波引けば

 葬儀の翌朝も雨はしみじみ降りつづいていた。


 のこされた夫はまるで何事も起きなかったかのような落ち着き具合で朝食をすませ、書斎の扉をくぐった。そして伴侶の死にともなう手続きをひとり淡々とこなしはじめた。


 使用人たちの眼には、主人の振る舞いが以前とおなじなのがかえって痛々しく映った。といって彼らにもそのようにする以外の過ごし方は思い浮かばず、つとめて平然と各々の仕事にとりかかった。


 書斎の机上、長い手指の的確な指揮の下、並べられた白い紙、黒いインク、赤い印章たちが面白みに欠ける規則的な動きを繰り返す。筆記に用いられているのは愛用の万年筆。十年前の誕生日に妻からプレゼントされて以来ずっと使っている品。


 作成された書類は屋敷を来訪する街役人に渡される段取りになっている。彼らは役所のある中心街から馬車をつかってナナバン・ストリートをやってくる。市街地から境こえ墓地こえやってくる。


 境といえば、テッポウタウンの市街地と郊外の境界は東と西はわかりやすく、南と北ははっきりしない。東西のわかりやすさは、この街が城塞都市だった時代の置き土産としてところどころに残っている城壁のおかげだ。


 街はずれの雨風しのぎ塀代わりにと補修された城壁跡は、二階建て家屋の屋根ほどの高さをした灰色の石壁で、東の方も西の方もこれを越えると道沿いに電柱やら木やらがぽつぽつ立っているくらいで建物はしばらくない。ひらけた野原と丘陵、それをすこし行くと東は墓地、西は農牧地。西の方はその土地柄、人家畜舎が複数建ち、人間以外の鳴き声がする。墓地を越えてもチモンジャク屋敷だけの東とは対照的だ。


 ちなみにその東は墓地も屋敷も通り過ぎて更に進むと、かなり行った先で海岸にぶつかる。そこには小さな漁村がある。さびれた物悲しい集落だ。皮肉なことにチモンジャク屋敷を見舞った悲劇は、東の郊外のこういったあり方に実によく馴染んでいた。


 そういう東西と比べると南北の境はよくわからない。城壁跡は残っているものの土地開発がそれを越えてどんどこすすみ、いまでも工場建設の行進は元気よく、そのあと追って商店や格安集合住宅が生えていく。だから年々まちはずれの位置が変わり、市街地は南北に長く伸びた形を強めている。まるで上下に引っ張られてるバネみたいだ。この南北の新興地帯は郊外とは呼ばれず、たいていの人は「あらたまち」と言っている。対して城壁跡の内側にあたる、昔からの中心街は「おふるまち」だ。


 それでそのおふるまちから書類の受け渡しにダルテさんを訪ねてくる役人たちに話を戻すと、彼らは一週間もたたず来なくなった。敏腕エンジニアの手際がここでも発揮されたのか手続きは数日ですぐに終わり、往来の必要がなくなったのだ。最後の訪問を終えた役人は中心街の職場に戻る馬車内で、事が円滑に進んだという満足感に微笑んだはいいものの、すぐにもやもやっとした罪悪感に襲われてしかめ面になった。これもマリアさんの人望のなせる業といえるかもしれない。


 このころには医療チームの引き上げも終わった。人の波は完全に引いたのだ。だけど、さあこれであとは前と同じような日々だ、とはいかない。一人足りない。決定的に足りない。


 砂浜に寄せては返す波あとは、けっして全く同じになることがない。だけれども、似たような形には何度だってなる。ある高僧が言うには人の営みも傷も砂浜に類する。一時は嵐に形を崩しても、また元に戻らんとするものです。


 手続きを完了したダルテさんは、車庫で愛車の再塗装にとりかかった。マリアさんが入院するより以前にはしょっちゅうやっていた車いじりの再開だ。彼がかつての日常を再開したのは、使用人たちの心の灯に力を与えた。生きる者にはおのおの役割がある。掃除、洗濯、調理に剪定、まだまだいくらでもあるってもんよ。


 こうして邸内がかつてと異なりながらも徐々に平穏を得ていったある日、ダルテさんは屋敷の使用人たち全員をお客とする夕食会をひらくと皆に告げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カンオケさん 古地行生 @Yukio_Fulci

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ