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「いらっしゃいませ」
少し不愛想に迎えられた店内は、広告にあった写真の通りの雰囲気で、薄暗くほのかに赤光灯が照らす。客は誰もおらず、整えられたひげを蓄えた店主が一人、カップを布巾で拭いている様が非日常的だ。
「何になさいますか」
俺はオレンジジュースを注文してカウンターにコインを数枚置いたところ、少し含みのあるような笑いを浮かべた店主は近くのドアに入っていった。
一人になった店を見渡す。灰皿に吸い殻が溜まっているのを見つけ、一定数ここに通う客がいることを確認できた。まあお金がなければこんなにきれいな広告は作れないだろうな、と俺はカバンから取り出した広告の一枚と見比べてつぶやいた。
ふとトイレの扉の近くに本棚があるのを見つけた。立ち上がってそこまで行くと、見たことない本もたくさんあった。喫茶店なら雑誌や週刊誌を置いているイメージがあったのだが、ここはそのほかのジャンル、特に文学本が多いようだ。隅の方にはなぜか参考書がある。俺が持っているものもあった。
「何か興味ある本はありますか?」
後ろから聞こえた声に思わず身を震わせた。いきなりだったからか、席を立って本を眺めているところを見られた恥ずかしさからか。否。
「オレンジジュース、お待たせしました」
振り返ると、彼女がにこやかにグラスを持っていた。
「あ、ありがとうございます」
俺はいそいそとカウンター席まで戻り、それを受け取った。
「珍しい本ばっかりですよね。私もそう思います」
「小説ばかり置いているのは、何か理由があるんですか?」
「さあ、わかりません」
彼女はカウンターに肘をついて、他人事のように答える。
話題が途切れてしまい、BGMのない店内に静寂が流れる。
「あの……」
「来てくれてありがとうございます」
彼女は目を細めて微笑んだ。
「そうだよね。あの時の」
「はい。あの時の人です」
彼女の口ぶりはどこかよそよそしく、初対面の人と話しているようだ。それでも警戒はされていないようだ。
「ごめん。同じクラスなのに、忘れてしまってて」
「いいんですよ。そもそも私、君とはあまり話したことないですし、現に私も、名前忘れてしまいましたし」
「
「そ、そうやね。私は……って、もう知られちゃってるか。よろしくね、島野くん」
「よろしく」
また沈黙が流れた。グラスに口を付けようと思ったら、もう中は空だった。俺はそれを彼女に差し出し、ご馳走様、と言った。
「もう帰るん?」
「いや、別にまだいてもいいけど」
「そっか」
彼女は息を深めに吸った。そして息をたっぷり含んだ声で、
「何も聞かへんの?」
と言った。
「まだ色々詳しく聞くには、青葉さんのことを知らへんし、俺のことも知ってもらってない。そういう信頼関係があった方が、後々の確執はないと思って」
「そうなん?」
「どうだろ」
「なんやそれ」
彼女がそう笑う姿を見ると、やはり同じ高校生なのだと感じる。
「それに、一気に全部のこと話すと疲れるでしょ? だから少しずつ話してほしい」
「でもなんとなく私が何を話すつもりなのか、見透かされてる気がするなぁ」
「そんなことないと思うけど」
「だって楽しい話だったら、疲れるとか言わへんやろ?」
まあ、図星なのだが。というか、この状況に放り込まれたら誰でもそう勘繰るだろう。
「もし、千景が問い詰めてきたことを気にしてるんだったら、心配しなくてええよ。あれはびっくりしただけやから。それに私のことをあんまり知らない島野くんだから、ためらいはない」
「でも……」
「じゃあさ、試しに予想言ってみてよ」
「予想って、そんなのないよ」
「嘘だぁ。だって質問する時、こういう返答がくるなーって想像してるでしょ?」
確かに大体の事情は想像できている。それも何通りか。でもそのほとんどの選択肢の中に、ファンタジーのような要素が含まれている。でもあの出来事があったから、それもありなのかと思ってしまう自分もいる。
「じゃあ、言ってみる」
彼女が頷いたのを見て、俺は口を開いた。
「青葉さんはこれまで他のクラスメイトと同じように学校に通っていた。でもある日を境に急に学校にこれない事情ができて、来なくなった。その理由は」
言葉に詰まってしまった。
「その理由は?」
彼女は促す。
「急に周りの人から見えなくなった、とか」
「……」
「どう?」
「50点」
「えぇ……」
案外低い点数に思わず落ち込んでしまう。
「でも、大筋は合ってる。やっぱり見透かされちゃってたかな。もしかしたらもうちょっと点数高いかも。70点くらい?」
「どこがだめだった? やっぱり、見えなくなったってところ?」
「そこが一番惜しい。だって見えなくなったってだけやったら、どうして島野くんが私のこと見えているのかの説明がつかなくなる」
彼女はカウンターの奥から出てきた。白いブラウスに紫のワイドパンツ。初めて彼女を駅で見た時と同じ服装だ。
「私、夜しかいないの」
「夜だけ?」
「うん、夜だけ。私は夜の時だけ、誰かに認識してもらえる」
俺が問おうとすると、彼女は少しほほを緩めて、手を合わせた。
「でもここからはややこしいし、理解してもらえるほど整理できてへんから、また今度にしない?」
「わ、わかった」
歯に食べかすが詰まったまま寝るようなもどかしさを感じた。
「ごめんね。いいところで入るコマーシャルみたいな遮り方しちゃって」
「いや、いいよ。さっきも言ったけど、少しずつでいいから」
ありがとうございました、と俺は彼女に見送られ、カフェを後にした。
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