第11話 好きなことだからしょうがない

『トライエールラビリンズ』


 神奈川の県境の東京にあるアイドル養成所。


 二車線の道路沿いの路肩に街路樹が植えられ、雑居ビルが並ぶ街並みに、三階建てで肌色を主にしたマンションのような素朴な外見。

 その二階に目的の場所は存在する。


「そうか。ここが刹那せつながアイドル活動をしていた場所か……」 


 真夏の日光が照らされる暑い中、着なれない黒のスーツのネクタイを緩め、スマホの地図アプリと照らし合わせながら『トライエールラビリンズ』と赤いテープで貼られたガラス窓をぼんやりと眺める。 


 資本金は1000万。

 矢奈やなさんのお父さんが立ち上げた個人事務所でもあり、ネットの情報源によると現在在籍しているアイドルは20名ほどらしいが、建物の小汚ないさが若干分かるからに、正直あまり繁盛しているようには見えない。


 ここで活動していた刹那が僕と同じアラサーな年齢にも関わらず、メジャーにも顔を出せずに売れなかった真相。 

 その末路が見え隠れしていた。


「おかしいな、もう時間は過ぎているんだけどな?」


 矢奈さんからスマホに送られた地図で確認しても場所は合っているし、安物の銀色の腕時計に目をやっても、とっくに朝の10時は過ぎている。


「まさか彼女にはめられたとか?」


 ここまでやって来た苦労と電車賃を返せと声を大にして言いたい。

 まあ、実際には叫ばないけど……。


 こんな街中で発狂などしたら、色んな意味でそれこそ大事おおごとだ。

 ああ、どうしたらいいものやら。


 僕が一人頭を抱えながら悩んでいる最中に麦わら帽子を被った長い髮の一人の女の子がここの建物から出てくる。


「あら、見覚えがある方と思いましたら、やっぱり優希ゆうきさん?」

「えっ、どうして僕の名を?」


 帽子から飛び出たピンクの髪に白のワンピースを合わせた強調的なコーデに劣らず、胸の豊満さにスラリとした体型。 

 そんな見ず知らずの女の子から声をかけられ、気が動転する。


 何だ、この恋愛ゲームのような展開は。

 僕にもようやくやって来たモテ期のシーズンというものなのか?


「うふふ。分かりませんか。矢奈ですよ」

「ええっ、まるで別人!?」


 驚くのも無理はない。

 近くで見ると、丁寧に化粧をしていた彼女の顔は童顔のように美しく、乙女のようなオーラを漂わせていた。

 失礼な話だが、とても熟女には見えない。


 化けるとはいえ、化粧一つでこんなに変われるものなのか。

 女って凄いな。


「はい。これが私のもう一つの顔です。プロデューサーのほかにマネージャー兼アイドルをやっていまーす♪」


 矢奈さんが頭のピンクのウィッグを外し、その場でくるりと一回転して、茶色の髪とワンピースを揺らす。

 笑顔を振りまきながら、年齢差ながらの上品さも含まれた彼女から、僕は目線を反らせられない。

 

「じゃあ、行きましょうか」


 マネージャーモードに切り替えた矢奈さんがその場で大きく伸びをして、建物の階段の方へ足を伸ばす。


 白く細長いカモシカのような素足。

 もしも、相手が矢奈さんじゃなければ僕の理性はとうに吹き飛んでいる。

 今の彼女はどこから見ても魅力的な女性だった。


「優希さん? 階段はお嫌いですか?」

「へっ、階段?」 


 僕の聞き間違いな発言に矢奈さんが目をキョトンとしてこちらを見ている。


「すみません。この事務所にはエレベーターはついていなくて」

「いや、そうじゃないんだ」


 僕は立ち止まり、深呼吸をして、一瞬目を閉じる。

 心に映っていた彼女のことが目に浮かんだ。


「──妹の鵺朱やすはこのことを知っているのか?」

「はい。ドールハウスの社員になるのだけはやめてと言われまして」

「そりゃそうだよな」


 マニアックな人形で並びつくされたドールハウスの店内。

 商品の日焼けや痛みを避けるため、部屋の中は影があり、陰気で少しばかり湿気もある。


 そんな場所に数人の男がやって来て、『姉ちゃん、人形遊びより、俺達と永遠にメリーゴーランドに乗らない?』とか言われる可能性もある。


 えっ、意味が分からない?

 この物語はR15指定だからな、迂闊にストレートなことは口に出せないのさ。


「……って誰と話をしているんだか」

「うんっ、何か言いました?」

「なんくるないさー♪」

「その言葉遣い、微妙に間違えていますからね」


 沖縄地方の方言を知っているなんて、さすがアイドルだな。

 分からない人はネットでググるなりしてほしい。


「着きましたよ」


 そうこう考えているうちに目的地に到着したようだ。


 矢奈さんが遠慮なく魔王城の扉? を開ける。

 そこには破滅の……いや、神秘の世界が広がっていた。


「こうも誰もいないとはな」

「それなりに名前は知れていましてもこじんまりとした事務所ですし……。大手との契約のためにアイドルの皆さんも社長も色々と忙しい方ですからね」


 僕ら以外、人気のないガラガラの室内の窓を開ける彼女。


 その換気をする姿は絵に描いたように美しく、彼女みたいな人が本物のアイドルに相応しいんだろうなと思う。


「あのさ、矢奈さん」

「はい、何でしょうか?」


 駄目だ、もう我慢できない。

 僕はこの部屋で彼女に想いを打ち明けることにした。


「何でここに、あのフランス人形があるんだよ!?」

「何で? と言われましても、このダディーちゃんは生前の刹那さんから預かりました、大事な品の一つでして」


 そう、応接間に通されて目の前に居座るあのフランス人形の『ダディー』から目を離せないでいた。


 刹那自らが飾った人形か。

 でも何のためだろう。

 まるで初めから若くして命を散らすのを知っていたかのように……。


 いや、まさかな……。

 僕の思い過ごしか。


 そんなエスパーみたいことができたら苦労はしない。

 現に刹那はもう、この世にはいないのだから。


「仕事にアイドル活動にと忙しくて、中々、家に帰れない彼女が、このダディーちゃんだけには私の全てを見てほしいと」

「えっ、それってつまり?」

「はい。この人形を恋人だと思って、心から愛していたのでしょうね」


 矢奈さんに察せられ、黒のソファーに座った矢先に、彼女がどこからか麦茶の入ったプラスチックポットを取り出し、テーブルに置かれた花柄のガラスコップにそれを注ぐ。

 グラスに映った麦茶から僕の輪郭が心なしか、歪んでみえた。


 刹那は人形として話していた相手を僕と認識していたんだ。

 でも、それはいつからだろう。

 その記憶を引っ張り出そうとも、喉元まで出かかって出てこない。


「こうも記憶がだとはな……」

「会いまいでしょうか?」

「いや、その猫ちゃんワードは二度と口に出さないで欲しいよ」


 唐突に猫の鳴き声を出した矢奈さんの演技力も見事だったが、それよりも気にかかることがある。

 どうして僕はフランス人形に転生できるのだろうか。


 じっと、考えていても理由が分からない。


「矢奈さん、そのフランス人形で僕をこづいてくれ」

「はい? 正気でしょうか?」


 自分でも意味不明な言動をしているのは承知だ。

 好き好んでマゾを望んでいる訳じゃない。

 こうするしか、過去の時間軸に転生できないからだ。


「遠慮は入らない。日頃の鬱憤うっぷんをこめて思いっきりやってくれ!」


 僕はソファーから下り、茶色のクッションフロアに一家の大黒柱のごとく、どすこい! と座り込む。


 しかし、矢奈さんはあれこれと戸惑いを隠せないようだ。

 ならば、ガツンといく作戦に変えることにした。


「やーい、やーい。お前の妹、出べそ~♪」

「なっ……」


 矢奈さんが顔を俯かせ、拳を握りしめたまま肩を細かく震わす。


「恋人でもないのに、鵺朱の裸を見たのでしょうか?」

「ああ、いい出べそだったぜ」

「不埒ですね。桜花乱舞ですー!」


 矢奈さんから編み出された必殺技。

 なお、拳も人形も光ってはいない。


『ゴツン!!』

「はぐわ!?」


 その人形を振りかざした攻撃を頭に受けて、その場に倒れ込む僕。

 やっぱり思っていた通り、妹が好きすぎて困っちゃう病だったか。


 でも正直痛いな。

 憎んでいたとはいえ、強く殴りすぎだろ。

 こりゃ、転生以前にあの世行きだな。


「あっ、すみません。私としたことがつい我を忘れて……」

「いや、それでいいんだ。妹をにな」

「はあ、おせちではなく、鯛せちですか?」


 参ったな。

 こんな大事な一時にかんでしまうだなんて。

 己のコミュ力の低さを恨みそうになる。 

 

「それよりもしっかりして下さい!」


 彼女の問いかけにも応じられず、徐々に意識が遠ざかり、辺りは漆黒に包まれる。


 そうか、ここで僕は死ぬのか。

 どこで道を誤ったのだろうか。

 まさか矢奈さんに命を奪われるとは。


 まあ、天国で刹那が待っているからよしとするか……。

 例え、地獄に堕ちたとしても蜘蛛の糸によってのんびりと天界を目指すさ。

 いや、あれはそんな物語じゃなかったな。


 僕は死ぬ間際になっても余生を楽しんでいた……。


****


「ここは……?」

「あっ、気が付きましたか?」


 ベッドで寝ていた僕がゆっくりと体を起こす。

 場所的には僕の部屋ではないようだ。

 薄暗い畳の室内に何本かの缶ビールの缶が転がっている。

 刹那は未成年からして彼女の部屋でもないようだ。


 だとするとここは……。 


「まあ、失礼ながら散らかってはいますが、ゆっくりしていって下さい」


 人形の僕は瞳だけをキョロキョロさせながら辺りの風景に目を凝らす。


 部屋は四畳半といったところで周りにはゴミ袋や空き缶で溢れかえっている。

 お世辞にも綺麗ではなく、最後に掃除をしたのはいつ頃なんだろうと感じてしまう。


「安心して下さい。妹の鵺朱は今日は夜勤ですから」


 そうか、信じたくはなかったが、やっぱり矢奈さんの住まいだったか。


 彼女は部屋掃除が苦手のようだ。

 人は見かけによらないな。


「それにしても優希さん、随分と軽かったですね。60キロもないですよね?」

「…… 」

「恥ずかしくて無言ですか。可愛いですね」

 

 人形の姿に魂が入れ替わっても、冷静に状況を把握する僕。

 さすがに何回も転生していれば、こんなことくらいで混乱はしない。

 何にせよ、慣れとは恐ろしいものだ。


「じゃあ、仕事の続きがありますので私は行きますね」

「あうあう」

「なお、私が帰宅してから夜這いにきた場合は問題なく絞めますのでよろしくお願いします」

「あいいー」


 逆に人間の僕に魂が入れ替わったダディーは言葉には不馴れらしい。


 うまいこと、日本語を話せないようだ。

 誰か通訳を頼んだよ。


「さてと、今日も飲み会を頑張りますか」


 矢奈さんが意味不明なワードを口に出してリビングの先にある玄関先に移動する。


 しかし、端から見ても狭い部屋だな。

 設計からして一人暮らしの間取りなのだろうか。


 今から仕事とか言っていたが、壁時計の針はすでに22時。

 社会人にしては十分に遅すぎる時間帯でもある。


(待てよ、今、飲み会と言っていたな……)


 そこで僕にある気持ちが混ざり合う。

 だとすると、この世界では刹那は生きているのか……?


「だったら僕も連れていけ」

「えっ?」


 僕は人形になっていることも忘れて、矢奈さんに話しかけた。


「そうですね。刹那さんの長年のパートナーですから全てをみて欲しいですものよね」


 矢奈さんは驚いてはいたが、すぐに理解して、人形の僕をそっと胸に抱える。


「さあ、行きましょうか。ダディーちゃん」


 僕ら二人は慌ただしく、部屋を後にした。

 ずっと目の焦点が定まっていない人間の僕を残して……。

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