お話しようか、エミリー嬢
第10話 トマト is 誰 ?
『四月三日 無事、王子ルートに入れたっぽい』
俺――ロランは、日本語で書かれたエミリー・ココット男爵令嬢の日記に一行目から打ちのめされていた。
――マジかよ、ここ乙女ゲームの世界だったのか……。
大広間でよぎった半ば悪ふざけじみた仮説ではなく、第三者によって明確にされた事実だということに、泣き崩れたくなる。
そりゃあ確かに、乙女ゲームの世界みたいだと考えたりはした。
常識ある王族はパーティーで婚約破棄なんて言い出さねえし、何の後ろ盾もない元平民の女が婚約者おしのけて王太子のお眼鏡にかなうはずなんざないし、更にその女が他の高位貴族の令息たちにもモテモテとか有り得ねえ、が。
乙女ゲームの世界なら、なるほど確かにそんな事があってもおかしくはない。
だが理解は出来ても、納得できるかは別だろう。
だって何が起こったとしても、この世界は現実なのだ。
自分が転生したと知ってからずっと。前世との差に戸惑いながらも、息をして、飯を食って、働いて、なんだかんだ三十年以上も生きてきた。
一方的に頭で受け取るだけの、画面の向こうの非日常ではない。自らの意志と身体で切り拓いて生きねばならない、紛う事なき現実。
――そう、ここは現実で。俺は任務の最中だ。
――だから、任務に向き合わなきゃいけない。
俺は大きく深呼吸をして、くじけかけた心を強引に切り替える。
そして日記を読み直そうと手元に目を落としたが――
「うーん、見たことない暗号……というか、異国の言語? 三種類の文字を組み合わせているのね。文頭で何度も出てくる単語は、人の名前かしら」
いつの間にか隣に座っていたメリーベルが、俺の手から日記を取り上げて読んでいた。
「メリーベル」
「おかえりロラン。珍しいわね、任務中にボーっとして」
「悪いな。もう大丈夫だ」
メリーベルから日記を受け取って、素早く目を通す。
日本語で書かれた日記を読み進めれば、やはりエミリー・ココットは俺と同じ、西暦2000年代の日本からの転生者のようだ。
日記の中身は、攻略の進捗の記録。彼女は養父から逃れるために、前世で得たゲーム知識を活かして第一王子のナルシス殿下を攻略対象に選び、ハッピーエンドを狙って――
『四月十日 トマトの恫喝イベントがなかった。アンリエットの取り巻きイベントはあったのに……』
「トマトの恫喝???」
「えっどうしたのロラン?」
突然わけのわからない文章を口走った俺に引いてるメリーベルを横目に、俺は顎鬚を撫でながら続きを目で追う。
『王子ルートで自動発生する、トマトとの顔合わせも兼ねたイベントだからフラグ踏み損ねはないはず。王子ルート分岐のイベントはゲーム通り進んだのに、なんで?』
どうにも、彼女が知っているゲーム展開と現実との間で、食い違っている部分があるらしい。
それが『トマトの恫喝イベント』――いや野菜に恫喝されるイベントって何? トマトに自我と発声器官あんの? あ、エミリー嬢が恫喝する側の可能性もあるのか?
突然のトマトに困惑しつつも、俺はページをめくっていく。
『四月十四日 やっぱりトマトの挙動がおかしい』
なんなんだ挙動不審のトマトって。職質対象なのか、トマト。
『初めての剣術の実践授業は、王子がトマトといい勝負して勝つイベントのはず。スチルもあったから間違いない。なのにトマトが圧勝した。
おかしい、絶対に何かおかしい。トマトは伯爵家時代のトラウマがあるから、王子より優秀なところを見せない様にしてるはずなのに』
「あーわかった。トマトって人間か」
「ちょっと大丈夫? 錯乱術式でも受けたの?」
メリーベルが俺の腕を掴んでガクガクとゆするので、俺は慌てて弁明した。
「いやいや待て待てメリーベル。隠語だ、隠語」
他人に見られたくない文書をやりとりしたり、あるいは聞かれたくない会話をする際、文書や会話を他の人間に見聞きされても内容が理解できないように、特定の人物や物品を別の名前で言い換えることがある。
たとえば密入国する人間を、人名じゃなくて『積荷』と表現したり、いけないお薬をそうとはわからない呼び方したりとかな。
「誰かはわからねえが、エミリー嬢の日記に『トマト』って呼ばれる奴がいるんだよ。王子やアンリエット嬢のことは実名で書いてるんだが、一人だけ何故か『トマト』って隠語で書かれてるんだ」
怪訝な目をしていたメリーベルは一瞬驚いた顔をしたが、すぐ納得した顔になる。
「なるほどね。てっきりその日記に、精神に異常をきたす術式でも掛けられてたのかと思っちゃったわ」
「誤解が解けて何よりだ」
そう言って日記の精査を再開しようとした俺に、メリーベルが話しかける。
「その『トマト』は、エミリー嬢にとってどういう人物なのかしら」
「まださわりしか読んでねえが、警戒対象みたいだな。剣術の授業でナルシス殿下をコテンパンにしたんだと」
この国では、王族は周りの貴族よりも優れている事が求められる。詳しいわけではないが、王子たちは幼少期から厳しい教育を受け、教養と武術の両方を高い水準で身に付けているらしい。
しかもナルシス殿下は正妃の長男で、継承順位第一位。幼少期から他と一線を画した英才教育を受けていただろうし、実際に昨年行われた御前試合でも、近衛騎士団長に敗れたものの準優勝。剣の腕前を存分に発揮したと聞く。
実戦ではわからないが、少なくとも国内の貴族令息に後れを取るような腕前ではない。
そんな殿下に圧勝したともなれば、ここが乙女ゲームの世界と知らなくても驚くべき出来事だろう。
――いや
「ふーん……じゃあ、読み進めてみたら何か手がかりが掴めるかもしれないのね?」
「そうだな。しばらく
そうして俺は再び日記を読もうとしたが、隣から何やらもの言いたげな視線が投げかけられる。
「あー……どうした? メリーベル」
先程から、様子がおかしい。
顔を上げれば、メリーベルと視線が合う。据わった目をした彼女は、ことさら美しく微笑んでこう言った。
「ねえロラン……あなた、その日記読めるのね」
「あ」
――ヤッベ。そういや
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