第15話 この中にいっぱい積もっているもの


「好き…… だと……?」


「うん。」


「お前が…… 俺を……?」


「うん、だから…… 絶対あきらめたりしない。」


 いつもの落ち着いている声、だが絶対的な強烈さを持っているその告白に、手が震えた。


 理解ができなかった。あんな無様を見せられたのに、救いようのない内面までさらけだしたのにも、どうして彼女は高々こんな男にあんな言葉をしてくれるのだろう。


 わからない。信じられない。だから、


「ふざ…… けるな…… お前が…… お前みたいなやつが……」


 腹が立った。


「お前みたいなやつが俺なんかを好きになるわけねえだろ!」


 冷静に、自分自身を評価するみじめさがもう一度胸の奥底から上ってきた。


「だった一か月!だった一か月間、俺たちは一緒に生活してきただけだ!その間俺はお前に愛され様な行動は何一つ!何一つしてねえ!」


 何もしてない主人公に惚れるなんて、物語から出てくる幻に過ぎない。


 人が人を愛することになるのには必ず何らかの理由がある。


 性格とか見た目とか、面白さとか魅力とか、その人が持っているものとかお金とか。


 でも俺は彼女ほど素敵な女性に愛されような要素を何一つ持っていなかった。


「お前が俺に本当に何かを感じているのなら……!それは……!ひと時の気持ちに過ぎない!勘違いなんだ!少なくとも愛のような、大したものではないんだよ!」


 血が染みり出そうな声でそう言った。そして…… 今回ばかりは彼女も傷ついたはずだと、そう確信した。


 たとえ勘違いだとしても、告白した男から、拒絶どころか好きという感情そのものを否定されたんだから。痛くないはずがない。傷ついてないはずがない。


 その最低最悪の行為に、さらに自己嫌悪に落ちろうとするのに、


「ねえ啓人。知ってた?私たち出会ってから一か月も過ぎたのに、啓人は私の名前を7回しか呼んでくれなかったんだよ?」


「……え?」


「私が初めて名前を決めた時一回、ムールの部屋で二回、さっき町で一回、この部屋に入って三回…… 私はいつも啓人の名前を呼んでるのに啓人は7回しか呼んでくれなかった。ひどい。」


「………」


「水泳は特技って言ってたのに湖に落ちて死にかけてたり。ゲームの説明をするときだけ楽しそうに笑ってたり。」


「くそ……」


「私のこと妹見たいって言ったくせに私が人間の姿で風呂でもしたら全力で私のほうを見ないようにしてたでしょ。」


「言うなよ……」


 彼女から目をそらしたのにも聞こえてくる声は止まらなかった。


「初めて私を撫でた時、啓人のほうから私に近づいてきた時、その時ものすごく勇気を出したってこと知ってる。手に汗すごかったんだからね。」


「………」


「いつか倒さなければならない白虎なんてほっとけばいいのに…… 新しいゲームを勧めてくれたのは私が退屈しないでほしかったんだからでしょ?啓人はそんな人だから。」


「止めてくれ……」


「私は啓人を知ってる。」


「………」


「私は啓人のことが好きなんだ。」


 そうじゃなければこんなに見てたりしないと、そうじゃなければ、ここまで覚えてたりしないと、彼女はそういいながら自分が俺のことを好きだってことを証明した。


 そこにしぶとく、俺はもう一度自分についてのことを言うとした。


「た、たとえ…… 本当にそうだとしても…… お前のその気持ちはすぐ消えることになる……!」


 自分の悪いところはこれだけではない。


 知れば知るほど如月啓人という男がどれだけ情けない人間なのか気づくことになるだけだ。彼女がどれだけ肯定しようとしてもそれ以上の俺がいるからだ。


「お前が言った俺も、俺が言った俺も!ごく一部に過ぎない!俺はもっと最悪な男なんだよ!」


「自分の悪いとこしか見ようとしないくせに。」


 心をつらぬくかのようなそのつぶやきに、ビクンと口を閉じた。そのまま顔を上げると歯を食いしばっている彼女と目が合った。


「啓人は自分の悪いとこしか語れない。自分のいいところなんて何もわからないくせに、見ようともしないくせに、自分のことをわかってるみたいに評価しないでよ!」


 金色の瞳に涙が溜まっているのが、俺の目に映る。


 感情をさらけ出すことが珍しい彼女が、今度は泣いていた。まるで本当に好きな何かを、誰かに思いっきり否定されて悔しそうに、彼女の目頭が赤くなっている。


 泣くことを我慢しようと小さく震えている肩を見て、それから目をそらそうとした。


「いいところなんて…… そんなの…… ないから語れないだけで……」


「私は言える。何個だっていえる。」


 そういいながら伸ばした彼女の手が、やさしく俺のほうを包んだ。


「だって、嬉しかったんだから。ただ退屈だけが流れる時間の中で啓人が現れていろんな楽しいことを教えてくれた。いろんな感情を感じさせてくれた。」


「………」


「啓人がムールに死にかけた時。私の力では助けられないってことを気づいた時。怖くなった時。啓人はあきらめずに生き残ってくれた。私のところに戻ってきてくれた。その時の気持ちが、私の胸の中で息をしているというその愛らしさが、どれほどのものだったのか、啓人には絶対わからないよ。」


「………」


「私は啓人のことが好き。そばにいてくれる啓人が好き。怖くても立ち向かえる勇気ある啓人が好き!だから、私は――」


 強くない力に引っ張られ、俺もそれから抵抗しなかった瞬間、唇を合わせてきた。ほのかなアカシアの香りが、じめじめ湿った唇とともに寄り添ってくる。短い口づけ。それだけで体中にぬくもりが広がっていく。


「どれだけ情けない姿を見せても、何度負けることになっても。たとえ啓人自信が崩れることを望んだとしても、私は啓人をあきらめない。」


「どう…… して……」


 何度も答えた疑問に、彼女は何度だって答えてくれる言うかのように、言った。


「私は如月啓人のことを、愛しているんだから。」


 愛…… している。俺のことを白雪月夜が愛している。

 その強烈な温かさが、あきらめないという強靭さが、矢となってやっと。本当にやっと心に届き、響き渡った。


 ふさがれていたダムが決壊されたかのように、記憶が漏れ出た。俺がくじけそうになるたびに、いつも彼女がそれを否定し、認めなかったってことを。全力で倒れないように支えてくれたってことを。


 そうだった。


 彼女は悪夢に苦しんでいる俺を甘やかすことで明日と向き合わせた。


 俺が勝てるようにどこまでも俺との訓練に付き合ってくれた。


 ムールにめちゃくちゃになっても俺を信じて逃げるという選択肢なんて考えもしなかったし、如月啓人ですらしてようとした如月啓人を、彼女だけは必死に抱きしめて、守ってくれた。


 だった一度も、彼女は俺が崩れることを許したことがない。だった一度も、彼女は俺を信じなかったことがない。


 そんな彼女が今となって勝手に落ち込んだ俺をあきらめるなんて、あり得ない話だったのだ。


 その事実に、俺がくじけることを望まない人がいるというその温かい事実に、心の中を支配していた絶望という感情が雪が解けるかのようにゆっくりと消えていく。


「俺なんかが…… 本当に勝てるのだろうか……」


「勝てる。戦ってみたから、わかる。」


「またブルついたり…… 折れたらどうしよう……」


「折れない。退いたりしない。私がいるから。」


「あきらめを選んだ俺だ…… 今更何も変わらない……」


「あきらめてない。だって啓人が欲しがったのは、本当に欲しがっていたのは、なに?」


 彼女が問う。深いところを見ようとするその声に、その瞳に感化されて俺自身に問いかけた。俺が本当に欲しがったのは、なんだ?


「…… 勝ち…… たい……」


 つい漏れ出た言葉に自らも驚きながら、歯を食いしばって目をぎゅっとつぶって、


「俺は…… 勝ちたい…… このまま逃げたくない。あいつらに負けるなんてもう、もう嫌なんだ!!」


 あきらめという言葉を除いて見えた選択肢を思いっきり叫んだ。


 それを口にするのは思ってたよりすっきりしなかった。自分の醜さを語るのと同じぐらいの重さを持っていた。


 でもずっと強く、ずっと切なく、ずっと堂々にその気持ちを叫ぶことができた。


 彼女が手を離すのを感じた。それに俺も、俺の自身の意志で顔を上げて彼女と向き合った。


「……月夜。」


「うん。」


 いつの間にか涙を拭いた彼女が静かに呼びかけに答えた。


 その顔には涙の跡が残っていたけど、さっき階層に逃げようという俺の言葉を聞く前のように桃色の唇が小さく笑みを描いた。


 そこに、今度は間違わずに言った。


「俺、今度こそ奴らに立ち向かってみたい。」


「うん。」


「でもどうすればいいかわからない。どうしても…… 勝てる気がしない。」


 奴らの顔を思い出しただけで自信がなくなる。立ち向かえなかったトラウマが深く、俺の中に打ち込まれてしまった。


 その返事を予想でもしたかのようにあきれたという気色もなくしばらく考える顔をした月夜は、伸ばした指で今度は俺の胸元をスッと刺した。


「この中にいっぱい積もっているもの。」


「いっぱい…… 積もっているもの……?」


「恐れ。それを打ち壊さなきゃ。」


「………!!」


 驚く俺に彼女は真剣な顔で続けた。


「力も、反応の速さも、体の頑丈さも、精神の強さも。啓人はあんな奴らなんかよりずっと強い。でも…… いざ戦いとなったら何もできなくなる。」


「……………」


「あれだけ訓練したのに、あれだけ殴られてバカにされたのに、あんな奴らよりずっと怖い敵とも渡り合ってたのに、奴らの前にだけ立てば喧嘩どころかこぶしを握ることすらできなくなる。どうして?」


 そっとこぶしを握る俺を見て彼女は低い声で、でも力を入れていった。


「いっぱい積もっているからだよ、この胸の中に。殴られたものだけが知っている恐れ。いじめられた者たちだけが持っているトラウマ。それを、打ち壊さなければ。」


 過去を思い出した。初めてカヅに殴られた時の痛みを今にも覚えている。

 あざ笑う声や、馬鹿にされた言葉と視線、いまにも目をつぶれば瞼の奥に描き浮かぶ。

 それを…… 打ち壊す。


「俺に…… できるかな?」


 人はそう簡単に変わらない。弱いゆえ、愚かゆえ、ちっぽけなゆえ、自分の確信をほかの人から得ようとする。認められるために必死になる。

 そんなことを、悪いとは思わない。頼れるものがいるってことは絶対悪いことではない。


 それに彼女はいつもと変わらないトンでうなずきながら答えた。


「うん。」


「…… そっか。」


 短すぎる返事。


 その変わらなさに、だった一度の変わらなさに、十分以上の確信が自分の心の中に宿ることを感じて笑ってしまう。彼女もそんな俺を見ては楽しそうにくすくすと笑った。


「よーし。そう決まったらさっさと出発してみるか。」


「うん。」


 背伸びしながら言うと彼女がベットから起きろうと身を動かした。それを見た俺はそんな彼女の肩をつかんでそのままベットに戻しておいた。


 純真な顔で頭の上に?を浮かばせる彼女に言った。


「ただし月夜。おまえはここで待っててくれないか?奴らは俺一人で倒したいんだ。」


 突然の言葉に目の先が少し上がった彼女が俺の目をまっすぐ見つめながら言った。


「嫌だ。啓人のそばで支えるって決めたから。」


 その凛々しさに苦笑いしながらもう一度俺は彼女に言った。


「頼む。俺…… かっこつけたいんだ。」


「え?」


 さっきも言った通りこんな俺にもプライドくらいはある。このまま彼女と一緒に奴らを倒したら、きっと今の黒歴史を挽回するチャンスが、俺には二度と訪れないはずだ。


「今まであまりにも情けないかっこばっか見せたじゃねえか。 あれだけ言ってくれるお前に…… 本当にあきれてしまうほど…… だから、証明したいんだ。お前が言った俺を。」


 つかんだ手にもうちょっと力が入る。


「お前の前でかっこつけたいんだ月夜。今日の無様をお前の中に残して置きたくない。だから、お前が言った俺を証明してくる。堂々と、一人で勝っちまうことでよ。」


 口だけは満点だったと思った。それができなくてこのざまになったのに、よくもほざけるって。

 でも、今はこれで十分だ。根拠のない確信。はったり。かっこつけるに最も必要な、男の本質ではないか。それを伝えようと揺れる彼女の目を揺らぎなく見つめた。


 そこに頬を小さく染めた彼女が、恥ずかしそうに眼をそらして呟いた。


「かっこつけなくても…… 啓人はかっこいいのに。」


「変わらない高評価ありがとよ。それで?返事は?」


 肩をつかんだ俺の手をいとしそうに撫でた彼女が答えた。


「うん、待つ。いつまでも待つ。」


 その返事に月夜の体を思いっきり引っ張った。


 小さく「あ」と漏れ出る声とともに小さな体が胸の中に入ってくる。こんな俺を好きでいてくれて、あきらめてくれなかったことに対する感謝を込めて、つぶやいた。


「ありがと、月夜。本当に…… ありがと。」


 情けなく震える声に彼女も固まっていた体から力を抜いた。そのまま俺の胸元を握ると熱いものが広がっていくのが感じられた。

 その熱い息吹と安心したように広がる涙にもう一度誓う。


 勝つ。今度こそ、俺は奴らに勝つ!

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