第18話 『深淵を覗き返す者』


 俺――ロランは固有術式を起動して指輪を『視ている』侍従長を、メリーベルと共に見守る。


 深淵を覗き返す者ナイトメア・ウォッチャー――フランセス王国暗部『雄鶏』の長である侍従長ジェルマンの固有術式。


 その能力は『素手で触れたものから情報を読み取る』感応系術式……俺の前世でいう所のサイコメトリーに近い。


 もちろん、物だけではなく人間からも情報を読み取ることが可能。海馬から記憶を読み取るため、本人が忘れている情報であっても得ることが出来る。


 こう聞くと、尋問なんて必要なかったのではないかと思われるが、残念ながらそう都合のいい術式ではない。


 まず、侍従長の受け取れる情報量に限度がある。

 『深淵を覗き返す者ナイトメア・ウォッチャー』により読み取った情報は侍従長の脳に直接転送されるため、一度に大量の情報を受け取ると、脳に過負荷が掛かってしまうのだ。


 次に、物からは物の情報しか、人からは人の情報しか受け取れない。

 前世では物や現場から被害者・加害者の思念を読み取って犯罪捜査を行う主人公の漫画があったが、『深淵を覗き返す者ナイトメア・ウォッチャー』では物から読み取れるのは物の情報――形状、材質、重量などで、人から読み取れるのは、本人が見聞きした情報だけ。


 特に人から読み取る情報は、本人が嘘を教えられていた場合、却ってこちらが嘘の情報に振り回される事になるので、注意が必要になる。


 そのため侍従長の固有術式は、今回のように証拠を揃えた後の事実確認で使ってもらう事がほとんどだ。


「……なるほどね」


 指輪からの情報を『視ていた』侍従長は、そう呟いて指輪から手を離す。


「どうでしたか?」


 俺の問いに、侍従長は頷いた。



「君の予測通り、この指輪は感応系術式が刻まれた魔道具だよ」



 そう言って侍従長が人差し指を立てると、指先から細い光が宙に向かって伸び、いくつもの魔法陣を繋ぎ合わせた図形を描き出す。


「なかなか興味深い術式だね。まずこれが、人の脳波を感知する術式」


 侍従長が指さしたのは、この魔道具の基盤となる術式であろう、一番大きな魔法陣だ。その魔法陣の右上に一つ、左上に二つの小さな魔法陣が描かれ、それぞれが線で繋がれている。


「相手が指輪を着けた人間に敵意を抱いていれば、埋め込まれた水晶が黒く染まる。逆に好意を抱いていれば、緑色に染まる」


 右上と左上の魔法陣を示しながら侍従長が説明する。彼の指が、好意的な感情に反応する左上の魔法陣と繋がる、二つ目の魔法陣へと移った。


「そして好意に加えて性愛の感情――要するに恋愛感情を感知した場合、水晶は紅く染まる……ここまでなら、相手の脳波から敵味方を識別するための魔道具だったのだけれど」


 侍従長の言葉に合わせ、新たな図形が空中に描き加えられる。性愛を感知する魔法陣から伸びた線が、複雑に絡み合いながら今まで見た魔法陣の外周を円で囲み、やがて図形全体が一つの魔法陣になった。


「『指輪の装着者に恋をする』という条件を満たすことで起動する、思考誘導の術式だ。


 具体的には指輪の装着者のことを思い浮かべた時に中毒性のある快楽物質を分泌させ、判断能力を失わせる。魅了する、と言い換えていいかな。


 こうして魅了した相手の思考を『指輪の装着者に奉仕する』という方向に誘導し、思うがままに操ることが出来る――うん、立派な違法魔道具だね」


 侍従長が指を一振りして、宙に描いた光の図形を消した後、手袋を嵌め直してメリーベルの手からハンカチごと指輪を受け取る。


「こちらで解析班に回しておこう。私見になるけれど、金属の組成から判断するに、魔道具の出所も君の予想通りだと思うよ」

「ありがとうございます。それで、報告に関してなんですが……」


 俺は、小脇に抱えていたエミリー嬢の日記を掲げた。


を証拠として提出するのは、ハッキリ言って難しいかと」


「確かに……読めないものね。あなたとエミリー嬢以外」


 カンテラを持ったメリーベルが、やや刺々しく俺に同意する。彼女の言葉に侍従長の目がスッと細められた。


「ふむ。その事については、場所を改めて聞かせてもらおうか。指輪の件を、速やかに陛下にご報告したいからね」


 有無を言わせぬ笑みを左右から向けられた俺に反論の権利はない。


「はは……了解しました」


 俺が顔を引きつらせながらもそう答えた時だ。



「……その日記が、読めるですって?」



 背後からの地を這うようなかすれ声がした。


 侍従長とメリーベルが眉をひそめ、俺に……否、俺の背後に胡乱な眼差しを投げかける。


『……気絶させて落としてなかったのか?』


 伝達術式で尋ねると、メリーベルは俺の後ろから目を外さずこう返した。


『だってまだ殿下が持ってた文書のこと聞いてないでしょう?』


 そうだった。殿下が婚約者であるアンリエット嬢の非道の証拠であると提示した文書の出所を聞かなければならない。


 つまり俺はまだ、背後からひしひしと嫌な気配を浴びせかけてくるエミリー嬢と話をしなければならないということ。


 ガシャン、と鉄格子が揺れる音が後ろで響く。


「あなた……あなたも“転生者”なの……?」


 該当する単語がなかったのだろう。“転生者”の部分だけ日本語だった。


『テンシェ、シャ……? うん、何て言ったのかな?』

『フランセス王国にない単語……よね? ロラン』


 両隣の二人の視線が険しいものになる。ダメだ此処に味方は居ない。


 ――うーわー……振り向きたくねえー……


 俺はやり場のない憂鬱さを溜息と共に吐き出すと、腹をくくって後ろを振り返る。



 真っ暗な牢の中、少女は両手で鉄格子を握りしめ、こちらを見つめて立っていた。


 最初に見た生成りのワンピースは、辛うじて局部を隠せるだけのボロ布と化しており、白い肌のあちこちに打ち身の痕が残っている。


 そして顔のほとんどを覆い隠す埃まみれの乱れきった髪の合間から、腫れ上がった瞼の下で血走った目だけが爛々らんらんと輝き、潰れた鼻から滴る血が息をする度に顎を伝って、顔の下半分を真っ赤に染めていた。


「……ぜったいにゆるさない……」


 俺に対する万感の恨みが籠った言葉が、血まみれの歯をむき出しにしたエミリー嬢の口から絞り出される。



――……だからさあ……

――なんで俺だけホラーゲームプレイする羽目になるんですかねえ!?!?








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