第37話 怒らせてはいけない人間
結界が砕け散る轟音をBGMに、俺――ロランは地下通路をひたすら走り抜ける。
どうやってかは知らないが、セルジュの固有術式『
『ロラン先輩、ギルフリードとの距離がドンドン縮まってます!』
『気のせいじゃないのかよ! てか今、身体強化全開で走ってんだが!?』
ドロテアからの報告に、冷や汗がいっそう背筋を伝う。
一般的に術式は効果を及ぼす範囲が広い程、多くの魔力を消費する。
俺の固有術式『
だが、手の動きに連動して広範囲の重力操作を行う『
だと言うのに、俺とギルフリードの距離は開くどころか縮まっている。
『おそらく、術式で身体全体にかかる重力を軽減しています。セルジュさんより、魔力コントロールが圧倒的に上手いんです』
『そら器用なこって。で、このままじゃ追いつかれるんだが、他に足止めの方法はありそうか?』
ドロテアは迷いなく『はい』と言い切った。
『この先にある、重量感知式魔道具の敷設地帯で仕掛けます。私の合図で防御術式を全開にして下さい』
『防御、つったか?』
『はい』
意図が分からず聞き返したが、帰って来たのは先程と同じハッキリした返事。
詳しく聞こうにも魔道具の敷設地帯はもうすぐだし、こうしている間にも後ろからはギルフリードが迫ってきている。
『よーし、信じてるぜドロテア』
俺は脚を止めずに真っ直ぐ魔道具の敷設地帯に突っ込んだ。
後ろから慌てて立ち止まったらしい、靴底を強く擦った音。ここに魔道具がある事を思い出したのか、足音は聞こえてこない。
――あのまま
そう思い走りながら肩越しにギルフリードを振り返った瞬間、俺は自分の考えの浅さを呪った。
「は……?」
横目で見たギルフリードの姿が、床から三十センチほど宙に浮いている。
本来眼帯で覆われている筈の右目が、人魂のような蒼い燐光を帯び、暗闇の中でギルフリードの顔を白く浮かび上がらせる。
そして、思わず漏らしてしまった微かな声を、術式で強化されたギルフリードの聴覚が捉えたらしい。
「そこか」
口角を頬まで釣り上げたギルフリードが、音もなく高速で宙を滑り、俺との距離を一気に詰めに来た。
「~~~~~~~~~~~!!!!!」
悲鳴を押し殺しながら、俺は必死で魔道具敷設地帯を駆け抜ける。すぐ後ろでダァン!と何かにぶつかるような音がしたかと思えば、ドロテアの結界がギルフリードの進路を阻んでいる。
「無駄なあがきだとまだ分からんか!」
哄笑と共に宙に浮いたままのギルフリードが拳を結界に叩きつけると、透明だった結界が瞬く間にヒビで真っ白になる。
俺が耳を塞いで即座に前に向き直った一瞬後に、轟音が背中越しに炸裂する。
――うわわわわわ、まだかよドロテアーーーー!!!!!
走る、走る、走る。至近距離で連続して結界が割れる音が聞こえる中、俺はもつれそうな足をひたすら前に出し続ける。
しかも割れるペースがドンドン早く、かつ破壊音が近くなってきている。
「どれ、この辺りか?」
気負いのない声と共に伸ばされた指先が、俺の視界の端を掠めた。
「ここか? ふむ、残念。ではここか?」
徐々に顔へ迫る指先に全身を震わせながら、俺は亀みたいに首を縮めて、振り返らずにただただ走る。
心臓が痛い。息を殺すのも限界に近い。身体強化と固有術式の併用で、魔力もかなりギリギリだ。
――早く、早く早く早く!
恐怖と焦燥に支配されそうになりながらも、曲がり角まであと少しの所に来た。
曲がり角まであと、三歩、二歩、一歩――
『今ですロランさん!』
脳内に響いたドロテアの声に従って、全力で防御術式を展開し、曲がり角へと転がるように飛び込んだ。
その刹那。
ドゴオォオオン!!!!!
「うおわああああああ!?!?!?」
閃光と、結界の破壊音とは比べ物にならない轟音。そして猛烈な風が俺に直撃し、隠し通路の上をサッカーボールよろしく転がる羽目になった。
十メートル近く吹き飛ばされてしまった俺は、防御術式全開のままどうにか受け身を取ってブレーキを掛け、四つん這いのまま自分が来た方向を確認する。
『ドロテア』
『はい』
『何したのお前?』
『霊脈を通して魔道具に過剰魔力を送り込んで暴発させました』
防御術式を解除して立ち上がれば、なるほど、白煙が立ち込める曲がり角の向こう側で煌々と紅い炎が燃え盛っている。
『過剰魔力と同時に爆破魔法と風魔法も送り込んだので、それなりの威力にはなったかと』
『えっこれギルフリード生きてる???』
――もし死んでたら国際問題待ったなしなんだが……
『生きてますよ。生体反応は有りますが、動く気配はありませんね。爆風で気絶したみたいです』
『マジかよ。直撃だろ?』
俺がそう言うと、ドロテアは伝達術式越しに大きな溜息を吐いた。
『甚だ不本意でしたが、爆破直前に奴にも結界を張りましたから』
『そりゃあ……よく、冷静に判断したな』
壁に背を預け、乱れた息を整えながら俺は感心する。
任務直前のドロテアならば、ここで始末していてもおかしくなかった。
何せ『最終手段』――即ち『感応系術式による肉体への直接干渉』を使うとまで言い切っていたのだ。
魔法によるあらゆる干渉を可能にし、術式を瞬時に作成・付与できるドロテアの固有術式『
だがこちらはあくまで隠密行動。かつ向こうは曲がりなりにも他国の皇太子。失敗できない任務であるが、こちらから危害を加える事は可能な限り避けなければいけない相手である以上、俺は事前に『最終手段』だと釘を刺しておいたのだ。
だが、ドロテアから返って来たのは意外な答えだった。
『いえ、全くもって冷静ではありません。ただ――人間、怒りが頂点を越えると却って落ち着くと言うのは本当みたいですね』
『……結界壊されたの、そんなに嫌だったのか?』
『違いますよ。私が怒っているのは、セルジュさんの術式の事です』
ん? と俺が首を傾げると、ドロテアは淡々と説明を始める。
『セルジュさんの固有術式、私も開発に携わってるんですよ』
固有術式はそもそも、使用者に合わせて改造された一点ものの術式だ。
そして術式の構築には、術式構築の専門知識と技術が必要になる。当然、『雄鶏』の全員がそうかと問われれば、答えは否だ。
ドロテアの所属している術式構築の専門チームの力を借りて構築する以外にない。俺もメリーベルも、当然セルジュもだ。
『解析するのは、まあいいでしょう。再現するのも、ええ、悪い事ではありません。
でも――それを我が物顔で振り回すのは、開発者の一人として許せません』
それを聞いて思わず、ハハ、と笑いが零れる。
――なるほどなあ、こういう奴だったか。
仲間の為に作り上げた術式を我が物顔で使うなど度し難い。だからこそ、殺さずに完膚なきまでに叩きのめす。
殺さないように敢えて結界を張り、生かされたのだと実感させる。
敗北を、身体と心に刻みつけ、決して忘れさせはしない――と。
俺は脳内の怒らせてはいけない人間リストに、そっとドロテアを追加した。
『それよりロランさん。今の爆発で地上も騒がしくなっています。可能であればすぐにでも撤退を』
『おっと了解』
こうして俺はファリエール公爵家の機密書類を、どうにか皇国大使館から持ち出すことが出来たのだった。
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