第14話 あきらめてくれない理由


 赤色とはふつう危険を意味する場合が多い。緊急事態の警報や信号の赤、急いでいる消防車などなどが全部赤だ。

 これは人の命を預かっている病院でもよく見れるもので今俺が見ている手術中と表示されている電灯が代表的だと言える。


 ナイフで二度も刺されて血を大量に流した月夜を背負って病院まで来てからだいたい6時間たった。ここには医者もナースもないので何もできない俺はただ手術が終わるのを待ちながら祈ることしかできなかった。


 本当にだった一瞬も電灯から目をそらさなかったおかげか手術中という火が消えたのと同時に反応することができた。


「月夜!」


「ん?」


「……え?」


 彼女が無事であることを心の奥底から願いながら患者室に入ったのに、そこにはいつもと全く違わない表情の月夜が病床に座っているのが見えた。

 それだけではなくどこでもらったのか赤いリンゴまでかじっている。


「え?あれ?だ、大丈夫?」


「大丈夫。」


「い、痛くない?」


「痛くないよ。啓人は大丈夫?顔色悪い。」


 余裕にこっちの心配までしてくる彼女を見ると腰が抜けてしまった。緊張が一気に抜けたせいかこの病院では治療が終わったら『お疲れさまでした』というテキストとともにランダムで果物を一つくれるというどうでもいいことまで思い浮かべてしまった。


 溜息を吐きながら起きる。


「お前が俺の心配をする場合じゃないだろ。心配したんだぞ……」


「心配してた?」


「死んじゃいそうなぐらいしてた。」


「……そうなんだね。」


 沈んでいた彼女の表情がやわらかくなってがぶがぶとリンゴを食らいつくす。そして食べきったリンゴをゴミ箱に投げて一度に入れることに成功した。器用だな……

 苦笑いしながらベッドの前に準備されている椅子に座る。


「本当に大丈夫か?」


「うん。後も残ってない。見る?」


 いつの間にか着替えさせられた患者服をめくって刺されてた背中を見せてくれる。彼女の言う通り真っ白な背中にはどっちにもあと一つ残らずきれいに傷がふさがれていた。ゲームだった時には当然と思ってたのに現実で見るとすごいというよりは怖い。


「よかったけど、無闇に服とかめくるな。」


「大丈夫。啓人しかいないから。」


「俺がいるからダメって言ってるんだよ…… じゃあ完璧に治ったんだな?」


「うん。いつでも動ける。」


「そうか…… じゃあさぁ、月夜」


 まっすぐ、手を伸ばせば届く距離にいる彼女の瞳を見つめた。


「うん。」


 それにこたえるかのように桃色の唇が小さく笑みを描いた。

 何かを期待してるようなその笑みの意味を読むことができたのにも、俺はそれから逃げるかのように視線をそっとおろしていった。


「階層に戻ろ。今すぐ。」


「………え?」


 自分が予想していたのとは全く違う言葉に、彼女の口から飛び出たのは、困惑が込まれた疑問符だった。俺はそういうのに構わず言葉をつづけた。


「果たすべき目的は全部果たした。もうこんな町にいたくない。久々に人を見たのまではよかったけど、何せよ骨の底まで陰キャだからな俺って。もうへとへとだ。」


「ちょ、ちょっと待って。」


「ジョブチェンジできなかったのは残念だけどポーションとか服とかみたいに絶対ってわけじゃないからな。何よりも7階層に行けば解決できるから問題ないない。」


「啓人……」


「なんだお前。まだ起きてないのか?急がないとおいていくぞ?」


「啓人!」


 珍しく声を上げた月夜だったので、さすがに口を止めるしかなかった。

 おかしいと話す代わりに額に小さくしわを作りながら彼女が言った。


「どうしたの?このまま戻ろうって…… まだ目的は果たしてないでしょ。」


「……お前も聞いたじゃねえか。許可証がいなければジョブチェンジはできないって。無理やりやるわけにはいかないから―」


「ジョブチェンジのことじゃない。どうしてごまかそうとしてるの?」


 今度は俺が何も言えなくなると彼女が続けた。


「啓人は、あいつらに復讐するためにも、ここに来たんでしょ?」


「……………」


「なのにどうして…… そんなことまでされたのに、このまま戻ろうとしてるの?」


 彼女はいつも自分の感情をそのまま文字にして声を出す。その素直さに、偽りのなささに、いつも救われてたけど、今はそれが少し不便に感じられた。


「そうだね。そうだったね。そうだったけど……」


 彼女の言葉にうなずきながらも、過去形で言った。昔はそうだったと。今はそうじゃないと。それに気が付いたのか彼女も「そうだったけど……?」と小さくつぶやいた。


「やめたんだ。復讐なんか……」


「どうして……」


「どうしても何も、俺には奴らに勝てる力がないからだよ。それを、さっきのけんかでよくわかった。」


 一週間も一生懸命悩んで覚悟して、彼女から勇気をもらったのにも、結局俺は奴らの前で何もできなかった。追放された時の怒りが、だった一瞬も沈んだことがないというのにも。


「だから、このまま帰ろ。俺たちがいた場所に。俺たちだけで幸せだったところに。カヅの言うとおりだ。異世界に来たくらいでできる奴だったら、2年もバカみたいにイジメされてねえよ。俺はできないやつなんだ。」


 怒ればできると思った。訓練すればできると思った。だが、実戦というのはやっぱり、物語のようにはならないってことを知ってしまった。俺は物語の主人公のように、異世界に来て俺をイジメてた奴らに復讐することはできない。


「そんなことは―」


「お前が、ないと否定するなよ。見たじゃねえか……」


 無力に顔を下げる、そんな俺を見て首を横に振ろうとした彼女の言葉を、より巨大な否定の言葉で断ち切る。恥という単語が喉元を上って流れ出る。


「その情けない姿を、お前も見たじゃねえか…… 一番近いところで……」


 俺は1年の時からずっとカヅたちにイジメされてきた。俺と同じクラスになったことがない奴だったらともかく、男女関係なしにその情けない姿を見てきた。

 こんな俺にもプライドくらいはあって当然イジメによってぎったんぎったんにされて学校の誰かの顔を見るのが怖くなっていた。廊下で俺の顔をちらっと見て通り過ぎるときの恐怖を今にも覚えている。


 そんな中でも幸いだと思ってたのは…… ほかでもない俺の大事な人たちはそんな俺の姿を見たことがないってことだった。


 何事もなかったみたいに家に帰って、何事もなかったみたいに彼らの顔を見ることができた。それが、ゲームと一緒に唯一、俺が俺をあきらめずに済ませてくれた間違えない事実だった。


 なのに…… 俺にとって大事な存在になった彼女に、見られてしまった。誰よりも見せたくなかった女に、見られてしまったのだ。


「俺があいつらに会いたくない…… もう一つの理由でもあるんだよ。」


 恥と申し訳なさ。その二つによって今すぐにでも死にたいという、そんな気持ちを抑えながらそう言った。

 わかってはいる。このまま何もせずに逃げるのがずっとかっこ悪いってことぐらい。でもそうだとしても、これが俺の限界だった。もう、耐えきれない。


「だから何もせずに、何も言わずに!このまま俺と一緒に、ダンジョンに戻ってくれ。最善なんだよ、これが。俺なんかが勇気を出してまた挑戦したって、またぶるぶる震えながら負けるに決まってる。」


 もううんざりだ。あいつらとかかわるのは。


 なんでせっかく異世界に来たのにこんな目にあわされなければならないんだ。俺だって…… ストレスのない幸せな異世界ライフが送りたかった。チートなんか望みもしない。ただ彼女と一緒に、今まで通り二人でこの世界を潜り抜けるだけで十分だ。


 それぐらい、望んでもいいじゃねえか……


「頼む月夜…… 急いでくれ…… もし天草たちが戻ってきたら町で出ることすらままならなくなる……」


 カヅたちが俺を見て感じた疑問をあの天草が感じないわけがない。持っているものを奪われたらまだましだけど、階層に戻れなくなったり、最悪の場合白虎である彼女をつかまろうとするかもしれない。そうなったら…… 俺の力ではとても彼女を守り切れない。今度こそ…… 失うかもしれない。


 ふと、断られるんじゃないかという不安が襲ってきた。彼女なら俺と一緒にいてくれると勝手に思ってしまったけど、俺だったらけんかに負けて尻尾を巻くこんな情けない奴なんて、絶対ごめんだ。軽蔑する顔でこっちを見ていたってなんもおかしくない。


 不安はあっという間に確信に変わり、それに耐えきれなかった俺はゆっくりと彼女の顔色を窺おうとするのに、


「ねえ啓人。啓人は…… 私たちが初めて会った時のこと、覚えてる?」


「……え?」


 目の前に見えたのは、全く予想できなかった質問と全く予想できなかった表情の月夜だった。

 なぜかちょっと恥ずかしがる顔になった彼女は文脈とは全く関係のないことを聞いてくる。

 答えられない俺を見て彼女が再び口を開いた。


「その時啓人は私のことをきれいって言ってくれた。初めて見る人の言葉だったからうれしいっていうよりはびっくりしてた。」


「………」


「でも虎の姿になった私を見ても、啓人はきれいって言ってくれた。ただ人間の姿にめとられたんじゃなくて、純粋に私のことをきれいって思ってくれたのを知って、恥ずかしくなっちゃってたよ。」


 ……………


「啓人が一人で迷路に出かけてくるって言った時に、一人でも寂しくないって私が言ったときに、本当はすねてた。私は啓人と一緒にいたいのに、啓人はそうじゃないのかなって思って。」


「……して。」


「いつも私が啓人のそばで眠ってたのはその時じゃないと啓人が私を撫でてくれないからだよ。それでも撫でてくれないときにはこっそり啓人の胸にほっぺをこすってたりもしてた。でも別におかしなことはしてないよ。本当だよ。」


「どう…… して…… いま…… そんなことを……」


 絞り出す俺の声に彼女は相変わらず恥ずかしながらも、まっすぐ俺の目を見つめながら言った。


「自分が恥ずかしくて私を見てくれないのなら、私の恥ずかしいところを言えば、向き合ってくれるんじゃないかと思って。」


 向き合ってほしい。私と話してほしい。まるで子供のような理屈の、伝え方だった。

 だからこそ愛おしかった。不器用だから、さらに彼女らしくて、こんな気持ちになった俺にさえその気持ちが届いた。


 広がっていく。うそ偽りのないその態度が、その表情が、その声が黒に染まった心の中に食い込んで水の中に落ちた絵の具のように広がっていった。


 だが…… 俺はまた顔を下げた。


「もう一度やってみよう啓人。あんな奴ら、本気を出せば啓人の敵じゃない。」


 説得しようとする声に首を振った。俺もそう思ってた。なのに奴らにはかなわなかった。


「大丈夫。私がいる。今までも二人で、そうやって勝ってきた。」


 首を振った。その結果が今ベッドの上に座っている月夜だ。


「啓人に必要なのはもう少しの勇気だけだよ。それさえあれば―」


 言葉が終わる前に、首を振った。


「ダメだ…… 勇気なんかもう出せねえよ。だって…… それが俺にできる最大の勇気だったんだから……」


 中途半端な覚悟で挑戦したわけじゃない。だったのに、俺をバカにするカヅの言葉に、俺自身がだれよりも納得してしまった。


 常識的に、頭の中で勝つ妄想ばかりやってたオタクなんかが運動までやってたヤンキーに勝てるはずがない。実際、俺はカヅどころか運動なんて何一つやってない中山や邦枝にも殴られながら生きてきた。


 無理だったのだ。何もかもが。


「たとえそうだとしてもあきらめちゃだめだよ。今諦めたら―」


「うる…… せえよ……」


「……え?」


「うるせって、っつたんだよ!」


 歯を食いしばって彼女の顔を睨みつきながら感情を爆発させた。

 俺なんかに一生懸命になってくれたなってくれる彼女の体を怒声で縮まらせて、それでもものともせず怒りをそのまま彼女にぶつからせた。


「正しい言葉を前にして理想を語ってんじゃねえよ!俺がそんなことも知れずに逃げることを選んだと、お前の目にはそう見えてんのか?!」


 こんな俺でもバカではない。何が正しい選択で何が正しくない選択かくらい誰かに言われなくてもわかっている。

 俺の選択が間違いで彼女の言葉が正しいってことぐらい俺にもわかっているんだ。でも、理想を口にすることとそれをかなえようとするのは全く違う話だ。


「俺だってこんな風に逃げたくなかった……!当然だよ!あんな扱いされて逃げるなんて、プライドもねえのかよ……!でも、もううんざりなんだよ…… どうしても勝てないやつにかかわって、これ以上ストレスを受けたくねんだよ……!」


 ストレス。日常では軽々しく使われてるし誰もが感じてる感情だから大したものには見えないかもしれないけど、その言葉に込まれた力は思ったより大きい。


 だからこそ、甘い言葉や甘やかされることにこだわり、幻から目を覚めないように必死になるのだ。


 これは俺にだけ限られてる話ではない。みんながみんな、どんな形であれストレスだけは避けようとしている。みんながみんな、そうじゃないと耐えられないのだ。


 そしてみんながそうなら、俺だって、そうなってもいいじゃないか。怖いものから逃げてまた逃げて、そんな風にストレスから自分を守っても、いいではないか。


「だから、頼むから俺の望む通りにしてくれよ……!頼むから…… 正しい選択肢を見せようとするなよ……」


 選択してできるもんだったら、俺だってその選択肢を選びたい。でも無理だったから、俺には無理だから、あきらめるしかないのだ。


 どうして異世界物はチートや便宜でいっぱいなのかって考えたことがある。何も持ってない主人公が頑張って、異世界を潜り抜けるそんな物語はないのかって。


 でも異世界に来て、自分がどんな人間なのかはっきりさせると、その理由がわかる気がした。


 そんなものでもいないと…… 俺みたいなやつらは何一つなり遂げないからだ。みんなわかっていたんだ、できないってことを。


「――たとえそうだとしてもあきらめちゃだめだよ。」


 そんな俺に、彼女は負けずに同じ言葉を繰り返してきた。俺ももう一度上ってくる恨みを口にして押し付けようとするのに、今度は彼女のほうが速かった。


「今諦めたら、啓人は一生顔を下げたまま生きることになるから。」


 そのどんな時よりも確信に満ちた声で、彼女はそういった。


「啓人がどれだけ必死だったのか、強くなるためにどんな訓練をしてきたのか私にはわかる。私だから知ってる。一番近い場所で、見てきたから。」


「…………」


「それは決して、一度の敗北で無理だって納得できるものではない。」


「…………」


「今すぐは辛すぎて、逃げて、心を治したいかもしれない。でも今逃げてしまったら、啓人はきっと二度と立ち直れなくなる。」


「…………それの、どこが悪いんだよ。」


 別に生きることをあきらめるってことじゃない。ただ、俺が救いようのない人間だってことを認めるだけだ。

 プライドを捨てて、如月啓人をあきらめて、未来の俺がどうなろうが今の俺が無事になれるのならそれで十分だ。


「一生のこと顔があげられない負け犬として生きることになっても構わない。むしろダメな俺にはお似合いだ。人間は自分の身に会う生き方をしなければならないんだ。」


「私は嫌だ。私は啓人がそんな生き方するようにさせない。たとえ誰かに顔を下げて生きることになっても、そんな自分を堂々と思いながら生きてほしい。」


「いい加減にしろよ…… お前が何言ったって結局諦めを選んだ俺は何も変わらない。」


「そんなはずがない。だって私が知っている啓人は―」


「お前が知ってる俺ってなんだよ!!!お前が俺の何を知ってるっていうんだよ!?あ?!」


 しぶとく粘りつくことに対する不快感に、俺を肯定するという理由で俺の言葉を否定するという我慢の限界がもう一度爆発した。


「俺はお前が思うようなそんな人間じゃねんだよ!!勝てない相手にやられたら妄想で自分を慰める、何もしてないくせにあれもこれも欲しがるばっか!自分に甘い言葉じゃなければ耳にしようともしない!!」


 世の中の人々から嫌われるすべてを、如月啓人はすべて持っていた。

 何も変わらない妄想は繰り返すのに自らは自分が望むことに向けて手を伸ばそうともしない。自分を心配する声すら断って自分が聞きたい言葉ばっかりにこだわりながら引きこもろうとする。


 そのみじめな事実を自分の口で話すってことに、その悔しさに、爪が肌をめり込むくらい強くこぶしを握った。


「俺は……!俺は自分自身の問題が何なのかもわからない奴らとは違う!俺は俺のどこが問題なのかよくわかっている……!なのにも!俺は何も直そうとしていなかった!目をそらすだけだ!みんなこうやって生きているって、何もせずに救いを望むのが何が悪いかって!でたらめな理屈で自分を守ろうとしてる!図々しいってことにもほどってものがあるのにな!」


 自分の問題がどこにいるかさえわからない人は、まだ更生の余地が残されている。文字通り知らなかっただけだから、直せばいいだけだ。でも自分の問題が何か誰よりもわかってるのに、それを直そうとしない人は?自らの意志でそれを拒む人は?


 そんな奴が異世界に来たくらいで救われるって、おこがましいすぎではないか。


「情けない、情けない過ぎる…… だから許せない。俺は俺が許せない!」


 俺が俺を許せない最も大きい理由。それは、


「反省ぽくほざいてるくせに…… 俺は心の奥底では、自分をかわいそうって思っていやがる……」


 俺は俺がかわいそうだ。俺は俺がかわいそうで仕方がなかった。それが、まぎれもない本音だった。


 俺の言うことが正しいって言ってほしい。逃げてもいいって言われたい。何もしなくても俺は俺で大事な存在であって、俺の心が一番楽になれる道を選ぶのが最も俺のための道だと言ってほしい。人は必ずしも何かを成し遂げないと使えない存在ではないと、そんな希望だらけの言葉を聞きたい。


「気持ち悪いくそ野郎……」


 そんな自分が大嫌いだ。言ってることが全部矛盾だらけに飽き足らず結局言いたいことは甘えたいだけじゃねえか。

 誰の目から見ても最悪なだけのくそ野郎だ。こんな奴だとさすがに最後に残っていた情すら消え失せると、今度こそあの月夜ですらあきらめると、そう確信した。


「妄想で自分を治すのは、何一つ悪いことではない。それが自分をくじけないように支えてくれるものならなおさらだよ。」


 だが今回も彼女は、一歩も譲れないというかのようにそういった。


「啓人は何もせずに欲しがったりしてない。ちゃんと変わろうと努力してた。さっきも言ったでしょ?私がそれを一番近くで見てきたから、わかってるって。」


「………」


「啓人は自分が欲しがる言葉以外には耳を傾けない人じゃない。実際こうやって、私の話をちゃんと聞いてくれてるんだから。」


 ゆっくり一つ一つ順番に、俺が俺に対して語った否定の言葉を、肯定に変えていく。


「啓人はできない人なんかじゃない。本当にできない人だったら、1階層を超えて2階層へ、私がいるとこまで絶対来られてなかったから。」


「……めろ。」


「啓人は情けない人なんかじゃない。勝てなかったけど…… 指一本動けないぐらいおびえてる状態でも私だけは守ろうと抱きしめてくれた素敵な人だから。」


「やめろって言ってんだろ!違うって何度言えばいいんだよ!俺はそんな人じゃない!お前が作り出した理想に俺を合わせようとしてんじゃねえよ!」


「違くない!!やめない!!啓人がどれだけ自分を否定しようとしても、こんな事実がある限り理想なんかじゃない!だから私は!決して啓人をあきらめたりしない!!」


 叫んだ彼女の瞳には少しの揺れも存在しなかった。そこには如月啓人都という男を心の奥底から信じている色しか浮かばない。

 その強烈な光に圧倒されて、俺のほうから飽きてしまう。


「なんで…… なんでだよ…… なんでお前はそこまで…… 俺をあきらめないんだよ……」


 当然の疑問だった。自分ですら自分を否定する、そんな終わってしまった男に彼女はどうしてここまで必死になるのだろう?俺にはどうしても理解ができなかった。

 だが彼女はそんな俺の気持ちとは真逆に、やっと訊いてくれたというかのように、優しくほほえみながら言った。


「私は、如月啓人が、大好きだから。」

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