第41話 思いもよらぬ名


「学園に通っていたのは、私に成りすました別人なんです」


 カロリーヌの衝撃の告白の後、メリーベルとセルジュはバーレル男爵家の応接間に場所を移し、改めて話を聞くことになった。

 後ろにメリーベルを従える格好のセルジュと、バーレル親子が向かい合ってソファに座る。


「それでは、順を追って話してもらおうか。カロリーヌ嬢」

「っ……はい」


 近衛騎士として厳しい口調で接するセルジュに、カロリーヌ嬢は身を強張らせながらも、真っすぐ背筋を伸ばして話を始める。


「……私が攫われたのは、王立学園の入学式の直後でした」


 ◆


 入学式を終えたカロリーヌは、寮監に先導されてほかの女子生徒たちと共に寮へと向かっていた。


 成り上がりで未だ貴族の礼儀作法にも疎い自分が、学園で上手くやっていけるのか。そもそも相部屋となるルームメイトとなれるだろうか。


 そんな不安を抱く一方で、王国で最も高度な教育を受けられる王立学園に入学できた喜びと、四年間ここであらゆることを学び、必ず家族と商会の助けになろうという気概も胸に、廊下を歩いていた時だった。


 事務員と思しき男が、カロリーヌに声を掛けてきたのだ。


『入学書類の一部に不備があり、確認と訂正のために事務局まで来てほしい』


 そう言われて一人列を離れて男に付いていき、部屋に案内された所で後ろから布で鼻と口を塞がれ。

 気づけば知らない部屋で、制服を奪われ下着姿のまま、猿轡を嚙まされた上に縛られた格好で床に転がされていた。


『んもー何よ、この制服。胸元キッツいんだけど』

『我慢しろ。苦労したんだぞ、入れ替わってもバレない女を探すのは』


 部屋にいたのは先ほど声を掛けてきた事務員の男と、もう一人、自分のと思しき制服を着て不満げな顔の見知らぬ少女。


『ま、そうね。真っ当な貴族なら成金令嬢なんかに興味ないもん。それより、ちゃんと対象と同部屋になってるんでしょうね?』

『問題ない。一代男爵の養女と相部屋に、真っ当な貴族の令嬢なんか入れたら苦情がくるからな』

『違いないわね!』


 キャハハ、と品のない笑い声をあげた少女が、意識を取り戻したカロリーヌに気づいて眉をしかめる。


『は? ねえちょっと、起きてんだけど。殺した方がよくない?』

『逸るな。聞かれた所で問題はない。そもそも勝手に喋っていたのはお前だぞ』


 殺す、と事も無げに言われ、カロリーヌの背筋が凍る。苛立ちを隠す気のない少女を、事務員の男が宥めた。


『そろそろ対象が寮に到着する。さっさと向かえ』

『チッ。わかったわよ』


 少女はまるで汚物でも見るようにカロリーヌを睨みつけた後、乱暴な足取りで去っていく。

 部屋に残ったのは、縛り上げられたカロリーヌと、事務員の男だけ。


『さて、お嬢さん。あなたはしばらく別の場所で過ごしていただきます』


 事務員の男は何の感情もない目でカロリーヌを見下ろしながら淡々と説明する。


『成績についてはご心配なく。彼女はあなたより優秀です。優秀な成績で箔をつけられるのであれば、ご家族もお喜びになるでしょう』


 それに、と男は続ける。


『あなたにとっても悪い話ではありません。協力の返礼として、伯爵家に嫁がせて差し上げましょう。高位貴族と縁戚になれれば、商会もますますの利益を上げられるのですから、誰も損はしませんよ』


 男のあまりに身勝手な言い分に、カロリーヌは猿轡をされているのもお構いなしに叫んだ。


 ――ふざけるな。どうしてこんな目に遭わなければならないのか。成り上がり気に食わないにしても、人を騙して襲うような奴に、ここまで侮辱される謂れなんかない。


 縛られたままにもかかわらず、カロリーヌはとにかく暴れた。

 もしかしたら、誰かが騒ぎを聞きつけてくるかもしれないという希望的な観測が、血が上った頭の片隅によぎったが――


『黙れ』


 男は、カロリーヌの腹を容赦なく蹴り上げた。痛みに悶えるカロリーヌに、男は無感動にため息を漏らす。


『ああ、失礼。子を成すのに支障が出ては、女性としての価値を損ねてしまいますね』


 ああでも、と男は呟く。


『下手に身ごもるより、その方が使い勝手がいいか』


 無表情のまま言い切った男の言葉に、カロリーヌはこれまでになく恐怖した。


 ――この男は私を人間だなんて思っていない。


 心が折れたカロリーヌは、以降は抵抗することなく男の指示に従い、軟禁先に連れて行かれることになった。


 ◆


「……それで、新年に学園が閉鎖される間は家に帰らないと怪しまれると言われて、私は一度解放されたんです」


 カロリーヌが話し終えた後、応接間を重い沈黙が支配する。


「そんな……そんな……カロリーヌ……」


 あまりの内容にただ呆然とする父親のバーレル男爵を横目に、カロリーヌは真っすぐセルジュを見て言った。


「騎士様。父は、本当に何も知らないんです。責を負うべきは私一人です。どうか、咎めがあるのでしたら私のみに……」


 今にも零れそうな涙を必死にこらえて訴えるカロリーヌに、セルジュはゆっくりと首を横に振る。


「今ここで俺が君を処罰する権限はない。だが、もし君の話が事実なら、君は単なる被害者で、君もご家族もなんら処罰を受ける必要はない」


 セルジュの言葉に、カロリーヌは膝の上で手を握りしめながら深く息を吐きだした。閉じられた瞳から、涙がはらはらと零れ落ちる。


「どうぞ、こちらをお使いください」


 そう言ってセルジュの後ろに控えていたメリーベルが、カロリーヌのもとに進み出てハンカチを差し出した。


「あ、ありがとう、ございます……えっと」

「メリーベルと申します。王城にて使用人を務めております」


 メリーベルはカロリーヌに一礼したのち、セルジュの方に向き直る。


「セルジュ様。差し支えなければ、ここからは別室で私が代わりに伺ってもよろしいでしょうか。カロリーヌ様は、かなりお疲れのご様子ですから」


 口調こそ提案する形ではあるが、セルジュに向ける視線には有無を言わせぬ雰囲気があった。


「わかった。カロリーヌ嬢も、それでいいか」

「えっ、あ……はい」


 そうして二人が応接間を去ったのち、セルジュは未だ呆然としたままのバーレル男爵に尋ねる。


「さて、バーレル男爵。カロリーヌ嬢は伯爵家との縁談を控えていると言ったな」

「は、はい……」


 屋敷の前でバーレル男爵の口から出た伯爵家との縁談。学園で男がカロリーヌに持ち掛けた伯爵家との婚姻――これらが無関係であろう筈はない。


「どこだ」


 だが次の瞬間、バーレル男爵が口にした名にセルジュは絶句した。


「モ、モントーリオ伯爵家にございます……」


 モントーリオ伯爵家。

 そこは、今は亡き母とかつて共に暮らしていた、セルジュの生家だった。



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