第13話 喜劇は悲劇と化した
「二人ともお疲れー♪」
「お疲れ様です」
午前0時半過ぎ、コウタローさんが食事の会計を済ませ、赤ら顔で
あれほど
その理由は突如、刹那のスマホから連絡があり、刹那のお母さんが突然の事故で入院を余儀なくされたので、早々に面会に来てほしいとの話。
偶然とはいえ、話ができすぎている。
だが、真っ先に矢奈さんの行き先が最寄りの病院に向かうということは、その場かぎりの嘘ではないらしい。
一人では広すぎる病室のベッドで点滴を受け、痩せ細った刹那の母親の順子さんが寝ていたからだ。
「せっちゃん、お母さんの容態は?」
「はい、ちょっと買い物に出かけたら車にはねられそうになったそうです」
「そう。大きな怪我とかはしていないのですか?」
「はい。ちょっとそのショックで気を失っただけと聞きまして。体は倒れ込んだ時にできたすり傷だけだそうです」
「それなら一安心ですね」
矢奈さんと刹那が病室の待合室で顔を見合わせる。
二人とも真剣なまなざしで会話を続けていた。
僕には関係ない話だ。
でも矢奈さんの膝の上に座っている以上、嫌でも話は耳に
「……せっちゃんのお母さん、栄養剤の点滴からして、周りからは実は過労だったとかいう説もあがっていましたけど」
「矢奈プロデューサー、それは……」
「ふふ。こんなところでくらいプロデューサーの呼び名じゃなくて矢奈でいいし、ため口でいいですわよ」
「いえ、仮にもマネージャーでもあり、色々と大忙しの先輩アイドルもありますから。それに矢奈プロデューサーも敬語ですよね?」
「はぁ、せっちゃんは変なところで真面目ですね」
矢奈さんが黒いブランドバッグのポケットから同系色の長財布を出し、何やら小銭を数えている。
「まあ、せっちゃんのプライベートだし、深く詮索はしないわね。
今日はここでお開きだし、先輩の私からジュースでもおごりますわ」
「ありがとうございます」
「ちょっと待ってて下さいね」
矢奈さんが僕を刹那に手渡そうとする。
「その前に少しの間だけどダディーちゃんを預かっていてもらえますか」
「いや、僕は離れないぞ」
「こらっ、ワガママを言わないで。元はせっちゃんのお人形でしょ」
まさか、矢奈さんの胸が心地よいとは口がさけても言えない。
実際に裂けたら世にも恐ろしい口裂け人形の完成だけど……。
「嫌だ、僕は絶対に離れないぞ」
途端に人形の手足が動き出す。
あれ、ひょっとして自由に動ける?
僕は手足を踏ん張り、矢奈さんの体から離れないようにする。
なぜかは知らないが嫌な予感がした。
この人を野放しにはできないと。
「ダディーちゃん、離れなさいっ!」
矢奈さんの力で強制的に引き離される僕。
ちょっと待て、僕の精一杯を込めての抵抗だぞ。
女性の細腕でどうにかなるはずがない。
彼女は本当にアイドルなのか?
「ダディーちゃん。せっちゃんと大人しくしてなさい」
「くそ、そのバカ力は何だ。お前は実は男なのか?」
「いえ、残念でした。私は戸籍でも女ですよ。アイドルは常に狙われやすいですからね。だてに体は鍛えてないですわよ」
そうか、合気道とかの護身術か。
相手が悪すぎた。
ならばこちらにも考えがある。
僕はヒラリと床に伏せて、そのままネズミのように移動する。
「ふははっ、僕は不死身さ」
「きゃっ、何ですの!?」
自分でも意味が分からないワードを口ずさみ、廊下の隅へと姿を消す。
「ダディーちゃん、どこに行きました?」
「もういいですよ。後は刹那が探します」
「ありがとう。お願いしますね」
矢奈さんが刹那の側から離れる。
「ターゲット、ロックオン♪」
その隙に僕は矢奈さんの背後に近寄り、忍びのように彼女の後を追いかけた。
矢奈さんには何か裏がある。
僕の直感が頭の中で告げていた。
****
「えっと、せっちゃんはコーヒーでいいのかしら?」
僕が木陰で息を潜める中、中庭にあるジュースの自販機で何やら苦悩している矢奈さん。
彼女はさっきから一人でぶつぶつと小言を発していた。
「でもカフェインが入っているから、こんな夜更けに飲んだら寝られないわよね。最低でもカフェインが抜けるまで四時間はかかると聞くし」
夜中の自販機の灯りで彼女の顔が青白く映る。
何だか、幽霊みたいで気味が悪いな。
「まあいいわ。コーヒーなら外れはないし、下手な飲み物よりかはいいわね。私もコーヒーにしようかしら」
矢奈さんが自販機のコーヒーの選択ボタンを押すとブザーとともに投入口に缶コーヒーが落ちてくる。
その途端にそのコーヒーのボタンが赤く光った。
「あら、いやだ。売り切れだわ」
どうやらコーヒーは品切れのようだ。
「じゃあどれにしようかしら。炭酸は太るし、お茶は味気ないし」
矢奈さんが頭を捻りながら、自販機と心理戦を繰り広げていた。
「こういう時は体に良いものを」
迷いが晴れた矢奈さん、ボタンをポチりとな。
「飲む点滴。これに限るわよね」
『冷やし甘酒』と太字で書かれたショート缶を取り出す矢奈さん。
彼女はそのプルタブを空けて、息をつく間もなく豪快に飲み干した。
「あっ、しまった。今日はドライバーだったわ」
後悔先に立たず。
この後で彼女はとんでもないことを起こしてしまう。
僕がそのことに気付くまでは多少の時間がかかったのだが……。
****
「せっちゃん帰りますよ」
「はい、でもダディーちゃんが?」
「あの人形ならここの看護士が拾ってくれるでしょ。そんなことはいいから帰りましょう」
「そうですね。夜も遅いですし、他の患者さんの迷惑ですよね」
一緒の帰り道を歩もうとした時、不意に刹那の足が止まる。
「矢奈プロデューサー。何かお酒のにおいがしますけど?」
「ええ、ちょっとしたトラブルで甘酒を飲みまして」
途端に刹那の目つきが険しくなる。
「そんな状態で運転をしようと?」
「嫌ですね。甘酒はお酒のうちに入らないですよ」
「矢奈プロデューサー、甘酒にも微量のアルコールが含まれているのですよ」
「まあ、うまい具合に運転しますわ」
その言葉を耳にしてか、目けんにシワを寄せる刹那。
「矢奈プロデューサー、見損ないました。刹那はタクシーで帰りますので」
「あっ、せっちゃん、夜道の一人歩きは危ないですよ」
「心配はご無用です。飲酒運転で警察のお世話になるよりかはマシですから」
刹那は矢奈さんに別れを告げて、病院のロビーを横切っていった。
****
「ダディーちゃん!」
「その声は刹那か?」
「もうどこに行ってたの? それにこんなに洋服を汚しちゃって」
「ごめん」
「別にいいよ。さあ、帰ろうか」
ロビーにいた人形の僕は刹那に抱えられ、病院の外に出る。
少し冷たい夜風が僕の肌に触れる。
8月とはいえ、もう秋はすぐそこだ。
「刹那、ここから歩いて帰るのか?」
「ううん、今日は近場のネカフェに泊まるよ」
ネカフェは略語で正式名称にはネットカフェ。
いわゆるインターネットを楽しむための娯楽施設なのだが、ネットの他にカラオケ、ビリヤード、ダーツ、読書に映画鑑賞と多彩な遊びができる。
それに飲み放題のドリンクバーに、本格的な食事が味わえ、最近ではシャワールームやコインランドリーなどもあり、至れり尽くせりの場所と言えよう。
現に帰る家がない人がここで居住している説もあり、ネカフェもホテル変わりの要素へとなりつつある。
メニューにも30日パックとかがあるくらいだ。
でも、一部屋ずつ仕切られている個室があるにも関わらず、そこを遮っているのは薄い壁のみで、天井は開放されているし、何より、出入り口のドアには簡単な鍵しかついていない。
野郎はともかく、女性が一夜を明かすのは危険なんじゃないだろうか……。
「じゃあ行こうか。この病院の近くにあるから……きゃっ!?」
刹那が横断歩道を渡ろうとした瞬間、いきなり彼女の体が前のめりになる。
それと同時に彼女の腕から滑り落ちる僕。
何があったのか混乱している僕の目の前で刹那が路面に投げ出される。
次の瞬間、刹那は対向車にはねられていた。
「刹那ー!!!」
僕は人形でいることも忘れ、ありったけの声をあげながら、彼女の元に駆けつける。
刹那の胴体はまっ平らに潰れていた。
内臓も骨もやられている。
出血の量もおびただしい。
彼女は恐らくもう助からない。
「ダディーちゃん、良かった……無事で……」
「刹那、僕の心配をしてもしょうがないだろ!」
「うん、そうだね……。刹那の分まで幸せに暮らしてね……」
「刹那、死ぬな。目を開けてくれ!」
「アイドルデビューした姿を……
そう言ったきり、刹那はまぶたを完全にふせ、物言わぬ肉体になった。
「何だよ、それ……。別れても僕のことが好きで……」
僕の小さい人形の体が小刻みに震える。
「あの、お嬢ちゃん。すまんの!!」
刹那をはねた初老の男性の運転手がやって来る。
いけない。
今はフランス人形のふりをしなければ……。
僕は全身の力を抜いて、そのまま道路に突っ伏した。
初老の男性は血まみれの刹那を前にあたふたとしながら、スマホで電話をかける。
それから10分後に来る警察と救急車両。
「対向車が荒っぽい運転をしていて、その車にぶつかりそうになって避けようとしたら、この子に当たって」
「なるほど。用件はよく分かりました。ちょっと署までご同行をお願いできますか」
若い男の警察の取り締まりを受けて、パトカーに乗り込む男性。
複雑な面持ちの男性を乗せた車はそのまま勢いよく走り出した。
刹那はというと、救急車に連れられ、サイレンも鳴らさずにこの場を去った。
残されたには人形の僕のみ。
刹那がいなくなったら僕はどうなるのだろう。
道路を管理する環境整備の手によって、このまま廃棄処分にされるのか。
(随分と味っけないな。僕の人生もここまでか……)
「あううー」
そこへ奇妙な声が静かな歩道に響く。
「お、お前は、僕じゃないか!」
「いううー」
どうやってこの場所にたどり着いたのだろう。
人の姿の僕は頭を差し出して頭突きのようなポーズをとってみせる。
「なるほど、元の人形の姿に戻りたいんだな」
「はううー」
「大方、人間社会に疲れたんだろ。まあ、今すぐかますから待ってろよ」
「あうい」
僕は人間の本体から距離を空けて、猛スピードで走り始める。
「せやっー!」
そして、ちょこまかと小走りした僕は大きくジャンプをし、丸太のように僕の本体に頭突きをぶち当てた。
「はがっ、キャイーン!?」
やはり、いつ慣れても頭への攻撃は痛くてたまらない。
思わず犬ころの叫びを放ってしまった。
そこからの人形としての記憶はない。
何かがすっぽりと欠けたかのように僕は元の人間の姿に戻っていた。
──次に目が覚めた場所は僕の家の自室だった。
体を注意深く確認しても運ばれた形跡もなく、どうやってここに時間軸が移動したのかが不思議だったけど……。
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