第30話 新たに一羽


 ライヒェン皇国皇太子ギルフリード殿下が転生者かもしれない。


 その考えに至った俺――ロランは、堪らず顔を覆って天を仰いだ。


「ロランさん? どしたんスか?」


 質素な寝間着に身を包んだセルジュが、ベッドから心配そうにこちらを眺めている。


「あー、うん。大丈夫だ、大丈夫……」


 ――いや全然大丈夫じゃねえな。


 アンリエット嬢への亡命教唆、ファリエール公爵家の不正疑惑の示唆。そして学園寮のナルシスの部屋及びファリエール公爵家への侵入の指示。


 ギルフリード殿下が関与したアレコレだけでも頭が痛かったと言うのに、そこに転生者疑惑まで乗っかったために、思考の許容量を超えたのだ。


 要は、完全なキャパオーバー。こんな状態ではまともな考え事など出来はしない。

 こういう時は一旦、頭を休める必要がある。


 ――……仮眠、取るか。


「セルジュ、ちょっと寝るから三十分経ったら起こしてくれ」

「あ、はいッス」


 俺は上着とベストを脱いでセルジュに放り、空いている隣のベッドに向かう。首元のタイを外してベッド横の小さな抽斗付きの机に置き、そのままシーツに潜り込む。

 糊のきいた清潔な布地の心地よさに身を委ね、俺は目を閉じた。



 ◆



「小さいのに、頑張り屋の手だねえ」


 雪の中、スラムのあばら家の床に俺を後ろから抱き込むようにして座る男の分厚い掌が、黒ずみ骨ばった俺の手を包む。


「あんたのは、あったかい手だなあ……」


 久しぶり、いや、この世界に生まれてから初めて感じる、背中と指先から染み込む人の温もりに微睡みながら呟けば、男は自嘲気味に答える。


「ううん。汚い手だよ」


 でも、と男は俺の手を柔らかく握り込んだ。


「こんな手でも、最期は誰かを助けるために使いたかったんだ」


 男はそう言って片方の掌で俺の目元を覆う。視界の端で、雄鶏の彫られた銀色のカフスボタンが揺れる。


「おやすみ、坊や。君の未来に、美しい夜明けが訪れますように」



 ◆



「……ろ。おい、……きろ」


 ユサユサ、と誰かに身体を揺さぶられる感覚と共に、俺の意識が浮上する。

 部屋の眩しさに何度か瞬きを繰り返して、まぶたを擦って目を開いた。


「……お~はよう~黒チビちゃ~ん。良い夢見れたか?」

「お゛っっっえ」


 寝起きの視界一杯に広がる胡散臭えおっさんの髭面に思いっ切り顔を顰めてえずけば、眼前の髭に顔面を鷲掴みにされた。


「あだだだだだだ!」

「おうゴラ優しく起こしてやった先輩のツラ見て吐くたぁいい度胸じゃねえか黒チビよお」

「寝起きに髭のオッサン見て喜ぶ趣味は持ち合わせてねえ、です、よ!」


 力いっぱい俺の顔に食い込む先輩の手を強引に引っぺがし、身体を起こして睨み付ける。


「何しに来たんですか、ジェレミー兄さん」


 胡散臭え髭の先輩――ジェレミー兄さん、もとい国王陛下付き侍従ジェレミーは、フンと鼻を鳴らして、セルジュに預けていた上着とベストを俺に放る。


「さっきの伝話の件だ。場所変えるぞ」


 ジェレミー兄さんはそれだけ言って踵を返すと、早足で扉を開けて出て行った。


「ったく、相変わらずだなあの人」

「……ロランさんってジェレミーさんと顔見知りなんスか?」


 溜息を吐きながらベストと上着を羽織った俺に、セルジュが恐る恐る問いかける。


「ああ、同じ『家』で育ったんだ。昔から何かと俺に絡んでくるんだよ」


 スラムで当時まだ侍従長ではなかったジェルマンに拾われた後、俺は『雄鶏』の養成機関である『雄鶏の家』に預けられ、様々な訓練に明け暮れた。


 『家』では俺以外の人間も多く訓練を受けていた中で、俺を『黒チビ』と呼んで何かと突っかかって来たのがジェレミー兄さんだ。


「騒がせて悪かったな、セルジュ。今日はゆっくり休んでろ」

「ウッス! 必要な時は、遠慮なく呼んで……あ、そうだ!」


 セルジュが何かを思い出したように声を上げた。


「学園寮で殿下の部屋に出入りできる人間の背後関係とか調べたいんッスけど、手ぇ空いたら手伝って欲しいッス!」

「わかった。出入りしてた人間の一覧まとめておいてくれ」

「はいッス!」


 俺はセルジュに見送られて病室を後にし、ジェレミー兄さんの後を追った。



 ◆



「遅えぞ黒チビ。モタモタすんじゃねえっての」


 病室から少し離れた廊下で待っていたジェレミー兄さんが、盛大な舌打ちで俺を出迎える。


「はいはいスンマセン。それで、伝話の件でしたっけ? ですか?」


 ――アンリエット嬢の件か、それとも。


 ジェレミー兄さんは素早く周囲に視線を走らせて、誰もいない事を確認した。


「大使館の件だ。侍従長から聞いたが……お前が行くんだろ?」


 ライヒェン皇国皇太子ギルフリード殿下が、公爵家の不正に関する証拠を所有しているのは、学園寮に侵入した女から侍従長が記憶を読み取ったことで、既に確認が取れている。


 ギルフリード殿下がこの存在を仄めかしてアンリエット嬢に亡命を唆した事を考えれば、早急な回収が求められるのは当然だ。


「ええ。とは言えすぐには……」


 難しいです、と続けようとしたのを遮って、兄さんは俺の肩を掴み耳元で一段と低い声で囁いた。


「もし目的の文書を見つけても、絶対に中を見るな」


 いつになく真剣にそう言われ、一瞬返す言葉に詰まる。


『聞いてしまえば、後戻りはできないよ』


 公爵家の不正を知っているかと、隠し通路で侍従長に尋ねた時の忠告が蘇る。

 ジェレミー兄さんも、同じことを言いたいのだろう……が。


「……中身見ないでどうやって確認しろってんですか」


 溜息を吐きながらそう言えば、ジェレミー兄さんの顔に青筋が浮かんだ。


「あのな、そういうこと言ってんじゃ……」

「わかってますよ。。その程度の分別くらいありますっての」


 俺は被せるように返事をしながら、どこか不服そうなジェレミー兄さんを引っぺがす。


「……ホントお前は、昔っからよお……」

「なんですか」

「可愛げがねえ。『家』に来たばっかの、学も何もねえような頃から、何もかも分かったような口利きやがる」


 ――まあ、二度目の人生なもんでね。


「スンマセンねえ、可愛がり甲斐のない後輩で」

「まったくだ。で、この後はどうすんだ?」


「ルシェール子爵家に行って、ドロテアと合流ですかね」

「よし、んじゃ行くか」

「えっ? 兄さん一緒なんです?」


「そりゃそうだろ。これは使用人お前らだけで判断していい案件じゃねえんだからな」


 確かに、公爵家の不正疑惑の証拠なんてものを、王城の使用人如きがどうこうしていいものではない。

 事情を知る限られた人間――それこそ、ジェレミー兄さんのような国王陛下付きの侍従などが裁可を下さねばならない案件には違いなかった。


「陛下と侍従長には許可取った。さっさと行くぞ、黒チビ」

「いい加減、ロランって呼んでくださいよ」


 こうして俺は半ば強引にジェレミー兄さんと共にルシェール子爵家に向かう事になった。



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