第24話 王妃に相応しい人


「私と共に、皇国大使館へといらっしゃいませんか」


 ――皇国大使館ですって!?


 ライヒェン皇国の皇太子・ギルフリードからアンリエットへの申し出に、ドロテアは叫びたい衝動を辛うじて呑み込んだ。


 フランセス王国には、国交を結んだ各国の大使館を受け入れており、当然ライヒェン皇国もその中に含まれている。


 大使館は外交特権を持ち、その土地は本国の領地として扱われる。敷地内は不可侵で、受入国の官憲は全権大使の同意なく立ち入る事は許されない。

 侵入は不法入国と同義であり、敷地内はフランセス王国の法も権力も届かない治外法権。


 たしかに皇国大使館に行けば、いかに公爵家であれ立ち入ることはできないだろう。しかし、使となれば、決して看過できなくなってくる。


 ――これは実質、の誘いだ……!


 高位貴族の令嬢が単身で自国を離れ、他国の領地である大使館に保護される。如何いかなる経緯であれ、周りから見れば亡命以外の何物でもない。


 加えて、第一王子ナルシスが婚約者のアンリエットを騎士に捕らえさせた現場を、招待された貴族全員が見ている。


 『アンリエットがナルシス王家の人間から身を守るために亡命を選んだ』と邪推されてもおかしくない状況で、王国が大使館に渡ったアンリエット様の身柄引き渡しを要求しても簡単に跳ね除けられるだろう。


 ここでアンリエットが誘いに乗ってしまえば、王国に戻れる可能性は限りなく低い……


 そこまで考えて、ドロテアはある事に思い至る。


 ――……


 侍従長のジェルマンからは、暴走したナルシスを国王夫妻が止めに入った時に求婚したと聞いた。

 意中の女性が婚約破棄される場に居合わせるなどあり得るだろうか?


 そして今、『落ち着ける場所を提供する』という名目でアンリエットに近づき、王国が手を出せない大使館に匿おうとしている。


 どれもこれも、アンリエットに思いを寄せているギルフリードにとって都合が良すぎる展開だ。


 ――もしギルフリードが裏でエミリーをそそのかし、アンリエット様に冤罪を被せる偽の『証拠文書』などを用意していたとしたら?


 婚約破棄の裏で糸を引いていたのがギルフリードであったなら、辻褄が合うように思えた。


 最初から大広間で騒ぎが起こることを知っていたならば、ナルシスが婚約破棄を宣言し終える頃合いを見計らって大広間に向かうことも不可能ではない。


 そうしてアンリエットが心ない仕打ちに弱っている所に付け込んで、想いを遂げるつもりでいたのだとしたら?


 ――この男が、アンリエット様を手に入れるために全部仕組んでた……!?


 脳裏にそうよぎった瞬間、ドロテアは立場も忘れてギルフリードを睨みつけた。

 もしこの仮説が当たっているならば、アンリエットの大使館行きは何としても阻止しなければならない。

 大使館は治外法権。一度入ってしまえば、王国の人間は誰も――『雄鶏』であっても手出しが出来なくなる。


 ――どんな手段を使っても、止める……!


 決死の覚悟を決めたドロテアを尻目に、ギルフリードは自信に満ちた面持ちでアンリエットの回答を待つ。


「ギルフリード殿下……」


 ややあって、アンリエットは気を落ち着けるように小さく息を吐くと……



「一体どこまで私を虚仮こけになされば気がお済みになるのですか?」



 その瞬間、ガゼボの時が止まった。

 蛍火に似た光球だけがフワフワと漂っている。


 アンリエットは顔を上げ、呆然としているギルフリードを真っ直ぐに見据えた。


「私が安易な甘言になびく女だと思われているのは、心外と言うよりほかありません。

 他人の言葉や場の雰囲気に容易く流されてしまうような人間が、どうして次期王妃という立場にいられましょう?

 私をあなどるのも大概にしていただきたいものです」


 毅然きぜんとした態度で言い放ったアンリエットに、ギルフリードが慌てて言い募る。


「ま、待ってくれ、ファリエール公爵令嬢。あなたを侮辱する気はないのだ。私はただ、あなたを純粋にお慕いし、力になりたいと思っているだけだ。そうでなければ、あの大広間で近衛騎士たちを止めなどしない!」


 アンリエットは冷たい目でギルフリードを一瞥いちべつして答えた。


「確かに、大広間では殿下のお口添えあってこそ早々に解放されたことは認めます。ですが、その後のお言葉は耳を疑いましてよ?


 『ナルシス殿下が不要と言うなら私が貰おう』? 『幼少の頃からずっと好きだったから結婚してほしい』?


 まさか『他国の王族に嫁ぐ予定の女性をよこしまな目で見ていた』などと公の場で宣言なさるなんて……とても皇族の振る舞いとは思えませんでした。


 これでは、他家の令嬢との不貞を堂々と暴露したと、何が違うのでしょうか?」


 アンリエットからの『ナルシスバカ王子と同類』という辛辣な評価に、ギルフリードはハクハクと口を開閉する事しかできない。


 そんな彼にお構いなしに、アンリエットは更に言葉を重ねる。


「ギルフリード殿下。ご自分のお立場をお忘れの様ですが、あなた様はライヒェン皇国の皇太子……次期皇帝でいらっしゃいます。その婚姻は皇国において重要な意味を持つのです。


 王妃あるいは皇妃となる者は、王や皇帝と同じ国の代表。

 内政・外交のあらゆる場面で、あらゆる方法を使って伴侶を支え、国母として臣下臣民に豊かな暮らしと平穏を与えるのが務めでありましょう。


 それゆえに王族の婚姻は本人たちの意思以上に、王家と相手方の利害関係、そして婚姻が将来もたらす利益を慎重に見極めて行われるのです。それを……」


「皇妃としての能力なら、あなたは申し分なくお持ちではありませんか!」


 アンリエットの言葉に割り込んで、ギルフリードが早口でまくしたてた。


「王妃教育を受けたあなたであれば、ライヒェン皇国の皇妃の務めとてつつがなく全うできるでしょう!


 あなたを公の場で辱めに晒した男に、貴族たちに、国に! 身を粉にして尽くす必要がどこにあるのです!


 皇国でならば如何なるしがらみもなく、あなたのお力を十全に振るえる環境をお作りします! だから……」


 いっそ嘆願にも似た口調で切々と訴えるギルフリードの言葉を、アンリエットは大きな溜息で遮る。


「国の将来を左右すると言って差し支えない立場の人間を、『好みの女だから』という理由で決める事がどれほど愚かしいか――あの大広間に居てお分かりにならなかったのですか?」


「ぐぅ……っ!」


 ギルフリードは大広間で『アンリエットを慕っているから結婚したい』と宣言した。

 それは直前に『エミリーを愛しているから王妃にする』と宣言したナルシスと根本的に変わらない。

 そう指摘されたギルフリードが顔を歪めてのけぞった。


 さらにアンリエットは、追撃と言わんばかりに言葉を重ねる。


「しかもギルフリード殿下は、私をで祖国を裏切る人間であると仰せになるのかしら?」


 ギルフリードの、信じられないようなものを見る目を気にも留めず、アンリエットは続ける。


まつりごとに携わるならば、政敵との対立は避けて通れません。私が王妃になることを快く思わない者も少なからずいるでしょう。


 ですが、


 権威を求めて権謀術策を巡らせ、隙あらば邪魔な人間を排除する……王侯貴族として生きるならば、ではありませんか。


 今回、私が大きな痛手を負わされたのは確かです。しかし、これしきで祖国を捨てて逃げるようでは、どこの国でも王妃など務まるはずがないでしょう」


 そしてアンリエットは、一切の容赦なく止めの一言を言い放った。


「ギルフリード殿下のお申し出は有り難く存じますが、無用の気遣いでございます。皇国の皇妃は、皇国でお探しなさいませ」


 ガゼボの中が、静寂に包まれる。

 ドロテアも、ギルフリードも何も言えなかった。二人とも威厳に満ちたアンリエットの言葉と態度に圧倒されていたのだ。


 ややあって、沈黙を破ったのはギルフリードだった。


「……………………それでも、あなたには大使館に来ていただかなければならない……」


 これ程までに手酷く断られて尚、ギルフリードは絞り出すようにそう告げる。


 その言葉にアンリエットの眉が釣り上がり、身分差ゆえに黙っていたドロテアも、流石に口を挟むべきかと思ったが。


 直後、ギルフリードが悲愴な面持ちで告げた言葉に二人とも絶句した。



「……でなければ……あなたは、この国の法に殺される……!」





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