3

 送られてきたメッセージにあったレストランに着くと、奥のテーブル席から出てきた女性に手招きをされた。俺は人数を訊きに来た店員に会釈をし、ついて行った。


「こんにちは」


 席に座るよう促され、メニューを差し出された。俺は挨拶だけ返して、注文を取りに来た店員に対して、ウーロン茶とペペロンチーノを注文した。目の前の女性はパンケーキとダージリンティーを注文した。


「昼ご飯パンケーキって」


「もう先にご飯食べちゃったから、別腹」


 そう言い張るクラスメイト―――大津千景は、ハンバーグという文字の書かれた伝票を見せつけてきた。私服姿の大津さんは昨日のような取り乱しは起こさないような、つつましい印象に見える。白いシャツに黒い羽織、青いスカートという、制服と似た配色のコーディネートにも関わらず、年上と相対している気分になる。


「で、昨日のあれは何? あの子との関係は?」


 少し間が相手から俺から話題を提起した。


「話す前に一つ聞きたいんやけど、君は日葵のこと覚えてるん?」


「覚えてるというか、一昨日初めて見たんだけど」


 やっぱり、というため息をついて、大津さんはダージリンティーを一口飲んだ。


「二週間前、日葵はいつも通り学校に来て、普通に授業を受けてた。でも、その日の放課後、部活に日葵はうへんかってん。何か事情があるんかなって、その時は思っててん。でもその日のミーティングで、あ、日葵はトランペットパートなんやけど、トランペットのソロのオーディションについての話があって、その時におかしいって思ったんよ。日葵の名前が一回も出やんかったから」


「それで、その子について誰も覚えてなかった、みたいな?」


 大津さんはうなずく代わりに、カップに黙って口を付けた。


「で、帰ってから連絡を取ろうと思ったんやけど、既読はつかへんし、電話は迷惑になるかもしれへんかったからかけてないけど、出えへん気がして。で、次の日に周りの誰かに話そうと思って学校に行ったら、机と椅子の数が一つ減ってて、どうしようもなくて」


「ちょっと待って、その話を聞く限りだと、俺と同じクラス?」


「そうやで。てっきり私の他にも日葵のことを覚えている人がおるんやって思ってたんやけど」


「まじか」


「てか私のこともちゃんと覚えてないやんね」


 俺は目をそらし、パスタの最後の一口を口に放り込む。彼女がいないクラスに全く違和感がなかった。席が一つ減っていたら、人数が足りないとは思わない。出席番号順に思い出そうとしてみるが、そもそも俺がクラスメイト全員を意識していないことに気づかされ、ア行で諦めた。


「で、君の方の事情も知りたいんやけど」


 俺はざっくりと昨日と一昨日のことを話したが、話していくうちに大津さんの表情は険しくなった。


「それで行こうとしたんや。随分変なことをしようとしたもんやな。ちょっと引くわ」


「そう言う大津さんは、昨日どうして俺の後ろにいたの?」


 俺の方も、クラスメイトとしての彼女ではなく、黒カバンの少女の彼女を認識している、唯一の人間だという自負を持っていたのだ。むしろ変に思ってもおかしくはないだろう。なんせ、彼女と会う随分前に、学校で別れた―――振り切ったのだ。

 俺は嫌な予感がして、大津さんの表情を伺うと、案の定。


「もしかして、つけてきたの?」


「……」


 俺はポケットの中に手を突っ込む。


「警察呼ぼうかな」


「ちょ、ちょっとストップ。一回話聞いてもらえへん?」


「言い訳聞く気はない。署で話して」


「だっ、第一君が挨拶もせずに、意味深な逃げ方するから。それに暇やったし、ちょっと好奇心、みたいな?」


 目が泳ぐという言葉の通りに動揺する大津さん、改めて昨日の人物なのだと納得できた。


「はぁ」


「とりあえず、この話は終わりにせん? もうそろそろ店出た方がええやろうし」


「そんなこと言って、店出てどっか行く予定はあるんすか?」


「あるよ」


「あるの?」


 ちょっと食い気味反応してしまった。てっきりここで情報交換をして解散かと思っていた。


「じゃなかったらわざわざ会わないでしょ」


「確かにそうだけど、じゃあどこに」


「日葵の家よ」


 大津さんは伝票を持って立ち上がった。


***


「そこそこ大きい家やな」


 案内された場所は、二階建ての一軒家だった。表札には『青葉』と書いてあり、その隣にある柵の隙間から丁寧に手入れがなされた庭が見える。

 ここに来るまでに、大津さんには彼女との関係や、大津さん自身のことについて聞いた。大津さんと彼女は小学生からの幼馴染で、一番の友達だという自信があるらしい。ただ互いの家に行くことはそれほどなく、親同士の付き合いはほとんどないとのこと。二人とも中学から吹奏楽を始め、彼女を含む数人のグループで遊びに行ったりご飯を食べに行ったりしたらしく、そのメンバーも同じ高校に進学したらしい。もちろん大津さんはその面々にも話を聞いたものの、やはり覚えている人はいなかったらしい。

 隣で大津さんがインターホンを押す。ただし、反応はない。


「だめかぁ」


 大津さんは明らかに落胆している様子だった。


「ちょっと前進したと思ったんやけど、また振り出しかな」


「まああんなに問い詰めたら、あの場所に戻ってくることもないだろうし、会う術はなくなったかもしれへんな」


「そ、それは……」


 大津さんは不服そうにカバンのひもを握りしめる。俺は彼女を促し、その場を後にする。


「まあ気持ちはわかる。なかなか会えなかった友達にようやく会えたら、俺だって話止まらなくなると思う。ただ、向こうはいきなりそうなると……」


 俺もいきなり彼女に本筋を聞こうとしてしまったこともあり、大津さんのことを手放しに責めることはできない。


「そうやね。きっと日葵はもっと不安なんやし、私がパニックになったらいけんね」


「次会う時は、気持ちをこらえて、それでもどうしても伝えたい一言を用意しとくといいかもね。それだったら逃げられても伝えられる」


「それ名案! 頭ええやん。次会うまでに絶対伝えたい一言……考えとこ」


 ちょっとトイレ行ってくる、と大津さんはちょうど通り過ぎかけたコンビニに入っていった。

 俺は汗をぬぐう。最近の夏は暑すぎる。セミのやかましさが少し気をそらしてくれるが、彼らが泣かなくなった晩夏が怖い。本当だったら軽音の奴らと今頃プールに入っていたはずなんだが、さすがに今日は断った。


 ふと、肩を叩かれる。振り向くと、ティッシュ配りの人がいた。フードを被っていて、目元を隠していて誰かわからないが、差し出す手から女性であることが分かった。俺は受け取り、カバンの中に入れた。すると彼女は、もう一つティッシュを差し出した。余っていたのだろうか。ティッシュ配りの人は全て無くならないと帰られないという話を思い出し、俺は受け取る。クーポンでもあれば嬉しいと思い、後ろを見るとただのカフェの広告だった。落ち着いた雰囲気で、学校に近い。今度帰り道に寄ってみようか。するともう一つ差し出された。少し怖いけど、よほど受け取ってもらえなかったのだろうかと思うと、助けてやりたい気持ちが芽生えた。この辺りは人通りが少ないから、配る相手も見つけづらいのだろう。


「お待たせ……って、どうしたん。そのティッシュ」


 彼女が去っていった数分後、戻ってきた大津さんに十個のティッシュをカバンに詰めあぐねているところを見られ、苦笑いで返した。


***


 あの後、大津さんを家まで送り―――というよりはついて行って見送り、俺は家に帰ってきた。昨日大津さんにQRコードを見せられた後、じゃあね、と言われて階段を上る彼女を見て、もしやと思っていつもの帰り道のホームに行くと、大津さんがいた。しかし目をそらされてしまったので別の車両に乗った。しかし最寄り駅で降りた時にホームで目が合った。そこからは別々の道だったのだが、近所であることは判明した。

 寝る前自室で、今日外出時に持って行ったカバンの中身を整理をする。とはいえ、ほとんどティッシュなのだが。でも、これほどたくさん受け取ったからには一度行かなくては、と改めて思いながら九個目を取り出した時、カバンのそこでぐしゃぐしゃになったティッシュを発見した。


「え」


 それを取り出す際、床に落ちる広告の紙に目が移って、俺は一人ながら声を出してしまった。


「なんだこれ」


 広告の紙の後ろの白い面に、小さく『つ』と書かれている。一応他の紙の裏も見てみると、残りの九枚にも異なる文字が書かれていた。アナグラムだろうか。

 俺は机に座って紙を並べてみる。その中から『つ』の紙を手に取って伸ばしながら考える。『こ』の紙が二枚あるのは、「ここ」と読むためだろうか。でもさすがに『ま』の紙二枚で「まま」とは読まないだろう。一文はできたけど、そもそも二文に分かれるのが正解だろうか。

 と、十五分ほど考えてもわからず、諦めて手に持っていた紙を机の上に投げた。

 しかし椅子から立ち上がって机上を見た時、偶然『ま』と『ま』の間にある、もう一つのカードの隣に『つ』のカードが入り、意味が通る文章が完成していたことに気が付いた。


『ここにきて まってます』

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