閑話 誰にも知られてはならない


 ――まったく、余計な事をしてくれる。


 上等な革を使った馬車の座席に腰かけた侍従長ジェルマンが、普段は見せない険しい顔つきで小さな溜息を吐く。


 大使館にファリエール公爵が現れたという報告をロランから聞いた時は、いよいよあの家は終わりだなと悟った。

 公爵家でありながら王妃を軽んじる発言を、あろうことか国王夫妻の目の前で言い放った事もそうだが、今回の一件はそれを更に上回る失態だ。


 おおやけに出来ない書類を奪われた挙句、王国の中枢に名を連ねる公爵が脅しに屈してノコノコと敵前に出て行くなど言語道断。

 いっそ皇国と以前から通じているとでも言われた方がまだ納得できる行動を思い返して、ジェルマンは再び溜息を吐いた。


『侍従長~。よろしいでしょうか~』

「ああ、デボラか」


 ささくれた侍従長の脳裏に、間延びした女性の声が響く。

 王妃の侍女であり、現在アンリエット・ファリエール公爵令嬢の護衛兼監視役を務めるデボラからの通信だ。


『ロラン君とドロテア嬢が子爵家に帰還しました~。例の書類も無事、回収しております~』


 その報告に安心すると同時に、疑問が浮かび上がる。


「何故君が報告を? 二人はどうしたんだい?」

『それがですね~二人とも魔力過剰放出の反動で気絶してしまいまして~』


 魔力過剰放出、と聞いたジェルマンの眉間にしわが寄った。


 人間が放出できる魔力量には上限がある。その上限を超える魔力過剰放出は肉体へ大きな負荷を掛け、最悪の場合は命に関わりかねない。


 経緯は分からないが、どうやら二人は影で相当な大立ち回りをしたらしい。


「……二人の容体は?」


 務めて落ち着きはらった声で問い掛け、デボラの返事を待つ。


『まずロラン君は~身体強化術式の過剰使用で、両脚の筋肉がボロボロですね~。幸い重要な腱や靭帯は無事ですが~復帰には最低数日は要するかと~。

 ドロテア嬢は負傷こそありませんが~発熱が続いていて予断を許せませんね~』


「そうかい。治療班の手配は?」

『完了しております~。応急処置と看病については、子爵家の先輩方のご協力を仰ぎますね~』

「結構、任せるよ。二人の意識が戻ったら、私がねぎらっていたと伝えてくれ」

『かしこまりました~』


 伝達術式を切り、ジェルマンはそっと安堵の息を吐く。王城の治療班と子爵家に居る引退した『雄鶏』たちの手助けがあれば、大事には至らないだろう。


 ――さて、私も働かなくては面目が立たないね。


 折よく、外から馬車こちらへ近づいて来る二人分の足音が聞こえてきた。ジェルマンは認識阻害の術式を起動して、悠然と座席に腰かけたまま待ち構える。


「――クソッ! 虚仮にしおって!」


 罵声と共に使ファリエール公爵が、ジェルマンの向かいの席にドカリと音を立てて座った。

 侍従長に気づく素振りもない公爵が御者へ向けて指示を出し、馬車は静かに走り出す。


「呼びつけておきながら、取引は中止だなどと……あの書類が晒されれば、公爵家は終わりなんだぞ……! アンリとの結婚どころではないと言うのに、何を考えているのだ……!」


 頭を抱えて忙しなく貧乏ゆすりを続ける公爵を、侍従長は冷然と見続けている。その眼差しにはもはや失望すら浮かんでいない。温度も色もない、無の視線。


『侍従長、目標区域に到達しました』

『ありがとう。しばらく流してくれ。馬車を止めたら手筈通りに』


 伝達術式で指示を出し終えたジェルマンは、静かに右手の手袋を外す。

 走り続ける馬車の中で少しも姿勢を崩す事無く立ち上がり――……


「随分と荒れておられますな、ファリエール公爵閣下」


 その言葉と共に、手袋を外した右手を公爵の肩に置いた。


 ――『深淵を覗き返す者ナイトメア・ウォッチャー


 固有術式を起動し、公爵の記憶中枢と同期。先程までの大使館での様子から記憶を遡り、目当ての記憶に辿り着く。


 あからさまに荒らされた書斎。開け放たれた隠し金庫。その中に置かれた一枚の封筒の中には、機密書類と引き換えにアンリエット嬢との婚姻を認める書類への署名をする旨が書かれた手紙。


 ――やはり、娘を売る気だったか。


 必要な記憶を確認し、固有術式を解除すれば、顔面蒼白になったファリエール公爵と目が合った。


「あ、あ、あ……」

「今晩は、公爵閣下。良い月夜ですね」


 ジェルマンは何事もなかったかのように再び馬車の座席に腰を下ろす。血の気が引いた公爵の真っ白な唇からは、言葉にならない言葉が漏れるだけだったが、ジェルマンは構わず会話を続ける。


「ああ、失敬。閣下にとって今日は、あまり良い日ではございませんでしたね。ご気分を害したのでしたら申し訳ございません。


 しかし聞こえた所によると、公爵家の進退に関わる重要な取引をご破算にされたとか。フランセス王国を代々支えるファリエール公爵家の一大事ともなれば、も助力は惜しみませんよ」


 言葉を返す素振りもなく、カタカタと震え続ける公爵に、ジェルマンは埒が明かないと話を進める。


「――その様子だと、書類の回収には失敗したようですな」


「っな、何故その事を!?」

「どう知ったかなど些事ですよ」


 白を切る余裕すらない公爵の狼狽を切って捨てたジェルマンは、淡々と言い募る。


「あなたがあの書類を外部の者に奪われたこと。書類と引き換えに第一王子の婚約者を他国の者に嫁がせようとしたこと。前者は覆しようのない失態であり、後者は王国への背信以外の何物でもない。


 そして何より、。それだけご理解いただければ充分なのですよ、閣下」


 コンコン、と侍従長が背後の御者席に繋がる窓を叩くと、馬車は音もなく緩やかに停止する。

 狼狽する公爵を余所に、馬車の扉がゆっくりと開かれた。


「ヒッ」


 外に控えていたのは、御者に扮した国王侍従のジェレミー。そしてその後ろに立ち並ぶのは、真っ黒な装束に身を包んだ『雄鶏』たち。


 彼らの足元で血だまりに沈む御者と護衛を見た公爵の目が、こぼれんばかりに見開かれる。


「――……誰にも、知られてはならないのですよ。閣下」







 翌朝。貴族街の人通りの少ない道で、所属不明の馬車の残骸が発見される。

 魔法で破壊されたと思しき馬車の残骸の傍には御者と、護衛と推測される二人の男性の遺体が血だまりに沈んでおり、二人の身元は未だ公表されていない。



 ファリエール公爵の失踪届が受理されたのは、それから一週間後の事だった。




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