第17話 淑女の着替えを覗いてはならない



「えっ……」


 自分の釈放を要求しに来た令息が、見張り番に暴行を加えた咎で拘束されている。俺――ロランがそう告げると、彼女の顔から血の気が引いた。


 そんな彼女におかまいなく、俺は更なる事実を伝える。


「あまりに尋常ではないご様子でいらっしゃったので、ご令息の皆様のお身体を調べたところ、魔力干渉の痕跡が見つかりました」

「……まりょく、かんしょう?」


 コテリ、と首を傾げておうむ返しをする彼女に、俺は説明を続けた。


「ええ。簡単に言えば、魔法によって操られた状態でした」


 そう言って俺はエミリー嬢の反応を窺う。視線、指先の動き、身体の微妙な反応を見逃さないよう注意深く観察していたが――……


「魔法で、操られて……? 何よ、それ……そんなの知らない……」


 彼女は身体を強張らせ、フルフルと首を横に振る。口調に力はなく、目の焦点が合っていない。不安と興奮からか、徐々に呼吸が小刻みになっていく。


 ――これは……な。


 こうした反応は、未知の恐怖に相対した人間のそれに似ている。前世の分も合わせた経験から判断するに、少なくとも令息への魔力干渉は、彼女自身の意思で行っていないようだ。


 あくまで、彼女自身の意思では。


「こうした魔法は、他人を操るために作られた魔道具によって引き起こされます。

 魔道具については、操る相手に気付かれないよう、身に付けていても不自然に思われない形のものが多いですね。


 女性の場合なら髪飾り、ネックレス、あるいは……指輪」


『指輪』という単語が出た途端、エミリー嬢の肩がビクリと跳ねた。


「聞いた話によれば、あなたは学園で常に指輪を身に着けていらっしゃったそうですね」


 実際に聞いた訳ではないが、日記を読む限り間違いないと判断しカマをかける。半ば恐慌状態のエミリー嬢はあっさりと引っかかってくれた。


「ち、違う! あの指輪は、そんな魔道具なんかじゃ……」

「お預かりしたあなたの荷物の中に、指輪はありませんでした」


 エミリー嬢の言葉を遮ってそう言えば、彼女の顔が見る間に引きる。


「今日に限っていつも着けていた指輪を外してきたとは、言わせませんよ。既に学園の寮には捜索が入っています。装飾品の類は、ご令息方から贈られたもの以外確認されておりません」


 俺は彼女に向けて、手のひらを差し出してこう告げた。


「その指輪を、調べさせていただけますか? もし何の力もないただの指輪であれば、あなたの処遇について見直しをはかる必要がありますので」


 エミリー嬢は俺の言葉に目を見張り、迷うような素振りを見せたが、そのまま顔を背けて押し黙ってしまった。


 持っていると決めつけてかかっている俺の発言を否定せず迷う時点で『持っている』と言っているようなものだ。


「致し方ありませんね」


 ――協力が見込めない以上、強硬手段を取るしかない。


 俺は溜息を吐いて立ち上がると、振り返ってを呼ぶ。


「お召し替えを手伝って差し上げてくれ」

「かしこまりました」


 俺の後ろに立っていたメリーベルが、満面の笑みを浮かべて応じた。


 執務室から持ってきていたエミリー嬢の日記と数冊のノートを俺に預け、侍従長から牢の鍵を受け取ってエミリー嬢のもとへ向かう。


「い、いや、いやよ! やめて! 近寄らないで!」

「すぐに済みますから、大人しくなさって下さいね」


 牢の扉をくぐったメリーベルから逃げようと、足の鎖を鳴らして部屋の隅に向かおうとするエミリー嬢だったが、あっという間に距離を詰められて腕を掴まれる。


「この、離し――あぁあっ!」


 『て』まで言い切ることもなく、悲鳴と共に鉄格子にエミリー嬢の身体が背中から叩きつけられた。メリーベルが彼女の二の腕を掴んだまま、片手で投げ飛ばしたのだ。


 地下牢全体に鉄格子が揺れる不協和音が反響する中、メリーベルが床に倒れ込んだエミリー嬢の胸ぐらを掴んで無理矢理立たせる。


「何するのよ、離して! 信じられない! こんなの違法よ、暴行ざ……」


 パァン、と乾いた音がして、エミリー嬢の言葉が「ブヘッ」という情けない悲鳴でかき消される。

 メリーベルが彼女の頬を空いた手で張り倒した音だ。


「や、やめなさ……」


 張り倒した手を反転させ、今度は逆の頬にメリーベルの裏拳が入る。

 「ブプッ」と間抜けな音と共に、エミリー嬢の唾が牢の床に落ちた。


「や、やべて……」


 エミリー嬢が言い終わらない内に、鈍い音を立てて彼女の鼻の下にメリーベルの拳が吸い込まれた。


 ガクリ、と首を落とした彼女越しにメリーベルと目が合う。


「なあに? 淑女の着替え中よ?」

「……失敬した」


 周りに有無を言わせない笑みを浮かべたメリーベルの言葉に、俺と侍従長は速やかに牢から背を向けた。


 彼女の言うとおり、淑女の着替えをまじまじと眺めるなんてのは、紳士の風上にも置けない行いだ。


「うぶ、ああぁ、やべて、さばらないで、あぁああああ!」


 ――たとえ着替え中にあるまじき、布を裂く音や悲鳴が後ろから聞こえてきてもな。


『ところでロラン、随分と遠回しな手を使ったものだね』

『と、言いますと?』


 着替えの音がうるさ……ではなく、着替え中に声を上げることを遠慮したのか、伝達術式で侍従長が俺に話しかける。


『それが君の言っていた、エミリー嬢の日記だろう? 「すべてここに書いてあるぞ」で済んだ話じゃないかい?』

『ああ、それですか。見ればわかりますよ』


 カンテラで片手が塞がっている侍従長に向け、俺はエミリー嬢の日記を開いて見せた。


『? 何だい? 暗号……いや、言語かな?』

『この世に存在しない国の文字ですよ。少なくとも、裁判に提出する証拠には出来ないでしょう』


 パァン、と後ろから再び頬を張る音がする。

 侍従長は考え込むように日記を覗き込んだままだ。


『存在しない国、ね……君は、これが読めたのだろう?』

『その辺りは、この件に片が付いたらお話しますよ。俺自身にも、どう説明したらわからないようなことなんで』


 ちょうどその時、キィと後ろで牢の扉が開く。

 振り向けば、メリーベルが施錠を終えてこちらにやってきた。その手には、綺麗に折りたたまれた白いハンカチが握られている。


「入念に隠しておりましたので、間違いないかと」


 そう言ってメリーベルがハンカチを広げると、一つの指輪が現れた。


 細い真鍮のリングにクローバー型の台座があり、そこに小さな丸い水晶が埋め込まれただけのシンプルな造り。

 装飾品に縁のない平民が、ちょっと奮発して買ったと言われれば納得できるデザインだ。


 一目見ただけでこれが感応系魔道具だと見抜ける人間はいないだろう。



 でも、触れただけでわかる人間ならここに居る。



「侍従長、お願いしても?」

「いいよ」


 雄鶏の長である侍従長ジェルマンは、俺の言葉に微笑むとカンテラをメリーベルに手渡した。


 そして常に嵌めている白手袋を外すと、指先で指輪にそっと触れて、固有術式を起動した。



深淵を覗き返す者ナイトメア・ウォッチャー




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