第20話 何も知らなければよかったのに
エミリー・ココットが、ナルシス殿下の婚約者であるアンリエット嬢の告発に何の関わりもなかったと知った俺――ロランは、堪らず額に片手を当てて溜息を吐く。
侍従長がナルシス殿下から回収してきた告発文書の出所を探るという任務が振り出しに戻ったことへの徒労感を吐ききって、俺は素早く頭を切り替える。
エミリー嬢が日記や攻略ノートに書いているゲーム知識しか知らないのであれば、これ以上の尋問は時間の無駄だ。必要であれば都度聞き出す程度で良い。
本音を言うならさっさと切り上げてこの場を立ち去りたい。
だがそうすると、後ろに居る侍従長とメリーベルが黙っていないだろう。
背中に突き刺さる視線から、日本語交じりのエミリー嬢と会話を成立させている俺への疑念がひしひしと伝わってくる。
――うまい事、尋問の落としどころを見つけねえとな。
俺は咳払いを一つして、牢の中のエミリー嬢に向き直る。
「なるほど。あなたは『いじめが事実であり、その主導者はアンリエット嬢である』と仰るのですね」
「だからそう言ってるでしょ!? 日記も “攻略ノート” も読んだじゃない!? まだ何かあるって言うの!?」
ヒステリックに叫ぶエミリー嬢に、俺は淡々と事実を伝えた。
「今回ナルシス殿下がアンリエット嬢を糾弾するに至った最大の理由は、殿下の下に届けられた匿名の告発文書です。
その告発文書には、日頃からアンリエット嬢と交流があるご令嬢があなたに非道な仕打ちをし、それを指示したのはアンリエット嬢であると書かれていました」
「ほら、やっぱり……」
「しかし文書に名前の挙がった令嬢に確認を取ったところ、告発書の内容が全くのデタラメであると判明したのです」
そう言うとエミリー嬢は目を見開き、再び怒りに顔を歪ませる。
「な……なによ! そんなのいくらでも誤魔化せるじゃない!」
「なるほど言い分はごもっともです。では当事者であるエミリー嬢にお伺いします。
あなたの鞄の中身を廊下にばら撒いて、あなたの目の前で踏みつけにしたご令嬢の名前をお聞かせください」
「えっ……?」
俺の質問に、エミリー嬢が明らかに困惑した。
「どうなさいました? いじめは事実だったのですよね?」
「ちょ、ちょっと待って。私の目の前で鞄の中身を踏みつけにした?」
「ええ。然るご令嬢の実名を挙げて、そのように書かれておりました」
俺は執務室でやってもいない事を糾弾されたドロテアの怒り狂った顔を思い出す。
「いじめの被害者だと仰るあなたなら、どのご令嬢かおわかりの筈ですよ」
――告発書の内容が全て真実であるならば、だけどな。
エミリー嬢は忙しなく視線を彷徨わせていたが、不意にキッと俺を睨む。
「あ、アンタの方がデタラメ言ってるんじゃないの!?」
「デタラメ、とは?」
「わざと嘘を教えて、私が嘘だって言うことで、告発文書を偽物ってことにしたいんじゃないの!?」
お、鋭い。進退窮まりかけたここに来て頭が回って来たのか?
でも、もう遅い。
「残念ながら、告発文書はナルシス殿下の手から直接回収したものを、この場にいる三人で確認しております。そうですよね、侍従長」
「ええ。それに今回の件はあれだけ大勢の貴族の前で起きたことですからね。当然、証拠資料として重臣の皆様にもご覧になっていただく予定です。
流石にその全員が文章を読み間違うということはあり得ないでしょう。
告発文書の内容とあなたの証言が食い違うとなれば……あなたがアンリエット嬢にいじめられていたということも、疑わしいと判断されてもおかしくはありませんね」
このやり取りを聞いたエミリー嬢は、鉄格子を掴んだまま俯いて震えている。
「うそよ……なにそれ。 “ゲーム” と全然違う……アレはアンリエットの仕業で、婚約破棄した王子に断罪されるはずなのに……」
動揺するエミリー嬢に向かって、俺はこう投げかけた。
「エミリー嬢。アンリエット嬢があなたをいじめていると告発した方に、心当たりはありますか?」
彼女はゆっくりと顔を上げ、縋るような目で答えた。
「……知らない。私、そんなの知らない……」
答えている内に彼女の目からは涙があふれ、終いには鼻を鳴らしながらへたり込んだ。
この状況で彼女が告発文書の作成者を庇っている可能性はほぼないと、後ろの二人も判断しただろう。
「どうやら、これ以上エミリー嬢から得るものはないらしいね」
そう言って目を
「ま、待って! お願い、待ってよ!!! 行かないで!!!」
立ち去ろうとした俺たちを、エミリー嬢が涙声で呼び止める。
ここで引き留めなければ取り返しのつかない事になる、と本能で感じ取ったのだろう。これまでにない必死さが込められた叫びだった。
しかし前の二人は完全に無視するつもりのようで、時間の無駄とばかりにドンドン歩を進めて行く。
俺も二人について行こうとしたが、もうこの先彼女の本音を聞く機会もないだろうと、立ち止まって顔だけで牢を振り返る。
エミリー嬢は涙にぬれた顔のまま、か細い声でこう言った。
「ねえ…………わたし、これからどうしたらいいの……? この先のことなんて、なんにも知らないのに……?」
途方に暮れた顔のまま震えている彼女を、俺は何も言わずにジッと見つめる。
学園ではゲームの選択肢通りに動けば何もかもが上手くいってきた。
けれどもエンディングを迎えてみれば、自分は牢の中で国の裁きを待つ身。
前世由来のゲーム知識は役に立たず、周りに一人も味方がいない状態になって初めて、なりふり構わず助けを求めて出て来たのが先程の言葉だろう。
先の事が分からなくて、不安になる。それは自分の力だけではどうにもならない『現実』という理不尽な世界を生きている、あるいは生きようとしている人間にしかない苦悩だ。
――何も知らずに生まれていれば、こんな目に遭わなかったろうによ。
ただ、『雄鶏』として今回の一件を調べる俺の立場からかけられる言葉は殆どない。
俺は身体を牢に向け、エミリー嬢と向き合って言った。
「まずは現実を見ろ。そこからだ」
そうして俺は今度こそ踵を返し、地下牢を後にした。
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