第5話 『夜を纏う者』
この世界では、『魔力』と呼ばれるエネルギーを使って現実世界に干渉し、本来なら起こり得ない現象を起こすことができる。
何もない所から火や水を出す、物を浮かせる、傷を癒す……魔力を使って起こすこれらの現象全般を『魔法』と呼ぶ。
そして魔法を制御し、安定した効果をもたらすために作られたのが『術式』。
記号、文字、動作、音声など、一定の条件を満たした上で魔力を使うことで、あらかじめ決められた魔法を発動させる仕組みだ。
例えば、俺たちが使用する伝達術式も、専用の刃物で耳の裏に彫られた紋様に魔力を通すことで、同じ術式をもつ侍従長や同僚たちと遠距離でも会話が可能になる。
術式は、魔術師が開発した
水を出したり、かすり傷を直すなどの、
その対極にあるのが、『固有術式』。使用者の魔力量や得意な魔法に合わせて改造された一点ものの術式だ。
「『
固有術式を起動すると、足元から音もなく『影』が這い上がり全身を包む。全身の輪郭は暗闇に溶けておぼろげになり、顔はおろか、身体つきすら定かでなくなった。
街灯もない暗闇の中、どれほど夜目が利く人間が目を凝らしても俺がいると認識する事はできない。
『
この『
こうした任務にはうってつけの術式だった。
改めて、今から潜入するココット男爵の屋敷を裏手から見上げる。
二階建ての屋敷の大きさは、前世の日本の一戸建てよりやや大きい程度。窓から洩れる灯りはなく、屋敷は静まり返っていた。
裏口に近寄り、ドアノブの下にある鍵穴を覗く。廊下は真っ暗で、人の気配はない。
俺は懐から一本の鍵を取り出した。
軸の先に一つだけ小さな歯を付けた、
この世界の鍵は、前世でいうウォード
鍵穴の中には、鍵についた歯に沿う形のレールがあり、鍵を回すことでレールの上を鍵の歯が通って、
……要するに、レールの隙間に鍵の歯を通して回す事ができれば、余程複雑な形状でない限り開けられてしまう、セキュリティの脆弱な錠なのである。
案の定と言うか、
ドアを薄く開けて中を覗き、誰もいないのを確認して素早く身を滑り込ませる。
予想通り廊下に灯りはなく、光源は外から入る星明かりだけ。裏口の鍵をかけ直して、探索開始だ。
探索の優先順位は、まず男爵の書斎と寝室、余裕があればエミリー嬢の自室。
エミリー嬢は学園の学生寮で寝起きしているので、屋敷に重要な物品を残している可能性は低い。
足音を立てずに廊下を通り抜け、俺は書斎の場所に目星を付ける。
フランセス王国の貴族の屋敷は、一階が客を迎えるオフィシャルな空間、二階は個人や家族で過ごすプライベートな空間になっていることが多い。
書斎は重要書類を処理する執務室も兼ねる事もあり、二階に置くのが大半。それに机仕事の光源を確保しやすいため、南向きの部屋であることが多い。
俺は玄関横の階段から二階に上がり、廊下の南側、一番奥にある部屋を真っ直ぐ目指す。
鍵穴を覗いて人の気配がないのを確かめ、
中に入れば大きな本棚があり、部屋の中央に執務机。思った通り、ココット男爵の書斎だ。
俺は真っ先に執務机を調べにかかった。
経験上、大事な書類やら日記やらの大半は、鍵付きの
人の目に触れないようにしたいのと、自分の近くにおいて安心したい心理が働く所為だろうな。
鍵付きの抽斗をサッサと解錠すると、いかにもな冊子が一冊。
中身を確認すると、どうやら日記帳のようだった。
最初の日付は、丁度一年前の今日。
『一月一日 こんなに気の重い新年は初めてだ。エミリーは受験勉強があるからと、食事だけしてすぐ部屋に籠ってしまった。
女の身で学園に通う必要なんてないだろうに…………』
――おーっと、一ページ目から香ばしいなあ。
フランセス王国は典型的な男性優位の貴族社会ではあるが、かといって『女は何もしなくていい』という訳にはいかない。
特に貴族の女性は教養を身に付けておかねば、社交の場で恥をかき、家名を
この時点で大分嫌な予感がしつつも、俺は日記をめくる。
しばらくエミリー嬢が学園を受験することへの不平不満がずっと続いており、どうやらエミリー嬢について気に入らない事を延々この日記に書きつけているようだった。
『三月四日 エミリーが受験に行った。落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ……』
丸々一ページに渡って書き連ねられた呪詛に思わず顔を
ここまで彼女を恨む筋合いが何処にあるのか。孤児院から引き取ったのは、罪悪感からかと思ったが、また別の理由でもあるのだろうか?
その答えは、ページをめくった先にあった。
『三月十一日 クソが! 合格、合格、合格だと!?
あの恩知らずめ、何のために引き取ったと思っている!
母親が死んでろくな食い物もなく、汚い男どもに媚びを売って生きるしかない小娘をわざわざ助けてやったんだぞ!
食事も着るものも住む場所も全部全部用意してやってるんだ! 大人しく私の女になればよいだろうが!! ……』
「……うわ、うーわ」
文章の途中だったが、あまりの
『身の程知らずめ。立場を弁えないのは、母親そっくりだ!
あの女も移民の分際で、拾ってやった私の誘いをアレコレと理由を付けて断って! 良いだろう、分からせてやる、母親と同じように、身体に分からせてやる!!
殴って、×して、何度も×××して教え込んでやる! 実の父親に逆らうなとな!!』
――おいマジか!? 実の娘に手ぇ出したのか!?
紙を貫き読めないほどの筆圧で書かれた文字の先を読もうと、次のページに手をかけた瞬間――
コツ、コツ、コツ、コツ……
廊下から、こちらに近づく足音が聞こえた。
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