第25話 あなたが居てくれたから


 ドロテアは、皇国皇太子ギルフリードの言葉に唖然とした。


 ――皇国大使館に来なければ、アンリエット様が法に殺される?


 まさか、あの大広間でナルシスがアンリエットとの婚約破棄の理由にした『エミリー・ココット男爵令嬢のいじめ』とやらの嫌疑で訴えられるとでも言うのか。


「……『私が法に殺される』とは、先の大広間での出来事でしょうか? 国王夫妻が、ナルシス殿下に無期限謹慎を言い渡した、あの件で?」


 肝心のアンリエットも、怪訝な顔でギルフリードを見つめる。


 アンリエットが知る事ではないが、なにせナルシスが持ち出した『証拠文書』の中身はまるでデタラメ、他の証拠もその気になれば偽造できるものばかり。


 極めつけはアンリエットの言う通り、ナルシスの愚行を知った国王夫妻が、国中の貴族の前で無期限の謹慎を言い渡したのだ。


 余程の事でもない限り、アンリエットに非がある事にはならないだろう。


「あれはに過ぎません」


 しかしギルフリードの悲痛な面持ちは変わらない。


「先程あなたが言った通りだ、ファリエール公爵令嬢。あなたが王妃になる事、引いてはファリエール公爵家の更なる繁栄を望まぬ者は少なくない。

 たとえあなたに何の非がなかったとしても、までもがそうとは限らない」


「……何が言いたいのです?」


 アンリエットが怪訝な声に、ギルフリードが答えた。


「あなたがよからぬ輩に前に、私はあなたを助けたいのです」


 暗に『ファリエール公爵家が法に触れる行いをしている』と告げたギルフリードにアンリエットの柳眉が釣り上がる。


「……ギルフリード皇太子殿下。あなたほどのお立場の方が、よもや何の根拠もなくそのような事を口になさるとは思えません。


 しかしながら、いかに皇族たるあなた様のお言葉だとしても、確たる証拠もなく信じることはできませんわ」


「証拠は大使館にある……とは言え、それで頷くお方ではないのでしょうね、あなたは」


 先程にも増して刺々しいアンリエットの口調にギルフリードは苦笑したあと、深く一礼した。


「不快な思いをさせて申し訳ございませんでした。落ち着いたら、公爵家の控え室にお戻りください。国王陛下ならびに王妃殿下、それとご家族がお待ちです」


 そうしてきびすを返しガゼボを去ろうとして、ふと何かを思い出したように立ち止まる。


「もし万が一、私の言葉が現実となってしまった時は……手段を選ぶつもりはありませんので、悪しからず」


 ギルフリードはそう言い残すと、今度こそガゼボから去って行った。


 ガゼボの外にいた気配もまた同時に消えたことを感知したドロテアは、アンリエットに声を掛ける。


「アンリエット様……大丈夫ですか?」

「ええ……あっ」

「っ!」


 何の前触れもなくふらついたアンリエットの身体を、ドロテアは慌てて受け止めた。


「どうされました!? お加減が……!?」

「いえ、違うわ……ちょっと、気が抜けちゃって……」


 その言葉にドロテアは、力なく笑うアンリエットの肩が小刻みに震えていることに気付く。


「アンリエット様……」


 ドロテアは、自分にもたれ掛かったアンリエットの背にそっと手を回して抱き留めた。


 魔道具の輸入をほぼ依存していると言っていい大国の皇太子から亡命の誘いに、『法に殺される』という脅迫まがいの宣言を跳ね除けるのに、どれほどの勇気が必要だったろうか。


 さらには公爵家が何らかの不正を働いていると仄めかされて尚、惑わされることなく毅然とした態度を取り続けることに、どれほどの恐怖があっただろうか。


 ――私は、また何もできなかったな……


 身分も立場も関係なく寄り添いたいと言っておきながら、結局、身分や立場に縛られて何一つ会話に加わることが出来なかった。


 力になりたいと頭で思っていても、アンリエットに一人で立ち向かわせた事実が、ドロテアの心に重くのしかかる。


 ――無力、だなあ……


「ドロテア」


 不意に、ドロテアの腕の中に居たアンリエットが声を上げた。


「ありがとうね、ドロテア」


 予期せぬ言葉に息を呑んだドロテアに、アンリエットは穏やかな声で続ける。


「……私、さっきあなたに会うまで、もう何もかもどうでもいいって思っていたの」


 アンリエットの告白を聞いたドロテアの胸が詰まった。


「十年も一緒に居た婚約者に婚約破棄されて、お父様からもお母様からもお兄様からも、みんなみんな私が悪いみたいに言われて。


 私はずっと頑張って来たのに、周りは好き勝手ばっかり。


 じゃあ、もう好きにすればいい。どうせ私が何を言っても無駄なんだから、私の事なんてどうとでもすればいいって、思ってたの」


『周りの誰も信じられないと疑心暗鬼に陥っていてもおかしくない』


 アンリエットの話を聞いたドロテアの脳裏に、ロランの言葉がよぎる。

 もし、そんな破れかぶれの状態でギルフリードに亡命の誘いを掛けられていたら……そう考えたドロテアの背筋が冷えた。


「……でも、あなたが居てくれたから。あなたが、『身分も立場も関係なしに傍に居たい』って言ってくれたから」


 アンリエットの指先が、ドロテアのドレスの袖を所在なさげに掴む。


「だから私……もう少し頑張ろうって思えたの。

 公爵令嬢とか、次期王妃とか関係なく。私が、私でいるために頑張ろうって。


 みっともなく泣いていた私を、『それでもいい』って言ってくれたから……私は、誇りを捨てずに済んだの」


「アンリエット、様……」


 何も言えなくなったドロテアの腕に、たまらず力が入る。引き寄せられたアンリエットもまた、ゆっくりとドロテアの背に腕を回す。


 蛍火のような光が漂うガゼボの中で、二人の影はしばし重なった。


 どのくらいの時間が経っただろうか。やがてどちらともなく身体を離し、互いの目を見つめる。


「そろそろ、行きましょうか。アンリエット様」

「そうね……その前に、ドロテア。一つお願いがあるの」

「はい、何なりと」


 告げられた彼女の『お願い』にドロテアは驚いたが、やがて頷いた。

 そうして互いに手を取って、ドロテアとアンリエットは共に王城へと向かう。


 曇り一つない冬の空には、満天の星空が輝いていた。




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