第17話 本心を知ってしまい、折れそうになった心

 街から離れた一軒屋の古ぼけた横長な民家。

 そこで小林に囲まれ、何者も寄せつけまいとその建物は静かにポツリと建っていた。


 錆びついたトタン屋根には年季が入っていて、窓にも灯りがなく、人が住んでいる気配さえもない。


「本当にここにいるのかな?」


『ドンドン!』


「ごめんください!」


 無言を決め込む星空の下、唯一の出入り口と思われるドアを大きくノックしてみるが、まるで反応がない。


 その静かなわりには、民家の駐車スペースには一台の黒い高級車が停まっているし、矢奈さんから彼は日中以外のこの時間帯には、この家にいると教えられた。

 ならば、コウタローさんは居留守でも使っているのか?


 古い建物の作りか知らないが、呼び鈴がどこにもなく、困り果てていた僕は一歩勇気を踏み出し、アルミのドアノブに指をかけて違和感を覚える。

 あれ、ドアには鍵がかかっていない?


「随分と不用心だな」

「それはこっちの台詞だぜ」


 僕が中に入ろうとした時、後ろから野太い男の声がする。

 声の主はサングラスをしていて表情までは読み取れない。

 周りが夜になっていて、星の光源のみで薄暗いという環境もあるが……。


「何か怪しいもんで頭を辿ってみればコレだ」

「どういう意味だよ?」

「あはは。笑わせる。あのフィギュア店はダンナの支配下における店舗の一つでな。万が一に備えて、あの店には盗聴機と小型の防犯カメラを仕掛けていたのさ」


 どうやら僕はまんまと罠に誘き寄せられたようだ。


「まさか、こんなガキがダンナに楯突こうとはな」


 男が僕の手首を乱暴に掴み、暗がりでも目立つ白い色の縄で縛り上げる。


「さあ、洗いざらい話してもらおうか」


 そのまま縛られた体で地面に転がされる僕。

 砂利の味を噛みしめて相手を見上げる体勢となる。

 身動きが取れないとはまさにこれだ。


「僕は何も知らないぞ……」

「ほお、何も分からん奴が何でダンナの名前を知っているんだ?」


 それもそうだ。

 少なくとも矢奈やなさんからコウタローさんのことは口に出していない。

 しゃしゃり出たのは僕の方だ。


「くっ、僕をどうする気だ?」

「どうするって? こうするしかないだろ?」


 男が尖った物を僕の背中に当てる。

 この感触は鞘に収まったナイフか?

 こんな至近距離で刺されたらと思うと心も体もゾッとする。


「はははっ。一丁前にビビってやがる。中々いい反応じゃないか」

「僕を殺す気か?」

「いや、秘密が知れた以上、そうしたいのも山々なんだが、最近ではここいらも警察サツが嗅ぎまわっていてな」

「今、下手に騒ぐと将来の芸能活動に響くか」

「ご名答。牢獄行きで良かったな」

 

 男が煙草を出してその場で一服する。

 随分と余裕な仕草を見せるからに、腕っぷしにはかなりの自信がありそうだ。

 コウタローさんのボディーガードなのだろうか?


「しかし、ダンナが芸能事務所を立ち上げようとすることまで知ってるとは。お前、ただのガキじゃねえな」

「いや、普通の高校生だよ」


 僕は男に強引に腕を掴まれ、よろめきながら地表に立つ。


 転生できるのも今回までだ。

 下手なことをして、ここで殺られたら元も子もない。


 僕は素直に、この男に従うことにした。


「へへっ、分かってるじゃんか。お利口さんだな」

「ああ。無駄に命を散らしたくないからな」

「あはは。命を散らすか。お前さんまるで詩人だな」


 詩を語る吟遊詩人か。

 そう言われるのも悪くはないな。


「まあ、殺すかどうするかはダンナが決めることだしな。さあ、ちゃっちゃっと歩けっ!!」


 無抵抗な僕は男から腕を強く引っ張られ、部屋の奥へと連れていかれた。


****


「とっとと入れ!」


 男の命令により、縄をほどかれ、強制的に地下牢に入れられる僕。

 居間の階段を降りた先には四畳半ほどの牢屋が横方向に三つほど並んでいた。


 鉄格子に包まれた部屋の中は一枚のボロ切れの毛布と、端には和式トイレ。

 天井には黒ずんで汚れた換気扇が回り、壁際にある窓枠には更なる鉄格子が付けられている。


「少し肌寒いな……」


 男がいなくなって、寒さを感じた僕は近くにあった毛布に身を寄せる。


「なっ、くさっ!?」


 しかし、その毛布からはアンモニアのような鼻をつんざく異臭が漂い、とてもじゃないが、暖を過ごせる物ではない。

 平たく言えば、野犬が小便を垂らしたかのような独特の匂い。

 幾度もの人が使用してきた使い古しの品なのだろうか。


 どっちにしろ、こんな毛布にくるまれば頭がどうにかなりそうだった。


 いや、ここの住人たちはわざとこのような嫌がらせをし、心身ともに極限にまで追いつめ、罪人たちに自我崩壊を求めるのが魂胆で、こうしてわざとやっている行為の一つなのかも知れない。

 壊れてしまった人間ほど向こうにとっては扱いやすいのだろう。


 何はともあれ、待っていた先には地獄が待ち受けているはずだ……。


「きゃははは。いい気味ですわ」

「だから言っただろ、あんなヤツ捕まえるなんて造作もないって」


 上の部屋からさっきの男とは別の若い女の声がする。

 男の声もするからにカップルか?


「誰かいるのか? 僕をここから出してくれ!」


 僕は鉄格子のドアを激しく揺らし、抵抗を試みる。


「何、寝言言ってるのよ。優希ゆうきお兄ちゃん」

「なっ、碧螺へきらじゃないか。何でこんな所に?」


 やって来たのは胸元を大きく開けた赤いパーティードレスを着飾った刹那せつなの妹。

 いつもとは違う不釣り合いな服装に拍子が抜ける。


 だが、何てことはない。

 僕は息を整え、落ち着きを取り戻す。


 碧螺がコウタローさんの恋人であることは当の昔から承知済みだ。


「こんな所とは失礼だな。工場跡地とはいえ、自分なりに結構好きな物件なのにさ」

「出たな、コータローさん!!」

「がははっ、若いだけに威勢がいいなあ。ボウズ」


 煙草を口にくわえ、茶色のウイスキー瓶のボトルを手にした黒いタキシードの男。

 その丸刈り頭のコウタローさんが僕の姿を見かけて威勢のいい声で笑う。


 この人は僕の知り得るコウタローさんではない。

 もっと誠実で優しくて、それでもって酒に酔った時は好きな女性の話で甘える常識的な人だったはず。 


 だけど目の前のコウタローさんは違う。

 まるで別の生き物と会話しているみたいだ。


「何だあ、さっきから自分を睨んで。気に食わねえボウズだな」


「……気に入らねえな。ちょっとしめるか」


 コウタローさんが扉の錠前を勢いまかせに開け、僕の前に堂々と突っかかる。


「このボウズ、さっきから人の顔をガン見しやがって。何か文句でもあんのか!!」

「違う。僕の知ってるコウタローさんはこんな人じゃない」

「ごちゃごちゃとうるさいな。何なんだ、この陰質なボウズは?」


 そうか、これが彼の本性か。

 ここまで陰日向かげひなたの激しい人柄だったとは……。


 コウタローさんが不機嫌らしき舌打ちをしながら碧螺に話をふる。


「おい、碧螺。とてもじゃないがこのボウズが自分らの計画を潰す男には見えないぞ?」

「いえ、確かにその男はコウタロー様の事務所のことを口に出していました。それに銃の存在まで」

「そうだな、密売していた銃の件に関してはな。やっぱりこのボウズはスパイか、何かか?」

「どちらにしろ、生かしていい人物ではないことは明らかですね」


 碧螺が口元を弧の字に曲げながら僕を見下す。


 何だ、碧螺までおかしくなったのか?

 この世界は狂いきっている。

 どうなっているんだ、今回の転生先は!?


「まあ、すぐには殺さねえさ。ボウズには聞きたいことが山ほどあるからな」

「せいぜい足掻いて下さいな。優希」


 碧螺まで僕を小馬鹿にしてくる。

 全てはこの男の陰謀か?


「何だ、その反抗的な目つきは? 生意気なボウズだな。ちょっとは自分の立場ってもんが分かってんのか?」


 コウタロー(もう、こんな人さん付けじゃなくていい)が僕の頭を力任せに地面へ擦りつける。

 石でできた地面は若干湿り気があり、冷たい死に近い味がした。


 この生々しい味は血錆びだな。

 大方、口の中を切ったか。


「今日はこの辺にしといてやる。だが、今度自分らの邪魔をしたらしょうちしないからな」


 コウタローが僕の頭から手を離し、碧螺の肩にもたれかかる。


「じゃあ、行こうか。碧螺」

「はい。コウタロー様」


 好きな彼女には甘々なコウタローを肩にのせたまま、二人がこの牢獄から去っていく。


 どうやら僕は命拾いしたようだ。

 それもいつまで持つかは分からないけど。


 ここにいたら、あの二人から玩具にされ、いつかは命が尽き果ててしまう。

 どうにかしてここから脱出しないと……。


(でも、どうやって出ればいい!?)


 四方を壁に囲まれ、正面には鉄格子の扉。

 さらにダイヤル付きの南京錠と銀色の鉄の鎖の二重を絡ませ、扉は頑丈に閉められている。


 ふと、扉をぶち破るという考えがよぎったが、そもそも人間の力でどうにかなる代物じゃない。

 ここは漫画やアニメの世界じゃないのだから……。


****


 そうこうして一時間ほどが過ぎただろうか。

 諦めかけた僕の前に小柄な救いの影がさす。


 金髪の髪が潤いを帯びて、神々しい天使似た面影。


 まるで一年ぶりかの、久々の再会だった。


「大丈夫かの、助けに来たぞい」

「遅いよ、ダディー」

「しょうがないじゃろ。いくらお主の服のボタンに発信器を付けてるとはいえ、刹那が中々寝つかなくてのお」

「何かあったのか?」

「いや、姉妹喧嘩をして妹さんが家を出ていったまま帰って来ないときてな。あまりにも心配じゃから警察に捜索願いを出そうかと」

「それなら問題ない。碧螺はこの家に成人済みの彼氏と一緒にいるから」

「何じゃと。偶然とは怖いものじゃの」


 ダディーが格子の隙間に体を突っ込み、手足を暴れさせる。


「何だ、新しい遊びか?」

「見て分からんのか? お主がうまくここから逃げれるように、この体を再度交換するんじゃ。ワシの手足を引っ張らんか!!」

「いや、スライムじゃあるまいし、この狭い鉄格子の間を抜けるとか無茶だろ?」

「じゃあ、頭だけでも抜けそうじゃから、お主の頭でゴチンとぶつからんか!!」

「だから手足が抜けないならデカイ頭はさらに無理だって。血気盛んなジイサンだな」


 僕はダディーの頭に手を差し伸べ、その腕に自身の頭を当てる。

 これなら頭同士で接触しなくても間接的に入れ替われるはず。 

 今日の僕は色々と冴えていた。


 すると僕の読み通りか、次の瞬間、僕の意識が混濁し、フランス人形へと意識が移っていく。


「さて、うまく入れ替わったことだし、行くか」

「あうういー!」


 牢屋に座り込む人間の僕を後にし、人形の僕は地上への階段を踏みしめた。


 うまく言葉を言語化できないダディーのことが心配だったが、あの二人からは精神的ショックで失言症にでもなったのかと思わせておけばいい。


 それより、今はここから早々に出て、矢奈さんたちにコウタローの企みを知らさないと。

 碧螺の身を案じている刹那のことも気がかりでならない。


 ──僕は暗がりの壁に背を引っ付けながら、少しずつ階段を昇る。


 本心ならこんな障害物なんて駆け上がりたい気分だ。


 でも今の僕の体はフランス人形。

 見つかってしまえば圧巻の終わりだ。

 捕まってしまったら永遠に遊ばれるに違いない。


(慎重に行かないとな……)


 僕の心は冷静を保ちつつも、不安でいっぱいで焦りもあった。 


 時間は無限ではない。

 一刻も早くしなければ……。


 ──階段を昇りきり、壁時計は深夜の1時。


 本来なら未成年は補導される時間だが、人形に扮している僕には関係ない。


 むしろ、この静けさ。

 コータローたちは寝室で眠っているのか?


「これは好都合だな。逃げるには最適だ」


 僕は一安心しながら、全開に開いている居間の窓から飛び出した。


「おっ、おわぁー!?」


 不覚にもその下が、急な崖であることも知らずに……。


 僕はまんまとコータローたちの策略にはめられたのだ。

 逃げられない絶壁だから、わざと窓を開けていたのか。


 宙を泳ぎながら後悔しても遅い。

 僕の飛べない小さな体は奈落の底へと落ちていった……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る