第31話 ルシェール子爵邸にて
「くぁ……」
大きな欠伸をして弛緩した身体が、冴え冴えとした夜の空気に晒されて、俺――ロランは身震いした。
「何だ。仮眠取ったのにおねむかい? チビちゃん」
俺の後ろを付いて歩く胡散臭い髭の男――国王陛下付き侍従のジェレミー兄さんは、相変わらず俺をからかう事に余念がない。
「誰かさんの所為で寝覚めが悪かったもんでね」
「優しく起こしてやったろうが」
「寝起きにオッサンの髭面拝んだ所でなんの有難みもないんですよ」
――おかげで、なんか良い夢見れた気がするのに全然思い出せねえ。
人気のない貴族街の裏通りを益体もない言い合いをしながら歩いていれば、ルシェール子爵家の裏手に着いた。
「ロラン先輩! お疲れ様です」
「ドロテア? わざわざ待っててくれたのか」
子爵邸の裏門の前で俺たちを出迎えたのは、カンテラを手にしたドロテアだった。
城で着ていた夜会用のドレスではなく、おそらく屋敷で過ごす用の飾り気のない濃茶のシンプルなドレスを着て、その上に厚手の黒いストールを羽織っている。
「えーっと……あの後ちょっと色々ありすぎたので、頭冷やそうと思いまして」
曖昧な笑みを浮かべながら視線を宙に泳がせて言うドロテアに、俺は後で個別に話を聞こうと決める。
「ん、わかった。メリーベルから話は聞いたか?」
「はい。私はいつでも出られますが……そちらの方は、確か国王陛下とご一緒でいらっしゃいましたよね?」
ドロテアが俺の背後に視線を送れば、後ろに立っていたジェレミー兄さんが貴族令嬢に対する正式な礼をした。
「国王陛下付き侍従のジェレミーでございます。以後、お見知りおきを」
「俺と同じ『家』出身の兄さんだ。特技は人間が動かなくなるまで殴る事」
「黒チビ後で城の裏な」
「な、仲がよろしいんですね……ひとまず、中にどうぞ」
俺と兄さんのじゃれあいに半笑いを返しながらも、予定の変更を察して裏門を開けたドロテアに続き、俺たちはルシェール子爵邸にお邪魔する。
既に灯りが消えている静かな屋敷の廊下を、ドロテアの持つカンテラを頼りに進んで行けば、二階の奥にある一室へと案内された。
「防音術式は展開しますが、隣ではアンリエット様がお休みなので、なるべくお静かにお願いします」
ドロテアがそう言ったのと同時に、部屋の扉が音もなく開く。
「おかえり、ドロテア。ロランもお疲れ様」
「お疲れさん。メリーベル」
扉の奥から現れたメリーベルは、小声で俺とドロテアに呼びかけた後、後ろにいるジェレミー兄さんに視線を向ける。
「俺と同じ『家』の兄さん。陛下付き。特技はお前と同じ」
「おい黒チビいい加減に……えっなんて?」
「まあ、そうでしたの。お寒い中お疲れ様です」
「あ、ああ……」
若干戸惑った顔で俺とメリーベルの顔を交互に見るジェレミー兄さんに、部屋の中からおっとりとした声がかかる。
「意外でしょ~ジェリー。メリーちゃんってこう見えて武闘派なのよ~」
黒檀の椅子に腰かけた茶髪の女性が、ゆっくり立ち上がってジェレミー兄さんに愛称で呼びかける。
面識はないが間違いなく、アンリエット嬢がドロテアの家で過ごすにあたって付けられた王妃殿下付き侍女の先輩だろう。
「あなたがメリーちゃんが言ってるロラン君ね~。はじめまして~、デボラよ~」
気の抜けそうな口調とは裏腹に、垂れ目がちの琥珀色の目が、油断なく俺を見定める。
俺は『雄鶏』の先輩相手に失礼にならないよう、丁寧な挨拶を返した。
「お初にお目にかかります、ロランです。今回の一件の調査を担当しております」
「ウフフ~そう固くならないで~。メリーちゃんからは頼りになるって聞いてるから~」
「姉さん、
デボラさんを姉さん、と呼んだメリーベルに目を向ければ、彼女が珍しく嘆息した。
「同じ『家』の育ちなの」
「お休みの日は~よく一緒にお茶に行くのよ~」
「なるほど……いい姉さんだな」
「おい何で俺見て言った黒チビィ」
「一先ず皆さん、お座りになりませんか?」
ドロテアに促され、俺たち四人は壁沿いに並べられていた黒檀の椅子をめいめいに持ち寄り、同じく黒檀の小さなテーブルを囲む。
「すみません。本来は、お客様の使用人が控える部屋なので」
「構わねえよ、押しかけてるのはこっちだからな。それで、デボラさん。城からこちらに来るときに何か異常などはありましたか?」
俺がデボラさんに問い掛けると、デボラさんは独特の間延びした口調で答えた。
「そうね~移動中には特に何もなかったわ~」
ただね~、とデボラさんが続ける。
「お城から悪い虫が着いて来ちゃってて~。隠れるのが上手な上にアンリエット様の前だから、駆除できなかったのよ~」
「流石に敷地内にまでは入ってきてないけれど、一応交代で不寝番をしようって話をしていたの」
おそらくデボラさんが言っているのは、皇国皇太子のギルフリード殿下がアンリエット嬢を見張らせるために放った部下――マヌエラという女だろう。
「是非そうした方が良いですね。同じところから来た虫が、学園にも侵入していましたので」
俺は王城で侍従長が学園に侵入した女――レーネから読み取った記憶を、他の四人に説明した。
「――……なんですかそれ……あの男、最初からアンリエット様を脅して手に入れる気だったんですか」
「まあ~無神経で図々しい~。ここはあなたのお国じゃないって言うのにね~」
静かに怒りを示すドロテアに、おっとり笑顔のまま率直に罵るデボラさん。
やけに過激な反応をする二人を怪訝に思えば、隣からジェレミー兄さんが口を開く。
「伝話で言ったろ。ギルフリード殿下がアンリエット嬢を追っかけた時に一人付けたって」
「ああ、それがデボラさん」
そうなの~、とデボラさんが続ける。
「それであのド下手くそなナンパ現場に~ドロテアちゃんも一緒だったのよ~」
「ド下手くそなナンパ」
「えっと、皇国大使館への亡命教唆です」
ドロテアの説明と
公爵家の人間から婚約破棄を責められたアンリエット嬢を落ち着かせるためにガゼボで休憩していた所、ギルフリード殿下がやって来て大使館への亡命を提案した。
それをガゼボの外から聞いていたのがデボラさんであると。
要は自国の令嬢、それも次期王妃を目されるアンリエット嬢を国外に連れ出そうとした時点で
「しっかしなんだな。話聞く限りじゃ、皇太子様は婚約破棄が起こること前提で、公爵家から文書を盗む計画を立ててたみてえだな」
「……となると、アンリエット嬢のいじめを告発するデタラメ文書の出所も絞られてくるかしらね」
ジェレミー兄さんとメリーベルは、どうやら同じ推測に辿り着いたらしい。
「俺も、その線がかなり濃厚だと思いますよ」
――即ち婚約破棄騒動が、アンリエット嬢を手に入れたいギルフリード殿下の仕業であると。
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