第4章 過去を夢で終わらせない
第10話 見慣れた景色
次に意識をはっきり覚醒させると見慣れた天井が見えた。
天井の木目調の染みは水墨画のように写り、一種の絵画のようにも見てとれた。
その絵面はまるで女性の半裸にも思える。
いや、これは例えで人によっては様々な形になるだろう。
僕が女に飢えていただけのただの欲求不満により、そんな形なのかも知れない。
それにしてもこの天井には見覚えがある。
頭を横に向けてみる。
畳の上に布団が敷いてある。
いつの間に僕はこんな場所で寝ているんだ。
ついさっきまでフランス人形だったはず。
それでなぜ人間の姿なんだろう。
他に気になった部分もある。
水色のパジャマ姿から伸びた腕が色艶がなく、えらく痩せこけたように見えたからだ。
僕は布団から起き上がり、手元にあった手鏡を覗いていた。
「はぎゃあああー! 何だこの顔は!?」
驚くのも無理はない。
僕は人間の姿をしているから、当然、人間の顔をしている。
(それだけならまだしも、この僕の姿は……)
そう、この口周りに生えた髭面からして、とてもじゃないが高校生の顔ではない。
どこから拝見しても年老いたおじさんそのもの。
僕はあの頃の32歳の姿で、ここにいたのだ……。
****
『ピリリリリー♪』
突然、スマホが鳴り出し、慌ててふためいた僕は耳元にそれを近づける。
「もそもそ、どちら様ですか?」
『もそもそじゃないだろう。この前約束した通り、今日から
「シフト、ファミレスのですか?」
『何、寝ぼけたことを言っているんだね。コンビニの店長の
偶然にもファミレスの店長と同じ名前の相手(漢字も)はおしとやかなようで口調はもの凄く怒っているようだ。
話の内容からに僕は寝坊したのか。
(待てよ。今、何時だ?)
閉めきったグリーン一色のカーテンからは、日の射しているような気配はない。
僕は店長の長いお経のような小言を無視しながら、今度は赤くて円状の目覚まし時計を手繰り寄せる。
時刻、1時。
ただし、深夜1時。
「のわー、こんなひ弱な僕に今から夜勤をやれと!?」
『当たり前だよ。この前、給料を前借りした時にいつでも働けると言っていたじゃないかね』
「鬼だ。この店長は人の姿をした鬼だ」
『あのねえ。鬼なら給料の前借りとかさせないだろう?』
それもそうだな。
鬼の目にも涙か。
あれ、何か表現がおかしいような……。
『とにかく人手が足りないんだ。今からでも来てくれよ』
「店長が多重分身して仕事したらいいじゃないですか」
『あのねえ、わたしは西○記による猿の一族かね?』
「いえ、人間の先祖はゾウリムシからですから」
『ごたくはいいからさっさと来なさい!』
『プツン!』とスマホからの話し声が向こうから途切れ、静寂に包まれる。
恐らく、一人で業務に追われているのだろう。
(桂木店長、めっちゃ怒っていたな……)
まあ、あれこれ考えても仕方がない。
状況はどうあれ、僕はこの世界に帰ってこれた。
それだけでもいい結果じゃないか。
僕は手早くいつものTシャツとジーパンを着込んだ。
それから、ちゃぶ台にあったメロンパンを頬張り、口の中に冷やしていた牛乳を流し込み、臨戦態勢をとる。
相手はあの心底に怒りきった店長だ。
万が一のために腹だけでも満たしておかないと。
空腹は作業内容に差し支えるからな。
腹減りの中、二十四時間耐久バイトをやらされたらたまったもんじゃない。
まあ、それを実際にやらされたら店長が罪に捕らえられるが……。
****
「いっ、いらっしゃいませ!」
コンビニの店内は地獄だった。
長蛇の列のお客がエンマ大王のような絵面でレジの店員を睨み付けていた。
どうやらレジうちの従業員は、最近入ってきた新人のバイト生らしい。
対応している相手は女性か。
こんな夜の時間帯に勤務しているということは成人済みか。
化粧が少し濃いが、この離れから見ていてもべっぴんさんだな。
結婚はしているのだろうか。
でも、旦那がいたらこんな深夜に働いたりしないか。
(それにしても、どこかで見たような顔つきだな……)
しかも、先ほどからレジ待ちの列が動かないな。
何かのトラブルか?
「困るよ。
「すみません。レシートが出なくなっちゃいまして」
「紙に縦長の赤いラインが印刷されたらレシートが切れる直前。もう一週間になるんだよ。いい加減覚えてよね」
「はい。すみません」
白髪頭の店長の言葉の圧力を食らい、しょぼんとする女性店員。
「並んでいるお客様、こちらへどうぞ」
店長が半分呆れながら、隣にある別のレジで客の対応をしていた。
待てよ、ヤス……その男のような名前、どこかで聞いたことがあるような……。
「あっ、
先ほど怒られたのに反省の色もない女性店員がその場でたんったんっと跳びながら、僕に向かって大きく手を振る。
その正面からのショートカットの赤い髪型が僕の記憶の少女と一致する。
顔立ちはいくらかふけた印象を受けたが間違いない。
女性店員の胸に付けられた名札にはひらがなで『せいで』と大きく書かれた言葉。
僕の知っている限りではこの独特な氏名は彼女しかいない。
「何で鵺朱がここにいるんだ!?」
「何でって、お姉ちゃんからのバイト紹介で♪」
「だからどうしてだよ?」
「むっ、皆まで言わないと分からない?」
鵺朱が膨れっ面で僕を批判する。
何だ、この店では裁判員制度でもしているのか?
「おおっ、ようやくヒーローのお出ましかね」
鵺朱の代わりにお客の流れを片した店長が笑顔で僕を出迎えてくれる。
何だ、怖いイメージがあったけど優しい一面ももっているじゃないか。
「遅れてきたぶん、減給だけどね」
「えっ?」
「後、今からじゃ六時間勤務以下だから休憩もなし」
「へっ?」
「さあ、バリバリ働いてもらうよ!」
鬼だ。
やっぱりこの店長は人の仮面を着けた鬼だ。
「じゃあ、鵺朱ちゃん。休憩入っていいよ。後はこのプレイボーイがやっておくから」
「はーい。ごめんね。響」
『さてと、お腹空いたから何か食べようかな』と口ずさみながらお弁当コーナーへ進む鵺朱。
「彼女に感謝してよ。本当は今日は休みだったんだから」
「そうなんですか?」
「ああ、鵺朱ちゃんがわざわざここに買い物に来ててね。キミが時間になっても来ないから、じゃあ、ボクが代わりに出ますよ的な流れになってさ」
話の意図が読めないが、僕の理解力が足りないのか?
「キミも彼女の意図に気づいてあげてよ」
「へっ、何の話ですか?」
「鈍いやつだな。こんな男のどこがいいんだろうね」
「やっぱり顔でしょうか?」
「その顔面偏差値で、よくそんな歯の浮いた台詞が言えるねえ」
店長が少し酷いことを言う。
女性から見る男の第一印象は、まずは服装や身だしなみが綺麗かなどの清潔感な見た目から判断するのに……。
はっきり言おう。
男は顔じゃなく性格だ。
何も考えず、即座にイケメンで決める女性は、まだ恋愛経験の少ないお子ちゃまな女性だ。
そうじゃないと、あの美少女の
「ちょっと休憩がてら煙草吸ってくるからね。お客様が来たらよろしく頼むよ」
店長がナインスターという銘柄の煙草を持って裏口の勝手口にまわり、そそくさとその場を後にした。
店長、一見おおらかそうに見えて煙草吸うんだな。
****
「いらっしゃいませ……」
深夜の作業はお客は少なく、精神的には楽だったが、眠気という生理現象には耐えられない。
人間は昼に活動し、夜に寝る生き物だから。
時刻は早朝とは微妙に言いがたい3時。
僕は半端、ボロボロのようになりながらも商品を並び替える。
弁当やおにぎりなどの古い賞味期限の商品を前に出してと……。
あっ、お客が一人店に入ってきたな。
今は店長も鵺朱も休憩中で僕しか店員はいない。
すぐさま、接客をしないと。
「いらっしゃいませ!?」
「あら、ゆっきーさんじゃないですか。お疲れ様です」
その丁寧な言葉使い、ビシッとした黒いビジネススーツを着こなした女性に対して、瞬時に相手の存在が脳裏に浮かび上がる。
「これはこれは。
僕の記憶で確かなら彼女は一般人からハサミで危害を加えられそうになり……。
えっ、この記憶は何だ?
僕はあの時に命を奪われたはず。
「ゆっきーさん、どうかしました?」
「矢奈さん、ちょっと後ろを向いていてもらえますか」
「はい」
僕はレジ前でも動揺せずに、白を基調とした制服のストライプシャツのボタンを外し、直にお腹を確認してみる。
そこには鮮明と刻まれたお腹の傷痕。
どうしてだ。
あの時、確かに刺されて死んだはずでは?
もしや、僕の思い違いか?
「どうやら驚きを隠せないようですね」
「うわっ、矢奈さん!?」
矢奈さんが僕の痩せたお腹を横から見ながら、僕に視線を合わせる。
「無理もありません。あれからずっと危篤状態で病院に入院していましたから」
はあっ、何の話だ?
「退院後も心が空っぽのような状態で自宅に引きこもり、寝て起きるだけの生活でしたし」
あまりの出来事に状況がうまく飲み込めない。
「入院費も私が出しましょうか? と聞いても、給料前借りして何とかするって」
矢奈さんは心底、心配そうに僕の瞳を覗きこむ。
「こんなに体も痩せ細って。ちゃんとご飯を食べていますか?」
彼女の白くて細い指先が僕のお腹に添えられる。
「やっ、矢奈さん、何か買いに来たんじゃないの!?」
「あっ、そうでしたね。ではそこにある鳥の唐揚げを2つと……」
僕は清算を済ませ、矢奈さんに2本のノンアルコールの缶ビールに塩味のポテトチップスを入れたレジ袋と、唐揚げの入った2つの包み紙を手渡す。
すると彼女は、その2つの唐揚げの包み紙をレジ前の清算テーブルにそっと置いた。
「これは私の妹、鵺朱の分とゆっきーさんの分です」
「あっ、ありがとうございます。ご親切にどうも」
僕はそれを受け取り、矢奈さんにお礼の頭を下げる。
そうなのか、この人が鵺朱のお姉さんだったのか。
「今日はゆっきーさんの元気な顔が見れて良かったです」
矢奈さんは胸を撫で下ろし、僕の手を優しく握る。
「また、近いうちにお会いしましょう」
その後、矢奈さんは何も話すこともなく、自動ドアを過ぎ去っていった。
****
(何で僕は生きているんだ……)
バイトから帰宅しても僕の頭の中は混乱していた。
脳内に流れてくる情報が多すぎて、せき止めていたダムが崩壊したような気分だった。
そう言えば刹那はどうなったのだろう。
矢奈さんとの過去の絡みを思い出し、刹那は事故で亡くなったことをもう一度理解する。
「だとするとあの高校時代の生活は夢まぼろしなのか?」
『ピリリリリー♪』
ボケーと考えている最中にスマホから着信が鳴り渡る。
僕の知らない電話番号だ。
「はい、もしもし」
『あっ、ゆっきー、いえ、優希さんですか? 矢奈です』
「矢奈さん、どうして?」
『すみません。妹にお願いしてきちんとしたお名前と電話番号を教えてもらいました。少しお話があるのですが、今はご都合悪いでしょうか?』
いや、こんな美人の声を相手に話をしたがらない男がいるものか。
青年よ、
「いや、大丈夫です。ところで話とは何ですか?」
『明日の朝10時に、私の勤務先に来てくれませんか。折り入って大切なお話があります。今から勤務先をお教えしますので』
「いえ、問題ないです。あのドールハウスですよね?」
『えっ、確かに昔はそこでアルバイトをしていましたが?』
しまった。
あの出来事は学生時代のことだった。
調子に乗って墓穴を掘ってしまった。
穴があったら奥底まで掘り進んで永眠したい気分だ。
「あはは。鵺朱からたまたま聞きまして。偶然って怖いですね」
『そうですか。場所は……』
僕は矢奈さんからの言葉を一言ずつ噛み締めながら受け止める。
その場所は生前に刹那が過ごしていたアイドル養成所だとも知らずに……。
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