第3話 証拠(出所不明)



「情報の共有はもう済んでるようだね。ロランがいると話が早くて助かるよ」


 そう言って侍従長・ジェルマンは、俺たちに備え付けのソファに座るよう促す。


 一見すると温厚そうな老紳士は、先王のころから『雄鶏』をまとめ上げ、彼自身も若い頃は第一戦で暗躍していた生粋の叩き上げだ。


「まずは待たせてしまってすまない。大広間での騒ぎを収めるのに時間がかかってしまった」


 そう言って侍従長も上座の一人掛けソファに腰掛け、手に持っていた分厚い紙束をテーブルの上に置いた。


 それは何か、とは誰も聞かない。聞かずとも説明される事が分かっているからだ。


「さて、先程の婚約破棄騒動に両陛下は大変お怒りだ。


 ナルシス殿下はその場で無期限の謹慎と今年の社交への参加禁止を言い渡され、エミリー・ココット男爵令嬢も陛下直属の騎士が拘束。


 二人とも今は取り調べがされている」


 ――まあ、そらそうなるわな。


 国中の貴族と近隣国の国賓を招いた中での醜聞だ。向かいのソファに座っているセルジュとドロテアが同じタイミングでうんうんと頷く。


「アンリエット・ファリエール公爵令嬢は解放され、今は王宮の一室で家族と共に保護されているが……思わぬ問題が起きた」


 侍従長はほとほと困り果てたとばかりに、皺の寄った眉間を揉む。こんな侍従長を見るのは珍しい。相当な問題事であると、全員が固唾を飲んで次の言葉を待った。


「騒ぎを聞きつけた隣国ライヒェンの皇太子殿下が『幼い頃から慕っていた。婚約が破棄されたならば、自分の妻に迎えたい』と言い出したのだよ」


「はあ?」


 予想斜め上をいく事態に思わず声を上げてしまった。

「まあ、略奪愛……」とメリーベルが隣で呟き、セルジュは目を真ん丸にして固まっていた。


「侍従長、アンリエット嬢はプロポーズをお受けになったのですか?」


 堪らず、と言った感じのドロテアの質問に侍従長は苦笑する。


「外務大臣と法務大臣が割り込んでうやむやにしたよ。彼らがいなければ、私がここに来るのはもう少し遅れていたね」


 その言葉に四人全員が、何とも言えない溜息を吐いた。


 婚約破棄がナルシス殿下の独断である以上、実際はどうあれ法律の上では二人はまだ婚約中だ。

 皇族が他国の婚約者がいる令嬢を妻に欲するとか、外交問題でしかない。


「さて、皇太子殿下の対応はお歴々に任せるとして。君たちの仕事を教えよう」


 侍従長は先程テーブルに置いた紙束を指で叩いて示す。


「これはナルシス殿下からお預かりしてきた、『アンリエット嬢の非道な行いの証拠』とやらだ。ロラン、読みあげてくれ」


「では、失礼しまして」


 俺は何も書かれていない一番上の紙をめくり、大きく書かれた表題を読み上げた。


「『アンリエット・ファリエール公爵令嬢および彼女と親交の深い令嬢たちの、エミリー・ココット男爵令嬢に対する非道なる行いの告発』」


 斜向かいに座っていたドロテアの、膝に置かれた手が握り込まれる。俺は気づかないふりをして、次のページをめくった。


 要約すると、こうだ。



『アンリエット嬢が取り巻きの令嬢たちを通して、エミリー嬢に嫌がらせをしているという話を耳にしました。

 私たちで止めようにも、公爵家の名と次期王妃の立場を出されては、家族のためにも口をつぐむしかありません。

 なので私たちは、自分と家族を守るためにも匿名でナルシス殿下にこの書類をお渡しするしかできませんでした』



 その後、アンリエット嬢が取り巻きに指示した(とされる)エミリー嬢への嫌がらせの内容や、取り巻きの令嬢たちがこんな事をしていたのを見たという目撃証言が列挙され、最後にこう締めくくられていた。



『アンリエット嬢のように気に入らない人間を弾圧するのではなく、エミリー嬢のように分け隔てなく人間を愛する王妃であれば、身を粉にしてでも王国に尽くしたいと願っています』



 最後のページには、『王立学園生徒一同より』とのみ書かれている。


 紙束をテーブルの上に戻した俺は、大きく息を吐いて率直な感想を述べた。



「殿下はこの書き手のクソさが透けて見える出所不明の怪文書を真に受けたんです???」


「殿下曰く、『国を守るための苦渋の決断だった』そうだ」

「うーわ、うーわー」


 完っ全に踊らされてるじゃねえか。

 これ書いた奴が大広間の出来事を知れば、腹を抱えて大笑いすることだろう。なにせこの国の第一王子が自分の思い通りに動いてくれたのだから。


「『ドロテア・リュシェール子爵令嬢が、エミリー嬢の鞄の中身を廊下にばら撒き、本人の目の前で踏みつけにしたらしい』ですって!? 誰がこんな事実無根のデタラメを……!!」

「わー落ち着けッス、ドロテア! 大事な証拠を破いちゃ駄目ッスよお!」


 俺が置いた紙束をテーブルからひったくって、今にも引き裂かんばかりに握りしめているドロテアを必死になだめるセルジュ。


「ねえロラン、内容の真偽はともかく。告発書としてはキチンとしてるように見えるわ。どのあたりが気に障ったの?」


 メリーベルがドロテアの手からそっと紙束を引き抜きながら、俺に尋ねる。


「あ? まー色々あるが、まずは主語だな」

「主語」


 紙束をパラパラとめくるメリーベルに、俺は指先で顎鬚をさすりながら説明していく。


「筆跡からして資料を書いたのは一人。なのに主語は複数形私たち。こうして主語を大きくすることで、書いた人間が誰かを特定されないようにしてる。

 それだけじゃなく、文章の受け手――いずれ王位を継ぐであろうナルシス殿下に、『自分の国の人間が一様に同じ意見を持ってる』と思わせて、無視できないようにする狙いもあるだろうなあ」


 人間ってのは流されやすいし、多数決には特に弱い。大勢の人間が同じ意見を持ってるなら、この意見は正しいだろうって勘違いする。


 だから、自分の意見を話すときに『普通は』とか『世間は』とか言ってくる奴は信用しない。

 経験上そういう奴は、自分の意見に自信がなくて主語を大きくしているか、マウント取るために一般論に見せかけて論破しようとしているかのどちらかだ。


 心の健康のためにも、距離を置いたほうがいい。


「そして殿下のお気に入り、エミリー嬢を引き合いに出して『彼女を助けられるのは貴方しかいない』って正義感をあおる。

 しかもアンリエット嬢は公爵家、貴族の中で最高位の家の人間だ。

 『王族である自分以外にエミリー嬢を救える人間はいない』って思いこんじまってもおかしくはない」


「あー、ナルシス殿下なら引っかかるッスね」


 腕を組んだセルジュが大きく頷き、ドロテアが盛大に溜息を吐いた。俺はメリーベルから紙束を受け取り、全員に見えるようテーブルに置いた。


「エミリー嬢への嫌がらせとやらの記述もだ。誰がいつ目撃したかも不明な上、文末が基本『~らしい』で終わってる。

 しかも最初の文章に『話を耳にしました』って書いてあるだろ?

 仮にこれを書いた奴を捕まえたとしても、『噂をまとめただけで、真実だとは一言も書いてないです』ってシラを切り通せるんだよ。


 で、極めつけは最後だな」


 最後の文章を人差し指で叩く。



『アンリエット嬢のように気に入らない人間を弾圧するのではなく、エミリー嬢のように分け隔てなく人間を愛する王妃であれば、身を粉にしてでも王国に尽くしたいと願っています』



「ドロテア、この文章をどう解釈した?」

「どうも何も、不敬でしょう。アンリエット嬢ではなく、相応ふさわなんて」


「残念だが、そんな事は一つも書いてない」

「え!? だって……」


 戸惑うドロテアに俺は正解を教えた。


「『相応しくないなど恐れ多い。私たちはただ、アンリエット嬢にエミリー嬢の優しさを持ってほしいと、婚約者たるナルシス殿下から“さとしていただきたかった”だけです』……ってな具合に、言い抜けられる書かれ方してんだよ」


 そう言うと、みな三者三様に絶句していた。


 セルジュはドン引き。メリーベルは呆れ顔。

 そしてドロテアは、今にも爆発せんばかりの憤怒の形相。激情で制御しきれなくなった魔力が溢れ、俺の背筋を凍えさせる。


 パンッ、と侍従長が両手を鳴らした。


「……さて、今回の仕事を教えよう」


 侍従長は皆の視線と注意が自分に向いたのを確認し、こう告げた。



「君達に頼みたいのは、婚約破棄の真相を究明することだ。


 誰が、何の理由と目的でこの書類を作り殿下に渡したのか。それを調べて貰いたい」


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