暗夜に奔る雄鶏

第33話 立場と身分とエトセトラ


 日付が変わる頃、俺――ロランはドロテアと共にルシェール子爵家を離れた。


 工作員養成施設『雄鶏の家』でもあるルシェール子爵家で用意して貰った、夜間隠密用の装備に身を包み、肉体を術式で強化して家々の屋根を音もなく駆ける。


「……あそこだな」


 王城からほど近い一等地に建てられた、異国情緒を放つ大建築。王国にあって王国ではない場所。王国法が届かない治外法権の地――ライヒェン皇国大使館だ。


 重厚な屋根の輪郭を夜闇に浮かび上がらせる大使館を横目に、俺はドロテアに声を掛けた。


「ドロテア。近くに『隠れ家』があるから、そこに向かうぞ」

「わかりました」


 『隠れ家』とは、国内各地にある『雄鶏』の拠点の事だ。

 空き家や宿屋、商会の倉庫などその形は様々で、追跡や監視任務の拠点や、万が一の際の緊急避難先として使われる。


 俺たち向かったのは、大使館から五十メートル程の場所にある無人礼拝堂。石壁が月明りに白く浮かび上がり、大きな薔薇窓には星空が写し取られている。


 俺とドロテアは礼拝堂の鐘塔しょうとうに登り、改めて大使館を見下ろした。


「灯りが点いてますね」

「大広間での騒ぎもそうだが、そこで自国の皇太子がある意味からな。本国との連絡やら調整やらで、寝てる場合じゃないって所か」


 推測になるが、大使館職員にとっては寝耳に水の出来事ではなかろうか。

 何せ他国の王族、それも次期国王と目されていた第一王子の婚約破棄からの皇太子のプロポーズ。

 あの灯りの下、上の人間が起こした騒ぎの対応を大慌てで協議しているであろう大使館職員たちには同情しかない。


「どうしましょうか」


 ドロテアの問いに、俺は少し考えてから答える。


「待つ。ベンノの居場所も分からねえし、今の状況じゃ強行突破は無理だ」


 その答えに、珍しくドロテアが反論してきた。


「私が先行して術式を使えば、大使館内の照明と防犯魔道具は無力化できます」


 やや硬い声音で反論するドロテアに、俺は首を横に振る。


「駄目だ。今回の任務は殊更ことさら、機密性が高い。しかも忍び込む先が大使館だ。侵入がばれた段階で国際問題になる以上、あからさまに外部の人間からの攻撃だと分かる行動は許可できない」

「でも」

「ドロテア」


 俺は声を低くして彼女の名を呼ぶ。そのまま黙って向こうの目を見据えていると、ドロテアはバツが悪そうな顔をして頭を下げた。


「申し訳ありません。冷静な判断ではありませんでした」

「そうだな、お前らしくない――何があった」


 ドロテアは思いつめた表情で視線を床に落としたまま、ポツポツと語りだす。


「……『アンリエット様に近づきすぎるな』と、デボラさんに注意されたんです」


 アンリエット嬢の監視役として派遣されて来た、間延びした口調の王妃付き侍女の顔を思い出す。

 確か、アンリエット嬢がガゼボで皇太子殿下からの亡命の誘いを受けた現場に居合わせていたはずだ。


 そこでドロテアとアンリエット嬢の親し気な様子を見て、『雄鶏』の先輩として釘を刺したといった所か。


 俺は何も言わずに、ドロテアが紡ぐ言葉にジッと耳を傾けた。


「分かってはいます。『雄鶏』として、任務に私情を持ちこんじゃいけない。子爵令嬢として、わきまえた付き合い方をしなきゃいけない。分かっては、いるんです」


 でも、とドロテアは続ける。


「じゃあ、アンリエット様の傍には、この先誰が居てあげるんですか? 婚約者も、家族も、あの人を裏切って、傷つけて。


 ……ロラン先輩の言う通りでしたよ。アンリエット様、すごく自暴自棄になってらっしゃいました。もう何もかもどうでも良かったって、何を言っても無駄だから、周りが好きにすればいいって」


 拳を握りしめながら、ドロテアは震える声でこう言った。


「分かってます、私が口を出す問題じゃないって。アンリエット様にはアンリエット様のお立場がある、身分がある。


 だけど、私、嫌なんです。アンリエット様がそんな生き方をしていかなきゃいけないなんて、絶対に嫌なんです。


 アンリエット様の人生は、アンリエット様が決めるものあって欲しいって、そう思うんです!

 だから……だから私がその為に出来る事を、全部したいんです!

 ……あの人の人生を、これ以上、誰かの好きにさせたくないんです……っ」


 心の内を吐き出しきった事で感情のタガが外れたのか、ドロテアの瞳が見る間に潤み、ポロポロと涙が零れ始める。


 俺は嗚咽を漏らすドロテアの頭に手を置き、落ち着かせるためにゆっくりと撫でた。


「ウッ、ずっ、すみま、せっ……」

「いい、気にすんな。お前は何も悪くない。デボラさんには、言い返さなかったんだろ?」


 涙を拭いながら首を縦に振るドロテアの肩に手を置き、彼女の頭をポン、ポンと叩く。


 ――やっぱりお前は、大した奴だよ。


 激情のまま言い返したかっただろう。ふざけるな、と怒鳴り返したかっただろう。


 だが、ドロテアは自制した。大広間の時でもそうだったが、一番大事な一線を踏みとどまれる強さが、彼女にはある。


「確かにデボラさんのいう事も間違っちゃいないさ。任務に私情は持ち込むべきじゃないし、まして一人の人間に肩入れするなんてもってのほかだ」


 メリーベルが見たらまた甘い、と言われるかもしれない。だが、それでもだ。


「でもな、その気持ちがあったからこそ、お前はアンリエット嬢に寄り添えたんだ。彼女から、一人の人間としての信頼を勝ち取れた。それだって、間違いなんかじゃねえさ」


 俺はドロテアを真っ直ぐに見据えてこう言った。


「だから、その気持ちは捨てなくていい。お前が『雄鶏』でも子爵令嬢でもなく、一人の人間としてアンリエット嬢に向き合う為に必要なものだ。他人の好きにさせるな。大切に、しまっておけ」


 ドロテアは肩を震わせて何度もしゃくりあげながら、それでも力強く頷いた。


 ――うん、大丈夫そうだな。


 俺はドロテアから視線を外し、皇国大使館の方に顔を向ける。


「お」


 どうやら、ひと段落ついたのだろう。俺の見る前で窓の灯りが一つ、また一つと消えて行き、大使館はその姿を、完全に夜の帳の中へと隠す。


 即ち、俺の固有術式が最大限に威力を発揮する状況が整った。


 だが向こうは魔道大国と名高いライヒェン皇国。その大使館ともなれば、最新鋭の防犯魔道具による厳重な警戒網が敷かれている事は想像に難くない。

 俺の固有術式であっても突破は難しいと言えるだろう。


 ――俺、だったらな。


「ドロテア、行けるな?」


 その言葉にドロテアは乱暴に涙を拭い、顔を上げる。

 友人に降りかかる理不尽に憤り、立場の違いに悔し涙を流す十七歳の少女は、そこにいない。


「ええ、いつでも」


 俺の目の前には、フランセス王国暗部『雄鶏』におけるが、不敵な笑みを浮かべて立っていた。



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