第7話 認識できない大きな齟齬


 ロランがココット男爵邸に潜入したのとほぼ同時刻。

 セルジュは王立学園の男子寮の廊下を歩いていた。


 年始の学園寮に生徒はおろか、教師や管理人、警備員もいない。フランセス王国では『新年から五日間は労働をしなくていい』という慣習があるからだ。

 誰もいない寮内には当然灯りもないが、暗視術式のおかげで普段と変わらぬ足取りで目的の部屋を目指せる。


 向かう先は、第一王子ナルシスの部屋。アンリエット嬢との婚約破棄を誰が唆したのか確かめるために、彼が外部の人間とやり取りした手紙や書類があるかを探すことが目的だ。


 『雄鶏』としての習慣が身体に染みついているセルジュは、灯りの点いていない真っ暗な廊下を、自然と足音を立てぬように進む。


 その胸の内には、この任務の原因となった一人――エミリー・ココットへの疑念が渦巻いていた。


 ◆


『雄鶏』の一員でもあり、王国の近衛騎士でもある彼は、元々さる伯爵家の庶子である。

 しかし、ある事件をきっかけに伯爵家から籍を抜かれ、雄鶏の紋章を掲げる侯爵家に引き取られた。


 『雄鶏の家』と呼ばれるそれらの家は、表向きは貴族や商会、宿屋など様々な顔を持つが、事態は『雄鶏』の養成・サポート機関だ。国内から素質がある人間が集められ、年齢や怪我で引退した先人たちが技術と経験を余すことなく教え込む。


 『雄鶏』の一員となったセルジュは、高い戦闘力を見込まれて十五歳で王族の護衛を勤める近衛騎士に配属。

 年齢が同じという理由で第一王子ナルシスの護衛に選ばれ、今日に至るまでの二年間、表と裏の両方でナルシスの命を守り続けてきた。


 ――だってのに、何してんスかあの方は……!!!


 こちらがどれだけ手を尽くしても、ナルシス自身が敵を懐に招いてしまったら意味がない。

 許される事なら、婚約者アンリエット嬢を差し置いて、エミリーを王妃にすると宣言したナルシスの横っ面を張り倒して、地面に正座させ一時間は説教したいと思っている。


 だがセルジュは同時にナルシスがエミリーに傾倒してしまう心情も、少しだけ理解できていた。


 ナルシスは正妃が産んだ第一王子。幼少期から厳しい教育を課せられ、婚約者は国の都合で選ばれた相手一択。未来を選ぶ権利はなく、何年先かもわからない将来で王になることだけを求められる。

 学園に行ってもそれは変わらなかった。教師も生徒も貴族の子弟ばかり。取り巻きも未来の王の顔色をうかがうばかりで、対等に接することはできない。


 貴族のしがらみに囚われない元平民のエミリーは、ナルシスにとって初めての、損得抜きに付き合える人間だった。

 彼女の隣は、立場や役割に準じる振る舞いだけを求められてきたナルシスが、それらを脱ぎ捨てて自由になれる唯一の場所なのだろう。


 だが、セルジュはエミリーのことをただの一生徒とは思えなかった。


 初めて会ったのは入学式の日。緊張をほぐすために中庭にいたナルシスの所に、道に迷ったというエミリーがやって来た。

 もしや刺客かと身構えたが、入学式の会場まで案内してすぐに別れたので、偶然ということで片づけた。


 しかしその後、食堂、図書室、さらには放課後に中庭を散策している時等々……ナルシスの行く先々で、エミリーと何度も顔を合わせるようになった。

 まるでナルシスの行き先が最初からわかっているかのように遭遇するのだ。


 ――エミリー・ココットは本当にただの一般人なのか?


 ロランに相談して背後関係を洗ったが、母親が属国からの移民ではあるものの、そこの人間と繋がっている事実はなかった。

 アンリエット嬢の警護についていたドロテアと共に彼女の行動・言動を監視していたが、『他国の暗部という可能性は限りなく低い』という結論に至る。


 それでも尚、セルジュはエミリーへの違和感を抱き続けた。


 ナルシスだけでなく、宰相の息子、騎士団長の息子、宮廷魔術師長の息子……取り巻きたちの好みまで完璧に把握していたのだ。

 好きなものから嫌いなもの、誕生日まで知り尽くしていて、しかも情報の出所を探ってみても、全く分からない。


 ――エミリー・ココットは異常だ。


 今まで会ったこともないナルシスの行動を先回り出来るほど熟知し、取り巻き令息たちの趣味嗜好の情報までも手中に収めている。

 なのにナルシスと令息たちを交えた茶会や逢引を隠そうともせず堂々と行い、周りの顰蹙ひんしゅくを買っていた。


 仮に彼女の目的がナルシスや令息たちに取り入ることならば、婚約者いる彼らと人目もはばからず親し気にするなど、敵を増やすだけで逆効果。

 取り入ろうとした相手の立場も危うくしては、庇護下に入る意味がない。


 逆に彼らの評判をおとしめたいのだとしたら、自分にまで非難が向くような振る舞いを、ああも頓着せずできるものか?


 令息の情報は持っているのに、自分の評判が分かっていない。先読みが出来るのに、先が見えていない。

 『情報の価値も分からず、周りも見えていないだけの考えなし』と判断するのは簡単だ。


 だがセルジュには、行動と中身が伴っていないエミリーに、自分には認識できない大きな齟齬が存在しているような感覚に陥る時があった。


 ――言葉に出来ない異質さを知る手掛かりが、この任務で掴めるかもしれない。


 はやる気持ちを抑えながら階段を昇り、ナルシスに割り当てられた最上階に歩を進めた。



 王族である彼の部屋がある寮は、警備の観点から一般生徒のものと作りが違う。一般生徒の寮が一階につき十部屋、一部屋二人ずつの相部屋なのに対し、王族や高位貴族用の生徒寮は一人につき一階ずつ。

 自分の家から連れてきた使用人や護衛以外は許可なく立ち入ることは出来ず、階を行き来する階段には屈強な衛兵が付いている。


 セルジュは無人の階段を昇りながら考えていた。

 厳重な警備が敷かれた寮内に、あの『証拠文書』を、誰がどうやって持ち込んだのだろうか。


 侍従長が聞いた話では、証拠文書は無人の部屋にいつの間にか置かれていたらしい。

 考えられる手段としては、この階に出入りできる人間に頼むか、この階に出入りできる人間自身が書いておいたか、あるいはロランのような――彼の場合は条件付きではあるが――強力な隠密系の固有術式を利用して侵入したか。


 今一度、この寮に出入りできる人間の背後関係を全て洗い出す必要がある。単独では不可能なので、ロランと侍従長に相談しよう。

 そんな算段を立てている内に、ナルシスが住む最上階へ到着。


 展開していた暗視術式が異常をとらえ、セルジュはドアから数歩離れた所で足を止める。


 誰もいない筈のナルシスの部屋のドア。その鍵穴から、微かに光が漏れていた。




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