閑話 国王は息子の行いに頭を悩ませる


「まったくナルシスめ……なんて事をしてくれたのか」

「ご心痛、お察しいたします」


 ロランたちが各々の役割を果たすために王城を離れた頃。

 王城の最奥、王族の私的空間プライベートスペースにある一室。


 侍従長のジェルマンは、煌々と燃える暖炉の前で天鵞絨ビロードを張った椅子に腰かけた男に、ミルクティーを給仕した。


「どうぞ。心が休まります」

「いつも済まないな、ジェルマン」


 たっぷりとした口ひげを蓄える厳めしい壮年の男――フランセス国王マクシム五世は、牛乳でまろやかになった紅茶の香りに険しい顔を緩ませる。

 暖かな飲み物で心身の緊張をほぐし、判断を鈍らせる不安を取り除く。王位に就いた時から変わらぬ、マクシム五世の習慣だった。


「……後継を育てるというのは、ままならんな」


 ほう、と息を吐いた国王が、独り言ちる。ジェルマンは口を挟まず、次の言葉を待った。


「ナルシスには、次期国王として、何よりわしと正妃エマの息子として相応しい教育をしてきたつもりだった。まさか、あのような形で不意にされるとは思いもよらなんだ」


 国王には王国内から嫁いだ正妃エマの他に、ライヒェン皇国と属国クローディアから一人ずつ側妃を迎えている。

 正妃との間にはナルシスの他に弟君と姫君の二人、側妃たちそれぞれに男女一人ずつ、計七人の子をもうけていた。


 国王マクシム五世は、他国の血を引く側妃の子らに玉座を渡さぬため、第一王子のナルシスには別格の教育を施してきた。


 側妃の子たちには王族として最低限の教養のみを教えさせたのに対し、ナルシス始めとした正妃の子には、帝王学をはじめとして、国内貴族の勢力図や派閥、地政学など、王として知っておかねばいけない知識の全てを成人までに身に付けさせるよう指示した。


 ナルシスの教育にかけた費用は、文字通り桁が違う。


 ナルシスを正妃の子として玉座に就かせ、王国筆頭公爵家の娘と結婚させる。側妃や子たちを抑え込んで、フランセス国王の血統と周辺諸国との関係を維持していく……はずだった。


 十七年を費やしたこの目論見は、他でもないナルシスによる、たった五分にも満たない大広間の醜聞で台無しになってしまったのだ。


 ティーカップの中身を半ばまで減らした国王は、大きな溜息を吐いた。


「今頃はわしの治世を気に入らん連中が、側妃の子を担ぎ出そうとアレコレくわだてておるだろうの」

「そちらは日頃より部下に見張らせております。動きがあればすぐお耳に入れましょう」

「世話をかけるな」

「滅相もございません。王国を守ることこそ、我らの使命にございますれば」


 国王は茶目っ気のある笑みを浮かべて、再びティーカップに口を付ける。


「そなたは、ここにいても良いのか?」

「今回の件は、私の跡継ぎ候補に仕切らせています」

「ほう。如何なる者かね」


「そうですね……一言で言えば、難儀な男ですな」


 その答えに怪訝な目を向ける国王へ、ジェルマンは苦笑いをして続ける。


「人の心の機微にさとく、勤めを共にする同僚たちに心を砕いて接します。今や『雄鶏』内で私以上に人望を集めておりますよ。


 だがどうにも人の事に心を砕くあまり、己の事を後回しにするきらいがありまして。しかもそれを他人に絶対に見せようとしないのです。


 『雛』の頃からかれこれ二十五年、そんな調子なものですから、私も含め周りは随分ヤキモキしているのですが、当の本人がまるで気付く素振りもありません。


 人の悩みには真っ先に気付く癖に、自分への好意にはとんと鈍くて、全く難儀な男なのですよ」


 そう言って微笑むジェルマンに、国王は目を何度もしばたかせた。


 この国の暗部をまとめ上げ、あらゆる汚れ仕事を完遂し、王国のために如何なる犠牲もいとわない歴戦の隠密。


 そんな男の口から、まるで子を想う父のような言葉が出て来たのが信じられなかったのだ。


「陛下、どうかいたしましたか?」

「ああ、いやなんでもない」


 自分の顔を見たまま固まった国王に、ジェルマンが不思議そうに声を掛ける。国王は小さくかぶりを振って、ぬるくなり始めたミルクティーを一口飲んだ。


「……なんにせよ、次代の王が『雄鶏』の長に大きな借りを作ったのは変わりない、か」


 ナルシスが起こした前代未聞の醜聞。それはいかなる結末を迎えるとしても、次代の王位に浅からぬ影響を与えるのは間違いない。

 次の玉座に座る者は――それがナルシスであってもそうでなくても、事態の収拾に尽力した『雄鶏』たちに頭が上がらないだろう。


 その未来を想像した国王は、大変愉快そうに笑った。


「そうなると、ナルシスに玉座は手に余るかの? かと言って、弟のシャルルはまだ七つ、側妃の子らに明け渡すつもりもない。はてさて、どうするか」


 国王が楽しそうに思案を始めると、部屋の扉が叩かれる。


「失礼いたします。ファリエール公爵との会談の準備が整いました」

「おお、そうか。すぐに向かおう」


 国王は残りのミルクティーを一息に飲み干して席を立つ。

 これからナルシスとアンリエット嬢との婚約について、ファリエール公爵と改めて話し合わなければならないのだ。

 さらにはライヒェン皇国の皇太子からの求婚をどう処理すべきかも、あわせて考えねばならない。


「ジェルマン、後は任せるぞ」

「かしこまりました」


 ジェルマンは深く首を垂れ、部屋を出る国王の背を見送った。


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