少女たちの小夜曲
第21話 一人の少女の心の悲鳴
「歯痒い、なあ……」
遡って、ロランがココット男爵の屋敷に向かった頃。
『雄鶏』の一員であり、今回の婚約破棄騒動の調査メンバーでもあるドロテアは、シャンパンゴールドのドレスの上から白のストールを羽織って、王城の二階にあるバルコニーで独り言ちた。
第一王子ナルシスの婚約者であったアンリエットを探して王城内を早足で歩いていた折、すれ違う同僚から公爵家の控え室で陛下と謁見中だと聞き、終わるまで一番近くのバルコニーで待っているのだ。
次期王妃であるアンリエットの護衛として、彼女と共に王立学園に通っていたドロテアは、入学からの二年間、アンリエット・ファリエールという少女を誰よりも間近で見てきた。
筆頭公爵家の令嬢として、この国の令嬢たちの手本となるべく淑女として完璧に振る舞い、どんな時も物おじせずに自分の意見をハッキリ告げる。
次期王妃という地位と立場に驕らず、爵位で相手を見下すこともなく、誰に対しても平等に接してきた。その姿勢は令嬢たちの憧れと、令息たちからの崇敬を一身に集めていたと言って過言ではない。
アンリエットの一番近くに居たドロテアは、その在り方に最も魅了されていた。
――それを、あのバカ王子は!!!
エスコートを放棄し公務を全て押し付けた挙句に、大勢の貴族たちの前で婚約破棄。事実無根の訴えを真に受けて、碌に事実確認もせずに断罪した挙句、貴族社会の常識を身に着けているかも怪しい男爵令嬢の方が王妃に相応しいと宣言した。
ドロテアは堪らず、バルコニーの手すりに拳を叩きつける。鈍い音と、一拍遅れてやって来た痛みで我に返った。
――落ち着け、私。任務に私情を持ち込んじゃダメ。
一旦、深呼吸をして気分を落ち着かせる。目一杯吸い込んだ一月の冷たい空気のおかげで、スッ頭が冴える。
『友人として、アンリエット嬢に寄り添え』
今回の一件に当たって指揮を執るロランから命じられたのは、アンリエットの信用回復と情報収集。取り分け、信用回復の方を優先するように指示されている。
ロランという男は、何とも変わった上司だった。
目的のために手段を選ばない、非情な判断を当然のものとして受け止める『雄鶏』において、人の心に寄り添えという指示を出せるのは彼ぐらいしかいない。
その風変わりさに、今は救われていた。理不尽極まる扱いを受けたアンリエットから、冷徹に情報だけを搾り取るような真似は、自分にはできない。
ドロテアは自分がアンリエット嬢に任務以上に肩入れしている自覚があった。それが、『雄鶏』として相応しくない在り方であることも。
それ以前に、婚約者を持つ女性へ
――私は、アンリエット様への想いを切り捨てられるほど強くない。
「歯痒い、なあ……」
本当なら、情動のままあの大広間でアンリエットを攫いたかった。
でも『雄鶏』である以上、浅慮な行動は起こせない。だからと言って、任務のために自分の気持ちを捨てきれない。
想いを貫き通すことも、非常に徹することも出来ない半端さが、歯痒くて仕方なかった。
ハァ、と大きな溜息を吐いて、ドロテアがバルコニーに肘をついてうなだれたその時だ。
「っ、ヒッ……グス……」
バルコニーの下から、押し殺すようなすすり泣きが聞こえた。
ドロテアは身を乗り出し、暗視術式を発動して地上に目を向けると、一人の令嬢がこの寒い中で外套もなしに、ドレス姿でフラフラと覚束ない足取りで歩いている。
その令嬢の縦に巻いた長い金髪を、ドロテアは見間違えようがなかった。
「……アンリエット様?」
思わず呼び止めてしまったドロテアの声に、歩いていた令嬢が顔を上げる。
「ドロ、テア……?」
そこに居たのはまさしく第一王子ナルシスの婚約者、アンリエット・ファリエール公爵令嬢だった。
エメラルド色の瞳からハラハラと涙を零して自分を見上げる姿に、ドロテアは無意識に動いていた。
「【風よ】!」
詠唱と同時に、二階のバルコニーの手すりから身を踊り出す。宙に舞ったドロテアの身体を風が包み込んで減速。
友人が突然二階から飛び降りたことに驚くアンリエットの前に、フワリと音もなく着地した。
「どうされたんですか、アンリエット様!」
ドロテアはそんなアンリエットに構わず、ハンカチを取り出して彼女の涙を拭う。慌てた口調とは裏腹に、その手付きは丁寧だ。
「お寒かったでしょう。私の着たもので恐縮ですが、どうぞお召しになって下さい」
さらに間近で見たアンリエットの鼻先や頬がすっかり赤くなっていることに気付いたドロテアは、自分が着ていたストールをすっかり冷え切ったアンリエットの肩にかけた。
――このままじゃ、アンリエット様が風邪ひいちゃうわね。人目につかないように王城に戻ったら、『同僚』に頼んで休める部屋と温かい飲み物を――……
「ヒッ…ウッ……どろてあぁ……」
不意にアンリエットの顔がクシャリと歪み、ハンカチで受け止めきれない程の大粒の涙がドロテアの指先を湿らせる。
ドロテアが咄嗟にアンリエットの両頬に手を添えれば、アンリエットの両手がその上から重なり、縋るように握りしめる。
「わ、わ、私、がんばったのよ」
しゃくりあげながら、たどたどしく紡がれるアンリエットの言葉に、ドロテアはじっと耳を傾ける。
「公爵家の、名、に恥じないように、な、ナルシス殿下の、婚約者、にふさわしいように、じ、次期王妃に、なって、民を、国を、ささえられるよう、に……」
――ええ、よく知っています。
ドロテアは、アンリエットの護衛として、誰よりも近くで彼女を見ていた。
公爵令嬢として非の打ち所のない所作を身に着け、婚約者としてナルシスとの親交を深めることを怠らず、次期王妃として自分の意見をしっかりと述べる。
「がんばった、がんばったの……」
それらが全て、彼女自身の弛まぬ努力によって積み上げられてきたものだと、ドロテアはよく知っていた。
「……がんばった、の、にぃ……」
その瞬間、ドロテアはアンリエットの身体を引き寄せていた。
ドレスの肩口が濡れるのも厭わず、ドロテアはアンリエットを強く抱きしめる。
「……うっ、うぅっ、ヒック、う、あ、あぁああああ……!」
とうとう堪えきれなくなった嗚咽が、アンリエットの口から堰を切って溢れ出る。
公爵令嬢、王太子の婚約者、次期王妃。地位と立場に伴う、あらゆる期待と重圧に立ち向かっていた努力を理不尽に踏みにじられた――十七歳の、一人の少女の心の悲鳴だった。
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