第8話 想い出の職場で最後の語らい
まだまだ残暑が厳しい夏の季節。
あれから刹那はバイト先のこの店に顔を出すこともなく、刻々と日々だけが進んでいた。
まさか、僕と会うのが気まずいから、このまま来ないつもりか?
「えっ、刹那ちゃんが急に来なくなったからどうしたかって?」
休憩室のデスクでPC作業をしていた
「もしかして二人とも付き合っているのかい?」
「いえ、この前別れましたけど」
「そうかい。学生時代の恋愛経験は大切だからね。その後の恋愛ステータスに響いてくるからね」
「ステータスですか?」
「そうだよ。若いうちにそういう恋愛経験をきちんとしとかないと成人になってから苦労するからね。そんな男性は女付き合いの心理や接し方などが分からないせいか、遊びが制限される社会人になると、女性関係とも疎遠になったりする。そんでもって30過ぎから独り身になるパターンがほとんど……。
周りの仲間が次々と結婚して身を固めるなか、こればっかりは苦痛だね」
既婚者でもある店長が黒のオフィスチェアを背もたれにして、大きく伸びをする。
作業に疲れたのか、首の関節を鳴らすと、同時にスプリングの金具がギシギシと鳴いた。
「店長、首を鳴らす癖は止めた方がいいですよ。下手をすれば首の神経をやられますから」
「ははは。キミは手厳しいな。どこから調べてきたんだい?」
「ネット、SNSからですね」
「そうかい。ネットは嘘だらけだからなあ」
「いえ、実体験からなのですが?」
「まあ、いくらでもメディアは
駄目だ。
この店長には正論法が通用しない。
まあ、職業柄、色んな人と触れあうから、神経が図太くないとファミレスの店長なんてやっていけないよな。
「刹那ちゃんは辞めるまでの残り数週間の
すまないね、彼女から口止めされていてね」
「そうなんですね」
「何だね、その残念そうな顔は。早くも彼女とヨリを戻そうとしていたのかい? まあ、分からなくもないさ。刹那ちゃんは性格いいし、可愛いからねえ」
「それでキミもここを辞めるのかい?」
「えっ、僕は……」
「ここ数日キミの動きを見てきたけど、心ここにあらず的な対応だったからさ」
店長は複雑そうな面持ちで僕に問いかける。
「接客態度も上の空、皿洗いで何枚も皿を割り、あげくの果てには注文した料理の失敗。お客さんや他の店員からのクレームもキツくてね。わたしのちからではカバーしきれないよ」
「それはクビということですか?」
「いや、ほんの冗談だよ。労働の契約上、雇用主から従業員は解雇できない仕組みだからね。まあ、例外もあるけどね」
「そのことなんですが、実は……」
僕はブルーのジーパンの後ろポケットに入れていた白い封筒を店長の前に出す。
「ふーん。やっぱりそうだったのかい……」
『退職届』と書いた封筒を受け取った店長が中の手紙を見て、渋々納得をする。
「刹那ちゃんに続いてキミもかい。こりゃしばらくは他店からヘルプを入れないとね」
「すみません」
「何も謝ることはないさ。キミが選んだ道だろう?」
店長は手紙の文面を目で追いながら、僕の心を揺るがす会話を続ける。
「他に行くあてはあるのかい?」
「はい、実家の近くで働く予定です」
「そうかい。この街から離れるのかい。寂しくなるね」
「いえ、たまには顔を見せますので」
「分かった。その時はここのお店の売り上げに貢献してくれよ」
「店長はいっつもこれですよね」
僕は人指し指と親指で小さく
「はははっ、それが商売だからね」
店長が豪快に笑いながら、黒の腕時計に目をやる。
時刻は夕方の6時。
そろそろ来客も増える頃だ。
「さあ、残り一ヶ月頑張っていこうか。退職するまではきっちりと働いてもらうからね」
「はい。分かりました」
僕は店長に背中を押されて歩き出した。
頼みの刹那がいない今、この日の夜はいつも以上に忙しかった。
****
「もうすぐ彼女の誕生日だな」
──時は巻き戻り、刹那と付き合ってから二週間。
僕は刹那の住む田舎の場所から、二駅離れた都会のショッピングモールに一人で来ていた。
誕生日プレゼントとは見せかけで、付き合い始めた記念として、何か心に残る物をプレゼントしたかったのだ。
『──まあ、こんな素敵な物をありがとう。ダーリン』
『いいよ。君のためなら例え火の中、水の中……』
『きゃー、ロマンチックな例え。ダーリン大好きー。ちゅっ♪』
「むふふ……ちゅぅぅー♪」
精肉売り場にて、一人妄想のスイッチが入る僕。
「お母さん、あのお兄ちゃん怖い」
「察してあげて。男の子なら誰もが通る道なのよ」
二人連れの母と幼い娘が僕から距離を取り、何やら細々と話をしている。
ああ、心の声が駄々漏れだったか。
(でも、さすがに記念だからって肉はマズイだろうな……)
松阪牛のステーキ肉のパック売りが並ぶコーナーで僕は足を止める。
形に残る物は、いずれ重荷になると言えとも、刹那に美味しいものを食べさせてあげたい気持ちもあった。
だけどブランドものの肉だけあり、金額は桁違いである。
気のせいか、ゼロが一回り多くないか?
(そうか。ブランドまでとはいかなくてもいい品が浮かんだな)
僕は上りのエスカレーターに乗り、二階にある一際洒落た場所へと向かった。
****
大や小を兼ねる光輝く宝石達。
おおよそ貴金属売り場と名乗った店内は様々な種類の宝石が並んでいた。
どの宝石にも防犯のため、分厚いガラスのショーケースに入れられているが、その美しさは見るものの心を魅了する。
かくなる僕もその一人だった。
お目当ての指輪はすぐに見つかった。
宝石は付いてなく、銀色でモチーフされた指輪、シルバーリングである。
19歳の誕生日にシルバーリングをプレゼントすると幸せになれるという説があるが、刹那は、まだ17でその年齢には達していない。
純粋に僕の予算が足りなかっただけだ。
「いらっしゃいませ。シルバーリングをお探しですか。今ならこのリングに英語のメッセージを刻むことができますよ」
「はい、そうですが、どんなことでもオッケーですか?」
「いえ、予め決められた言葉だけですが。どれにします?」
何だ、作られた言葉しか刻めないのか。
確かに『赤巻き紙、黄巻き紙』とかのふざけた早口言葉とかだったら、即座に破局だな。
僕は茶髪のヤンママ風の店員さんから渡された帳簿をめくり、ある箇所でページを止める。
「あっ、それでお決まりですか?」
「はい、お願いします」
「ちなみに文字入れは別料金ですので」
「えっ、そうなんですか!?」
しまった、銀行のATMからもっとお金を下ろしてくれば良かった。
そんな慌てた心境を読み取ったのか、店員さんは笑顔で応対する。
「まあ、お安くしときますので」
「ありがとうございます」
「それではしばらくお待ち下さいませ」
店員さんはショーケースの鍵を開けて指輪を取りだし、奥のカーテンで仕切られた部屋に姿を消した。
それを見届けた瞬間、ヘナヘナと肩の力が抜ける僕。
慣れないプレゼント選びも大変だな……。
30分後、店員さんから茶色の紙包みを受け取り、精算を済ました僕は浮かれ気分で下りのエスカレーターに乗るのだった。
──翌日の朝、刹那と二人きりのいつもの公園にて……。
「──それでこれをくれるのですか?」
「ああ。8月4日生まれだろ。少し早いけど18歳のお誕生日おめでとう」
紙包みを開けて、手に取った指輪を見つめ、それっきり何も話してこない刹那。
彼女も突然のサプライズに驚いているらしい。
『何か文字が彫っていますね』
刹那が手書きのメモ帳を見せる。
その言葉に意気揚々と答えた。
「永遠に消えない愛と読むんだよ」
多少照れ隠しをしながら返事を返す。
恥ずかしさのあまり、刹那の顔が直視できない。
それは刹那も同じだったようだ。
『ありがとう。刹那は幸せものです』
刹那がメモ帳を床に落とし、正面から僕に抱きついてくる。
周りの視線が気になり、僕はあたふたするばかりだ。
そう、この頃の僕達は気づいていなかった。
この後、僅か一ヶ月足らずで二人の交際関係が終わるということに……。
****
「
刹那がここの店を辞めてからちょうど一ヶ月。
僕が『マニアッグ』の店内で皿洗いを終えた時、不意に店長から呼び止められた。
「はい、何でしょうか?」
「今日でキミの勤務も最後だからね。みんなにお世話になった挨拶をしないとね。じゃあ、休憩室へゴーゴー♪」
「何か今日の店長、ハイテンションで変ですよ?」
「はははっ、人間誰だっておかしくなる時もあるさ」
店長からうまく言いくるめられながら休憩室へと急かされる僕。
何でいつにも増して、こんなに嬉しそうなんだろう。
僕は多少緊張しながら、休憩室のドアノブをひねる。
「あっ、
しかし、そこには従業員のみんなはいなくて、一人の少女だけが緑のソファーに座っていた。
「
「うん。ボクがいたら悪い?」
「いんや、別にそんなことないよ」
僕はガラステーブルに置かれたピザやフライドポテトなどを見やり、普段とは違う、ガーリーなピンク一色な私服姿の鵺朱の様子を伺う。
いつもは男勝りで元気な娘が今に限って、女の子っぽくて大人しいのだ。
おまけにタイツを履いているとはいえ、スカートの丈が短いし、少し化粧もしているような……。
「どうしたんだ、このごちそうの山は? ちょうど腹が空いたところなんだ。一口もらうな」
鵺朱のそんな格好から目線を泳がせながら、手元にあったフライドチキンを頬張りながら話を振ってみる。
「いいよ。これはボクのおごりだよ。響、今日でバイト辞めるって聞いたから」
「大袈裟だな。幼馴染みなんだからいつでも会えるだろ?」
「でもここのバイトみたいに気安く会話できないし……」
鵺朱がオレンジジュースを一口飲んで、ほっぺたを赤らめる。
相手は僕と同じく未成年だし、カクテルのようなアルコールは入ってないはずだけど……。
「ボク、高校を卒業したら親が決めた資産家の婚約者と結婚するんだ」
「そうなのか、めでたいな」
「全然。好きでもないし、会ったこともない男性と結婚するんだよ。こっちからしてみればとんでもない嫌がらせだよ」
鵺朱が口紅の付いたイチゴ柄のガラスコップを片手に床をじっと見つめている。
切なそうに表情を曇らせているのは気のせいか。
「ねえ、響。ボクじゃ駄目なのかな?」
「……ボクじゃ刹那の代わりにはなれない?」
その言葉がうまく飲み込めない。
どういう意味だろうか。
「お前、何、寝言言ってるんだよ? 駄目に決まってるだろ?」
「そうか、そうだよね……。そう簡単に気持ちは覆せないよね……」
「鵺朱?」
「ううん、何でもない。じゃあ一緒に食べようか」
「ああ、最後の晩餐というやつだな」
「ふふっ、響は本当に面白いねえ」
そうこうするうちに、いつもの鵺朱に戻ったようだ。
そのまま僕は店長の計らいで退勤となり、鵺朱と他愛ないお喋りをしながら、『マニアッグ』の店員として、最後のひとときを過ごしたのだった。
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