第22話 傷ついた事はなかったことに出来ない


「ごめんなさい、ドロテア。いきなり取り乱してしまって……」

「気にしないで下さい、アンリエット様」


 ドロテアはアンリエットと共に、王城の庭園にあるガゼボに並んで座っていた。バルコニーの下で号泣していたアンリエットも、普段の落ち着きを取り戻している。


「それにしても……ドロテアの魔法はすごいわね」


 アンリエットの視線の先では、蛍火のように淡く輝く無数の光球が宙に浮かんでいる。

 ほのかに青く光るそれらは周囲を照らすだけでなく、自らが発する熱によってガゼボの中を暖かな空間へと変えていた。


「暖かいだけじゃなくて、とても綺麗」

「そう言っていただけると嬉しいです」


 火と光。二つの属性を使った、二属性複合魔法の光球を作り出したのはドロテアだ。


 ドロテアは最初、身体の冷えたアンリエットが風邪をひかないよう城へ連れて行こうとしたが、アンリエット自身が『城に戻りたくない』と主張したため、一旦腰を落ち着ける場所としてガゼボに案内した。


 しかし柱と屋根のみで造られたガゼボでは暖をとれない。そのためドロテアはアンリエットの身体を暖められるよう光球を生み出し、さらにガゼボの柱の間を魔力の壁――俗に言う結界で覆っている。


 ガゼボから洩れる光を見つけた野次馬が寄ってこないよう、結界の外側には遮光術式を付与し、内側には断熱術式を用いて暖気を逃がさないようにしてあった。


「本当に、綺麗ね……」


 そう呟きながらドロテアの作った幻想的な光景を眺めるアンリエットの顔は、穏やかであると同時に、少し触れただけで壊れてしまいそうなほど儚げだ。


 ドロテアはその危うい横顔を、何も言わずに見つめている。


「……さっきね、お父様に言われたの」


 数分か、あるいは数十秒にも満たないような緩やかな沈黙を経て、アンリエットがおもむろに口を開いた。


「『お前みたいに可愛げない態度の娘に、殿下の婚約者なんて最初から無理だったんだ』って」

「……は?」


 アンリエットの父・ファリエール公爵のあまりの物言いに、ドロテアは一瞬呆気に取られる。


「お母様は、『女の身で諫言ばかりしていたら、殿方が気を悪くするのは当然でしょう』って」


 ――……はぁ?

 ――公の場でナルシスバカ王子に一方的に罵られた娘に、血の繋がった家族がかける言葉が、それ?


 怒りのあまり声が出なくなったドロテアを余所にアンリエットは続けた。


「お兄様なんて、『愛想よくして隣に突っ立ってるだけのことが何で出来ないんだ』ですって」


 アンリエットは自嘲気味にそう言うと、ベンチから立ち上がりドロテアに背を向け……



「馬っっっっっ鹿じゃないの!!!」



 と、公爵令嬢らしからぬ口調で吐き捨てた。


「『筆頭公爵家の人間として常に気品と誇りを忘れずに生きろ』と教えたその口で『可愛げもって余計な口を挟まず愛想笑いして立っていろ』? 冗談ではないわ! 王妃の座を人形置き場か何かとでも思っているの!?」


 淑女の見本たるべく振る舞っていたアンリエットの激昂に、ドロテアは先程とは違った意味で言葉を失う。


「王妃は、いえ、王妃でなくとも! 貴族の家に生まれ他家に嫁ぐことが軽んじられていいわけがないじゃない! もしそうなら、私が今まで頑張って来たのはなんだったの!?


 婚約者として足を掬われないように、王妃に相応しい人間になれるよう努力してきた、殿下と婚約してからの…………十年は……!!」


 絞り出すように悲痛な声を上げたアンリエットは両手で顔を覆い再び肩を震わせる。


「アンリエット様……」


 ドロテアはアンリエットの隣に立ち、彼女の丸めた背をゆっくりと撫でた。


「……っ……ごめんなさい、ドロテア。こんな、みっともない所を……」

「いいえ、みっともなくなんてないです」

「でも……」


 『人前で涙を流す』という、淑女らしからぬ行いを恥じるアンリエットに、ドロテアは穏やかにほほ笑む。


「泣いていいんです」


 ドロテアの頭によぎったのは、『雄鶏』の先輩であるロランが自分にかけた言葉だ。


『俺らは感情制御の訓練を受けてて、任務中にムカつく事があっても我慢できるが、ムカついたって言う事実は変わらない』


 不平や不満、悲しみや怒り。感情を我慢しなければならない場面には、生きていれば必ず出会う。

 その時に自分がすべきことを冷静に判断できれば、先々で自分や他人を守ることに繋がるだろう。事実、大広間でドロテアが何もしなかったことも、結果的には正しい判断だった。


 けれどその選択を受け入れられているかと言われれば、否だ。


 それが正解だと頭で理解していても、胸中にはアンリエットを傷つけたナルシスとエミリーへの、呑み込み切れない怒りがある。

 『雄鶏』であることを理由に、何も出来なかった自分への不甲斐なさと歯痒さ、そして嫌悪がある。


 傷ついたという事実は、どんなに取り繕っても『なかったこと』にならない。

 取り繕う苦しみを、ドロテアは身をもって理解していた。


 それは公爵令嬢として、そして次期王妃候補としてアンリエットが己を殺し続けることにも通じる。


「確かに、感情を露わにすることは貴族の女性らしからぬ振る舞いかもしれません。でも――」


 ――たかが子爵令嬢、それも暗部の人間が想うのも烏滸おこがましいかもしれないけれど。


「……私の前では、泣いて欲しいです。身分も立場も関係ない、ただの人として、私はあなたの傍に居たい」


 ――私は、あなたに寄り添いたい。任務なんて、関係なしに。


 その言葉にアンリエットは顔を上げ、ドロテアをジッと見つめ返す。


「ドロテア……あのね、私……」


 意を決した面持ちのアンリエットが、震える声で何かを言いかけた時だった。



 ――ピシッ



「っ! お下がりを」


 ガゼボに張っていた結界に、亀裂が入る。


 ドロテアは素早くアンリエットの前に立ち、無数に浮かべていた光球の一部を自分とアンリエットの周りに集めた。


 ――ピシッ、ピシシッ……パリンッ!


 ほぼ同時に結界を破って、ガゼボの入り口に姿を見せた男に、ドロテアは思わず目を見張る。



「……こちらにいらっしゃいましたか、ファリエール公爵令嬢」



 鈍色のコートを翻して現れた月のような白銀の髪を持つ隻眼の男が、片方だけ見えている藍色の瞳をすがめた。

 右目を覆う黒革の眼帯に施された銀糸の刺繍は、ライヒェン皇国の象徴である大鷲。


 ドロテアの後ろに立つアンリエットが微かな声で男の名前を呟く。


「ギルフリード皇太子殿下……」


 大広間での婚約破棄騒動の直後、アンリエットにプロポーズしたというライヒェン皇国皇太子・ギルフリードだった。



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