が攣るからね」

 凛は足で押して空気を入れるタイプの装置を使い、浮き輪とボールを膨らませている。

「私、泳げないので……」

 膨らんだ浮き輪を両手に持ったまま、雲雀は少しだけばつの悪そうな表情を見せた。


 ニューマンの運動能力は人間を遥かに上回っているが、彼女達は無意識に力を制御出来ている。

 光輝の父である彰浩がインドの科学者の設計通りに入れた機能であり、その為彼女達は物を破壊する程の腕力を発揮していなかった。

 彼女達の身体能力は人間だった頃の記憶が大きく影響しており、やった事が無いものは出来ない。

 要するに自転車を漕いだ記憶が無ければ漕げないし、カナヅチなら泳げないと言う事だ。

「それじゃ、思う存分楽しもうか」

 別に泳げないと楽しめないワケじゃないし。そう言いたげな顔をする光輝。

 雲雀は顔を輝かせ、そのままプールの中へと入っていった。


 人でごったがえしている屋外プールでは、ボール遊びを行う事すら難しい。

 屋内の温水プールはボール・浮き輪の持ち込み自体が禁じられている為、彼等は屋外で遊ぶ事しか考えていなかった。

「まさに芋の子を洗う様な状態ね。泳ぐなんて事出来ないわ」

「大の字になって水面に浮かんでも迷惑になるしね」

 夏休みと言う事もあり、施設内は客が多く非常に賑やかだ。

 プール側にしてみれば嬉しくて札を数える手が止まりそうにないが、客側は不便だった。


 2つのプールがあっても、夏は屋外・冬は屋内と客が向かう場所が偏ってしまう。

 凛Ⅱの手を取りバタ足をさせていた光輝であったが、溜息をつきながらプールサイドに戻った。

「ちょっと軽く食べてから戻ってくるよ」

「解りました。御二人の事は私がしっかり見ていますから御心配無く」

 少し歳の離れた姉の様で心強い。

 誰かにちょっかいをかけられたとしても3人なら何とかなるだろう。

 そう思いつつ、光輝はプールの近くにある売店に足を運んだ。


「アイスキャンディもかき氷も、焼きそばもソーセージも一通り揃ってるよ!

 お客さんの体調に配慮して、12種類の健康成分も配合。

 この値段はお買い得だよ、さぁ買った買った!」

 威勢の良い中年男性が話しかけてくる。

 まさに海の家で調理を担当している店員といった風貌だった。

「ソーセージとかき氷を1つください。シロップはイチゴで」

「あいよ、すぐ出来るからそこで待ってな!」

 会計を腕輪で済ませた後、ソーセージとかき氷が出来る過程を眺める光輝。


 やはりソーセージもかき氷も3Dフードプリンターによって『出力』されており、角ばっていた。

 (アイスキャンディと間違えそうになる見た目をしてるなぁ……)

 直方体のソーセージをバーナーで炙り、極小の立方体として出力される氷を器に盛りつける。

「ソーセージには今話題の粉末状の蟋蟀が入ってるからね。

 ビタミンもカルシウムもバランス良く入っててお得だよ」


 具材にあらゆる栄養成分を混ぜる事が出来るのがプリンターで作る食べ物の強みだ。

 これによって独身男性の料理は格段に楽になったが、昔ながらの味は殆ど失われてしまっている。

 (今は子供の頃、普通の食べ物を一切食べる事無く大人になる人が相当数いる時代だからな……

 かくいう俺も、角ばっていない食事を初めてとったのは中学生の頃だった)

 今や外食関係は100%フードプリンターに頼っており、食糧問題を解決する為様々な工夫が施されている。

 粉末状にした昆虫の配合も当然その1つだ。

 味は殆どしない為、食べても極端に味が変化する事は無い。


 (健康食は身体に良いけど不味いとされた時代は終わったんだな……)

 光輝は幼少期に祖父からその時代の事を聞いただけで、苦い青汁等を飲んだ事は全く無い。

 国民の多くが努力せずとも健康になる方法を、皇国は既に会得していた。

 焼かれたソーセージをほおばりつつ、もう片方の手にかき氷の入った器を持ちながら凛達のもとに帰る光輝。

 何やら雲雀が見知らぬ老人と笑みを見せながら会話している姿が視界に入る。

 (雲雀さんの知り合いなのかな?)

 近くによると、老人は光輝の接近に気が付いたのか軽く会釈をした。


「君が美輪光輝君か。噂には聞いているよ。

 皇国におけるニューマン製造の旗手、彰浩さんの息子さんだそうじゃないか」

 かなり歳を取っている様だったが、年齢と身体の見た目が一致していない。

 総白髪の頭、僅かに日焼けした肌、そして割れた腹筋。

 ボディービルダーとまではいかないが、実戦を想定して鍛え上げられた様な鋼の肉体。

 恐らく、素手で戦ったらすぐに負けてしまうだろうと肌で理解出来る程だった。


「私の名前は渋谷しぶや壮一そういち

 二階堂にかいどう臣人おみとさんの友達でね。

 たまたま雲雀さんの姿を目にしたものだから思わず声をかけてしまったんだ」

 元アマチュアボクサーで大した成績を残せず引退。

 その時に臣人と出会い、特に次の道も考えていなかった為電脳堂の相談役を引き受けていると彼は語った。

「私が何かを指摘するとね。これが何故か当たるんだよ。

 海外から高性能PCを大量に輸入して販売してみてはと提案したのは私なんだ。

 実際、需要が多くて大繁盛。それで何とか食べさせてもらっているよ」


 精悍な顔つきで、時折朗らかに笑いながら話す老人。

 最初は軽い恐怖心と警戒する気持ちがあった光輝であったが、徐々に打ち解けていった。

 (第一印象はちょっと怖い感じがする人だけど、話してみるとそうでもないかな)

 渋谷と名乗った老人は凛と凛Ⅱの方に視線を向け、名前を尋ねる。

「こちらの女性は?」

 どう答えるべきか光輝は迷った。

 素直にニューマンだと答えるワケにはいかないし、双子だと答えるのも後々都合が悪くなるかもしれない。

 悩んでいる光輝の姿をよそに、凛は堂々と嘘をついてこの場を乗り切るしか無いと思っていた。

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