第4話 夏の恋模様

【西暦2060年7月 日台帛連合皇国 東京都大田区 北馬篭きたまごめ 美輪光輝の自宅前】


 3年間の高校生活最後の夏休み。

 夏休みの到来直後、美輪光輝は清川凛、凛Ⅱとデートを行う為家を出た。

「私の自宅にいる方は、現地で合流するの?」

「品川駅で待ち合わせする予定だよ。俺達も駅に向かおう」

 人に見られる事を警戒した為、出発時間は午前6時とかなり早かった。


 7月の早朝はまだそこまで暑くは無く、爽やかな風が時折彼等の頬を撫でる。

 青春を謳歌しているこの時だからと、既に様々なデートの計画が立てられていた。

 (今日は映画館。別の日に遊園地、海近くのプール、夏祭り……

 今までお互いにそれらしい事をやってこなかったのが不思議な位だ)

 本物の凛が死ぬまで、カラオケで歌う程度の事はしていたが具体的にデートと呼べる事はしていない。

 それは心の何処かで、『そんな事はやろうと思えば何時でも出来る』と思っていたからかもしれなかった。


 (当たり前だと思っていたんだ。凛と共に生きていくと言う事が。

 何でもない日々を過ごして、だんだん近付いていって結婚して……

 そんな事をぼんやりと考えていた。でも、それは当たり前じゃなかった。

 失う可能性もあるって事を、どうして考えなかったんだろう)


 お互いに、手を繋ぐのも思春期の少年少女にありがちな気恥ずかしさから避けていた。

 触れ合って、距離を縮める事に対して不安になった。

 そうして躊躇っている間に、凛は光輝の前から消えてしまったのだ。

 今、彼の隣に立って歩いている『凛Ⅱ』は、清川凛の模倣に過ぎない。

 それでも彼女が生きていると言う幻想に縋りたい自分の弱い心に、光輝は情けなさを感じていた。


「実は私、映画館に行くの初めてなんだ。

 父さんや母さんはアウトドア派で、あんまり映画とか見ない人だったから……

 だから今日、コウ君と一緒に映画を見る事を楽しみにしていたの」

 無邪気な笑顔が、光輝の心を抉る。

 (きっと凛も、死なずにココにいたら全く同じ事を口にしていたんだろうな)

 凛Ⅱの記憶は全て実際にあった事。

 両親やクラスメイト、そして光輝との思い出が逐一インプットされている。


 凛Ⅱは、死んだ凛の無念を晴らす為に誕生したニューマン。

 彼女が出来なかった事、心残りだった事を代わりに行う為の存在。

 光輝は目から涙が出そうになったが、ギリギリの所で堪えた。

 (今は笑おう。折角のデートなんだ。精一杯楽しまなくちゃ)

「ああ、俺もワクワクしてるよ」

 胸を締め付けてくる様な苦しさを常に感じつつ、彼は凛Ⅱと共に駅へ向かった。


 清川凛と凛Ⅱが一緒にいる所を見られ、不審に思われたくない。

 凛Ⅱに髪型を変え、帽子を被りサングラスをかける様に指示した光輝であったが、不安は拭えなかった。

 (誰と出会っても不思議じゃないんだ。

 他のクラスメイトも夏休みを満喫している。だからこそ移動方法も分けたんだけど……)

 北馬篭駅から品川駅へは、バスを利用する。

 清川凛にはそのまま電車を使ってもらい、駅前で合流する予定だった。


「あ、アレ?私達が乗る予定のバスって」

「うん。品川駅前が終点のバスだから間違いないよ」

 駅前のバス停に停車している大型のバスには、既に何名かの乗客が乗り込んでいた。

 積載能力に関しては文句の無い、2階建ての車内。

 入口でバスカードをかざし、降りる時にもカードをかざす事で自動的に料金が引かれるシステムとなっていた。


「コウ君、何でこのバスの愛称が『コックローチ』なの?」

「外装が真っ黒で、車体の横に引かれている一本の太い金色の線が羽根を連想させる事。

 もう1つの理由は、バスの飛び方がアレに似てるからだろうな」

 2060年、公共交通機関は飛躍的な進歩を遂げた。

 電車は全線リニアを採用。バスは空を飛んで移動する事で渋滞の緩和を図る。

 車での移動が億劫になり専らバス移動に頼る客が急増する程だった。


『間もなく発車致します。安全の為必ずシートベルトを着用してください』

 空を飛ぶ乗り物なので、座席が満席になった時点で乗車は不可能となる。

 通常のバスと異なり、立ったまま飛んでいるバスの中にいると危険だからだ。

 だが今回は早朝の時間帯と言う事もあり、満席になる事も無くバスの扉が閉まった。

「これから飛ぶのね」

「確かに飛ぶんだけど、あくまで宙に浮いてその状態のまま前に進んでいく感じかな。

 乗っていれば解るよ。俺も乗るのは3回目位でそこまで詳しいワケじゃ無いけどさ」


 空を飛ぶバスと言っても、飛行機の様に翼は出てこない。

 飛行機は滑走路が必要であり、スピードを出して長い距離を走らなければ飛び出せないからだ。

 滑走路を使わずとも空を飛ぶ方法。

 それはヘリコプターの様にプロペラで浮き上がる方法である。

 この黒いバスの正体は『多くの人を乗せる事が出来る巨大ドローン』だった。


 ヘリコプターは墜落し易い乗り物として知られているが、それは回転するプロペラが損傷した場合その時点で墜落してしまうからだ。

 この巨大ドローンには上部の四隅と中央、下部の四隅と中央にプロペラが計10個配置されており、1つのプロペラが破損しただけでは墜落しない。

 さらにプロペラは金網状のカバーで覆われており、万全の対策が施されていた。

「凄い。垂直に浮き上がるのね」

「高度100mまで上昇して、途中停車ボタンを押された場合その駅に立ち寄って停車する。

 今回は皆品川が目的地みたいだから、真っすぐ品川駅のバス停に向かうんじゃないかな」


 運転手は常時無線で他のバス運転手と交信しており、衝突するリスクを回避する事に全力を注いでいる。

 特別な認可を受けたトラック型ドローン等も飛んでいるが、速度制限等厳しいルールが課せられていた。

「バスや長距離トラックは目的地がある程度決まってるから正面衝突を回避し易いんだよ。

 かと言って、何でもかんでも許可していたら命がどれだけあっても足りないから乗用車までは許可してないけどね」

 昔の映画で見た、様々な車が空を飛ぶシーン。

 それを再現出来る程の科学力を人間は手に入れたが、事故発生の観点からそれを実現する事は出来なかった。

 だがこのバスやトラックだけでも渋滞の緩和に充分成功していると言えるだろう。


 ほぼ最短距離を進む事が出来るのが空を飛ぶ乗り物の利点である。

 かなり早く品川駅に到着した2人は、清川凛が来るまで待つ事になった。

「全部リニアになるまで結構時間がかかったって聞いたわ」

「もう皇国じゃレールの上を走る電車は1つも無いからね。

 常にレールの上を僅かに浮いて走るものが主流になった。

 静音性においては通常の電車を遥かに凌ぐよ」

 

 ガタンガタンと言う電車を代表する『走る時の音』は全く無いと言っても過言では無い。

 時速500kmで走るリニア新幹線の登場もあり、人の移動や物流は驚異的な進歩を遂げていた。

「遅くなってごめんなさい」

 駅の改札前で凛を待っていた2人は、10分後に現れた彼女の姿を見てホッとする。

 (御両親の事もあるし、実際に朝早く家を出てこれるかは解らなかったからなぁ……

 とにかく、合流出来て良かった)


 凛の私服は薄桃色のシャツと紺色のスカートと言う組み合わせだった。

 オシャレを意識しているのか、高そうな赤いハイヒールを履いている。

 自腹で服を凛Ⅱに買い与えている光輝は、思わず凛Ⅱと顔を見合わせた。

 (それは、しょうがないじゃない。私は下着があるだけ有難いと思ってるわよ)

 裕福な家庭で育ったとは言え、流石に高校生の時点で大金を持ち歩く様な生活は送っていない。

 さらに男性が下着店に入るワケにはいかなかった為、当初は下着を買い与える事すら出来なかった。


 (今となっては笑い話だけど、一番最初に私がつけた下着はコウ君のトランクスだけ。

 ノーブラにトランクスなんて恰好してられないからすぐに私がお金を持ってお店に走ったけど……

 良いのよ、ジーンズしか履けないのは。コウ君がスカートばかり持つのは抵抗感あるでしょうしね)

 母親以外に女性がいない一人っ子の家庭で突如暮らす事になった凛Ⅱ。

 今日もボーイッシュな恰好をしていたが、事情が事情であるだけに半ば諦めていた。


 女の子らしい服を着れない凛Ⅱと、堂々と女らしい御洒落が楽しめる清川凛。

 同じニューマンでも身を置いている場所によって違いが出てくる。

 その生活環境の違いが、2人の性格に微妙な変化をもたらしていた。

「じゃあ行こうか。映画館は駅の近くにある」

 そう言って歩き出そうとした光輝の左手を、凛Ⅱの手がぎゅっと握り締める。


「どうせなら、手を繋いで歩きたいの。駄目?」

 物怖じしない積極的な姿勢。まず攻勢をかけたのは凛Ⅱの方だった。

「じゃあ私はこっち!」

 凛も負けじと光輝の右手に触れる。

 肩にバッグをかけていた為両手が塞がる事は負担にこそならなかったが、光輝は顔を赤くした。


「バッ馬鹿。幾ら何でも恥ずかしいだろ、こんなの」

 3人が両手を繋いで横一列の状態になって歩いていたら、流石に目立つ。

 目立つ行動を取ればそれだけ知人に見つかるリスクも増えるのだが、彼女達はお互い譲ろうとはしない。

「大丈夫よ、離れた場所だし。それにまだ朝なんだから。

 ホラ、そんなに人が歩いてないでしょ?」

 確かに夏休み中の品川にしては人もまばらに見えるが、田舎の畦道とは人の数が違う。

 手を握られていると言う喜びより、バレてしまう事への恐怖が勝っていた。


 (本当に、ロボットとは思えない。人間の手と何が違うんだろう)

 触れている手の感触。伝わってくる温もり。

 人間の皮膚を再現した外膜、電子頭脳の排熱を行き渡らせる体温調節システム。

 実際、ニューマンは人間では無いのだがそうやって手を握っているだけで心が自然と高ぶる。

「あー、コウ君顔赤くなってる」

「私達みたいな美少女と交流してるんだもの。赤くもなるでしょ」


 彼女が謙遜せずに自分が『美しい』と主張する事も、光輝が凛を好きになった理由の1つだった。

 美しくても、自分に自信を持つ事が出来ず委縮してしまう女性は多い。

「そりゃ照れるよ。朝とはいえ人通りのある場所で手を繋いでるんだから」

 右手と左手に伝わる、再現性の高い温もり。

 見た目も触感も、とてもロボットだとは思えない。

 (凛の笑顔は、何時も挫けそうな俺の心を救ってくれた。

 俺も彼女達を心配させない様にしないと……)


 凛も凛Ⅱも、光輝が少しだけ自分達と心の距離を置こうとしている事に気付いているのだ。

 それは勿論、2人がロボットであるからだ。

 (解ってる。私達が偽物だと言う事は。

 それでも、コウ君を励ましてあげたい。

 潰れそうになっているコウ君の心を守ってあげたい。

 その気持ちだけは、絶対に変わらない真実なのよ)

 デートでも、普段の交流でも、2人は常にその事を考えていた。


 東京都に属する映画館は、地方のものと違い最先端の技術が用いられている。

 館内で食べられる食べ物、映写装置に至るまで全く別のものへと様変わりしていた。

「さて、どんな映画を見ようか」

 映像が次から次へと切り替わるポスター型のモニターを見ながら、光輝は2人に向けて言葉を発する。

「ねぇ、この『豪華賞金クイズ付き映画』って面白そうじゃない?」

 凛Ⅱが指差した方向の先には、天井から吊り下げられているポスターがあった。


『貴方は真実を見破れるか?見破った人には5万円相当の純金で作られた金貨をプレゼント!

 チャンスは上映期間中のみ。『愛の謎』絶賛上映中!』

 コートを着た男性と藍色のドレスを着た女性が抱き合っている絵と共に、その様な文章が書かれている。

「クイズ付きの映画なんて珍しいな。普通はただ見て終わるだけなのに」

「コレを観ましょうよ。私達、こういうのは得意だし」

 確かに幼い頃から頭の回転が速い凛なら、謎解きはお手の物なのかもしれない。

 電子頭脳に間抜けの記憶を移したら、間抜けのままなのだろうか、それとも賢くなるのだろうか。

 チケットを購入する為の機械の前で、光輝はそんな事を考えていた。


 通常の幕に映画を映すタイプの映画では無かった為、1人分の値段はかなり高い。

 (昔よりは安くなったけど、記憶にしか残らないものに3500円は結構辛いよな……)

 家が金持ちでも、そこまで多くのお小遣いを貰っているワケでは無い。

 凛は自分でお金を出せるが、凛Ⅱの分は光輝が自腹を切らなければならなかった。

「映画の御供に、キャラメルポップコーンとグレープソーダ、ソイミートサンドは如何ですか!

 どれも本物そっくりなのに、身体に優しいおまけ付きですよ!」


 チケット購入後、食品販売のコーナーからそんな声が聞こえてくる。

「コウ君、朝食べてないんじゃないの?」

「買って食べればいいじゃない。私達の事は気にしないでいいから」

 朝早くに支度をして家を出る事に気を回していた為、確かに朝から何も食べていない。

 腹はすいていたが、飲食が全く出来ない2人の前で食べる事に光輝は引け目を感じた。


 (ニューマンには食欲や睡眠欲といった、ロボットには関係の無い機能は意図的に排除されている。

 だが、食べた時の美味しかった記憶や夢を見た時の記憶はそのまま残っているんだ。

 やはり、彼女達の前で食べるのは……)

 神妙な面持ちで俯いていた光輝であったが、凛に肩を叩かれ彼女の方を向く。

「ホラ見て、他の人達だって買って食べているのよ。

 何処かに行けば必ず何かを食べている人を嫌でも目にする事になる。

 いちいち悩んでいても仕方が無いわよ」

「そうよ。彼女の言う通りだわ。

 コウ君の自由を奪っているみたいで遠慮されたら私達の方が困ってしまうもの」


 その笑顔の裏に、無理がある事は薄々解っていた。

 食事に対する興味を失ったワケでは無い凛と凛Ⅱに食べる所を見せるのは拷問に近い。

 それでも、自分が腹ペコである事実を否定する事は出来なかった。

 (ココは、凛の恩情に預かろう)

 光輝はグレープソーダとソイミートサンドを購入し、『愛の謎』が放映される第3シアターに向かった。


 2060年の皇国において、最も重要視されたのは『最適化』であった。

 第三次世界大戦による被害を他の国より軽微に抑えたものの、その傷は決して浅くは無い。

 昭和の発展の様に再び世界に名だたる大国となる為には、余計な無駄は削ぎ落さなければならなかった。

 (味こそグレープソーダと同じだが、紫色の液体の中には様々なミネラルやビタミンが含まれている。

 フードプリンター技術が当たり前のものとなった事で、ソイミートにも同じ事が出来る様になった)


 白くて小さな立方体を口の中に運んでいる客。

 ポップコーンも味や食感が再現されているだけで、本物のポップコーンでは無い。

 鶏肉を再現したソイミートも、それを包んでいるパン生地も角ばった形をしている。

 最近では立方体や直方体で無い食べ物を探す事の方が難しかった。

 (結局、行きつく先は『偽物』なのか……偽物でありながら本物より美味しく栄養価も高い食品。

 人間よりも高い耐久力と記憶力を持つニューマン。

 食べ物や人間の代わりが必要とされている今、この流れが止まる事は無いだろう)


 確かに美味しい。だが人間が作ったと言う温もりが感じられない。

 その点、不気味の谷を一切見せないニューマンのポテンシャルは確かなものだ。

 それでも尚、光輝は凛や凛Ⅱに対して完全には心を許せていない自分に気付いていた。

 (長い間一緒にいれば、俺の抱いている感情も変わってくるのだろうか?

 きっと、父さんはそれを含めて俺や凛Ⅱの事を観察しているんだろうな……)

 人間がニューマンを認めれば、ニューマンの大量販売も現実味を帯びてくる。

 価格にまだ大きな問題が残ってはいたが、それも時間が解決してくれるだろう。

 光輝は自分自身にそう言い聞かせ、映画が始まるまで座って待つ事にした。


 200人が座って観る事が出来るシアターだったが、朝と言う事もありあまり人が座っていない。

 (落ち着いて観たい時は朝方か深夜の方が良いんだろうな。

 俺達が深夜の映画館に足を運ぶなんて事は許されないけど)

 自分達を含めても、30人程度と言った所だった。

 1人で来ているらしい私服の男性、若いカップル、凛と同じ女子高生の3人組等様々だ。

 ざっと見回してみても自分達が通っている高校のクラスメイトはいなかった為、光輝は安堵の溜息をつく。

 (やっぱり区を跨ぐ移動をして正解だった。

 油断は出来ないが、自分達が住んでいる区内で行動を起こすのは無謀極まりない)

 

 シアター内が暗くなり、いよいよ映画が放映される。

 光輝達の座席から見える視線の先には劇場の舞台があり、そこに様々なものが映し出されるのだ。

「そういえば私、映画を映画館で見るのは初めてだわ」

 右隣の席にいる凛が他の客の邪魔にならない様彼の耳元でそう囁く。

 光輝は幼少期に母親に連れられて映画館に行った事があり、リアルな映像に驚いたものだった。


『私、貴方が好きなの。この気持ちは誰に何を言われても変わる事は無いわ』

『俺もだよ。どんなに反対されようが、君への愛を貫いてみせる』

 物語は、裕福な生活を送る男性と貧民街で暮らしている女性が偶然出会う所から始まる。

 古今東西語り継がれてきた『身分違いの悲恋』。

 豪邸に住む両親に猛反対され、それでも諦めきれない主人公の青年。


「私が言うのもおかしな話だけど……本当に人間そっくりね」

「ああ、そうだね」

 この映画館の仕掛けは、舞台奥の『背景』と舞台さらに館内の廊下にまで施されている。

 映像を立体的に映し出すパネルの投影技術により、舞台の上に突然人間が現れたりすると言う演出が可能なのだ。

 天井にもパネルが張られており、シアター内を戦闘機が飛び回ったりする。

 その全てが撮影した人物や物をホログラムによって再現した『作り物』だった。


 (前に見た時はそこまで覚えていなかったけど……これはとんでもないな)

 舞台の上が突然海に変わったり、荒涼とした岩山に変わったりする。

 ストーリーは男性が払うであろう身代金をあてにした女性の誘拐へと発展し、男性は彼女を救う為に奔走する。

 戦闘機同士のドッグファイト、組織の基地内部での格闘戦とアクション映画としても秀逸な出来だった。

「こういう話に現実的じゃないと突っ込む事自体が野暮だからね」

「要するに、あんまり深く考えずに見るべき映画って事でしょ?」

 そう言いつつも、凛の目は鋭く、どんな場面も決して見逃すまいと構えている様だった。


 紆余曲折を経て、1時間30分にも及ぶ冒険活劇と恋愛物語が終わろうとしていた。

 銃撃戦にまでなった敵組織のボスとの激闘を制し、何とか降伏させた主人公。

『君の事を心から愛しているよ』

『有難う、とても嬉しいわ』

 抱き合う2人の姿が背景にも映し出され、顔部分がアップになる。

 男女が互いに涙を流すシーンが暫くの間続き、唐突にスタッフロールが流れ始めた。


「終わったか……」

 特に謎らしい謎があった様には思えない。

 ストーリーもどちらかと言えば単純明快な勧善懲悪ものとしか感じられなかった。

「映像美は凄かったけど、何処に謎があったんだろう。

 凛、何か気付いた事とかある?」

 凛は何も言わず、真っすぐに前だけを見つめていた。


『愛の謎、お楽しみ頂けたでしょうか?

 謎が解った方はシアターの外にある投稿BOXに謎の内容、住所・氏名・電話番号を記入し投函してください。

 正解した方全員に、後日金貨を差し上げます!

 応募の有効時間は今から10分間です。お急ぎください!』

 館内に響く放送に慌てふためき、すぐにシアターの外へと出ていく観客達。

 凛は立ち上がった光輝に対して何も言わず、凛Ⅱに目で合図を送った。

「凛は全部解ったみたい。私とコウ君はココから出ておく必要があるけどね」

 事情は後で説明すると言いながら、凛Ⅱは光輝と一緒にシアター内から退出する。

 残された凛は、座ったまま再び周囲が暗くなるのを待っていた。


 明かりが消えたシアター内で、ただ1人座り続けている凛。

 すると先程の女性がドレス姿で舞台の上に姿を現す。

『どうやら、貴方には謎が解けている様ね。

 念の為に、私に答えを教えてもらえるかしら』

 男性と抱き合っていた時とはまるで違う邪悪な表情。

 凛が気付いた謎は、映画を見続けて気が緩んだ瞬間を利用したものだった。


「この映画の謎は、貴方の顔がアップになった時に解った。

 一瞬だけ、貴方は涙を流しながら嬉し涙の笑顔とは異なる種類の笑顔を浮かべている。

 そして、声には出さずに口だけで『ココにいて』と喋った。

 それは既に貴方と抱き合っている男性では無く、観客に向かって呼び掛けていたのね」

 薄笑いを浮かべている女性に対して、凛は話を続ける。


「おかしいと思ったのは、敵組織の連中が全員死んでいない事だった。

 戦況が悪くなると降伏か撤退。ボスですら主人公に殺されそうになると素直に降伏した。

 勿論、主人公が優しい性格で人殺しなんてしたくないと言うのもある。

 でも、そんな奴等が若い女性を身代金目的で誘拐して、逃げ続けると思う?

 カーチェイス、戦闘機、銃撃戦。ココまでして誰も死ぬまで抵抗しないだなんて」


 何時の間にか女性の後ろに、十数名いた組織の者達が立っていた。

「貴方の邪悪な笑顔が示す真実はたった1つ。

 壮大な誘拐劇は仕組まれた茶番であり、貴方と男性の愛をより深くして確実に結婚へと持ち込む為の手段だったのよ。

 命の危険さえ冒して、主人公は誘拐組織から貴方を救い出した。

 つまり男性は貴方の為ならば死さえ覚悟出来ると証明した事になる。

 こうなってくると結婚を反対していた両親も態度を軟化させるしか無いでしょう。

 彼女が手に入らなければ死ぬかもしれない。

 それ程の覚悟を持って結婚したいと言っているのに、息子が自殺するリスクを無視してまで反対するとは思えないもの」


 命を賭した愛。それは『吊り橋効果』となり女性をさらに愛する様になる。

 貧民街出身の女性が成り上がる為には、男性との結婚が必要不可欠だった。

「貴方は男達に見返りを与える事を条件に狂言誘拐を仕組み、見事それは成功した。

 彼と結婚すれば莫大な資産の半分を手に入れられる事になる。

 多少の大金を彼等に渡しても、幾らでも御釣りがくるでしょう。

 コレが貴方達が観客に仕掛けた『愛の謎』の真相よ」


 暫く黙っていた女性は、狂った様に高笑いすると凛の顔を見つめた。

『御名答、正解よ。

 このトリックはありがちな『アクション・恋愛映画』の皮を被り観客をアクションシーンで魅了する事によって成立する。

 観客の目を欺き、一番重要な顔アップのシーンまでに観客を疲弊させ、真相に辿り着かせない様にした。

 最後まで集中力を保ち続け、優秀な観察眼を持っている観客だけが真実を見抜く事が出来る』


 趣味の悪いストーリーだ。

 凛は、この映画における真実を知ってしまうと嫌な気持ちになってしまう事に気付いていた。

 貧乏から抜け出したい女の、己の魅力と知略を用いた狡猾な計画。

 だからこそ、謎に気付いた者だけに金貨を渡すのかもしれなかった。

 真実に気付きさえしなければ、普通の純愛映画として見終える事が出来るからである。


『それではごきげんよう。私はこれからあの人とのハネムーンを満喫してくるわ』

 彼女はそう言って姿を消し、シアター内が明るくなった。

「おめでとうございます。この映画館で謎に気付けた御客様は貴方が初めてですよ」

 女性の従業員が現れ、歩きながら彼女が座っている席の近くにやってくる。

「私はホログラムではありませんので御心配無く。

 こちらが5万円相当の純金金貨です。

 譲渡証明書に必要事項を記入して頂き次第御渡しいたしますね」


 住所・氏名・スマホの番号・マイナンバー等の記入事項が並ぶ。

 良い意味でも悪い意味でも皇国は管理社会となっており、常に記録が保管される様になっている。

 勿論コレは事前に別の映画館で金貨を取得していないか確認する。

 そして以後金貨を手に入れられなくすると言う意味でも重要な事だった。

『マイナンバーデータの照合完了。貴方の顔写真との一致を確認致しました。

 清川凛さん、おめでとうございます。どうぞ金貨をお受け取りください』


 勿論、凛Ⅱだけ映画館の外に出して光輝と共に10万円を得る事も出来た。

 しかしそれをすると映画館に2人で来ていたと言う事実が漏れてしまうかもしれない。

 (今はとにかく情報の流出が可能性として常にある社会。

 私の両親にデートの事がばれたら面倒な事になってしまう。

 無用なリスクは避ける。常に考えて立ち回らないと)

 

 そんな事を考えながら、凛は自分もまた狡賢く振る舞っている事実に気付いた。

 結局、自分の保身を考えているのは映画の女性も自分も同じなのだ。

 違う点は、光輝を心から愛していると言う事。

 そして、彼を守る事も考えながら行動していると言う事。

 (コウ君のためになる事なら、出来る事は全部してあげたい。

 危険を秤の上に乗せながら、回避し続ける自信はある。

 だって……私はそういう判断力に長けているニューマンなんだから)


 凛は当初自分が人間で無い事を嘆いていたが、今は完全に開き直っていた。

 ニューマンとして自分が美輪光輝に対して何をしてあげられるのか。

 力を使って守る事が出来る。知恵を使って困難を乗り越える事が出来る。

 哀しい決意であったが、彼女は自分がロボットである事を認めたうえで光輝への愛を貫き通そうとしていた。

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