いざ行かん皇国大使館
第26話 状況整理と新たな波乱
侍従長の執務室は、何とも言えない沈黙に包まれていた。もうすぐ二十二時になる柱時計の振り子の音だけが規則正しく響いている。
「……つまりロランには、こことは違う世界に生きていた記憶があり。その世界では声や絵をつけた物語を、専用の魔道具で観る遊びがあると」
「……その遊びの物語の中に、フランセス王国を舞台にしたエミリー嬢がナルシス殿下と取り巻きの令息たちとの恋物語があって、学園に入学した時から今日の婚約破棄に至るまで、彼女は物語通りに行動してきたって事なのね……」
執務机に座り両指を顔の前で組んでいる侍従長ジェルマンに、ソファに座って頬に手をやり悩まし気に溜息を吐くメリーベル。
「そういう事らしいですよー……」
俺――ロランはそんな二人を横目に、まるで他人事のように言い放ってソファの背もたれにグッタリと身体を預けていた。
大広間での婚約破棄に始まり、侍従長の執務室でセルジュとドロテアの二人と解散したのが確か十九時。
そこからココット男爵邸潜入とエミリー嬢の尋問、そしてとどめに、侍従長とメリーベルへ異世界転生と乙女ゲームの存在及び概念の説明。
ここまで約三時間ほぼノンストップ。特に後半二つの精神的負担が半端じゃない。
身体以上にメンタルがかなり堪えていた。
「なるほど。エミリー嬢が地下牢で錯乱していたのは、物語通りに行動したにも関わらず、物語とは違った結末になってしまい、その原因を『同じ世界から来た君のせい』だと考えたからだね」
「その通りですが……侍従長、受け入れるのが随分と早くないです?」
「うん。一度、君の記憶を視ているからね」
「えっいつです?」
驚く俺を見て、侍従長が懐かしむように目を細める。
「君を『雄鶏』に誘った日。気絶している間にね」
侍従長曰く。俺の記憶を固有術式『
全くの未知の風景の記憶を持つ俺をどうすべきか決めあぐねた結果が、『雄鶏』への勧誘だったと言う。
「あー、なるほど。監視下に置いとく意味での勧誘だったんですね」
「もちろん、君の実力も加味した上での判断だよ。あの時点で即戦力だったからね」
「ははは……」
――異世界知識フル活用して『雄鶏』の工作員五人くらい殺したからな……。
にっこりと笑う侍従長から、俺は半笑いでそっと目を逸らした。
「私は正直、まだ半信半疑だわ」
俺の対面に座るメリーベルが、言葉の通り疑念と呆れが半々の視線を寄こしてくる。
それもそうだ。こことは違う世界が存在する上に、その世界では自分たちの営みが物語として楽しまれているなんて言われてすんなり信じる人間はいないだろう。
「でも、ここで嘘を吐く理由もないのよね……」
もう一度溜息を吐いたメリーベルに俺は苦笑を返す。
「信じ切れねえならそれでいいさ。肝心なのはそこじゃねえからな」
そう言った俺の目配せに、侍従長が頷く。
「誰が、何のためにデタラメな証拠文書を書いたのか……この一点が、未だ分かっていないね」
ナルシス殿下による婚約破棄の理由は、アンリエット嬢がエミリー嬢をいじめていたから。
しかし婚約破棄に踏み切るきっかけとなった『証拠文書』に書かれたいじめの内容はデタラメであり、またエミリー嬢が実際に受けたいじめの内容と食い違っている。
エミリー嬢がナルシス殿下と婚約したいがための狂言の線が濃厚だったが、尋問の結果は空振りな上、調査が振り出しに戻ってしまった。
部屋の中が、先程とは違った沈黙に包まれた。調査のとっかかりがなくなった虚脱感が俺たちの間に漂う。
――こういう時は、視点を変えた方が良い。
「あの騒動で誰が得をしたのかって話だよな」
「そうね……しいて言うなら、ナルシス殿下に恥を掻かせたかった人間かしら」
「うーん……候補が多すぎて困るね……」
「多すぎて、ですか」
侍従長にしては珍しく、心底困り果てたような大きな溜息を吐いた。
「ナルシス殿下は『第一』王子と呼ばれてはいるが、それよりも前にお生まれになっている王子のお二人がいらっしゃるからね」
「ああ、側妃の王子のお二人」
第一王子の『第一』は、生まれた順を意味するのではなく、国王陛下が定めた正式な王位継承の順位を指す。
そのため第二王子は正妃の息子であり、ナルシス殿下の弟である七歳のシャルル殿下。
その後に、他国より国王陛下に嫁がれた側妃から生まれた王子が続く。
ライヒェン皇国より嫁いできた側妃の息子、第三王子オスヴィン殿下。
属国クローディアより嫁いできた側妃の息子、第四王子アルベール殿下。
この二人の王子は生まれた順こそナルシス殿下より先ではあるが、王位継承順位はナルシス殿下より低い。
しかしながら二人の王子は既に国政の実務に参加しており、オスヴィン殿下は王国騎士団の参謀将校、アルベール殿下は属国クローディアの総督府の総督補佐として、それぞれの得意分野でそれなりの実績を出している。
地位も実力もあるのに、王位は継げない――そんな二人の王子を担ぎ出してあわよくば利権を得ようとする連中の処理は、俺も『雄鶏』に来てから何度か経験していた。
「仮に今回の件が『ナルシス殿下に恥をかかせる目的』だとすると、お二人を指示する後援者の皆様が全員容疑者になるからね」
「特定がそもそも現実的じゃないわけですか」
「出来たとしても、実行犯を切り捨てて終わりになりそうね」
俺とメリーベルが揃って溜息を吐く。すると、不意に耳元の伝達術式が起動した。
『こちら医療班。侍従長、ロランさん、メリーベルさん、宜しいですか』
「私だ。どうかしたかね」
『学園寮への侵入者、治療完了しました』
その言葉に俺たち三人は全く同じタイミングで顔を合わせる。
情報収集のために、学園寮にあるナルシス殿下の部屋に向かわせたセルジュが鉢合わせて制圧した侵入者。そう言えばメリーベルから捕らえた報告を聞いただけで終わっていたと、俺は今更ながらに思い出す。
『死んでないとは言え内臓にかなりの損傷が入っていましたから、しばらく目は覚まさないでしょう。視るのであれば、こちらに来るときに一声おかけください』
「ご苦労様。すぐに向かうとしよう」
医療班とのやり取りを終えた侍従長が、俺たちに向けて頷く。
「ロラン、一緒に来るかい?」
「行きます。メリーベル、さっきの尋問の記録を作っといてくれるか?」
「わかったわ。いってらっしゃい」
そう言ってそれぞれが席を立った瞬間だった。
ジリリリリリリリ、ジリリリリリリリ
空気を読まない金属製のベルの音が、執務机の上からけたたましく響き始める。
「……おや、何の連絡だろうね」
出鼻をくじかれた侍従長が、ほんのり不機嫌そうに音の発生源に目をやった。
屋内通信用魔道具『伝話機』。
見た目はまんま明治の電話機で、お金持ちのお屋敷にありそうなアンティークなデザインだが、電話線を必要とせず術式を使用した無線式なところが、魔法を使うこの世界らしい。ちなみにこれもライヒェン皇国産だ。
――ひょっとしなくても、俺やエミリー嬢みたいな転生者が皇国に居たりしてな。
ない、と言い切れないのがまた怖い。
俺が一人で乾いた笑いを浮かべていると侍従長は立ったまま伝話機に手を伸ばして、上に乗っていた受話器を外して応答する。
「はい。こちら侍従長室のジェルマンです……ああ、どうしたんだい?」
うん、うんと受話器越しに相槌を打っていた侍従長の顔が、次第に渋いものに変わっていく。
「……そうだね、指示を出した本人に代わろう」
何事かとメリーベルと顔を見合わせていれば、侍従長が俺に向かって手招きをした。
――え? 何? マジで何事?
この状況に全く心当たりがない俺は困惑しつつも受話器を受け取る。
「代わりました。ロランです」
『テメエか黒チビぃ……!』
受話器の向こうに居る『先輩』から、凄まじくドスの利いた声が返ってくる。
俺のことを『黒チビ』と呼ぶ先輩は一人しかいないので、名乗らなくても誰だかわかった。
確かあの人、国王陛下付きの侍従だったはず。
――今回の件で、国王側に何か動きがあったのか?
『もう前置きとかすっ飛ばして聞くが、お前ドロテア嬢になんて指示した?』
「ドロテア?」
全く予想だにしなかった名前が出てきて面食らったが、仕事中である事を思い出し、聞かれたことにはすぐに答える。
「『友人としてアンリエット嬢に寄り添い、信用回復と情報収集に務めろ』ですね」
そう答えた瞬間、受話器越しにとんでもなく大きな溜息を吐かれた。
『あー……いや……うん、そうか……わかった。とりあえずこっちの状況だけ簡潔に伝える』
何やら自己完結した先輩が、疲れ切った声でこう言った。
『アンリエット嬢、公爵家を出てドロテア嬢と同棲するってよ』
――……はい???
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