第19話 これまでになく嫌な予感
「……ぜったいにゆるさない……」
乙女ゲームの悲劇のヒロインからホラーゲームのラスボスへと『お召し替え』したエミリー嬢が、牢の中から恨みの籠った目で睨み付けてくる。
後ろにいる侍従長とメリーベルは何も言わずに、俺――ロランの対応を静観する構えだ。
二人にとって未知の言語で日記を書いていたエミリー嬢。そしてそれを解読できた俺が果たしてどういう関係なのか。この場でのやり取りで見定めるのだろう。
俺は盛大に溜息を吐きたい衝動を抑え込んで、渋々エミリー嬢に声を掛ける。
「許さない、とはどういう事ですかね?」
「とぼけるんじゃないわよ!!」
エミリー嬢が絶叫と共にガシャン、と大きく鉄格子を揺らす。
「アンタでしょ!? “ストーリー” を滅茶苦茶にしたのは! 選択肢も間違えてないし、 “フラグ管理” だってちゃんとしてたのに “地下牢エンド” なんておかしいのよ! アンタが裏で何かしたんでしょ!? ねえ!!」
か弱い乙女を演出していた先程とは打って変わって、ガシャガシャとけたたましく檻を揺らしながら、フランセス語と日本語が交じり合った罵倒を浴びせてくるエミリー嬢を、俺は冷めた目で見つめる。
前世でも、この手の輩と何度か相手したことがある。どいつもこいつも、自分の都合のいい世界に閉じこもって、
――そこから吠えたって、何も変えられない。現実を変えられるのは、現実を生きてる人間だけだ。
「エミリー嬢。ここはフランセス王国です。あなたにしか分からない言語を使っても、理解できる人間はいませんよ」
「アンタは読めるじゃない、私の日記が! だったら、分かるでしょ?
私は何も悪くない。私はただ “原作” 通りに行動しただけ。
ナルシス “ルート” を攻略して、 “ハッピーエンド” を目指しただけよ……なのに何で邪魔するのよお!!」
目の前にいる俺が
フーッ、フーッと、エミリー嬢の荒い息だけが地下牢に反響する中で、俺はゆっくりと口を開く。
「私があなたと同じ境遇の人間である事は認めましょう。ですが……」
そう言って俺はおもむろに彼女の日記を顔の横に掲げた。
「私があなたの運命に干渉できる人間でない事は、あなたが一番ご存知のはずだ」
俺の言葉に、エミリー嬢の血濡れの歯が食いしばられる。
なにせこの世界でエミリー嬢が主人公ならば、俺は名前もない
実際、俺が
ここに至るまでのエミリー嬢の行動は、彼女自身にしか責任がないのだ。
「邪魔? 言い掛かりはお止めいただきたい。あなたがそこに居るのは、あなた自身の選択と行動の結果だ」
「っでも! “ゲーム” の通りに動けば、上手くいっていたのよ!?」
エミリー嬢は牢から必死に叫ぶ。
「それに指輪が人を操る危険な物だなんて “設定” 一回も出て来なかったわ! 知らない事はどうしようもないじゃない!」
「知らない?」
自分でも驚くほどの低い声が出て、エミリー嬢が牢の中ですくみ上った。
「違いますね。あなたは知ろうとしなかった。
指輪がどういう仕組みで色が変わるのか。魔道具がこの国でどのように扱われているか。
知ろうと思えば知れました。あなたが居たのは王族・貴族が学びを得る、この国の最高学府なのですから」
それに、と俺は続ける。
「あなたが知らなかった貴族としての
それこそアンリエット嬢や他のご令息たちの婚約者の皆様に、伺ってみれば良かったのです。
そうすれば、あなたの就職活動とやらも上手くいっていたでしょう」
威嚇する獣のように歯茎をむき出しにしてこちらを睨みつけるエミリー嬢に構わず、俺はさらに言葉を紡ぐ。
「そもそも婚約者のいる男性に恋愛目的で近づく事は、『前に居た所』でも犯罪です。それすら知らないとは言わせませんよ?」
これを聞いた瞬間、エミリー嬢が目を見開いて反論した。
「それは別にいいでしょ!? 元々そういう “ゲーム” なんだから! “キャラ” たちを攻略しなきゃ私は、“主人公” は幸せになれないんだから!!」
それに、とエミリー嬢が続ける。
「そうじゃなきゃ……そうじゃなきゃ私、あの変態親父に……」
――あー、そう言えばそれがあった。
エミリー嬢の養父・ココット男爵は、彼女を性的に虐げる目的で引き取ったことが、男爵の日記から判明している。
いつ頃からかは判らないが、彼女が前世の記憶を持っていて、かつ自分が知る乙女ゲーム『ラブ・クローバー』の世界に転生したと気付いたのであれば。
――攻略キャラクターとハッピーエンドを迎えて結ばれる事で、父親から逃れられると考えるのは自然か。
だからといって。
「あなたの言う幸せのために、アンリエット嬢を無下にして良いことにはなりませんよ」
エミリー嬢にとっては幸せでも、この国にとって先程の醜聞は大きな不利益なのである。
どんな事情があろうとも、やらかした事への追及が緩むことはない。
「は? 何よそれ! 被害者なのは私でしょ!?」
まだ言ってんのかいい加減にしろ、と我慢の限界を迎えかけた俺は、次の瞬間思わぬ発言に虚を突かれる事になった。
「アンリエットのいじめは、ナルシスの “ハピエンルート” で起こる “確定イベント” だもの!
公爵家の権力で私のいじめへ強引に加担させて、それに反感を持った生徒がナルシスに告発するのよ!
そういう “イベント” なんだから!」
――……は?
エミリー嬢の言葉に、これまでにない嫌な予感が脳裏をよぎる。
内心の焦燥を悟られないようにしながら、俺は手に持っていた彼女の日記を後ろのページから開く。
目当ての記述はすぐに見つかった。
『十二月十四日 とうとう、いじめイベントが来た。後は新年祭のイベントまで耐えれば、王子ルートのハピエン! 長かったー!
というかアンリエット、マジ陰湿すぎる。教室移動で誰もいない時に私の鞄のもの全部捨てるとか、超迷惑。だから匿名で告発とかされるのよ。ざまあ』
続けて、まだ精査していない数冊のノートを手に取る。
ノートは全部で五冊。どうやらエミリー嬢がいう所の『攻略ルート』の詳細を書き記したものらしい。
その中からナルシス殿下の攻略について書かれたものを選び、先程と同じようにノートを後ろからめくったが……やはり、『誰がいじめを告発したか』について書いていなかった。
――……うーわ、マジかぁ……。
これまでのやりとりから察するにエミリー嬢は、ゲームの知識に基づいてしか行動していない。
だから、ゲームに描写されていない事は何一つ知らないのだ。
貴族の嗜みや不文律。指輪の仕組み、魔道具の取り扱い。
そして、なぜナルシス殿下がいじめの証拠を手に入れることができたのか……。
この女は全く感知していない。
アンリエット嬢を告発した真犯人を探す調査が、振り出しに戻った瞬間だった。
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