灰は灰に、愛は愛に

 チモンジャク屋敷はエンジニアのダルテさんと資産家令嬢のマリアさんの結婚を機に建てられた。テッポウタウンから東に伸びる街道のナナバン・ストリートを行った先にある墓地のさらに先という風変わりな立地はマリアさんの選択だ。土地代が他の郊外よりも安いのが決め手だった。


 彼女の両親――ダルテさんのやしない親でもある――が結婚のご祝儀にと渡してくれたお金はたいそうおおかった。


「気に入った所の土地を買って家を建てなさい」


 父親は娘と良く似た愛嬌ある丸顔をほころばせて言った。


 彼女は郊外でいちばん価格が低い場所を見つけ出してダルテさんに提案した。彼は一も二もなく同意した。そうして彼らは墓地の近くにお屋敷を建てて、余ったお金はすべて貧民救済の寄付にまわしてしまった。


 万事がこんな調子だったので、マリアさんは街の人たちに慕われていた。それだから彼女が不治の病に侵されたとわかった時、その報せは凶悪な辻風のようにひと息に街中を駆け抜け、大勢が悲嘆にくれた。涙を流してこの世の理不尽に憤る者もいた。


 他人事に一喜一憂するのはどの時代のどの街の人だって一緒だろうけれども、人情の薄くなったといわれる灰と煙のこのご時世に珍しいのはちがいない。


 彼女にとりついた病魔はたちが悪かった。選んだ人間の身体を静かにしかし確実に衰弱させる狡猾な性格で、進行するほどに患者の内部の苦痛はひどくなるのだ。


 夫や親しい者たちはテッポウタウン中心街にある総合病院の一室で、彼女が少しずつ弱っていく様を目の当たりにした。


 彼女はふっくらとした体つきだったので、病魔の肉削ぎ仕事は際立った。あまりにも酷な仕打ちだ。一週間に一度は病室を訪れるようにしていたマリアさんの親友は、面会のたびに相手の心身がわずかに削げていくのに耐えなければならなかった。


 どうして代わることができないのか。


 病院から2ブロック行ったところにある教会に、面会の前後に立ち寄って祈りを捧げるのが親友の習慣となった。礼拝堂の長椅子に座る彼女の身体はいつだって小刻みに震え、すすり泣く小さな声がもれ出ていた。その教会に通う人たちは今でもはっきりと覚えている、悲劇の裾端だ。


「教会というものはな、金儲けのうまい香具師が困ってる連中の気持ちの端切れを拾いあつめてやってる露天商だよ」とか「やってることは詐欺よりちょっぴりましだな。それに間違いなく頭の回りが高等だ」と口にする皮肉屋でも、そういう商売が成り立つだけの苦しみがこの世の終わりまでなくならないのは承知している。


 マリアさんの入院から一か月たったころ、ダルテさんは周囲の人々と相談して彼女の自宅療養を決めた。不治の病であるのはくつがえらない。ならばせめて最後の日々を自宅で送ってもらいたいというのが夫の切実な願いだった。


 当事者のマリアさんはこれに強硬に反対した。自宅療養に使えるお金があるならそれは寄付に回すべきですと言い張った。だがこれまで常日頃、妻の意見を尊重してきた夫も今回は譲らなかった。


 マリアさんの主張にも理があった。この地域に住むと痛感することであるが、病院での療養は医療費その他がかかるといってもそこまで桁外れではない。ところが自宅となると大変なのだ。


 テッポウタウンと周辺地域では自宅で継続した医療と介護を受けるのに莫大な費用が必要だ。これは主に医療制度の特殊性に由来し、加えて長年の因習も関係している。なのでほとんどの家庭では末期の自宅療養は選択肢にならない。


 病院の費用すら払えないほどの貧民はまた別だ。彼らがまともな医療を受ける術はほとんどない。ではどうするか。それをここに記すのはやめておこう。彼らのわずかな伝手をばらすのは倫理的にはばかられる。


 話をチモンジャク夫妻に戻すと、この時分の彼らの財は潤沢だった。彼女が不治の病に侵されるよりも前に両親が相次いで他界し、その遺産の大半を一人娘のマリアさんが相続していたのが大きい。


 この遺産からは少なくない額が寄付や基金に使われたが、それでもまだたっぷりあった。おそらくマリアさんがこうならなければ残りの使い道も同じだったはずだ。


 二人は三日間かけて妥協点を見いだした。どうしてもマリアさんがやっておきたい寄付をすませてのち、自宅療養にうつるというものだ。


 ダルテさんは妻の病に詳しいと評判の医師を遠近問わず呼び寄せてチームを組ませ、屋敷の一角を自由につかわせた。場所が足りない場合は街のホテルに部屋を借りた。


 医師団への支払いや高額な薬の購入はたくわえを猛烈な勢いで減らし、お金が足りなくなった。そこで夫はチモンジャク家が多数所有していた土地を手放していった。迷うことなく次々に。


 街の人々は彼が愛妻家だと知っていたから、この行いにより一層の敬意を抱きながらも、憐みと呆れがわいてくるのをおさえきれなかった。


「そりゃあダルテさんのおこないはあの人らしいよ。じつにもって奥さんを愛してるんだな。だがな、それにしてもあそこまで土地や金をどんどん手放すのは夫婦のどちらにも良くない、俺はそう思うんだよ。そうせずに今後を考えて他のことに使うかとっとくのが結局は本人たちのためじゃあねえのかい。奥さんは反対したっていうだろ。そりゃそうだよ。これについては俺は奥さんに賛成だよ。旦那は立派だが、気持ちはわかるがな……」


 医師たちの仕事は主に鎮痛、そしてごくわずかには快癒への道筋の探求で、その力の及ぶ限りにおいて最高のものであり、見立ても正確だった。彼らが夫妻に告げたとおりに、彼女の最期は訪れた。自宅療養にうつってから一年後だった。


 称賛すべきことに、チームは肉体の痛みの緩和に成功した。マリアさんが最後の一か月、ほとんど肉体的苦痛を感じなかったのは関わった者すべてにとって救いだった。


「みなさんからは神さまが私たちを見守っていらっしゃることの確信を教わりました」


 彼女はお別れの夜、穏やかな面持ちで語った。やせ細ったにも関わらず、かつてと同じ愛嬌が表れていた。


 葬儀はなるべく控えめにし自宅でおこない、街の教会には向かわずにそのまま墓地へというのが遺言だった。このため葬儀を知らせる弔問客の数は抑えられた。


 のだが、チモンジャク屋敷から墓地への道のりである街道のナナバン・ストリートには彼女を偲ぶ住民たちが朝早くから殺到し列をなしていた。ナナバンは街から墓地への道のりでもあるからみんな容易にかけつけることができた。しかし、もし墓地がもっと辺鄙なところにあったとしても、やはり皆やってきていたことだろう。


 老いも若きも男も女も、貧しきも富めるも健やかなるも病めるも手に草花を持ち、道端に整然と並んだ。


 勤務中の警官たちが急きょ駆り出されたが暴動が起きるわけもなく、そのうえ休みの警官たちも列の中におり、名目上は仕事として駆け付けた警官たちも実質的には列の参加者となった。


 近ごろのテッポウタウンが喧噪をかき鳴らし、皆が引き裂かれ分断されているのを身をもって知っている彼ら全員にとって、この葬列はマリアさんが与えてくれた奇跡に違いなかった。


 良く晴れた、天上への細道のような雲が一筋流れる空の下、マリアさんは屋敷から墓地へ向かい、その表門をくぐって、ある丘の中腹、夫妻が長年共に暮らした屋敷をのぞむ場所に埋葬された。


 夜、雨が降った。ひかえめで品の良いその音は、一晩中奏でられた。


 篤志家マリア・チモンジャクの墓碑銘は次の言葉である。


「みなさん、わたしが愛することをゆるしてくれてありがとう」

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