12_夜の女子会①

 気づいたらリェーチカは病院のベッドで寝ていた。

 腕の痛みもだいぶ和らいでいる。充分動けそうなので、とりあえず身体を起こした。

 病室は少し薄暗くて、人の気配はない。けれども、消毒液の匂いに何か違うものが混じっている気がして、ゆるりと辺りを見回す。


 壁際に、あのユキヒョウが丸くなっていた。


「えっ……ええっ!?」


 びっくりして思わず大きな声を出してしまい、獣も驚いて飛び上がる。

 そのまま唖然と見つめ合っていると扉をノックされた。すぐに聞き慣れた友人たちの声が続いて、ドアが開くと同時に、部屋がぱあっと明るくなる。


 見たところジェニンカとオーヨはどちらも目立った怪我もなく、大急ぎでリェーチカのところへ駆け寄ってきた。


「よかった、目が覚めたのね」

「気分はどう? 腕は痛くない?」

「うん、大丈夫だよ。ありがとね。それで、えーと……ここ、どこの病院? あと私たち、どうやって助かったの?」

「あー、それはね」


 ジェニンカは意味ありげに壁際のユキヒョウを一瞥し、ざっと説明してくれた。


 ここは遺跡に向かう途中で下車した街。八人、とくに重傷だったリェーチカとユーリィの治療ができる医療施設は、田舎町にはなかったようだ。

 幸いリェーチカはほんの二時間くらい寝ていただけだった。

 しかもその間にジェニンカとオーヨはレポート用の資料を集めておいてくれたという。地味に一番ありがたい。


 ユーリィの想像どおり、二人はあの落石に巻き込まれていた。防御が間に合って軽傷で済んだものの、瓦礫に閉じ込められてしまった。

 身動きがとれず困っていたジェニンカたちを助けたのは、他ならぬユキヒョウだった。


 その後すぐ応急手当や町への連絡がなされ、全員が無事に救助されたのだ。

 誰も、死ななかった。


「よかったぁ……」


 リェーチカは胸を撫で下ろし、改めてユキヒョウに向き直る。


「みんなを助けてくれてありがとう。えっと……名前は? 私はアレクトリア。リェーチカって呼んで」

『……サペシュ』


 なぜかユキヒョウは不満げだった。照れている……わけではなさそうだ。


 ちょっと遠いなと思ったリェーチカは、ベッドから立ち上がった。歩くには支障がないので彼のところへ行き、「いい?」と聞きつつ隣にしゃがむと、眼の前にもっふりと柔らかそうな灰白の毛並みが揺れている。

 ふむ……これは、撫でないという選択肢は、ない。


「はあ、……ふ、ふわもこだぁぁ……」

『……何やってんだ』

「あ、ごめんね、あんまり気持ちよかったんでつい。嫌だった?」

『別に……』


 背後でジェニンカが、わたしも撫でたい、という顔をしている。気持ちはわかる。


「本当にありがとね。あなたのおかげでみんな助かったよ。で、……聞いてもいいかなぁ、どうして怒ってるの?」

『……俺はおまえが、……ついでにそこの女とひょろっちいのだけ助かればいいと思ったんだ。なのにあのうるさい連中まで……』

「う……まあ、たしかに、そもそもの原因はあの人たちだもんね。

 でもよかったよ。私は、私の力不足で誰かが死んじゃったりしたら悲しいもん。それが……その、嫌な人たちでもさ」

『ふうん。群れて暮らす人間らしい』


 そのあとユキヒョウ、もとい、サペシュが語ったところによれば。


 彼は昔、母親を人間に殺された。

 その美しく温かい毛皮のために。


 もともと厳しい野生の暮らしだ、そういうこともある、運が悪かったと受け入れた。けれど攻撃されたとき、過去の恐怖が蘇ってしまった。

 目の前で死んだ母、雪上に飛び散る血、騒々しい人間の罵声――。

 それで恐慌状態パニックになって暴れ回った。忌々しい連中を全員殺してやる、この山を突き崩してでも、母のように無残に屠られるくらいなら、と。


 少年たちも当然、殺されまいと反撃した。

 痛みはますます彼を暴走させた。怖くて悲しくて恐ろしくて憎らしかった。


 でもリェーチカだけは彼を傷つけなかった。防護の術で包んで動きを止めただけで、その材料は彼女自身が流した血。

 極めつけが、あの謝罪の言葉。

 毒気を抜かれたサペシュは急に頭が冷えて、それから思ったのだ。


 ――こいつを殺すのは、惜しいな。




 ・・・・+




 サペシュは山へ帰っていった。呼び出しの詩は決まったので、紋唱術を使えばまたいつでも会える。


 治療自体は済んでいるのでリェーチカもすぐに退院し、あとは宿で休むことにする。

 というより――激動の一日だったので忘れかけていたが、彼女にとってのメインイベントはまだこれからだ。


 女子会である。


 宿の食堂で夕食を楽しんだあとオーヨと別れ、急いでお風呂を済ませて備え付けの寝間着に袖を通す。

 もちろん、お互いまだ寝る気はない。


「あ、おやつ食べる?」

「今からの時間は絶対太る……けど、ちょっとだけ欲しいかも……」

「だよね! それに大丈夫だよ、昼間いっぱい歩いたんだし」

「……そうよね! よし!」


 などと言い合うのも楽しい。

 リェーチカは、列車で食べていたクッキーとは別に、フィラッチという伝統的な焼き菓子も作ってきていた。蜜漬けにした果物やナッツを柔らかい生地で包んで焼いたものだ。

 テーブルの上に出すと、途端にジェニンカの眼の色が変わった。


「これも手作り!?」

「うん。おばあちゃん直伝だよ」

「やばい……何を隠そうわたしはフィラッチ大好き人間だから、気をつけないとこれぜんぶ食べ尽くすかもしれない。……リェーチカはすごいなぁ、いろいろ作れて」

「代わりに勉強は遅れまくりだけどねぇ」


 リェーチカは自虐気味に笑う。

 遅れの根本的な原因として、そもそもみんなと同じタイミングで入学していないのは、そうできなかったからだ。家に余裕がなかったせいで。


 ハーシの学校制度は三段階に分かれている。

 まず基本的な読み書き、計算、時計の読み方、歴史や地理など必要最低限の教養を習う初等教育。国が保障しているため、ほぼ全国民がすべて無料で受けられる。

 次の中等教育は無償ではなく、通えるのはある程度の家柄の子女のみ。内容は初等教育をより複雑かつ専門的にしたもの。

 最後が紋唱術を中心に据えた高等教育、つまり今。


 ただし、リェーチカは族長家の生まれでありながら、中等教育を受けていない。



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