AM4時でも寝れないあなたへ

@shirousagi222

第1話 毒親、離婚

 記憶の始まりは、小学5年生の冬。あと一週間で私の誕生日だった。母と寝ている和室に、怒鳴りながら入ってきた父。明け方まで続く両親の喧嘩。珍しく母がバイキングに連れて行ってくれた帰り道、父と離婚することを知らされた。原因は、価値観の違い、らしい。でも、私は知っている。6つ上の姉が、父から体罰を受けていたこと。9つ上の姉が、祖父からセクハラを受けたこと。

「へえ、そっか。仕方ないよね」 そう言って、私は笑って見せた。

 父は九州の山奥で、農業を営む家に生まれた。なんとなく入った漁業高校を中退し、外国車のディーラーをしているとき、友人の紹介で母と出会ったという。母はその頃、美容師見習いとして働いていたそうだ。その後結婚し、3人の女の子が生まれた。その末っ子が、私だ。私が3歳になるころ、都会にタワマンの一室を購入し、ベンツやポルシェを乗り回すほどの贅沢な暮らしだった。しかし実際は、ディーラーをやめ株に手を出し、貯金は減っていく一方だった。

 私が幼稚園に入ってからもそこそこ裕福だったがために、かなりの英才教育を受けさせられた。平日は幼稚園から帰宅後すぐに勉強、休日は朝の8時から15時までみっちり勉強で、外に出かける頃には日が暮れかけていた。習い事は、体操、水泳、ピアノで、小学生になってからはバイオリン、バレエ、英語教室にも追加で通った。私の場合、運動神経は悪く音楽的センスもなかったが、勉強はそこそこできた。そのおかげで、何の塾にも通わずお受験をし、国立の小学校に合格した。しかし、姉2人はその頃思春期真っ只中で、よく親と喧嘩していたのを覚えている。

 喧嘩といっても可愛いものではない。習い事から家に帰ってくると、1番上の姉がベランダから飛び降りようとしていて、母が必死に止めていた。最終的には母が力技で勝利し、怒りと涙が入り混じったような声で姉を叱っていた。後から1番目の姉が言うには、「一個下の階に乗り移ろうとした」だそうだ。12階からどうやって1つ下の階に飛び移ろうとしたのか、私には理解できないし、姉以外の全人類が理解できないだろう。そんな1番目の姉は、一浪した後、高学歴大学の文系に入学し東京で一人暮らしを始めた。

 そこから家族の不満は、残された2番目の姉に向き始める。2番目の姉は勉強が嫌いで、勉強をしたくないがために絵を描き続けていた。そうは言っても、姉の成績は中の下くらいで、赤点も1個あるかどうかくらいだったはずだ。しかし、父はそんな姉のことを許さず、無理やり吹奏楽部を辞めさせた。その頃だったと思う、2番目の姉がおかしくなり始めたのは。勉強ができる妹と比較され、高校になってもスマホすら買ってもらえず、朝5時に起こされてランニングをさせられ、「お前は駄目だ」と叱られる。高校生の姉にとって、この苦痛は耐えがたいものだったと思う。その頃、私に対する父の態度も変わり始めていた。体操教室が終わった後、「全然できてない」と跳び箱の練習をさせられたのだが、跳び箱代わりの公園のタイヤには、鳩のふんやセミの抜け殻が沢山ついていた。毎週、真夏の公園でタイヤを1時間以上も跳ばされ続けたあの辛さを忘れることはない。また、マンションの共用廊下で、バク転の練習を満足するまでさせられた。勉強においては、分からない問題を母に聞くと、なぜか叱られることがあった。

 2番目の姉と私の関係も最悪で、喧嘩をするどころか一言も話すことなく、無言で嫌がらせをし合っていた。

 そんなギスギスした家族の関係が続き、冒頭に記した離婚へとつながったのだ。母との関係性については、また詳しく記したいと思う。


 まだ、書ききれていないことは沢山あるけれど、昔のことをこうやって記す上で、思い出してしまった嫌な記憶もある。もちろん私の家より酷い家庭はたくさんあるだろうけど、あえてここは「毒親」という呼び方をしたい。

 これは、私の醜い青春の、まだ始まる前の話である。


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