第18話 崖から芽生えた奇跡
ああ、今にもこの暗闇に飲まれそうだ。
あれだけ高い所から落下し、闇と同化した下り坂を転げ落ちたからそうなるよな。
上空から落ちた距離からにすると10メートルは下らない。
人形の目線からだと、もっとも高いだろう。
大の字に寝転がり、草の芝生にのった状態で冷たい夜風に当たっていると僕の人生は、どんだけ山がなくて谷ばかりなんだとにやけてしまう。
人間、追いつめられたら笑うことしかできないらしい。
その土壇場の意味を今さらだけど噛みしめる。
「僕は偶然にも、この草のクッションのお陰で助かったのか?」
ゆっくりと草場から人形の体を起こしてみる。
人形のせいか痛覚はない。
しかし、新調したての青のゴスロリ風の服装は、あちこちがボロボロでまともに見れるようなものじゃない。
女の子みたいなデザインのフランス人形から白の下着がチラ見しているから余計に危なかった。
今ならマニアなおじさんのバイト募集します的な。
あっ、言っとくが普通のカメラマンだから。
──被写体の僕は、まるで世界大戦の戦時に巻き込まれたような雰囲気だ。
左手は前方に無造作に投げ出され、右足に至っては今にも千切れそうな格好で足の付け根に辛うじてぶらついている。
僕は片足を引きずりながら、移動を開始する。
思い通りに動けない身がもどかしい。
いっそうのこと、地に伏せた左手のように、この右足も捨ててしまおうかと残忍な心も少しは芽生えたけど、その気持ちをシャットダウンする。
今、片足を失ったら、それこそ思うように動けない。
そこをコウタローの仲間に見つかったら最悪だ。
助けの叫び元を彼らから塞がれ、動けないように手足をバラバラにもぎ取られてしまうだろう。
待ち受けるのは狂った人物によっておかしくされたフランス人形のバッドエンドな結末……。
そんな絵面を好んで見たがる奴などいるのだろうか。
もはや、変態の域を越えている。
「ここは洞窟か。何でこんな場所に落ちたんだ?」
剥き出しの岩壁に触れながら、その肌にぬめりを感じる。
ほのかな水分を含んだ壁。
この近くに水源でもあるのか?
僕はゆっくりと壁沿いに背中をつけて動きながら先に進んだ。
体が何重もの重い枷を付けられたように重い。
足下もふらついて、視点がぼやけるが心を研ぎ澄ませ、確実に前進を繰り返す。
やがて、洞窟の先から無数の光が刺した。
「見えたぞ、街の灯りだ……」
洞窟からの出口にほっとした僕は疲れのせいか、そのまま棒のように倒れたのだった。
そう言えば、この人形になってからろくに休憩をとってなかったな……。
****
「ダディーちゃん、しっかり!!」
誰かが僕の肌をピチピチと叩いている。
「もうこうなったら人工呼吸を……」
「ちょっとお姉ちゃん、相手はお人形さんだよ?」
「いえ、
「お姉ちゃん、そのカオス設定大丈夫? 頭でも強く打った?」
「むぅ、碧螺なんて知らない‼」
妹の暴言を無視し、僕のくちびるに別の柔らかいものが重ねられる。
甘く湿った添加物の味。
程よい体温で交わされたくちびるからはチョコレートの香り。
その勢いに意識が覚醒し、僕はその場で目をグッと見開いた。
「なっ、
「ほら喋ったでしょ? あれ、碧螺がいない?」
刹那が僕から顔を遠ざける。
今、くちびるにキスしたよな?
「まあいいや。それよりダディーちゃん、服や体がボロボロだったから直すのが大変だったんだよ。いくらお人形さんでも体は一つしかないんだよ。これからは気を付けてよね」
青と赤とのカラフルな布の色合いで僕の失っていた手足が繋がっている。
衣装も緑を基調とし、青を混ぜたちぐはぐな布の付け合わせだが、彼女の優しい心遣いが伝わってきた。
僕は首だけを捻り、周りの情報を捉える。
このピンク一色の世界は刹那の部屋か。
彼女が倒れた僕を見つけて介抱してくれたのか。
「刹那。僕、今度こそもう駄目かと思っていたんだ。僕、怖くて死ぬかと……」
「もう大丈夫だよ。これからもダディーちゃんは刹那が守るから」
「刹那、せつなー!!」
僕は人形でいることも忘れ、刹那の胸に飛び込んで声を上げて泣いた。
「うんうん、怖かったんだね」
「刹那、せつなー、ありがとうー!!」
今まで僕は一人で悩み、何とかして刹那を助けようと気を強めていた。
でも違うんだ。
人に助けを求めていいんだ。
苦しくても一人で抱え込まずに仲間に心を打ち明けてもいいんだと……。
****
「ちっ、まさか、あの人形が喋りやがるとはな」
「コウタロー様、どういたします?」
刹那の部屋から出た暗い廊下先にコウタローと碧螺が、部屋でのやり取りに耳を澄ませていた。
「あの人形の優希に似たような言葉遣いといい、牢屋にいた声が出せない優希といい、何か裏がありそうだな」
「それではしばらく様子を見ると?」
「いや、あの人形は自分が奪い取る。例
え、中身が優希じゃないとしても
「ふふふ。コウタローさんは本当に鬼畜ですね」
「何だ、鬼畜なプレイは嫌いか?」
「いえ、大好きな方でしたら本望です」
碧螺がコウタローの分厚い胸板目がけて飛びつく。
コウタローはそんな彼女を軽くハグしながら、彼女の小さな耳にひっそりと囁く。
「今日の朝方、刹那が学校に登校した隙をついてあの人形を奪うぞ」
「はい。了解です」
朝焼けが射し込んできたリビングで、二人は良からない計画を実行しようとしていた。
****
「お姉ちゃん、早くしないと学校に遅刻しちゃうよ」
「もう、碧螺、何で起こしてくれなかったのよ」
晴天の平日の朝は戦場だった。
アフロのような髪型のお姉ちゃんが整髪スプレーを吹きかけながら髪をブラシで大慌てでといている。
そのやり方じゃあ、くせ毛の髪は真っ直ぐに纏まらないよ。
「だって何回も起こしたけど反応なかったじゃん」
「だったら蹴落としてでも起こしてよ」
「嫌だよ、ウチはそんな酷なことしないし」
何それ、そんな上流階級のお家がらじゃないし、もちろん下克上でもない。
お姉ちゃんは歴史の勉強が好きだからって歴女みたいに妄想しすぎ。
「大体、碧螺が昨日、夜遅くまで出歩いたからこうなったんだよ」
「お姉ちゃん、まだその件に根を持ってるの? 何回も謝ったじゃん」
「何でも謝れば済む問題じゃないよ」
「まあまあ、そんなことより、本当に遅刻だよ」
「わああ!? いってきますー!」
お姉ちゃんは昔からドジばかり。
いつもウチが裏から支えてる。
だけどね、お姉ちゃん。
儲けるためにはお姉ちゃんを利用するしかないの。
近いうちにコウタローさんが芸能事務所を立ち上げて、お姉ちゃんをアイドルにする。
お姉ちゃんの美貌をうまく生かして、素敵なアイドルになれると嘘をついて、最高に単純なお金稼ぎができる狡猾な作戦。
そうなればウチらは借金苦の生活にピリオドが打てる。
「そのためにはこの真実を知っているアイツを消さないとね」
意を決した私は、お姉ちゃんの部屋を大雑把に開け放ち、ダディーに焦点を絞る。
「あれ?」
だけど、どこを探してもあのフランス人形は見つからない。
もしかして、あの遅刻のドタバタ騒ぎはわざとで、ウチの目をダディーから遠ざけるためにしたとか!?
「きぃー、してやられた! まんまとお姉ちゃんのペースにはめられたわー!」
ベッドわきに置いてあったクマのぬいぐるみを放り投げながら、悔しさをぶつける。
「もしもし、コウタローさん?」
姉だからって、この妹をこけにしやがって。
今に見てなさいよ、痛い目を見せてやるんだからね。
ウチはコウタローさんに連絡して、すぐに家を飛び出した。
****
「刹那、刹那!」
「何、ダディーちゃん?」
「もういいさ、うまく奴らからまけたみたいだ」
「そうなんだ。もう歩いていいんだね」
肩で息を切らしながら、ゆったりとした歩みになる刹那。
「はぁ、はぁ……。それにしてもダディーちゃんの中身が優希君だったとはね」
「あまりにも信じないから、夜通しで話をする羽目になったけどな」
刹那の通学鞄から顔だけを出して、刹那と会話を続ける。
そう、僕は昨日の夜に刹那に全ての真実を話したのだ。
初めは疑っていた刹那だったが、僕の信憑性のある内容に驚きを隠せないようだった。
それもそうだ。
過去の体験といい、これからの出来事といい、刹那に起こる現象を見事に証明して見せたのだから……。
「もう色々ありすぎて気になって、ほとんど眠れなかったよ。今も眠くて堪らないよ」
「ああ、こちらの作戦はバッチリだから、学校に着いたら思う存分寝てくれ」
「優希君、学校は寝る場所じゃないんだよ?」
「はははっ、刹那は手厳しいな」
「もう……」
刹那がほっぺを焼いたお餅のように膨らませる。
乙女の学校事情も複雑だ。
「おっと、神のお出ましみたいだ」
そんな僕達に立ち往生する人間の僕。
威厳のある態度でコンビニで買ったであろうあんパンを食べていた。
その姿は僕から見ても駄目さオーラが浮かんでいる。
自分で言っちゃ悪いが、いい男が台無しだな。
「あっ、あなたが……中身は、かっ、神様の優希君……?」
「あっ、あの……」
今まで自然体だった刹那の口ぶりが急に大人しくなる。
参ったな、また、例のスキル発動か。
「どうしたんじゃ、お嬢さん。口ごもって?」
「ああ、ダディーすまんな。この子は人見知りで慣れない相手には口下手な部分があってさ。いつものように筆談で交わすけどいいか?」
「そうじゃったか。無論、悪くはないぞ」
僕の計らいに何度もお辞儀をしながら、可愛いピンクのメモ用紙に想いを伝える刹那。
『あまり無茶はしないで下さい』
「おう、ワシとコイツが入れば百人力よ!」
「のわぁぁぁー!?」
ダディーが僕の体をバレーボールのように宙に上げ、早くも勝利宣言をする。
「まてまて、危ない真似をするな。僕を殺す気か?」
「殺すも何も転生しとるじゃないか」
「まあ、それもそうだな……って上手くまとめるなよ!」
「クスクス」
刹那が声を少し漏らし、お腹を抱えて笑っている。
「あーあ……。僕ら、笑われてるぞ」
「何の。この歳になれば恥じらいもひと屑の藻のようなものじゃ」
「あのさ、人生経験豊富なのはいいけど、今の僕は高校生だからね?」
僕はダディーとのこのやり取りで薄々感じていた。
ダディーとミニコントを開催しているなか、彼が刹那の緊張を和らげていることに……。
「さて、お遊びもここまでじゃな」
遠くから見知った二つの人影が見え、僕の姿をしたダディーが僕に目で合図をする。
「作戦ネーム、相手のワキの裏をかこうぜか」
「ワキは余計じゃろ。そんなへんてこなネームにした覚えはない」
「だろうな。風呂の中でもべろんべろんに酔っていたからな」
「ワシは妖怪アカなめか!!」
人間の僕の顔は怒りに満ちていた。
『お二人さん、私いってきます』
「ああ、僕の分の宿題まで頑張ってな」
「宿題くらい自分でやらんか」
『まあまあ、こんな所で喧嘩しない。それじゃあね』
僕と妖怪ダディーは校舎へ行く刹那を見送り、その二人が来るのを静かに待っていた。
「だから、妖怪ぬらりびょんではないわー!」
地の文の説明を読むだけに人間ではないような気がするが……。
あっ、失礼。
ダディーは神様だったか。
「あいいい」
「何だよ、その喋り方に戻ってさ」
「あうい、敵を欺くには味方からじゃ」
「もうバレてると思うんだけどな」
「うええ?」
やっぱりあの喋り方は作っていたのか。
恐らく学生生活に馴染むためだろう。
「お待たせ、優希」
碧螺が空のショート缶のコーヒーを握りしめながら僕らの行き先を止める。
「ボウズ、ここまで自分たちを振り回して覚悟はできてるんだろーな?」
その後ろで背を向けた形で声だけを投げかけるコウタロー。
二人は明らかに怒りの矛先を僕たちに向けていた。
理由はどうあれ、彼らを本気で怒らせたようだ。
こりゃ、しばらく刹那と合流できそうにないな……。
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