第6話 俺だけホラーゲームプレイしてない?



 コツ、コツ、コツ、コツ……


 廊下から書斎こちらに近づく足音を聞いた俺は、日記をズボンのベルトに差し込み、抽斗を閉じて鍵をかける。

 椅子の位置を元に戻し、机の陰から顔だけを出して扉を注視。


 やがてドアが開き、執事服を着た壮年の男が入って来た。おそらく、ココット男爵家の家令だろう。


 その家令が、蝋燭ろうそくを一本刺した柄の長い燭台を手にしているのを見た俺は焦った。


 ――やっべ、灯りけに来たのか。



 この世界の主な照明は蝋燭だ。ファンタジーでおなじみの魔力を通せばパッと点く照明の魔道具なんてのは、お隣のライヒェン皇国で開発した物を輸入するしか手に入れる方法がないので、王宮や王立学園といった一部の施設でしか使われていない。


 蝋燭もまた原料を輸入に頼っているため高級で、庶民の灯りは獣脂に芯だけをさしたものが一般的。街灯も貴族街の限られた場所にしかない。

 貴族の屋敷であっても蝋燭は夕飯の時か、他の貴族を招いてパーティーや晩餐会をする時。

 そして、それらのパーティーや晩餐会に招かれ、夜遅く返ってくるであろう主人を出迎える時にしか使われない。


 王城での出来事を知らない家令は、主人が戻る頃合いに合わせて部屋の灯りを点けに来たのだ。


 さて、俺が今起動している固有術式『夜を纏う者ナイトウォーカー』はそうした照明事情を前提に作り上げた術式のため、致命的な弱点がある。


 その名の通り、夜間の行動に特化した術式であるため、

 火魔法が水魔法に相殺されるように、『夜を纏う者ナイトウォーカー』の術式を作り上げている闇属性の魔力は、光の下だと霧散してしまう性質があるのだ。



 要するに、灯りを点けられたら一発で俺の存在がばれる。



 屋敷に居るのはおそらく目の前の家令一人。見つかっても最悪その場で気絶させれば捕まる事はないが、その場合は『屋敷に侵入者が居た』ことが明るみになってしまう。


 『雄鶏』の存在が公にならないためにも、隠密行動は発覚すること自体があってはならない。


 俺は素早く書斎内にある蝋燭ろうそくの位置を確認する。今まさに家令が火を点けているドアの横、部屋の四隅と、左右の壁の中央に一つずつ、合わせて七か所。


 家令がドアの横の蝋燭を点け、そのまま俺から見て右側の壁の隅にある蝋燭に向かったのを見て、机の陰から足音を立てずに反対側の壁に向かう。


 家令が背を向けている隙に扉までの距離を詰め、ちょうど壁の中央にある蝋燭の下にしゃがみ込んだ。

 そのタイミングで灯りを点け終わった家令が、次の蝋燭に向かう。

 ――大丈夫だ、ここは暗い。暗い場所なら、絶対にばれない。

 蝋燭の光が届かない暗がりの壁に張り付いて、ジッと家令の動きを注視する。


 そしてまた、執務机のすぐ隣にある蝋燭に火を灯すために背を向けた隙に、扉の横まで一気に移動。


 そのまま音もなくドアノブを捻り書斎を脱出すると、目の前の光景に思わず舌打ちしそうになった。


 壁に灯された蝋燭が廊下をくまなく照らし、身を隠せるだけの暗がりが何処にもない。

 家令が書斎の灯りを点け終わるまで、あと幾ばくか。


 ――迷っている場合じゃねえな。


 俺は即座に書斎の向かいにあったドアを解錠し、ドアに身を押し付けるようにして部屋の中に飛び込み、後ろ手にドアを閉めて施錠。


 室内で家令をやり過ごせるかと思ったが……すぐに、その部屋を選んだことを後悔した。


 ――うーわ、よりにもよってか!


 部屋の中央には大きなベッド、隅にはクローゼットと酒瓶の入った飾り棚。間違いなく、男爵の寝室だ。

 優先探索場所ではあるが、はマズい。


 何せ家令は、王城から帰ってくる主人のために灯りを点けて回っているのだ。

 当然、寝室の灯りだって点けにくるわけで――……


 カチャン、と後ろのドアの錠が回る。


 俺がベッドの下に滑り込むのと、ドアが開いて家令が部屋に入って来たのはほぼ同時だった。


 ベッドの足側に頭を向けうつ伏せになり、ベッドカバーの隙間から部屋の様子を覗き見る。

 どうやら家令は俺に気づいていないようで、書斎と同様、壁の灯りを順番に点けて行く。このままやり過ごせれば……と安心したのも束の間。


 カサ……


 不意に、耳元で何かの音。嫌な予感がして、身を強張らせる。


 カサ、カサカサ……


 視界の左上で何かが動いた。予感が、ひしひしと現実味を帯びてくる。



 カサカサ……ポトッ



「……―――――――――――っ!!!」


 上から落ちてきたを認識した瞬間、悲鳴を上げて飛び上がりそうになるのを、全身に力を込めて耐えた。ここまで来てベッドに頭ぶつけて見つかるなんてマヌケな真似はしたくない。


 俺の鼻先一センチを掠めて目の前に振って来たのは、前世でも人類から最も恐れられた存在――別名、台所の悪魔だ。


 悪魔は、落下の衝撃で方向感覚を失ったのか、俺の眼前をクルクルカサカサ高速回転している。


 ――こっち来んなこっち来んなこっち来んなこっち来んな……!!!


 俺の祈りが通じたのか、悪魔はベッドの外に向かって一直線に駆けだした。


 奴がベッドカバーを潜り抜けたのを見届けて、安堵のため息を吐――


 ダンッッ!!!


 ――こうとして咄嗟に両手で口を覆い、全身を縮こまらせる。


 悪魔がベッドの下から出た瞬間、家令の革靴が容赦なく奴を踏みつぶしたのだ。

 俺の眼前十センチにも満たない場所である。


「まったく……どこから入ってくるんだか」


 蝋燭を点け終わったであろう家令が、ぼやきながら悪魔の死体をハンカチでつまんで回収する。

 ドアが閉まり、鍵がかけられ、足音が遠ざかる。やがて階段を降りる音が聞こえてきたところで、ようやく俺はベッドの下から抜け出した。


「ッハァ~~~~~ここだけホラーゲームかよ~~~~~」


 ずっと息を止めていて脳が酸欠気味だったせいか、アホみたいな考えが口を吐いた。


 蝋燭の灯りに照らされた中で、しばらく四つん這いになって息を整える。

 精神的にかなり消耗しつつもどうにか立ち上がろうとすると、足先に何か絡まっているのに気が付いた。


「何だこれ、布……?」


 ――ベッドの下に隠されてるアイテムとか、ホラーゲームじゃ重要アイテムっぽくないか?


 緊張から解放された反動と、寝室が元々探索目標だったことも相まって、すわ手掛かりかとウキウキしながら絡まっていた布を足から外し、両手でおもむろに広げる。



 布の正体は、古びた女児用の下着ドロワーズだった。

 所どころごわついており、腰の部分には『エミリー』と刺繍されている。




 ――……ぶち殺すぞクソロリ野郎が!!!!!!!




 男爵への殺意と、ベッドの下から出て来た下着ドロワーズを破り捨てて床に叩きつけたい衝動に震えていたときだった。


『ロラン。今、大丈夫?』


 伝達術式が起動する。相手はメリーベルだ。


「どうした?」


 答えると同時に、気付く。まだ定時連絡の時間じゃない。



「学生寮で侵入者と交戦。セルジュが負傷したわ」



 どうやら向こうはを引いたようだった。




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