第23話 魔道大国の皇太子


「ギルフリード皇太子殿下……」


 結界を破ってガゼボに現れたのがライヒェン皇国の皇太子だと知り、ドロテアの後ろに控えていたアンリエットが前に出て、慌てて貴人への礼をした。


 ライヒェン皇国はフランセス王国と隣接する大国であり、魔道具研究が盛んな事から別名『魔道大国』とも呼ばれている。

 王城で使われている照明の魔道具に代表される各種魔道具、及び魔道具の動力源となる魔石の輸出によって栄えており、王国で使われている魔道具は殆どが皇国からの輸入品だ。


 もし皇太子への不敬を切欠にライヒェン皇国との国交に亀裂が入るようなことがあれば、最新の魔道具と魔石の輸入が途絶えることは想像に難くない。


 アンリエットが頭を下げる姿を見たドロテアもその事実に思い至り、彼女に倣って後ろに下がり貴人への礼をする。


「ああ、礼は結構。楽にしてくれて構いません」

「寛大なるお言葉、痛み入ります」


 ギルフリードの言葉に、普段の凛とした公爵令嬢の姿に戻ったアンリエットがそう答えて頭を上げ、後ろのドロテアもそれに追従した。


「先の騒動についての会談の場いらっしゃらなかったので、探しに参りました」

「左様でございましたか。皇太子殿下のお手を煩わせたことを、深くお詫びいたします」

「これしきのこと、手間でも何でもありませんよ」


 そう言ってギルフリードは、皇族らしい風格のある笑みを浮かべたが、アンリエットは無表情のまま。


 そんな二人を横目に、ドロテアはガゼボ周辺の気配を探っていた。


 ――流石に、大国の皇太子が一人で来てるわけないわよね……


 ガゼボの外側、入り口とアンリエットの後ろにある壁の向こう一人ずつ。平静を装いつつ、至近距離に近づかれて気付けなかったことに内心で舌打ちする。


 ただの護衛の騎士に此処まで気配は殺せない。

 おそらくは、ライヒェン皇国の暗部。それも相当な手練れ。


 ――こんなの引き連れて、何の目的でアンリエット様に近づいてきたの?


 ギルフリードとガゼボ周辺への警戒度を引き上げつつも、この場でのドロテアはただの子爵令嬢。何をできる訳でもないため、気付いていないフリをした。


「ところで、この魔法はそちらのご令嬢が?」


 不意にギルフリードが、無数に浮かんでいる光の玉の一つを指先で弄びながらドロテアに声を掛ける。


「ルシェール子爵家のドロテアと申します。先程は皇太子殿下と知らず、大変無礼な真似をしてしまったことをお詫び申し上げます」

「なに、気にしてはいない。強引に結界を破ってしまったからな。警戒されても致し方ないさ」


 ドロテアの謝罪を、ギルフリードは下位貴族への尊大な口調で軽く受け入れる。

 たかが子爵令嬢が他国の皇太子に攻撃姿勢を取るなど、その場で切り捨てられてもおかしくない事だと言うのに、ギルフリードは一切気にした様子はなく、むしろドロテアの魔法に興味津々だった。


「ふむ、二属性の複合か。灯りだけでなく熱源にもなるとは。魔道具でなく人の力でこれが出来るとは大したものだ」

「恐れ入ります」

「しかも同時に結界まで張っていたのだろう?」


 一見すると何もないガゼボの柱の間を、ギルフリードは片方の目で楽し気に見回す。

 ギルフリードが破ったのは入り口に張った一枚のみ。それ以外の柱の間に張った結界は未だ健在だ。


「さっき破った時に分かったのだが、二重ではなく、一枚の結界の外側と内側とにそれぞれ術式を付与しているのだな! それに、この光球の制御にも術式を使っているのだろう? 複数の術式の並列起動と同時処理など、うちの宮廷魔道士でも何人ができるやら……」


 滔々とうとうと魔法を褒めるギルフリードに、ドロテアは内心で少なからず驚いていた。


 ――破った時に、ですって?


 結界を破られたこと自体に、ドロテアは驚いていない。攻撃系の術式を使わずとも、結界を作ったとき以上の魔力を流し込めば、結界の強度が余剰な魔力に耐え切れず砕け散る。

 元々目隠しのために張った結界なので強度がそれほどあるわけでもなく、魔力操作ができる人間ならば誰でも破壊できた――やる人間がいるかどうかは別として、だが。


 しかし『術式が分かった』となると話が違う。習得用の巻物スクロールに加工されるか、魔道具などに刻まれているのでない限り、ただ見たり触れたりしただけで術式がわかるなんてはない。


 方法を挙げるとすれば、『雄鶏』の長である侍従長ジェルマンの『深淵を覗き返す者ナイトメア・ウォッチャー』のような感応系の固有術式を持つか、あるいは。


 ――私の固有術式と同系統の術式。


 ギルフリードは魔道大国ライヒェンの皇太子だ。魔道具作成に関する何らかの術式を持っていてもおかしくはない。


「……ん? ああ、すまぬ。こう、自分では思いもよらぬ魔術の運用を見るとつい楽しくなってしまってな」


 一人でしゃべり続けていたことに気が付いたギルフリードが、パッと光の玉から手を離しドロテアに向き直る。


「差し出がましいことを言えば、外側は遮光術式よりも認識阻害の術式の方がいいのではないか? ここだけ暗過ぎて、却って不自然だったからな」


 ドロテアはその笑みと物言いに、どことなくわざとらしさを覚えた。慎重に言葉を選びながら、ギルフリードの意見に答える。


「魔道大国と名高きライヒェンの皇太子殿下に教えを賜り恐悦至極です。ただ、認識阻害の術式は軍用術式でございますので、一学生の身で知る事は叶いません」


「……そうだったか。だが、あなたほどの才媛であればきっと容易に扱えるだろうな」


 そう言ったギルフリードの片目に、ドロテアは探るような気配を感じ取る。


 ――カマをかけている? 何の意図で?


 今の発言で引っかかる所があるとすれば、ドロテアが答えた認識阻害の術式についてだろう。

 だがこのカマかけに何の意味があるのかまでは、今のドロテアには分からない。


「……身に余る御言葉、光栄にございます」


 『意図が分からないまま深入りするのは危険』と判断したドロテアは、無難な言葉と共に頭を下げる。


「ふむ……これからも励むと良い」


 そうは言うものの、ギルフリードの声には却ってより濃い疑念が浮かんでいるようだった。


「さて、本題に入りましょう。ファリエール公爵令嬢」


 ドロテアから視線を外し、居住まいを正したギルフリードがアンリエットに向き直る。


「先程ご家族から伺いましたが、ナルシス殿下との婚約破棄にあたって、随分と激しい口論をされてきたそうですね」


 ――コイツ……!!


 つけられて間もないアンリエットの心の傷を抉る物言いに、ドロテアの肌が怒りで粟立った。


「……お恥ずかしい話でございます」


 アンリエットは淑女然とした態度を保ちつつも、その声に公爵令嬢としての覇気はない。

 ギルフリードはその様子に構う素振りもなく続ける。


「大広間で申し上げましたように、私は貴女をお慕いしております。ですが、貴女のご意思を踏みにじるような真似をしてまで想いを遂げようとは考えておりません」


 今まさにアンリエットの心に無遠慮に踏み入っている人間の言葉が、ドロテアの神経がいっそう逆撫でする。

 当のアンリエットもまた、目を伏せたままギルフリードの顔を見ようともしていない。


「しかるに、貴女には将来のことを落ち着いて考えられる場所が必要だ。さりとて今のファリエール公爵家に安息の場所はありますまい」


 失礼極まる言い草であるものの、その点だけはドロテアも同意できた。

 無体な扱いを受けた家族を責めるような人間たちの下で、アンリエットが安心できるはずもないだろう。


「そこで僭越ながら、私から腰を落ち着ける場所をご提案したく馳せ参じた次第でございます」


 その言葉にアンリエットとドロテアは互いの顔を見合わせた後、無言のままギルフリードに続きを促す。


 ギルフリードは、丁寧な仕草で頭を下げてこう告げた。


「私と共に、皇国大使館へといらっしゃいませんか」



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