第6話 白い虎との話し


 目が覚めた。青い空と雲、太陽が見えて死んだか?と思ったけどあいにく体のあっちこっちを襲う苦痛のせいで生きているってことを実感した。


 次目を覚ました時には赤ちゃんになった俺をメイドが受け取る展開を期待したけど、どうやらそうにはいかないみたいだ。あきらめて体の状態を点検する。


 舌で歯の数を数えてみる。無事。手と足を少しだけ動かしてみる。無事。よく見えて、よく聞こえて。喉が少し乾いて、背中と肩が痛くて。


 とにかく死ぬほど痛くはなかった。トラックにぶつかったことはないが、トラック以上の衝撃だったはずなのに体の状態は比較的良好だった。


 体が頑丈になったのもあるけど、誰かが俺を回復させたんだ。誰だ?


 右のほうに首を回すと、虎が一匹いる。それも、白い虎だ。お金持ちの家で飼ってるようなつややかな真っ白い虎はそれと比肩される黒い縞を持っていた。

 とても孤高で優雅な、美しいその体を草の上に伸ばしている。

 こっちと視線が合う。黄金のような、金色の瞳だ。


「さっきの女の子か?」


 問いに虎は首を小さく傾けながら答えた。


「どうしてわかったの?」


「きれいだから。」


「……」


 正直に答えると何も言わないままスンと目をそらした。あれはもしかしてデレてるのか?わからない。虎の顔をじっくり見たことがないから。

 まずはゆっくり体を起こした。背中が痛いけど耐えられないほどじゃない。


「俺の体を治療してくれたのも君か?」


「そうだよ。」


「そっか…… ありがとう。」


「気にしないで。」


 優しい声の割には少しだけドライな性格だな。話自体を嫌がってるには見えないけど長く話すのも好きじゃないってことが伝わってきた。


 再び周りを見てみた。


 巨人でも入れそうな巨大な扉が見える。今思うとあれを一人で開けたってことに筋力が増えたってことを改めて実感する


 その先には巨大な肉団子がいた。傷だらけで血だらけ。体の4分の1が消えたけど黒くこけた皮は見覚えがある。


 あれは…… 俺を追ってきたミノタウロスだ。


 なんであいつがあんなざまになってんだ? ……まさか


「あれ…… 君がやったのか?」


「うん。」


「一人で?」


「うん。でも相手するのは初めてだったから少しだけてこずってた。」


 俺があれだけ奮闘した分、奴はまともな状態ではなかった。だがそうだとしても、奴を倒すのは決して安いことではない。弱いスキルだと傷をつけるのもままならないし低レベルなら相手もできない。


 なのにも大した負傷もなしに倒したってことは……


「君…… もしかして白虎びゃっこか?」


「うん。」


 今度も軽く帰ってくる返事に体が固まる。マジかよ…… 記憶しているよりずっときれいでずっと小さいから気づくのが遅れた。


「治療されたくせにこんなこと言うのは何だけど…… どうしてここの裏ボス、白虎の君が俺を治療してくれたんだ?」


「やっと訪れた人間だから。死なせたくなかった。」


「それはまるで人間を待ってたのように聞こえるんだけど。」


「そう言ってる。だって、それが神様から聞いた私の記憶のすべてだもん。」


 …………………なに?!


「神様だと!?う……っ!」


 あまりにも予想外の奴が出てきて声を上げると背中の痛みが悲鳴を上げた。呻く俺を全く気にせず彼女は質問の答えを続けた。


「力を欲しがる人間たちがここに来る。力でつぶせ、って言われた。ミノタウロスじゃなくて私の手で殺さないとダメだから、生かしてあげたよ。」


「君って…… あのいかれた神の部下だったのか……?」


「顔も見たことない奴の部下なんてならないよ。ただ唯一記憶してるのがこれだけだし、やることもないからそうやろうと思っただけ。」


「信用できないんだけど……」


「それは私の知ったことではない。」


 信じるかどうかは俺の選択、ってわけか……


 でも冷静に考えると、嘘はついてないと思った。


 だって負傷を負った俺にうそをつくことで得られるメリットなんて、白虎であるあいつには何一つないから。


 虎が何気なく首を地面にのせる。大きくあくびをすると細いピンク色の舌が見えた。

 尻尾ですりすり草をこすってから、目を閉じた。


「でも安心して。今殺したりはしないから。」


「……寝るのか?」


「疲れてる。言ったでしょ?牛と戦ったのは初めてって。それにあなたも。今力を証明したりはしないでしょ?」


「………」


 本来白虎のセリフ。確かに戦ってもあの白虎には絶対勝てない。さっきの痛みではっきりと分かった。

 しかし、一方では妙だ。あの白虎が、どうしてミノタウロスと戦ったぐらいで疲れるんだ?


「牛は食べてもいいよ。半分はあなたが倒したのと同然だから。」


 それまで知ってるのか。独占しないなら俺にとってはありがたい話だ。今の体じゃ外にも出られないし、知ってる限りあの湖には魚こそあるけど深すぎて取りにくい。


 体の回復に栄養補充ほど大事なこともない。風邪をひいて食欲がない人に無理してでも食べたほうがいいという言葉はやけに出た言葉ではない。


「そしてここで休むのはいいけど洗って。くさい。」


 ……確かにほぼ1か月ほど洗ってないから臭いかもしれないけど、地味に傷つく。


 ゆっくりと体を起こして湖のほうへ近づいた。透明に底を映す水は地上の上から見ればそこまで深くないけど、顔を入れてみるとそうではないってことがわかる。およそ30Mを超える湖の中で魚たちが泳いでいた。


 シャンプーもボディウォッシュもないので血と泥だけを洗い流す。それでも体は久々のシャワーという行為に爽快感を感じていた。


 それが終わったらカバンの中に入れておいた制服に着替えてミノタウロスの屍のほうに行く。


 あっちこっち白虎の歯形がリアルに残っていてぞっとする。背中に無理が行かないように最大限注意しながら奴の体を解体した。


「久しぶりに焼いて食べるか。」


 坑道でも迷路でも、焼く時の匂いのせいで料理して食べたことが一度たりともなかった。

 ここなら悪魔に気を付ける必要もないし煙が溜まることもない。木や草などの原料もあるし人らしく食べることができる。


 そう決めたら地面に落ちた木の枝を拾う。草のない地面に集めてきた木の枝をつんで火炎星で火をつけた。その上に組合で作ったフライパンを落ちないようにのせておけば支度は終わりだ。


 血がほとんど抜けてない真っ赤な肉をフライパンの上にのせる。チイイイイィとおいしそうな音とともに血と肉の匂いが上ってくる。


「まぁ処理されてない肉はこんなもんだよな。じゃあ肉が焼けるまで作戦タイムでも持ってみようか。スキルランクオン。」


 DEVIL TAKERにはアクティブスキルもパッシブスキルも使えるのはあくまでもスキル画面に装着しておいた7個までという規則があった。


 簡単に説明するとスキルを得てもスキル画面に装着しておかなきゃ使えないってことだ。


 アクティブスキルの場合スキル名を言っても発動しないしパッシブスキルの場合効果を浴びることもランクを上げることもできない。


 装着してないスキルはスキル倉庫に移動され、いつでも交換できるが、これがかなり回りくどくて面倒だったと記憶している。


 俺は装着されているアクティブスキル。その中でも磁力をタッチした。


【磁力LV1

スキルを使った鉄に磁力を賦課する。賦課できるのはS極とN極それぞれ1個ずつだけ。

引っ張りあう力:純粋な魔力】


「先に得ておいたけど使うことがなかったからな。MPも余裕なかったし……」


 この磁力こそこれから続く冒険で生き残るための大事な要となる。それはまさに組合術と双璧をなすと言っても過言ではない。


 本来は白虎を倒してからアイテムを組み合わせて鍛練するつもりだった。だが描いてた状況とは相当ずれてしまったので、こうなったら逆にするしかない。


「……代わりというには格落ちだがミノタウロスが残ったんだからな。回復に時間もかかるしちょうどいい。休む間このスキルを鍛えることにするか。」


 3階層はRPGの花とも言えるボス戦だ。


 強さは白虎より劣るがあのミノタウロスの10倍以上は強い。


 攻略法を知ってるだけに戦えば勝つ自信はある。それに奴から得られる材料でも十分な強さを手に入れることができる。


 問題は戦いが終わった後の傷と白虎から得られる強さのほうがはるかに上だってことだった。


 前にも言ったとおり俺は町には戻れない。ポーションを買えない俺としては一度のけがで確実な強さを手に入れなければならない。


 だからボスではなく、裏ボスから倒しに来たんだ。白虎さえ倒せば3階層のボスは大したけがもなく倒せるから。


「町にさえ戻れれば解決できる問題なのに。ただですらクリアしにくいDEVIL TAKERがさらに厳しくなった…… さすがに楽しくないなぁ……」


 溜息を吐きながら肉をひっくり返す。実に素晴らしいにおいとともに真っ赤だった肉がおいしそうな茶色に変わって姿を現した。その暴力的な肉汁に唾が出る。


「まあ嘆いたところで状況もやるべきことも変わらないしな。今は久々の焼き肉を楽しみながらストレスフリーでもするか。」


 フライパン同様、組合で作ったフォークとナイフを取り出す。


 皿に移した肉にナイフを押し込むと、すごくたやすく分断される。とんでもない柔らかさだ。そのまま切った肉を口に入れた。


「うっ……?!?!」


 舌から、戦慄が走った。強烈な肉の味と匂いが口いっぱい詰まる。噛むたびに少しずつ薄くなったそれは、気づいた瞬間口の中で溶けて消えた状態だった。


 次の肉を口に運ぶ。そしてまた運ぶ。止まらなかった。


 もう強制的ともいえるほど体が動いた。肉を食べるたびに体が要求する。めちゃくそ柔らかいのに肉汁だらけで食べるたびにその存在を確実に刻印させている。それに脂っこくもない。何度でも行ける。


「……うわ。マジでうめぇ。」


 生温かい息を吐きながらそう言った。


 味付けなんて何もしてないのに。なのにも甘く、少し酸味が効いたその味が肉をサッパリしてくれて食欲をさらに刺激してくる。腹が満たされるものではなかったのなら本当にいつまでも食べられそうだ。


 お代わりしよ。冷蔵庫がない以上あのままにして置いたらすぐ腐っちゃうだけだし、回復のためにもいっぱい食っておかないといけない。


 そう思って解体のために身を起こすのに―


「何食べてるの?」


「?!?!?!」


 いつの間に近づいてきたのだろう。小さな虎が隣に座っていた。

 本来ならもうちょっと警戒するべきだけど、あまりにも無害そうな顔でこっちを見上げていたのでまずは落ち着いて答えた。


「何って…… ミノタウロスだけど。」


「匂いが違う。」


「そりゃあ焼いたから。」


「火で焼いた?」


「火で焼いた。」


「そっか。」


 そういっていまだに燃えている火を見つめた。火を知らないわけじゃなさそうだけどパチパチ音を出している火から目を離せなかった。


 ……もしかして


 立ち上がって肉を切ってくる。油と血が残ったフライパンにのせると再びチイイイイィとおいしそうな音を出す。

 それを口に運んだら虎の視線が火から俺へと移動した。


「美味しい?」


 ……やっぱりそういうことか。


「君も食べるか?」


「うん。」


 まるで待ってたかのように身を起こして尻尾を振る。


 わざと二つ焼いたので残った一つを皿に移し彼女の前に置く。


 すると立ったまま鼻を皿に突っ込んで食べ始める。


 ペットに餌を上げた感じだ。虎のくせに猫ほどじゃないけど中型犬よりは小さくてさらにそんな感じがする。


「そういえばあなたの名前は何?」


「え?俺?俺は、如月啓人だけど。」


「如月、啓人。そうなんだ。」


「う、うん。その…… 肉は美味しい?」


「美味しい。」


 そういって彼女が再び肉を食べることに集中する。意外と食べる速度は人間の俺と似ている。


 そういえば思いつくのが遅れたんだけど、こいつは一体どうなってるんだ?あれもこれも俺が覚えている白虎とは違う。


 ゲーム内での白虎は今の十倍は大きく、毛ももうちょっと荒れていて人間に変身する能力も持っていなかった。


 しゃべれるのがすべてだったただの悪魔。それすら戦う前のセリフが全部だった。

 そんな奴が何故こんなかわいい奴に変わってしまったのだろう……


 俺が知ってるDEVIL TAKERとは少し違うとこがあるって事実に不安を感じてるのに、顔を上げた彼女が口をなめた。


「もっと食べていい?」


「……別にいいけど食い過ぎはするなよ?体に悪いから。」


「うん。」


 返事を聞いて4つ目の肉を焼く。さっきも肉を奪ったのではなく俺が訊くまでおとなしく待ってたし、いい子みたいに返事まですると気が抜ける。


 おかげでさっきまでの不安が消えた。


 ポジティブに考えよう。何がどうあれここがDEVIL TAKERの世界という事実に変わりはない。何が起きようが俺はただ強くなって奴らに復讐し、元の世界に帰ることだけを考えればいい。


 そう決めた俺は自分の足首をなめる白い虎の前に皿を置いた。


 そしてここから、この奇妙な虎との同居生活が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る