第28話 その裏を知るのは


「さてロラン。これからどうする?」


 伝話機による通信を終えた侍従長ジェルマンに尋ねられ、俺――ロランは即答した。


「今すぐの単独侵入はさすがに無理ですよ」


 ライヒェン皇国皇太子のギルフリード殿下が、アンリエット嬢に仄めかしたファリエール公爵家の不正。その証拠の有無を確認するためには、皇国の大使館に侵入しなければならない。


 だが外交拠点である大使館は、本国の要人を迎え入れたり、逆に大使館を受け入れた国の要人を招くためにも使われる。

 更には機密書類も多く扱っているため、厳重な警備が敷かれているのは言うに及ばない。


 特に魔道大国と呼ばれるライヒェン皇国大使館の警備は、他国に卸しているような型落ちじゃない、最新式の警備魔道具が配備されているのは間違いないだろう。


 魔力登録をしていない人間を感知する魔道具、攻撃系術式に自動迎撃する魔道具、通信や隠密系術式を封じる魔道具など……絶対に俺の『夜を纏う者ナイト・ウォーカー』だけでは対応できない状況になる。


 無策で突っ込んだ所で捕まるか死ぬだけ――なので。


「ドロテアの力が要ります。メリーベル」


「わかったわ。『いつでも出られるように』って伝えておくわね」

「頼む。王城を出る時に連絡する」


「了解。侍従長、現場の情報はどこまで開示いたしますか?」

「ロランの故郷のこと以外は、開示して構わないよ」

「かしこまりました」


 メリーベルは俺と侍従長に一礼すると、侍従長室の扉から部屋を出る。

 アンリエット嬢が公爵家を離れる条件として付けられた王妃殿下の侍女『雄鶏』の先輩や、ドロテア本人との情報共有もそつなく行ってくれるだろう。


 彼女の背中を見送って、俺は壁の隠し通路の扉を開けた。


「侍従長」

「ああ、行こうか」



 ◆



 学園寮のナルシス殿下の部屋に居た侵入者から情報を抜き取るため、俺と侍従長は隠し通路を通って医療班のいる棟へと向かっている。


 ――ただ、到着する前にこれだけは聞いておかなきゃな。


「侍従長」

「なにかな」


「ファリエール公爵家の不正ってなんですか?」


 俺が確信を込めて質問すれば、侍従長は足を止めることなく隣にいる俺を見る。


「おや、どうして私に訊くんだい?」


 咎めるのではなく、むしろ『答えを聞くのが楽しみ』だという好奇心の籠った声で聞き返され、俺は肩をすくめた。


「暗部の長が、この国の貴族の『後ろ暗い事情』を知らない訳がないでしょうに」


 政治というものは、綺麗事だけでは成り立たない。その裏側では決して表に出ない駆け引きがあり、時には法を犯す行いまでも許容される。


 そんな王侯貴族のクソみてえな駆け引きの中で手を汚すのが『雄鶏』の仕事なのだ。


 命を落とすことも珍しくない汚れ仕事において、一瞬の判断ミスが生死を分け、時に国の運命すら左右する。

 幾多の死線と権謀術数を何十年にもわたって潜り抜け続け、『雄鶏』の長になった男が、王国貴族の裏事情を把握していない筈がないのだ。


 俺の答えを聞いた侍従長は、口元に手を当てて笑いをかみ殺しながらも、歩みは止めない。


「そこまで信用されているとは、面映おもはゆいね」

「二十年以上も命を預けていますからね」

「二十五年、だよ」


 侍従長は足を止め、おもむろに片手を上げたかと思えば、俺の頭にそっと掌を乗せる。


「大きくなったね」

「……もう、子供じゃありませんよ」


 反応に困る俺を見て満足げな笑みを浮かべた侍従長が、俺の頭から手を下ろした。


「すまないね。皇太子殿下が、公爵家に関わる何らかの情報を持っていると確定したわけではないから、今の時点では答えられない」


 それに、と侍従長の声がいつになく真剣なものになる。


「聞いてしまえば、後戻りはできないよ」


 静かだが有無を言わせぬ語調に、俺は無言で頷き、再び侍従長と共に隠し通路を歩き始めた。



 ◆



「こちらになります」


 特に何事もなく『雄鶏』医療班のいる棟に到着した俺と侍従長は、同僚に案内された部屋に入る。


 床一面に描かれた治癒術式と、その真ん中に鎮座する簡素なベッド以外なにもない殺風景な部屋を、ランタンの灯りが薄ぼんやりと照らしている。


 ベッドには顔から足先までくまなく包帯で覆われた――身体つきからしておそらく女であろう――学園寮の侵入者が、太い黒革のベルトで拘束されていた。


「内臓がボロボロでしたが、咄嗟に防御術式を展開したのでしょうね。脳や心臓、大きな血管も無事だったので、どうにか治療できました」


 手元でカルテらしき紙束をめくりながら医療班の同僚が淡々と報告する。


 ――乙女ゲームの世界なのに、全く乙女に優しくねえなあ此処。


 そんな益体もない事を考えつつ、ふと思い出したので同僚に尋ねた。


「そういや、セルジュは?」


 学園寮の侵入者を確保するという、今日一番の大手柄を挙げたセルジュも怪我を負ったとメリーベルから聞いている。


「解毒と外傷の治療も済んで、今は魔力回復のために寝てますよ。帰りに顔見て行きますか?」


「寝てるんならいいや。ゆっくり休ませてやってくれ」

「わかりました。では、私はこれで」


 そう言って同僚は一礼し、病室を出た。俺と侍従長は、ベッドに括りつけられた侵入者の隣に立つ。


「さて。時間も惜しい事だし、手早く済ませようか」


 侍従長はの手袋を外し、片方を侵入者に、もう片方を俺の前に差し出した。


「うえ。苦手なんですがね、それ」

「つべこべ言わないの」


 俺は顔をしかめつつも、手袋を外した手を侍従長が差し出した手に乗せる。


 侍従長の固有術式『深淵を覗き返す者ナイトメア・ウォッチャー』は、素手で触れた相手の記憶を覗くと同時に、触れている相手に覗き込んだ記憶を共有することも可能だ。


 情報伝達の手間が省ける反面、共有された方も脳に負荷がかかり、共有が終わった後は二日酔いに似た症状が出てしまう。


 ただ、エミリー嬢の尋問が空振りに終わった分、少しでも早く新たな情報を集めて捜査を進展させねばならない状況であるのも確かだ。


「お手柔らかにお願いします」


 覚悟を決めて目をつぶった俺を確認した侍従長が、術式を発動させた。



「『深淵を覗き返す者ナイトメア・ウォッチャー』」



 その言葉と共に、瞼の裏が灰色に塗りつぶされる。フィルム写真が現像されるように、モノクロの映像が染み出し、一つの風景が浮かび上がった。


 執務室だろうか。カーテンを閉めた大窓を背に置かれた執務机に、一人の男が座っている。

 色素の薄い髪を後ろに撫でつけた隻眼の若い男。額から右目までを覆う黒い眼帯にはライヒェン皇国の国章に使われる大鷲の意匠が刺繍されていた。


 皇族にしか使用を許されない意匠を身に付けられるのは、現在のフランセス王国内に一人しかいない。


 ――皇国皇太子のギルフリード殿下か。


『では、計画の最終確認に移る』


 ギルフリード殿下は、俺――この記憶の持主である侵入者の女の隣に顔を向ける。


『ベンノ。公爵たちが王城へ出発したら、屋敷に忍び込んで例の書類を』

『かしこまりました』


 ベンノ、と呼ばれた男が隣で恭しく礼をする。続いてギルフリード殿下は俺の反対隣りに視線をやる。


『マヌエラはアンリエット嬢の見張りだ。何かあればすぐ私に連絡しろ』

『心得ましたわ』


 侍女服を着た女性もまた、深い一礼を返す。

 そしてようやく、正面に立つ侵入者の女に向き合った。


『レーネは婚約破棄が実行されたら、学園寮のナルシスの部屋に行け。糾弾に使えそうなものは全部集めろ』

『承知いたしました』


 レーネ、と呼ばれた侵入者の女も一礼したのだろう。床と爪先に画面が向き、すぐにまたギルフリード殿下の顔を正面から映し出す。


『失敗の許されない、難しい任務ではあるが……君たち『黒鷲』の力を、信じている』

『『『はっ』』』


 三人の了承の返事を最後に、モノクロ映像が瞼の裏からフェードアウトしていった。



 映像が完全に消え去ったことを確かめてから、恐る恐る瞼を開ければ、先程と変わらぬ病室の風景が目に入る。


「……うえっ」


 一拍遅れて軽い目眩と頭痛。堪らず侵入者の女――レーネが横たわるベッドのへりに手を付いた。


「……なるほど、皇太子殿下の差し金だったわけか」


 侍従長が、疲労の濃い顔で小さな溜息を吐く。

 今のと合わせて、地下牢に突撃してきたナルシス殿下の取り巻き令息三人とエミリー嬢の指輪を『視て』いるから、結構な負荷が蓄積されているのだろう。


「侍従長。一旦、休憩しませんか」

「そうだね。今後の方針のすり合わせも必要になる」


 そう言って侍従長が両の手袋を嵌め終えたと同時に、病室のドアをノックして医療班の同僚が入って来た。


「失礼します。セルジュさんがお目覚めになりましたが、会って行きますか?」

「あー……いいですか、侍従長」


 疲れている侍従長をセルジュの見舞いに付き合わせるのもどうかと思い許可を仰げば、侍従長は仕方ないと言わんばかりの笑みを返す。


「構わないよ。ついでに、今『視た』ことについて心当たりがないか聞いてきてくれるかい? 私は別室で休ませてもらうから」

「ありがとうございます」


 こうして侵入者の女からの情報を抜き終えた後、俺は侍従長と別れてセルジュの病室へと向かった。




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