第35話 怒涛の新情報(06/20改稿)


「『夜を纏う者ナイトウォーカー』、起動」


 礼拝堂を離れた俺――ロランは、固有術式を起動する。

 全身を覆う自分の魔力と外界の境目が曖昧になり、俺の姿が夜闇に融けた。


『ロランさん、次の横道を右です』

「了解」


 鐘塔に残ったドロテアが『魔術創造の工房アトリエ・オブ・ウィッチクラフト』で手に入れた地理情報のナビゲートに従って進んだ先は、大使館の裏門から路地を何本か抜けた所にある雑貨店だ。


『その店の裏口から入ってすぐの横の棚の下に、隠し通路への入り口があります』

「わかった……しかしまあ、人の国にイロイロ好き勝手造ってくれたもんだな」

『まったくです』


 万能鍵スケルトンキーで雑貨店の裏口からバックヤードに侵入して、指示された棚を横にずらせば、地下への入り口が音もなく姿を現した。


「入り口を発見。これから侵入を開始する」

『了解です。全力で補佐します』


 伝達術式越しの頼もしい声に口角を僅かに上げて、俺は地下通路へと潜り込んだ。


 ◆


『次の分かれ道は右に進んでください』


 迷路のように複雑な隠し通路を、ドロテアの案内に従って黙々と進んだ。石造りの通路に漂うカビと湿った空気の臭いが鼻の奥をひりつかせる。


 不快な臭いに堪えながら大使館へ向かって進むにつれ、感知式の魔道具による警報装置や罠が現れるようになった。


『ロランさん。次の角を曲がった所から、重力感知式魔道具の敷設地帯です。角についたら教えてください』

「わかった」


 言われた通り曲がり角の直前で立ち止まり、再びドロテアに指示を仰ぐ。


「着いたぞ」

『確認しました。では、ロランさんの合図で魔道具を全て無力化しますので、その間に駆け抜けて下さい』

「了解した」


 皇国大使館の地下には警備魔道具の制御室がある以上、魔道具を長時間停止させると、却って気付かれる可能性が高い。

 外部からの干渉の痕跡を残さないためにも、無力化は最低限に留める必要があった。


 俺は静かに息を整えると、通路に両手を付いて身をかがめる。

 前世で言う所の、クラウチングスタートの姿勢だ。


「三、二、一――よーい、スタート」


 掛け声と共に勢いよく身を起こして、足音を立てないように真っ直ぐ伸びた通路を駆け抜ける。


 ――五秒、六秒、七秒、八秒、九秒……


『――抜けました。お疲れ様です』

「っと……結構ギリギリだったな」


『壁や天井に身体を張り付かせて抜けようとする侵入者対策ですね。長時間、床に足を付かずに移動するのはかなり辛いですから』

「なるほどな……因みに王城もこんな感じなのか?」


 ふと思いついた事を尋ねてみれば、ドロテアの深いため息が伝達術式越しに返って来る。


『いいえ。決められた順で石を踏まなければ床から毒槍が飛び出してくるという感じの、対処さえわかれば簡単に抜けられる程度のものです』


 曰く、罠は作りつけなので移動や再設置不可。

 おまけに王族が逃走経路として使う通路でもあるため、通路内にある罠解除用のレバーを見つけて操作すれば誰にでも解除できてしまうというザル仕様だった。


『なので今回のように、王族の誰かが外部の人間を招き入れてしまえば、その通路は使えなくなってしまうんです』

「あー……ナルシス殿下とエミリー嬢なあ……」


 エミリー嬢はともかく、彼女が持っていた指輪型の感応系魔道具で洗脳されていたナルシス殿下の処分がどうなるかは、現時点では不透明だ。


 直接顔を合わせた事はないが、エミリー嬢の入学前は、護衛のセルジュからナルシス殿下の愚痴を殆ど聞かなかったので、洗脳前はそれなりに真っ当な人間だったはずだ。


 ただ、エミリー嬢による洗脳の度合いが最も深く、かつ婚約者を差し置いて他の女に肩入れしていた姿を多くの令息令嬢に目撃されている事を鑑みると、今回の醜聞の火消し期間も込みで最低一年は表に出られないのではなかろうか――


 そんな事を考えながら、ドロテアのナビに従って更に隠し通路を進んで行くと、突き当りの壁に長い梯子はしごが掛かっているのが見えた。


『ロランさん。そこから、大使館の建物内に入ります』

「いよいよ、か。引き続き頼むぞ」

『了解です』


 俺は一呼吸おいてから、梯子を昇って上の通路に踏み込む。壁一枚隔てた向こうには、騎士たちが大使館を巡回している。油断は禁物だ。


 俺は無駄口を叩かず、慎重かつ素早く歩を進めた。そして――


『……その突き当りの向こう側が、皇太子とベンノの居る寝室です』

『わかった。指示があるまで待機だ。何かあったらすぐ教えてくれ』

『はい。お気をつけて』


 伝達術式を音声入力から脳内入力に切り替え、固有術式が正常に起動中なのを確認した上で、俺はゆっくりと突き当りの壁まで歩く。


「……はり……と……のが……」

「……か。どう……る……か」


 壁の向こうから微かに漏れ聞こえる声に、俺は身体強化術式で聴力を強化する。


「捕らえられているのであれば、どうにか助けられないものか」

「難しいでしょう。レーネもマヌエラも手練れです。その二人の定時連絡が途絶えているという事は、最悪の事態も視野に入れねばなりません」


 侍従長経由で聞き覚えのある声が二人分。先に喋ったのが皇国皇太子ギルフリードで、答えたのが今回の標的・ベンノだ。


 会話の内容から察するに、どうやらアンリエット嬢を尾行していたマヌエラは、上手くらしい。


 まあ戦闘特化型のメリーベルに、能力は不明だが王妃の侍女を務めるデボラさんだ。しかも二対一。結果は火を見るよりも明らかだろう。

 俺はこっそりとマヌエラに合掌した。


「はー……くそっ。何かないか。二人を助ける手立てが」


 壁の向こうでギルフリードが立ちあがり、ややあって抽斗を乱暴に開け閉めする音がしたかと思うと、バサバサと勢いよく紙をめくる音――恐らく、本か何かを猛烈な勢いでめくっている音がした。


「また頼みですか、殿下」

「ああ、俺の唯一の武器と言っていいからな」


 ギルフリードの言葉に、ベンノが盛大な溜息を吐く。


「有用なのは認めますが、そのとやらばかり頼みにされては、私どもの立つ瀬がございませんよ。殿下」


 ベンノの言葉に、俺は思わず口元を抑えて仰け反った。


 ――うーわ、マジか! マジかおい!!


 セルジュの考えが当たった事に驚くと同時に混乱する俺を余所に、ベンノと転生者のギルフリードが会話を続ける。


「それに、あのはしたない女もその“ゲーム”とやらの記憶があるにもかかわらず、災難な目に遭っておられましたが?」


 ベンノの問いに、「ああ」とギルフリードが笑って答えた。



「あの女は、からな」



 ――……

 ――……は?


「『移植なんて、どうせ新キャラ追加されただけだろ』となめてかかり、辿になると言うド鬼畜仕様だ。


 さすが公式ありがとう。おかげで何もしなくても向こうが勝手に自滅してくれた」


 ――は? ちょ、オイ、ちょっと待て???

 ――何、じゃあ何か。あの婚約破棄って調だったのか???


『ロランさん。よろしいですか』


 怒涛の新情報を整理しきれず固まっている俺に、更なる追い打ちをかけるかの如く、ドロテアから通信が入る。


『どうした』

『大使館の裏手に、お忍び用の馬車が乗りつけられました。御者含め三人です』

『はあ???』


 現在時刻、体感でおよそ午前一時。こんな時間に大使館にやって来るなど、誰であれとても真っ当な用事とは思えない。


 頭の中が疑問符で埋め尽くされたのと同時に、壁の向こうで伝話機のベルが鳴る。


「はい。こちら寝室です……ええ、殿下のお支度が済み次第向かいますので、一階の応接室でお待たせしておいてください」


 ベンノが応対して伝話機を切り、ギルフリードに向けてこう言った。



「ファリエール公爵閣下がご到着なされました」



 ――……

 ――……は!?!?!?!?!?


 アンリエット嬢の父親であるはずのファリエール公爵が、どうしてこんな時間に皇国大使館を訪れる必要があるのか。


 そう頭に浮かんだ瞬間、すぐに愚問だと気付く。


 ――いや、おい。嘘だろまさか……


「どれ。折角の『お義父上ちちうえ』との話し合いだ。きちんと支度して行こうじゃないか」


 壁越しの悠々とした声に、俺は最悪の予想が当たったと確信する。


 ――ギルフリードは、機密書類と引き換えに公爵父親アンリエット嬢を売らせる気だ、と。



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