第14話 訪れた再起、進めない明日

「確かに僕の部屋だよな」


 自室の畳に敷かれた布団の中で寝返りをうってから判明したことがある。

 外から蝉の鳴き声が聞こえ、布団の中は異様に暑い。

 汗がじんわりと寝間着を湿らすのが素肌を通じて分かる。


「だあぁー、体が蒸れて異常に暑いんだよ。僕の思考回路はおかしいのか!?」


 別に今始まったことじゃないし、この布団を恋人にしたつもりはない。

 僕は両足で布団を天井に向かって蹴飛ばし、寝床から飛び起きた。


 その際、ふと右手に違和感を感じる。

 僕は目を見開きながら、手の先に視線を持っていく。

 右手には四角い端末、スマホを持っていた。


 しかし、何でそんなに必死になって握っているのだろう。

 まるで悪魔の工作員から裏情報を守っているような……。


「そこまで体を張って守りたいものとはなんぞや?」


 どうせ、裏情報なエロいサイトでも見てたんだろう。

 僕はスマホを顔に近づけて、その内容を目で追う。


『──登録料無料、悪質なアダルト行為もなし。

 純粋ピュアな恋愛を楽しむ殿方へ……』


 えっ、えらい真面目な宣伝で攻めてきたな。


 一応、出会い系サイトだよな。

 ……というか、これが本格的な桃源郷というものか。


「それにしても、みんな綺麗で可愛いな。アイドルや女優でも十分に通用できるぞ」


 サイトに紹介されたレベルの高い女性たちの写真に、鼻の下を伸ばしながら正直な感想を述べる僕。


 だが、寝室でスマホごしに見ていた出会い系サイトには下心丸出しの画像は出てこなかった。


 ただ、言えることと言えば、向こうも真面目な恋愛を求めているということ。

 一度でも感じたよこしまな感情に蓋をしたい気分だった。


「せっちゃん……」


 不意に画面をスクロールしていた指が止まる。

 僕は聞き覚えのある名前を口に出していた。


「どこかで聞いたことがあるあだ名なんだよな……」


 黒髪のロングパーマで上品な木の椅子にちょこんと座り、藤色の着物姿でこちらに向かって笑いかけたお姫様のような写真。

 大和撫子とは彼女のことを指すのだろうか。


 その被写体に一目惚れした僕は震える指でその彼女とのお誘いメールを送る。


 僕も男だ。

 一生で一度でもいいから、こんな可愛い女の子とデートくらいしたい。


 サイトからの返答のメールを受け取った僕は柄でもなく、心は純真な子供みたいにウキウキとはしゃいでいた。


****


 8月のお盆時期。

 僕はネズミ色のスーツにワックスで整えたオールバックの髪型で、SNSで約束した場所でせっちゃんを待っていた。


「でも、何で待ち合わせ場所が墓場なんだろうな?」


 銀の安物の腕時計が示す時刻は午後1時。

 履きなれない黒の革靴で踏む砂利の感触がやけに鬱陶しい。

 墓場には日陰がなく、炎天下に立たされた僕は早くもダウンしそうだった。


「お母さん、あんな所にヤクザさんがいるよ」

「しー、駄目よ。目を合わさないの」


 黒のサングラスを指先で支えながら、親子の会話を聞き流す。


 失礼な。

 僕の最高級の服装にケチをつける気か?


「まあいいか。人間関係にも障害はつきものだ。どう足掻いたって分かり合えない人もいるからな」


 僕は気を取り直して、胸ポケットから棒の付いたキャンディを出して、それを口に頬張る。

 いつ食べてもチュッパチャップズは美味しい。


 ちなみに僕が好きな味はサイダー味だ。

 中にはキムチ味や塩辛味とかもあるらしいが、僕はチャレンジャーではなく、王道の味を好む。


 口に入れると弾けるこのしゅわしゅわ感が堪らない。


「あの、すみません。あなたがゆっきーさんですか?」

「はい。いかにも僕がそうですが?」


 キャンディを噛み砕き、声のした方向に顔を向けると、長い茶髪を靡かせ、スタイルが良いボディーラインがうっすらと映る、黒のビジネススーツ姿の美人女性がいた。


「その、せっちゃんと交際したいと申していたゆっきーさんで間違いないですか?」

「まったくもってそうですが?」


 黒ぶち眼鏡をかけた女性は大きな胸に負けじと大きな花束を持っていた。


「申し遅れました。私はこういう者です」


 彼女が差し出した名刺を受け取り、マジマジとその紙切れを見る。


瀬井手矢奈せいでやな

『トライエールラビリンズ』プロデューサー?」

「はい、せっちゃん、いえ、女性アイドルの名残刹那なごりせつなのプロデューサーをやっている者です」

「待てよ、名残刹那って……」


 僕の中から記憶が吹き込んでくる。

 それは濁流のように僕の頭に流れてくる。

 名残刹那、高校からの知り合いで僕の元恋人。


 何で今まで忘れていたのだろう。

 刹那と過ごした日々は僕にとっては輝く宝石のような出来事だったのに……。


「なあ、一つ聞いてもいいか?」

「はい。私の分かる範囲でしたら何なりと」

「刹那は交通事故で、もうこの世にいないのか?」 


 矢奈さんが驚きのあまり、眼鏡を外し、目を栗のように大きくさせる。


「おかしいですね。ファンの暴動を防ぐために交通事故で亡くなったということはふせていたのですが? 

もしや、警察官関係者とお知り合いなのでしょうか?」

「いや、僕のテレパシーで矢奈さんの心を読んだのさ」

「えっ、それでは今、私が履いている下着の色も分かったりするのでしょうか?」


 矢奈さんが体を腕で隠しながら、疑いの目で僕の反応を試す。


「それは断じてない。僕は変態かっ!」

「じゃあ、痴漢魔ですね」

「余計にヤバい橋を渡っているだろ! まったく……」


 僕は弾む息を整えながら、今度はゆっくりと話し出す。


「その、刹那とは高校時代に付き合っていた女性であって……」

「またまた、見えすいた嘘をついていますね。あの美貌のせっちゃんがあなたみたいな平凡を相手にはしないでしょう?」

「僕も酷い言われようだな」

「いえいえ、せっちゃんはみんなのアイドルでしたから」


 矢奈さんが亡くなった刹那の代わりにここに来たことを打ち明け、持っていた花束を墓石の下にある砂利の地面に置く。

 その墓石には名残家の親族らしき文字と、刹那の名前が刻まれていた。


 僕は他にも色々と矢奈さんに尋ねようとしたが、彼女は墓石の周りに生えた草むしりに集中していた。


 30分はとうに過ぎただろうか。

 墓石周りの掃除を終えた矢奈さんが、隣に置いていた花束を名残家の墓石の正面にたむけ、線香の束にオレンジの携帯ライターで火をつけて、灰色のエコバックに入っていた大量のお菓子をお供えする。


 ポテチにクッキー、コララのマーチに、ザラメの煎餅、ようかんに、なぜか、ねるねるねーまで。

 その数は軽々と10を越える。


「そんなにお供えするなら僕にも少しくれ」


 朝ご飯は菓子パン1個しか口にしていなく、空腹だった僕の心の声が飛び出すが、矢奈さんは黙祷に集中しており、この叫び? には気付いてはいない。


 どのみちカラスがあさるため、食べ物は持って帰るのがしきたりだから少しくらいいいじゃないか。


 それにこの暑さでチョコレート系はヤバいよな。 

 マグマのように溶けてドロドロになるぞ……。


「ゆっきーさんもせっちゃんのファンでしたのなら、少しばかりお祈りしていきませんか?」

「……元恋人でもあるんだけどな」

「まあ、いいじゃないですか。きっとせっちゃんも喜びますよ」


 矢奈さんが万年の笑みで僕に問いかけする。

 僕は腰を下ろして、矢奈さんの隣で一緒に名残家の墓石に手を合わせた。


 そんな沈黙の時間が一時続いた……。


「くっ……」


 すると、予期せぬ頭痛に襲われて、その場にしゃがみこむ僕。


 不意に流れ込む記憶の欠片。

 僕は刹那の他に矢奈さんも知っている?


 そして、これから起こる出来事も……。


「矢奈プロデューサー、覚悟ー!」


 背後の草むらの影から一人の人物が突っ込んでくる。

 フードを深く被り、マスクをつけた相手は鋭利なハサミを持っており、その台詞のごとく矢奈さんを狙っていた。


「矢奈さん、危ない!」


 僕は、その相手の後ろに素早い動作で回り込み、慎重に行動し、持っていたハサミを振り払う。


「何するんだよ。ソイツがせっちゃんを殺した張本人だぞ!!」


 凶器を失った相手が血気盛んに罵倒を重ねる。

 少し甲高い声ゆえに女子のヒステリーに聞こえないこともない。


「矢奈さんに悪気があったわけじゃない」

「何でだよ、あの女は!」

「甘酒による飲酒運転が原因で刹那は死んだと?」

「そうだよ。だからあの女にも同じ死を味あわせてやるんだ!」

「そんなことをしたしても刹那は喜ばない」


 僕は冷静に言葉を選び、取りあえず神経を落ち着かせる。


「だったら、おっさんが先にあの世で詫びろー!」


 神経を逆撫でされ、逆上した相手はズボンの後ろポケットから鈍く光る物を取り出し、それを放った。


『パアーン!』


「ぐうぅ……」

「ゆっきーさん!?」


 地面に横倒れた僕を相手に、硝煙をくすぶる物体を手にした相手はゲラゲラと下品な笑いをしている。


 その手にあるのは予想外だった手のひらサイズの灰色の拳銃。


 どういうことだ。

 普通の民間人がそんな物を所持しているなんて……。


 見ず知らずの相手に撃たれたお腹が脈打って熱い。

 痛みからして内臓もやられたか……。


「お前は……何者なんだ……?」

「そうだな、強いていればせっちゃんの大ファンだった者かな。今度からは口の聞き方に気をつけるんだな」


 相手が拳銃のトリガーに指をかける。


「まあ、今度もないけどね」


「さよなら」


『パアーン!』


 別れの言葉とともに、頭を撃たれた僕は、それを期に32歳の人生の幕を閉じたのだった……。


****


「僕は死んだのか……」


 光の空間をさまよう僕に見覚えのある小さな物体がトコトコと正面からやって来る。


「いや、間一髪だったよ」

「お、お前はダディー!」


 僕の膝頭ほどの背丈のフランス人形。

 なぜ、人形が喋れるのだろうか。

 あの世? だからなんでもありなのか?


「そうじゃよ。まあ、ワシに感謝することじゃな」

「ダディー、見かけによらず、じいさん口調なんだな」

「うるさいのう。人形にも色々あるんじゃよ」


 周辺の光が収まり、ダディーがちょこまかと歩きながら僕の方をガン見する。


「お前さん、また転生したいか?」

「はあ、何言ってるんだ。このフリフリドレスを着たなじいさんは?」

「仕方ないじゃろ。お前さんとの接点はこの人形しかないのじゃから」


 確かに言われてみればそうかも知れないが……。

 見てくればかりで怪しい人形(じいさん)だけに……。


「ダディーは何者なんだよ?」

「まあ、名前はダンディからの意味で、通りすがりのフランス人形じゃよ」

「普通、人形が喋ったり、動いたり、自己紹介してきたりするもんかね?」


 僕はダディーから目線を外し、改めて辺りを見渡してみる。


 どこを見ても雲に包まれた世界。

 どう見ても地上じゃないことは確かだ。


「有無まで聞くな。もう一度だけ人生をやり直したいか聞いておる」

「そりゃ、刹那とラブラブな関係を築いてから、彼女のひざまくらで息を引き取りたいよ」

「……」


 ダディーの目が白目をむく。


「あはは。冗談だぜ、ダディー。そう気を悪くするなよ」

「……に対してなんたる無礼かの」

「んっ、切れ(リトマス紙)の耐性が何だって?」


 僕はリトマス紙からジャガイモを連想し、ホクホクのジャガイモが食べたくなってきたので、この辺にはないのかと聞いてみる。


「お前さん、真面目なのか、変人なのか、よう分からんのお……」

「僕はいつだってだぜ」

「真面目に生きんかい!」


「まあよい。よく聞け。これがワシが言う最後の言葉じゃ」


 咳払いをしたダディーが僕に指を突きつけ、『ここは試験に出ますよ』アピールをする。


「転生できるチャンスは一度きりじゃ。老いぼれのジジイになるまで、もうここには来るんじゃないぞ」


「では現世で会おう」


 僕の体が宙に浮き、雲の絨毯を突き抜けて、下界へと下りていく。


 今の僕なら何だってできる。

 例えば、炒飯大食い大会で優勝をかっさらうことなど。


 そんな気がした。

(気がしただけ)

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