第2話 聞けば聞くほど乙女ゲー
「っは~……死にてえッス~……」
侍従長の執務室の隠し扉を開けた先で、近衛の服を着た同僚がうずくまって泣いていた。その隣に立つ、ドレスを着た同僚が俺たちに気付いて会釈する。
「ほらセルジュさん、ロラン先輩とメリーベルさん来てますよ」
「うぅあ゛あ゛あ゛~ロランざん゛ん゛~メリーベルざん゛ん゛~」
うずくまっていた近衛服の同僚――セルジュが涙と鼻水でべっそべそに濡れた顔のまま、ゾンビの如く俺たちに両手を伸ばして近寄って来た。
短く刈り上げた黒髪に映えるエメラルドグリーンの瞳を持つ精悍な青年は、今日も第一王子ナルシスの護衛に就いていたはずだ。
「あらあらセルくん、災難だったわねえ。ほら、お顔拭きましょう? せっかくの美男子が台無しよ」
「うあぁ優しさが沁みるッスぅう~」
身長百八十センチ超えのガチ泣き十七歳に動じる素振りもなく、メリーベルは甲斐甲斐しくセルジュの世話を焼き始めた。
俺は大広間から持ちっぱなしだった銀盆をテーブルにおいて、傍らに立つもう一人の同僚に声を掛ける。
「ドロテア」
「すみません、ロラン先輩。こちらの力不足でナルシス殿下の暴走を防げませんでした」
「ん、俺も見てた。とりあえず共有頼むわ」
緩く波打つ赤毛をハーフアップにし、シャンパンゴールドのドレスを纏ったドロテアが、碧眼を釣り上げて報告する。
曰く、アンリエット嬢の取り巻きの一人に扮して未来の王妃を護衛していたドロテアは、彼女の居る控室に挨拶に行っていた。
話し込んでいる内にセルジュが先触れとしてやってきて、エスコートの時間である事を告げ、アンリエット嬢が了承の返事を返したため、ドロテアは先に式典会場へと向かおうと控室を辞そうした。
だがそこに、セルジュが慌てて取って返して来たのだ。
『自分が先触れで部屋を離れた隙に、ナルシス殿下が姿を消した』と。
ドロテアは、俺と同じく耳の裏に彫られた伝達術式で即座に侍従長に報告。
侍従長から『国賓への挨拶を遅らせる訳には行かないため、
そうしてアンリエット嬢が一人で国賓への挨拶に対応していたまさにその時に、ナルシス殿下がエミリー・ココット男爵令嬢を大広間にエスコートして来たのだ。
「『自分と言う婚約者が居ながら一体どういう事か』とアンリエット様が
頭が痛い、と言わんばかりに顔を
「いやホントマジ信じらんないッスよ! 学園でもアンリエット嬢を放ったらかしにしてお茶会とかするんッスよ!?」
「セルジュ、その辺も
「ウッス!!」
これまでの
曰く、王立学園の二学年に居る第一王子のナルシス殿下は、今年入学してきた元平民のエミリーに夢中になった。
セルジュも最初はエミリーとの交流に反対はしなかったが、婚約者がいるにもかかわらず二人で茶会をしたり、街に出かけて贈り物を送ったりと、次第に殿下の入れ込み具合が看過できないレベルになったため、婚約者であるアンリエット嬢と一緒に諫めた。
だが殿下は全く聞く耳を持たず、それどころかセルジュとアンリエット嬢が不義の関係にあるのではと口走ったらしい。
「それがきっかけで、お二人は以前にも増して疎遠になって、口を利く事もなくなったッス」
「自分の振る舞いも顧みず、何を仰るのかしらねえ殿下は」
「殿下の取り巻き令息たちも迎合してるのか何なのか、一緒になってエミリー嬢を構い倒すんですよね。自分たちも婚約者そっちのけにして、貴族である前に男として最低ですよ!」
――うーん、聞けば聞くほど乙女ゲー。
俺はまた無意識に、短く揃えた顎鬚をなぞる。
前世の知識で言えば、この後アンリエット嬢は断罪され、エミリー嬢が王妃になってハッピーエンドになるのがお約束。
――ただまあ残念なことに、ここはゲームではなく現実だ。
世界を動かしているのは画面の向こうのプレイヤーではなく、この世界で生きる意思のある人間。
現状を不都合に思う人間が居る限り、幸せが約束されるなんぞ有り得ない。
多くの国賓を招いた式典でやらかしてくれた
そのためにまずやることは。
「事情は把握した……ドロテア、よく自制したな」
「っ……はい」
俺はそう言ってドロテアの肩に手を置く。引き結ばれた唇は震え、目には薄い涙の幕が張っている。
ドロテアがアンリエット嬢を仕事抜きで慕っているのは、言動からすぐに察せた。
もしアンリエット嬢が騎士たちに連れ去られるとき、感情任せにアンリエット嬢の奪還に動いていれば、彼女の取り巻きだったことも合わせて、まとめて捕縛されていただろう。
そうなれば情報の共有が遅れ、俺たちによる後始末も後手に回らざるを得なくなってしまう。
訓練を受けているとは言え、十七歳という若さで的確な判断を下せるのは大したものだ。
「セルジュも。殿下の言いがかりに
「ウッス! ありがとうございます!」
ビシッと音が出そうな勢いで頭を下げたセルジュの黒髪を乱暴に撫でる。
愚痴をこぼすことはあっても、実直なこの青年は腹立たしい人間を守るという
言いがかりに食って掛からず、任務中に私情を呑み込む強さを持てる彼は、この先さらに頼もしい仲間となるだろう。
「ロランって優しいわよねえ。ちょっとした愚痴でもよく聞いてくれるし、普通に仕事しただけでもすごく褒めてくれるし」
後輩二人へのアフターフォローに対するメリーベルの評価を、俺は少しばかり修正する。
「俺は別に優しくねえよ。この仕事してたら人間のクソみたいな一面をひたすら見続けるし、理不尽な目にも遭うだろ?
俺らは感情制御の訓練を受けてて、任務中にムカつくことがあっても我慢できるが、ムカついたって事実は変わらない。
そういう事実の積み重ねを放っといて心が荒みっぱなしだと、突然前触れなしにぶっ壊れちまうから、こまめに様子見てるだけだ」
前世の俺がまさにそれ。人間関係で心を病んで、二十年務めた職場の屋上から飛び降りたからな。メンタルケアは超大事。
「ふーん……」
俺の言葉にもの言いたげな笑みを向けてくるメリーベルの視線を黙殺しつつ二人のケアをしていると、不意に執務室のドアが開いた。
「待たせたね。どうやら皆、揃っているようだな」
扉を開けた人物の姿を認識した俺たちは、一斉に礼をする。
立っていたのはこの部屋の主。ロマンスグレーの髪を後ろになでつけ、銀縁のモノクルを右目に付けている壮年の男性。
王国の暗部『雄鶏』のまとめ役――フランセス王国の侍従長・ジェルマンだった。
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