第14話 この人の恨みだけは買ってはいけない



 俺――ロランとメリーベルは、侍従長ジェルマンの後に従い、地下牢の廊下を奥へ奥へと進む。


 カンテラの灯りを頼りにいくつもの空の檻を通り過ぎれば、やがて廊下の突き当りにある牢に、一人の女が身体を横たえているのが見えた。


 牢の隅から伸びる鎖に繋がれた、鉄の枷を嵌められた素足は、無防備にも冷たい石造りの床に投げ出されている。

 大広間で見た、ナルシス殿下の瞳と同じアイスブルーのドレスは脱がされ、身にまとうのは生成りのワンピース一枚だけ。金細工のバレッタで結われていたストロベリーブロンドは解かれ、ほつれた髪が顔に張り付いている。


「……誰?」


 大広間でナルシス殿下に腰を抱かれながら、堂々たる愛の宣言に頬を染めていたエミリー・ココット男爵令嬢――もうすぐがつくかもしれない――が、カンテラの灯りに照らされながら、手枷が嵌まる両腕を支えに身を起こし、ぼんやりとした眼をこちらに向けた。


 俺は床についた彼女の両手の指を素早く確認する。指輪は……ない。服の下か?


「夜分遅くに失礼いたします、エミリー嬢。何度かお会いしておりますが、覚えておいでですかな?」

「っ……侍従長、さん……」


 侍従長の姿を見たエミリー嬢が、息を呑む。見開いた目に浮かぶのは、あきらかな怯え。


 ――エミリー嬢、侍従長と何かあったのか?


「エミリー嬢。以前のお茶会でも申し上げましたが、役職に『さん』付けは必要ありませんよ。仮にも王妃をこころざした方が、不勉強ではいけませんね」


 口調は穏やかだが、内容が完全に婚約破棄騒動に対する当てこすりである。


 ――侍従長、さてはエミリー嬢が嫌いだな?


 寮で見つけた手紙の通り、ナルシス殿下はエミリー嬢と二人きりで何度か茶会を開いている。


 その手配をしたのが、侍従長だ。


 若い二人が呑気に茶会を楽しんでいる後ろで、不貞の手伝いを命じられた侍従長が何も言わずに微笑んでいる姿を想像して、背筋が冷えた。


「あ、あの、私……どうしてこんな所に閉じ込められてるんですか?」


 肩を震わせながら、上目遣いで侍従長の反応を窺うエミリー嬢。

 だが侍従長は取り合わず、笑みを貼りつけたまま彼女を見下ろしている。


 何の返事もしない侍従長に焦ったのか、エミリー嬢が早口で言葉を重ねる。


「ナ、ナルシス様が婚約破棄をしたからですか? でも、ナルシス様のご意思でそうなさったんですよ? ナルシス様は次期国王です。彼の命令で、私が婚約者になることの何がいけないんですか?


 私を学園で酷い目に遭わせたのは、アンリエット様……いえ、アンリエットの仕業ですよね? 悪い事をしたのは彼女ですよね?

 私は何もしてないのに、どうしてこんなことに……?」


 両手を胸の前で組み、目を潤ませるエミリー嬢の姿は、なるほど確かに庇護欲をそそられる――……わけがあるか。


 学園入学時から王族に付きまとい婚約者のいる令息たちと何度も密会を重ね挙句の果てに婚約破棄騒動を起こして……


 ――俺たちの正月休みを台無しにした諸悪の根源がたかが涙目になったぐらいで心が揺らぐなら暗部なんかやってねえんだよ!!



「なにも?」



 侍従長の殺気が籠った一言に、俺の思考が一瞬で吹き飛んだ。

 隣に立つメリーベルの顔も強張り、牢の中のエミリー嬢が「ヒッ」と息を詰まらせた。


 たった一単語で全員を恐怖の底に叩き落とした侍従長は、何事もなかったかのように問いかける。


「パーティーの直前、ナルシス殿下が誰にも知らせず姿を消したことはご存知ですか?」

「え?」


 さっきまでの痛切な訴えを丸ごと無視した話題を出されたエミリー嬢が、キョトンとした顔になる。


「近衛騎士に婚約者たるアンリエット様へエスコートの先触れを出させて一人になった隙に、ナルシス殿下はご自身の控え室から脱走したのですよ。


 おかげで、本来アンリエット様と共に次期国王夫妻として国賓の挨拶にまわっていただくご予定が、アンリエット様お一人で対応して頂かざるを得ませんでした」


 任務の直前にドロテアから聞いた、婚約破棄騒ぎの前の出来事だ。

 ……そう言えば、これの尻拭いも侍従長の手配だったな。


「各国の代表として我が国へお越しいただいている国賓の皆様への挨拶は、自分たちがフランセス王国の次期代表として、今後も各国と友好的な関係を築いていくという意志表示になります。


 ナルシス殿下はアンリエット様共々、この務めを国王陛下より直々に賜りました。それを放棄することの意味が、お分かりになりますか?」


 侍従長の言わんとする事を察した俺とメリーベルは、お互いの顔を横目で見る。暗闇でエミリー嬢から見えないのを幸いに、メリーベルが口角を微かに上げ、俺は『へ』の字に下げてみせた。


 未だ話を理解しきれていないエミリー嬢に向けて、侍従長がニッコリと笑いかける。


「国王陛下から命じられた国賓への挨拶という『公務を放棄した』ということは、『国の代表となることを放棄した』ことと同じなのです。


 ナルシス殿下はあの大広間で、のですよ――貴女を迎えに行ったために」


 最後の一言で、エミリー嬢から表情が抜け落ちた。

 血の気が引いた顔は、元から白かった肌を一層白く見せ、顔色が死人と大差がなくなっている。


 そんな彼女に侍従長は容赦なくとどめの一言を投げかけた。


「今回の騒動を受け、陛下も御自身の後継を誰にするか、改めてお考えになるそうです」


 エミリー嬢が頼りにしていたナルシス殿下が、彼女のせいで王太子の立場を失った。


 王太子の座を失った状況で、果たしてナルシス殿下は彼女を救えるだろうか……自分が次期国王となる未来を潰した女を。


 答えを察した彼女の、胸の前で組んでいた腕が、ポトリと力なく膝に落ちた。



 ――侍従長の恨みだけは買っちゃダメだな……



 俺とメリーベルは容赦のない侍従長の『仕返し』に、二人そろってコッソリ身震いした。

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