一夜明けて
第38話 らしくない
誰もいない真夜中。職場の屋上のへりに立ち、街頭に縁どられた地面をぼうっと見つめる。
不法侵入だとか、屋上のカギを盗んで開けたことだとか、職場の人間への申し訳なさだとか、靴下の裏から伝わるコンクリートの硬さだとか冷たさだとか、もはや何もかもどうでもよかった。
――どこで、間違っちまったんだろうなあ……
妻が覚せい剤の使用で捕まった。数か月前から暴力団員と付き合いがあったらしい。
なぜ言わなかった、と息子に詰めよれば、泣きながら殴り飛ばされた。
『テメエの所為だろ! テメエが仕事しかしてなかったから!! 全部テメエの所為だろおがよぉ!!』
そう言って俺を責め立てた息子は、先週事故で亡くなった。職場ではひたすら白い目で見られ、ろくな仕事をさせてもらえなくなった。
家庭を顧みずに仕事に打ち込んだ結果、職場の人間からの信用も、何をおいても守りたかった家族も全て失った。
ここから飛び降りたって、なんの罪滅ぼしにもならないことはわかっている。わかっているのに。
「ごめんなあ……ごめんなあ……」
――何にもできない男でごめんなあ……
スルリ、と屋上のへりから足が滑る。体が浮く。落ちる。
落ちる、落ちる落ちる落ちる怖い怖い怖い嫌だ死にたくな――
◆
「うっ、ぁあああああ!
悪夢に跳ね起きた途端、全身に痛みが走った。
「ロラン? 起きたの? 大丈夫?」
「ハァ……あー……メリーベル、か」
名前を呼ばれて俺――ロランは、どうにか現実へと意識を引き戻す。
ぼんやりする頭で辺りを見回せば、狭い室内に年季の入った二段ベッドが室内に規則正しく並んでおり、どうやら俺はそのうちの一つの下段に寝かされているらしい。天井近くの明かり取りから差す光が、ほの明るく室内を照らしていた。
「ひどい汗ね。ちょっと待って」
ベッドのすぐ隣に置かれた椅子から立ち上がったメリーベルは、サイドテーブルの上の
心地よい冷たさに、強張っていた身体からゆっくりと力が抜けていく。
「悪いな、助かる……ここは?」
「屋根裏の使用人部屋よ。ここに来るまでのこと、覚えてる?」
「まあ、なんとか」
全身に残る痛みに顔を顰めながら、俺はここに至る前の出来事を思い出す。
公爵家から盗み出された機密文書を奪還しに皇国大使館へと潜入し、トラブルはあったものの文書の確保に成功。皇太子のギルフリードに追われながらも、ドロテアの助けもあってどうにか脱出できた。
その後二人で
――なるほど。死にそうな目に遭ったから、死んだ時の夢なんか見たわけか。
「無理しないほうがいいわ。魔力の過剰放出で筋肉がズタボロなんですって。当面は絶対安静。伝達術式も含めて、魔法は使用禁止よ」
「うーわ、マジかあ……っ
メリーベルの言葉に俺はたまらず嘆息した。溜息ひとつに痛みが伴うこの状況では致し方ないとは思うが、それでも自分が仕切る仕事を途中離脱というのはかなり堪える。
おまけに俺と同じ転生者が絡むともなれば、尚のこと申し訳ない。
「なあ、俺どのくらい寝てた?」
「ざっと半日ってところかしらね。お腹すいてるなら、厨房借りて軽いものでも作らせてもらうけど」
「ん、そうだな……」
俺は今後のことを考えようと、顎髭を手でなぞりかけて、再び痛みに顔を顰める。
ダメだ。痛みと夢見の悪さで全然頭が回らねえ。
――いや、違うな。疲労の問題じゃねえ。これは……
「一人で焦っても、どうにもならないんじゃない?」
その言葉にハッとして視線を上げると、俺を覗き込むメリーベルと目が合った。
「
「そうね。らしくない顔してたわ」
メリーベルは微笑んで椅子に座りなおすと、俺の額にかかる髪をそっと手櫛で梳き始める。
「ジェレミーさんは文書の中身を確認して、王城に引き上げたわ。ドロテアもあなたと同じで熱出して療養中。
デボラ姉さんは引き続きアンリエット様についてるし、侍従長は公爵の始末でしばらくお忙しいみたいよ」
一通り髪を梳き終えた指先で、メリーベルは俺の鼻の頭をツンとつつく。
「こんな初歩的な状況確認も忘れるなんて、本当に……らしくないわ」
正論を説かれて目を逸らした俺を、メリーベルは無言で見つめ続ける。
「何があったのか」と雄弁に問い続ける視線に、俺は観念して口を開いた。
「……皇太子のギルフリードも、俺と同郷だった」
そこから、大使館でわかったことを一つ一つ思い出しながら報告していく。
捕らえた暗部二人を取り返したがっていたこと、エミリー嬢のいじめにギルフリードは関わっていないこと、エミリー嬢よりも確度の高い攻略情報を持っていること、セルジュの術式をコピーした上さらに改良を加えて使っていたこと……
報告している内に、その内容の多さと重要さ、そしてこれらを報告しようという考えが完全に抜け落ちていたことに気づき、改めて先ほどのメリーベルの指摘が身に染みる。
報告・連絡・相談は、どんな仕事でも基本だと言うのに。転生者が絡むと、どうも落ち着いて思考ができない。
――本当に、らしくなかったな。
俺の話を聞き終えたメリーベルは、小さくため息を吐いて言った。
「ひとまず、皇太子ギルフリードについては置いておいて……エミリー嬢いじめの真相と怪文書の出所そのものは、振り出しに戻っちゃったわけね」
「そうだな。また取っ掛かりを探さにゃならねえが……」
「なら、セル君が何とかしてくれるんじゃないかしら」
「セルジュ?」
そう言えば、王城を出る時にセルジュに何かしら手伝ってほしいと言われた気がする。確か……
「今朝方、あなたのお見舞いに来たのよ。学園の貴族寮に出入りできる人間について、調べるのを手伝う予定だったんですって?」
「そう、それだ。ていうかアイツもう動けるのか」
「毒の後遺症も特にないし、魔力も回復したから問題ないそうよ」
若さってすげえなあ、と内心でうらやましく思いつつ、俺はメリーベルに伝えた。
「メリーベル。手が空きそうなら、セルジュを手伝ってやってくれ。皇太子ギルフリードが婚約破棄に関わってねえ以上、手掛かりらしい手掛かりが他にねえ。
アンリエット嬢の側には、デボラさんがいるんだよな?」
「そうね……お世話そのものはデボラ姉さんを中心に子爵家の先輩方に任せても問題ないし、王城に報告するって名目なら、アンリエット嬢に怪しまれずに外に出られると思うわ」
「よし、頼んだぞ」
「了解。ゆっくり休んでて頂戴な」
メリーベルはそう言って立ち上がると、優雅な足取りで部屋を去っていった。
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